2017年12月7日

12月6日 岩手県山田町の漁師集団「第八開運丸」(3)

今朝は引き続き、岩手県山田町の「山田の海賊」こと、第八開運丸、柏谷智康さんのインタビューをお届けします。
 
養殖事業には目もくれず、多少海が荒れようが船を出し、その時季の最高のものを獲り消費者に直接売る・・・というシンプルなスタイルを貫く、山田の海賊、柏谷智康さん。震災直後、とうぜん漁に出る人もいない海を見て“いまがチャンス!”と思った方です。

以前『LOVE & HOPE』でもご紹介しましたが、柏谷さんたちは全国各地に出向いては、自分たちが水揚げした最高の食材を味わってもらうイベントも開催しています。今ではリピーターやファンの数も増え、肝心の販売のほうがモノによっては品薄になることもあるそうなんですが、「第八開運丸」のもう一つのライフワークであるこうしたイベントについてもお話しを伺ってみました。

◆イベント終わってから電話がバンバン来る
なんでこれを始めたかというと、食べるものが無い、お金が無い、震災後だったから、これじゃうまくないなってことで、“売れなかったら終わり、まあやってみろ!”って感じでやったのが、たまたま今まで続いてる感じですけどね。おかげさんで“美味しい”って全国の人に言ってもらえて、いまも足運んだりとかしてますけどね。やっぱり生のもの、活きてるものとか見たことないから、活きたナマコとかわざと持って行くんですけど。“これが調理されてこういう風になって売ってるんだよ”っててのを皆に分かってもらいたいし、この間もバスツアー来たんですけど、ホタテ一枚にしても、いろいろなゴミがついてるわけですよね。“こんなについてるんですか?”って話をされて、“いやこれをきれいにして市場に出すんだ”って、その一つ一つを、体験みたいにきれいにさせたんですけど、“こんなに大変なんですか?”って話してたから、それだけ分かってもらって、あとは美味しく食べてもらえれば。イベントに行ってて帰ってきても電話が鳴りっぱなしなんですよね。“次はいつ来る?”とか“次は何を持って来てくれる?”とか“これを送ってもらえますか?”とか。まあ休む暇もありませんけど、有難いですね。イベントは暖かくなってからなので5月から。バンバン来てくれって話はもうあるので、トップバッター静岡から始まって行く。漁の方は忙しいんですけど、合間を見てイベントにも行きたいなと。


山田の海と共に生き続けている柏谷さんと「第八開運丸」の仲間たち。取材に伺った日は番屋の引っ越しの準備の最中で、港もまだあちこちが工事中。今もまだまだ復興の途上にありましたが、豊かな海は、以前よりも増して誇れるものだといいます。

◆10メートル、20メートルも見えるような透き通った山田の海
船を出すだけで魅力なんだけども、魚、貝類ひとつにしても、山田湾きれいなところですので、海藻もそうですが、きれいにきれいに採取すれば、なんでもお金になるし、アカモクっていうスーパーフードありますけど、アカモクは山田湾をきれいにしてくれる海藻なんです。きれいな海なんで皆さんにもぜひ一回来てもらって透き通った海、10メートルも20メートルも見えるようなこの海を見てもらって、で、うちらがそこで獲った海産物を食べてもらえれば最高だと思います。


★「第八開運丸海賊団CSA」では、会員になると「海賊証」(会員証)が送られ、美味しい海産物を味わう飲み会やBBQなどのイベント、ツアーへの参加のほか、夏には大きな大きな「シュウリ貝」、秋には「鮭」や「山田カニ」など季節の美味しい旬の食材が送られてきます。
詳しくはこちらから

2017年12月6日

12月5日 岩手県山田町の漁師集団「第八開運丸」(2)

今週は引き続き、岩手県山田町の「山田の海賊」こと、第八開運丸、柏谷智康さんのインタビューをお届けします。

養殖事業には目もくれず、多少海が荒れようが船を出し、その時季の最高のものを獲り消費者に直接売る・・・というシンプルなスタイルを貫く、山田の海賊、柏谷智康さん。震災直後、とうぜん漁に出る人もいない海を見て“いまがチャンス!”と思った方です。

現在、母港にしている山田町の大沢地区は、防潮堤の建設が進み、「第八開運丸」の番屋(漁師の作業小屋)も移転をしなければならないんだそう。そんな山田の港の現状についてお話しを伺いました。

◆海が見えないのが一番怖い
まずはじめに防潮堤が出来てからの話しだと思うんだけど、たぶん9メートルくらいの防潮堤になると思うんで、今までは歩いて、ここらではリヤカーを引っ張って道具とかも持って行ったんだけど、この防潮堤が出来てどうなんですかね、車ではたしかに物は運べるけど、歩いて高齢者の人たちとかも大変になってくるから、たぶん海岸に降りる数も少なくなってくると思うんですよね。となれば浜の状況も分からなくなってくる。出来てみないとわからないけど、海が遠くなるより、海が見えなくなるのがおっかないんですよね。建物の2階からは海は見えると思うんですけど、下に居れば海の状況が分からなくなって、9メートルの防潮堤、またあの津波が来れば、そこまで上がってるはずなのに誰も気づかないはずなんですよね。だから漁師的には確かに防潮堤も必要だけど、海が見えないのがいちばん怖いっつーとこなんだけど。


海が見えなくなる防潮堤の是非については、震災後、各地で議論を呼びましたが、建てることが決まった場所でも、“今もなお建設途中”という地域は少なくありません。山田町もそのうちの一つ。間もなく6年8カ月が経ちますが、今なお毎日のように重機の音が響く山田町の復興状況について、柏谷さんはどう思っているのでしょうか。

◆後継者不足の中、二十歳の息子を仕込み中
遅いですね。宮古とか見てくるとやっぱり山田町は遅いですよね。離れてる人は結構います。今まで漁師だった人も、船も道具も流されて、また一からってなれば(残された)年も無いっていう人たちは、やっぱりもう海のところに住んでても仕方ないから、内陸のほうとかに行ってます。で、漁業の担い手、後継者不足っつーのは、どこでもあることなんだけども、やっぱり漁師でメシを食っていけるかっていうと、ちょっと厳しいところがあって、いろいろ手をつけなきゃ食べていけないから、そうなるといろいろな漁をするってことは、いろいろな経費がかかるってことだから、そのリスクを背負ってまでやるって後継人は居ないと思います。今の不景気の中、ましてや獲れるか獲れないか分らないとこさ。でもまあ俺の息子は東京に居ましたけど、帰ってきていま漁師やらせてます。なんでか?って言ったら、まあ漁師いま高齢者ですがね、高齢者がもう獲れなくなって、いなくなって、どんどんどんどん若い人が減ってますが、そうなると今度、いま息子ハタチなんですけど、ハタチの息子が30代になった時は、もう誰もいないと思うんです。そうすると・・・獲り放題だと思うんですよね。そこでいま修行させてますけどね。やっぱり海に食べられないものはほとんどないんでね。それがちょっと取っただけで、このぐらいの値段になる。でそれを今の若い奴らに教えてますけどね。


柏谷さん、“稼げる漁師の姿”を自分で体現して、若い担い手を増やしたり、山田の漁師文化を守りたい、という思いが根底にあるのではないでしょうか。

明日は柏谷さんたちが仕掛けている、“美味しいイベント”についての話題です
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パーソナリティ 鈴村健一

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