2018年2月8日

2月8日 岩手県釜石市「はまゆり飲食店街」2

今朝は引き続き、今年3月31日に営業期限を迎える、岩手県釜石市「はまゆり飲食店街」についてお届けします。

震災の翌年、2012年1月に開業した「釜石はまゆり飲食店街」は、釜石駅に近い「鈴子公園」に建てられた仮設商店街です。飲食店に特化した仮設商店街で、一角には震災前から釜石の名物として親しまれた「呑ん兵衛横丁」という飲み屋街もあります。開業から6年、復興のシンボルとして親しまれた名所の灯は、ついに消えようとしています。

一方、震災からまもなく7年が経つ市内の復興状況はどうなのか?飲食店会会長で「BAR LINK」のオーナーでもある山健さんのお話しです。

◆釜石はかさ上げをしていない分、復興工事は早かった
釜石は三陸沿岸だとめちゃくちゃ早い方だと思います。その一つの大きな理由として〔市街地のかさ上げを行わなかった〕というのがあります。ダメになっちゃったんですけれども湾口防波堤とかの威力を信じてまた湾口防波堤を作ってますけれどもね。1ミリもかさ上げしなかったです。ホテルなんかも高さ変わってないんでお分かりだと思いますけれども。道路を何センチ上げたとかこの地域は何センチ上げたとか言ってもホテルとかが上がってないのでしょうがない。こないだちょっと調べてみたら、僕らがいた横町の跡地なんかは、いまたぶん0メートル地帯。震災前1メートルそこそこ海抜あったんですけど、その時にも水害はあったんです。何度か。それで今この状況で地盤が下がったままですから、やっぱり目立ったところでいうと、あの岩泉のものすごい水害がありましたけれども、釜石も冠水してるんです。それはどうですかね・・・。見た目は復興したように見えるんでしょうけれども、実際そういう災害はもうふつうに。復興住宅という名で何棟も大町付近に建ててますけど、長い歴史、水害の歴史の中で、初めてじゃないですから。何度も何度も津波あるので、だから今後も必ず津波が来るって事考えた時に、その辺に住むっていう人は、少ないですよね。


一見、復興が進んでいるように見えるけど、かさ上げをしていない分、不安もあるというお話し。話しに出てきた市街地の大町は、ホテルや復興住宅が立ち並び、商店も増えてきているエリア。でも0メートル地帯・・・。かさ上げ工事で何年も時間がかかっている地域とはまた違った課題があるようです。

そんな中、3月末で期限を迎える「釜石はまゆり飲食店街」、駅前への集団移転計画が頓挫してしまっている状況の中、山さんが考える次の一手とは。

◆移転しないという考えも
ちょっと今からだと時間足りないんですけれども、ほかの民有地、今度は民間と民間との話になるんですけれども、そっちの方はちょっといま具体的なことは申し上げられないんですけれども、いま急いで動いてまして、とにかく諦めたらそれでおしまいなので、まずはそれで頑張って動いています。で、5年も6年もさすがにここで商売してるとやっぱり根ざしちゃったっていうか、それなりの常連さんもついたというか、なのでそれはまた大町へってことになると、逆にこの辺のお客さんは、“歩いて15分もかかるなら行かないよ”っていう人も出てきますよね。なのでできるだけこの鈴子地区で移転したいなという考え方はあるんですよ。ひとつね。


明日は呑兵衛横丁の魅力についてお届けします。

2018年2月7日

2月7日 岩手県釜石市「はまゆり飲食店街」1

今朝は、今年3月31日に営業期限を迎える、岩手県釜石市「はまゆり飲食店街」についてお届けします。

震災の翌年、2012年1月に開業した「釜石はまゆり飲食店街」は、釜石駅に近い「鈴子公園」に建てられた仮設商店街です。飲食店に特化した仮設商店街で、一角には震災前から釜石の名物として親しまれた「呑ん兵衛横丁」という飲み屋街もあります。地元の方はもちろん、観光客も足を運ぶ名所の灯がついに消えてしまう!ということで、気をもむ声も少なくないとか。そんな「釜石はまゆり飲食店街」の成り立ちと現状について、飲食店会会長で「BAR LINK」のオーナーでもある、山健さんにお話しを伺いました。

◆「呑ん兵衛横丁」だけでも釜石の文化として残したい
余震がすごく多かったんだよね。なので町なかにお店を出したりとかというのは、また津波が来るんじゃないか?ということもあったり恐怖感があって、ほとんどの人は“ほかの仮設店舗ありますよ?”って言っても入居しなかったんです。どうしてここの鈴子かっていうと、一本川があったりして、もし津波が来てもたぶん直接の波の被害はないだろうっていう考え方があって、それでここ飲食店は集中したということがあるんですね。それで契約の話があって、じゃこれからどうするか?って話になって、今から2年くらい前から徐々に、出来る限り「呑ん兵衛横丁」だけでも釜石の文化として残したいなというのがありました。「お恵」さんでいうと55年くらい営業されているんですよ。僕で14年なのでぜんぜん下っ端で、もう半世紀以上ですからね、人生の半分以上をお店に費やしてる、そういう方々が多いんですよね。彼らもなかなかお年をめされてる方多いんですけど、それでもやる気は十分にあったりして、もう店の中で死んでもいい!くらいのお店に対する愛が強い方が多いのが現状なんですね。なので“どこかテナントが空いてるからどうぞ”という訳にもいかなくて、それで僕らの企画「集団で移転したらどうか?」っていう案を出して、モメて、ダメで、その結果、集団移転は諦めたという格好になったんですね。それでも一応いろんな建設会社等々との話をしてた案がいくつかあったもんですから、それで駅前の「シープラザユー」というテントがちょうど取り壊しになるということで、その跡地を利用させてもらえないか?と、1階と2階を店舗にして3階4階を居住区にして、それでワールドカップ関係の民泊対応にもなるしということで建設会社が出資者を募ってくれて。結構な金額が集まる予定になったので、じゃ土地の提供をしてくれないか?というお話しをさせて頂いた。そしたら、「あそこは駐車場にするからダメだ」というお返事を頂いたんですね。これでおしまいということなので、まあどうしようかという状況なんですね。


「呑ん兵衛横丁」はそもそも、昭和30年代、戦争で夫を失った女性たちが市の中心部の水路の上に店を開いたのがはじまり。高度成長期には30店以上が並び、
製鉄所の従業員らでにぎわいましたが、津波で全26店が流されました。「はまゆり飲食店街」では12店が営業しています。釜石市は別の場所に店舗施設を建て、その場所で継続させようとしたものの、出店費用が高額なため高齢の店主たちは移転に踏み切れなかったといいます。

山さんたちは、独自の計画を出して資金も見通しを建てたものの、市の計画は覆らず。期限が迫る中、なんとか釜石の横丁文化を絶やすまいと奔走を続けています。明日はそんな、“この先の計画”についてお届けします。
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パーソナリティ 鈴村健一

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