2018年2月21日

2月21日 南相馬市 小高ワーカーズベース(3)

今朝は引き続き、福島県南相馬市の「小高ワーカーズベース」についてお届けします。

東日本大震災とそれに伴う福島第一原発の爆発事故によって避難区域となった南相馬市小高区。2016年夏に避難指示が解除になりましたが、今年1月末時点での居住者数は震災前の約1万3千人のうち、約 2千5百人にとどまっています。そんな町の現状を変えようと立ち上がったのが、2014年に「小高ワーカーズベース」を立ち上げた和田智行さんです。

現在は、コワーキングスペースのほか、スーパーの「東町エンガワ商店」、ガラスアクセサリー工房の「HARIOランプワークファクトリー小高」を運営しています。ここまでのプロジェクトの手ごたえについて、あらためて和田さんに聞いてみました。

◆新しい事業をはじめようと、着実に人が増えてきています。
事業を立ち上げる際に、それを回す人材が必要だが、年配の方だと事業をやるエネルギーはなかなか無い。じゃ私たちがチャレンジしたいと外から入ってくる若い世代が多くはないが増えています。自分たちが最初に旗を立てたからこそだと思うし、継続的に発信しているからかなと思う。男性とかおじさんたちが集まって仕事をしている風景は避難区域では当然の風景だけど、女性しかも若い女性が集まって仕事をするなんて無いし出来ないと地元の人たちは思っていた。だからこそそれを事業にすれば周りに気持ちの変化を与えられるし、女性が集まることは町の雰囲気も明るくなると思う。アクセサリーが避難区域の小高で作られることを知って、小高を訪れてくれる人もいます。あとは新しいプロジェクトを始めるためにきた人もだんだんと増えて来ています。まだ大きい動きではないが着実に。じっさいデザイン系など場所にこだわらない人が来たり、南相馬市が国のイノベーション・コースト構想の一環で「ロボット・テスト・フィールド」が作られるという環境が整備されたことで、南相馬市内でドローンのプロジェクトをやりたいと入ってくる方もいらっしゃいますね。


なお「小高ワーカーズベース」のプロジェクトの一つであるガラスアクセサリー工房は、全国に8カ所の製造販売拠点を持つ、HARIOランプワークファクトリーの生産拠点の一つ。現地での製造販売のほか、ガラスアクセサリーの製作体験も実施しています。

明日も引き続き、「小高ワーカーズベース」、和田智行さんのインタビューをお届けします。
「小高ワーカーズベース」公式サイト

2018年2月20日

2月20日 南相馬市 小高ワーカーズベース(2)

今朝は引き続き、福島県南相馬市の「小高ワーカーズベース」についてお届けします。

東日本大震災とそれに伴う福島第一原発の爆発事故によって避難区域となった南相馬市小高区。2016年夏に避難指示が解除になりましたが、今年1月末時点での居住者数は震災前の約1万3千人のうち、約 2千5百人にとどまっています。そんな町の現状を変えようと立ち上がったのが、2014年に「小高ワーカーズベース」を立ち上げた和田智行さんです。

現在は、コワーキングスペースのほか、スーパーの「東町エンガワ商店」、ガラスアクセサリー工房の「HARIOランプワークファクトリー小高」を運営しています。ここに至るまで、さまざまな困難もあったはずですが、和田さんはこのように話します。

◆避難区域の中で何かアクションを起こすことの難しさ
まず物件探しに4ヶ月くらいかかった。避難区域内で不動産は動かないので、自分で物件のオーナーに当たっていけないといけなかった。しかし、みなさんも「戻るかどうか決めていないので、その状況では貸せない」と言われたり、取り壊す予定の物件も多かったので、最初の物件を探すのに苦労しました。設立した後はいろんな方の応援がったので苦労は少なかったが、「何がやりたいのか」理解が得られないことが多くありました。例えば食堂を作るときも、避難区域内で食堂をやっていいのか行政に聞いても明確な回答が得られず。そもそも避難区域の中で何かアクションを起こすことの前例がなかったので、アクションを起こすことで周りに「こういうことがやりたい」と理解してもらうまでが大変だったと感じます。


もともと小高生まれの和田さんは、東京の大学に進学して東京で就職。2005年に小高にUターンしました。原発事故の影響で、一時は会津若松に避難していましたが、そのうちに小高の視察の案内を頼まれるようになり、小高に足を運ぶようになりますが、視察をしてもそれっきりで終わってしまう現状に業を煮やして「小高ワーカーズベース」を設立しました。まだ避難指示が出ている中での事業のスタート。どんな思いに背中を押されていたのでしょうか。

◆「リアル・シム・シティ」に可能性を感じた
もちろん自分の家も小高にあり、いずれは帰るつもりでした。子供もいるので生活できる町にしたい思いもあったが、住民がいなくなった町に、街の機能をもたらすことができるまさに「リアル・シム・シティ」と呼べる場所は避難区域くらいしかないし、そこに当事者として携わることができる可能性がモチベーションになって。もともと震災前から何もしなければ衰退するだけの町だったと思うが、震災後避難区域になったことでダイナミックに生まれ変わって、震災前の閉そく感が無くなって、新しい暮らし易い町、住みやすい町にできるかもと気づいたんです。



現在、コワーキングスペースは満室賃貸中。スーパーには住民や小高で働く事業者が集い、ガラスアクセサリー工房には7人の女性スタッフが働いています。

明日も引き続き、「小高ワーカーズベース」、和田智行さんのインタビューをお届けします。
「小高ワーカーズベース」公式サイト
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パーソナリティ 鈴村健一

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