2018年3月5日
3月5日 大川伝承の会 語り部ガイド(1)
今日は、3月4日に行われた、宮城県石巻市、旧・大川小学校での語り部ガイドのレポートです。
東日本大震災の津波で、児童・教職員84名が犠牲となった、旧・大川小学校。当時の避難対応が問われ、「子どもたちを助ける方法があったのでは」という疑問がいまも解決していない場所です。遺族の一人、「小さな命の意味を考える会」代表の佐藤敏郎さんは、2016年「大川伝承の会」を立ち上げて、語り部ガイドを主催。参加者に、震災当日の大川小学校の状況を伝え続けています。
昨日4日は、12回目の語り部ガイドと勉強会が行われ、私も参加してきました。被災した当時のままの校舎、津波が襲った時刻3時37分で止まった時計、
2階の天井に残る津波のあと・・・
その場所で語られた、佐藤敏郎さん、そして鈴木典行さんの声です。
◆あの日、子供たちはどう避難行動をしたのか
「あの日」の話をします。2時46分に大きな地震があって、ほどなく大津波警報が出ます。で、この通り山に囲まれていてですね、それを受けて山に逃げればよかったんですけれども、ずっとここに止まってしまいます。動き出したのは最後の1分。残念ながら最後の1分で、向かったのはあそこの土手です。信号機のところを目指します。結果的には津波に向かって一分間行進した形になります。避難行動については鈴木から説明します。
先生の指示によって校庭に避難します。そこで子供たちはちょうどこの場所に並びました。全校生徒ここに集まるんですけれども、6年生だけは別の行動をとったんです。ここの学校にいた教務主任、自然災害に詳しい先生がいたんです。その先生は津波警報が出る前に、地震の時点で“この地震だったら津波が来るから山へ逃げなさい”っていう指示を出したんです。それを聞いた6年生は向こうの山、なだらかなところへ駆け登ったんです。ところが別の先生から“6年生だめだよ、戻りなさい”ということで、この校庭へ戻ってきたんです。何十分もここに。その間先生たちは“どうしようか”と。子供達は寒くて寒くて雪が降るくらいの気温だったのですが、ジャンバーを持ってきてないんです、急いで逃げてるから。低学年の子は具合悪くなって嘔吐する子、泣き出す子。お漏らしする子もいたと言います。その間いろんな警報が鳴ります。子供を迎えにくるお母さん方の声も聞こえます。“津波くっから早く逃げなよ先生”。そんな言葉を聞いて高学年の子は危機感を感じてくるわけです。“先生、山さ逃げっぺ、ここさいたら死んでしまう”。だけども先生は子供の発言を聞き入れることはなかった。その間、石巻市の広報車が海の方へ向かって確認しに行ったんですね。状況を。そしたら松林を超える津波が見えた。Uターンして戻ってきたんです。そして拡声器で、“津波が来てますから逃げてください”、町を通って行ったんです。学校にも聞こえたそうです。それを聞いた先生方はやっとそこで避難行動を開始するんです。やっと動こうという風になるんです。それで向かったのはさっき説明があったあそこの信号機があるところ。三角形だったので三角地帯と言われてるあそこへ避難しようとなったんです。そして子どもたちは途中で津波に遭う。その避難経路をこれから歩いて行きたいと思いますのでついてきてください。
地表から8.6メートル、海抜1メートルの場所なので10メートル近い津波が、一度でなく二度三度、くりかえし大川小学校を襲いました。
どうして・・・という疑問、二度とこの悲劇を繰り返してはならないという思いが伝わってきます。
「LOVE&HOPE」、明日も「大川伝承の会 語り部ガイド」のレポート、お伝えします。
東日本大震災の津波で、児童・教職員84名が犠牲となった、旧・大川小学校。当時の避難対応が問われ、「子どもたちを助ける方法があったのでは」という疑問がいまも解決していない場所です。遺族の一人、「小さな命の意味を考える会」代表の佐藤敏郎さんは、2016年「大川伝承の会」を立ち上げて、語り部ガイドを主催。参加者に、震災当日の大川小学校の状況を伝え続けています。
昨日4日は、12回目の語り部ガイドと勉強会が行われ、私も参加してきました。被災した当時のままの校舎、津波が襲った時刻3時37分で止まった時計、
2階の天井に残る津波のあと・・・
その場所で語られた、佐藤敏郎さん、そして鈴木典行さんの声です。
◆あの日、子供たちはどう避難行動をしたのか
「あの日」の話をします。2時46分に大きな地震があって、ほどなく大津波警報が出ます。で、この通り山に囲まれていてですね、それを受けて山に逃げればよかったんですけれども、ずっとここに止まってしまいます。動き出したのは最後の1分。残念ながら最後の1分で、向かったのはあそこの土手です。信号機のところを目指します。結果的には津波に向かって一分間行進した形になります。避難行動については鈴木から説明します。
先生の指示によって校庭に避難します。そこで子供たちはちょうどこの場所に並びました。全校生徒ここに集まるんですけれども、6年生だけは別の行動をとったんです。ここの学校にいた教務主任、自然災害に詳しい先生がいたんです。その先生は津波警報が出る前に、地震の時点で“この地震だったら津波が来るから山へ逃げなさい”っていう指示を出したんです。それを聞いた6年生は向こうの山、なだらかなところへ駆け登ったんです。ところが別の先生から“6年生だめだよ、戻りなさい”ということで、この校庭へ戻ってきたんです。何十分もここに。その間先生たちは“どうしようか”と。子供達は寒くて寒くて雪が降るくらいの気温だったのですが、ジャンバーを持ってきてないんです、急いで逃げてるから。低学年の子は具合悪くなって嘔吐する子、泣き出す子。お漏らしする子もいたと言います。その間いろんな警報が鳴ります。子供を迎えにくるお母さん方の声も聞こえます。“津波くっから早く逃げなよ先生”。そんな言葉を聞いて高学年の子は危機感を感じてくるわけです。“先生、山さ逃げっぺ、ここさいたら死んでしまう”。だけども先生は子供の発言を聞き入れることはなかった。その間、石巻市の広報車が海の方へ向かって確認しに行ったんですね。状況を。そしたら松林を超える津波が見えた。Uターンして戻ってきたんです。そして拡声器で、“津波が来てますから逃げてください”、町を通って行ったんです。学校にも聞こえたそうです。それを聞いた先生方はやっとそこで避難行動を開始するんです。やっと動こうという風になるんです。それで向かったのはさっき説明があったあそこの信号機があるところ。三角形だったので三角地帯と言われてるあそこへ避難しようとなったんです。そして子どもたちは途中で津波に遭う。その避難経路をこれから歩いて行きたいと思いますのでついてきてください。
地表から8.6メートル、海抜1メートルの場所なので10メートル近い津波が、一度でなく二度三度、くりかえし大川小学校を襲いました。
どうして・・・という疑問、二度とこの悲劇を繰り返してはならないという思いが伝わってきます。
「LOVE&HOPE」、明日も「大川伝承の会 語り部ガイド」のレポート、お伝えします。