2018年3月6日

LOVE & HOPE スペシャル
7年目の春便り〜ふたつの故郷(ふるさと)〜

7年目の春便り〜ふたつの故郷(ふるさと)〜

7年目の春を迎える今年は、福島県に焦点をあて、『LOVE & HOPE special 7年目の春だより〜ふたつの故郷〜』を、3月11日(日)13:00〜13:55に放送いたします。パーソナリティは、朝の生ワイド番組『クロノス』のパーソナリティとしておなじみの高橋万里恵と政治学者の姜尚中。
震災後すぐに強制避難となり、いまだ故郷を見ることなく育った小学生の男の子。いち早く家業の漁を再開しようと奮闘する20代の女性…。2018年4月、福島県富岡町や浪江町をはじめとする避難解除エリアをかかえる地方自治体が、震災後はじめて地域の学校を再開させるなど、大きな分岐点を迎えます。『LOVE & HOPE』が追い続けてきた人々を通じ、2018年3月の風景を切り取ります。

震災から7年。避難により故郷を知らない子どもたちが伝える福島県富岡町の今。
原発事故の影響で震災後、全町民避難が続いていた福島県富岡町では、昨年4月からは帰還困難地域を除く地域で、町民の町への帰還が始まりました。ただ、町で生活を始めたのは、元町民の3%にも満たず、今年2018年4月には地元での小中学校再開も決定していますが、富岡町に戻る児童の数はとても少数であるというのが現状です。
震災前、町では富岡第一第二の2つの小学校に合わせて800人以上の児童が通っていました。しかし震災後は、町民が県内外に避難。子供たちは県内の三春町にある仮校舎で授業を行ってきました。現在、仮校舎の児童は6学年併せて11人。
番組では、富岡第一第二小学校三春校に通う小学5年生の3人に密着しました。

「自分たちのふるさとを自分たちの目で見て、町の人に話を聞きたい。将来自分の言葉で富岡町の復興の様子を伝えられる大人になりたい」。震災後初めてふるさとの富岡町を訪ねる彼らは、震災当時はまだ3,4歳。当時の記憶はほとんどありません。通うはずであった富岡第一小学校も訪ねます。仮校舎しか知らない3人は、自分たちの通うはずだった小学校の理科室や図書館、家庭科室の大きさに驚きます。ショッピングモールでカレーやラーメンを食べ、富岡駅、富岡ホテルの復興に係る大人たちにインタビューしていく過程で、彼らは何を感じたのでしょうか。


震災から7年。いつか故郷・浪江町で父と漁を再開したいと願う女性の決意。
浪江町で生まれ育った漁師の娘・鈴木綾乃さんは、原発事故の影響で避難生活を余儀なくされ、漁師である父は家業である漁を休業せざるを得ませんでした。幼少の頃から父に憧れ、いつか自分も漁師になりたいと思っていた綾乃さんは、反対する父を押し切り、気仙沼の漁師に弟子入り。“いつか故郷の浪江で父と漁を再開したい”という思いを胸に漁を学びます。

そして浪江町の避難指示が解除となった2017年春、そんな娘の情熱に動かされ父も浪江で漁を再開することを決意。ふるさとに戻り、いま再び海へ漕ぎだすための準備を進めています。そんな鈴木綾乃さんの胸にある「ふるさと」への一途な想いを伺います。
そして、番組の最後には、彩乃さんがお父さんに向けて書いた手紙を紹介。どんな気持ちを込めて手紙を書いたのでしょうか。


転勤族や、上京する人、移住をする人。誰にでもあるようで、ないような、聞く人すべてにあてはまる「ふるさと」の話。震災から8年目の「ふるさと」について、番組は考えていきます。

2018年3月6日

3月6日 大川伝承の会 語り部ガイド(2)

今日は、3月4日に行われた、宮城県石巻市、旧・大川小学校での語り部ガイドのレポートです。

東日本大震災の津波で、児童・教職員84名が犠牲となった、旧・大川小学校。被災当時のままの姿を遺す校舎では、悲劇と教訓を後世に伝える「大川伝承の会〜語り部ガイド」が継続的に行われています。

今回12回目の語り部ガイドには、主催者であり、ともに娘を亡くされた遺族でもある、佐藤敏郎さんと鈴木典行さん。そして、津波にのまれながら奇跡的に助かった生徒の一人、当時小学5年生だった只野哲也くんも参加しました。

あの日、この大川小学校で、いったいどんなことが起きたのでしょうか。

◆当時、津波にのまれて、山で気を失った
(先生と子供達は県道に出ようとした時、津波の気配がした。その途中まで行った男の子、当時5年生だったんですけれども、それが只野君。その状況をちょっと話してくれますか?)
はい。皆さん今通ってきたと思うんですけど、いま車が走ってる県道の方に民家の細い道を通って小走りで走っていた時に、県道に差し掛かった時に前の木造建ての民家が爆発するというか、砕け散るように壊れて土煙のようなものが上がったので、これはやばいって恐怖を感じて、すぐに引き返してこっちの山に向かいましたが、自分達は気づいて山に向かうんですけど、あとから避難してきた低学年の子達は「なんで戻ってきたんだ?」みたいな感じでゴタゴタした状態になって、自分はもうそれどころじゃないのですぐに山に駆け上って急な斜面なんですけれど自力で上って、学校の方に振り返ったんですけどまだ津波のようなもの見えなくて、もう少し登れば助かるなと思って、もう一回前を向いて登ろうとした時に、後ろから水とか波よりも、すごい何十人にも押しつぶされる圧力が体にかかって、そこで気絶しました。(哲也はそこで一晩過ごした感じに?)はい。津波に飲まれて気絶したんですけれども、ずぶ濡れで目が覚めたのが多分もうちょっと三角地帯側の山の斜面なんですけれども、そこで目が覚めて役場の人が山の上から降りてきて、こっちの竹やぶというかそっちに移動するしかなくて、その移動してる最中にもまた大きい津波が来て、またのみ込まれるという恐怖があって震えたりとかもしたし、目覚めたあたりから雪がすごい降ってきて、夜も寒くて、顎がミシンのようにずっと震えてる状態で、、多分あんな寒い夜は二度と経験しないでしょうし、したくもないなって思います。


津波にのまれ、気を失いながらも奇跡的に山に身体を押し付けられ、助かった只野くん。目が覚めたあと、裸足のまま足場の良い竹やぶに移動して一夜を過ごしますが、夜になっても押し寄せる津波、雪が降る凍えるような寒さといった、思い出したくないはずの当時の状況を話してくれました。
只野くんは奇跡的に助かりましたが、同じ大川小に通っていた妹、そして母と祖父を津波で亡くしています。

明日も「大川伝承の会 語り部ガイド」のレポート、お伝えします。
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パーソナリティ 鈴村健一

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