2018年3月20日

3月20日 浪江町請戸・漁師見習い 鈴木綾乃(2)

今日も福島県浪江町出身、漁師を目指す、鈴木綾乃さんの挑戦です。

福島県浪江町請戸地区出身の鈴木綾乃さん、26歳。漁師の父、広行さんの背中を見て育った綾乃さんは、子どものころから「漁師になりたい」という夢を抱いていました。でも「漁師は危険を伴う男の仕事」というのが、漁師の世界の常識。震災も経験し、一度は栄養士として就職しますが綾乃さんは「漁師になる夢」をどうしてもあきらめきれません。もちろん、父の広行さんは、娘が漁師になることに大、大、大反対です。そこで綾乃さんは広行さんに認めてもらうため、ある行動にでます。

◆全部やめて気仙沼に修行に行った
最初はどうしたら漁師になれるのかなと「漁師」「求人」で調べたんですインターネットで。そしたら漁業の求人サイトが出てきて気仙沼の新人教育をやっている漁師さんのところが出てきて。全部やめて気仙沼に修業に行くと決めてからお父さんに伝えたら、ものすごく怒られて、反対された。お父さんがキレながら「女にできるんだったら男はいらねえだろう」と。漁師は男の仕事という頭があるから、あと危ないということもあってすごく反対されました。
でもどうしてもやりたかったのと、あとおじいちゃんが病気で亡くなったので海生丸の後を継ぎたいという想いを伝えました。言い出したら私も聞かないほうなので、お父さんに似て。半ばあきらめて「じゃあ勉強だから行ってこい」と。でも気仙沼からたまに帰ってくるたびに「危ないんだからな」とすごいケンカになって。でもだんだん認めてくれて、漁の話をしたり。「どんなことやってんだ」「どんな魚とってんだ」と聞いてきたのがすごい嬉しかったです。


一方、福島の海は放射性物質の検査のため、長く試験操業が続いています。それなら船の再建は諦めて、漁師を廃業してしまおうか、と父・広行さんは考えていました。そんな広行さんの心を動かしたのが、綾乃さんの 「漁師になりたい」 という熱い思いでした。

◆漁をあきらめていた父が新しく造船した「海生丸」
お父さんも震災後はもう浪江とかは30年ぐらいはだめなんじゃないかと言われてたから、船やる気もなかったみたいで半ばあきらめていた。(でもお父さんは綾乃さんが戻ってくる前から船を作り出していた?)内緒で船をつくっていたみたい。わたしもお父さんも決まったことをぎりぎりまで言わないので知らなくて。お父さん的には跡継ぎがいないので続けるつもりはなかったみたいだけど、わたしが戻ってくるってなってから、やる気になってくれて、あとはお前たちに任すからと。(海生丸はおとうさんから綾乃さんへのプレゼントという意味合いもあるのかな)うれしくて本当に大切にしていきたい。お父さんと一緒に漁に出るのが小さいころからの夢だったので、死に物狂いで頑張りたいと思ってます。


気仙沼での漁師修業を終えて、綾乃さんは昨年福島県浪江町に帰ってきました。そして、広行さんと綾乃さんは今年の2月上旬から新しい船「海生丸」で一緒に漁に出ています。その様子は明日のLOVE&HOPEでお伝えします。

2018年3月19日

3月19日 浪江町請戸・漁師見習い 鈴木綾乃(1)

今日からの三日間は、福島県浪江町出身、漁師を目指す鈴木綾乃さんの挑戦です。

◆「海に生きる」と書いて、海生丸。この名前が好きだった
(今日はいいお天気で風も全然なくて。こんな真新しい船に乗せていただいて嬉しい!)去年の10月に進水式があって、すごいピカピカで。前の船はぼろぼろだったのでうれしい。船の名前は「海生丸」。(以前の船も同じ名前?)そうです。この船の名前がとても好きだったので。


お話を伺ったのは、福島県浪江町請戸地区出身の鈴木綾乃さん26歳。
「前の船」というのは、父・広行さんの船のこと。綾乃さんの実家は5代続く漁師の家で、震災で港近くの家は津波で流さ、広行さんの船も津波で使えなくなりました。また原発事故のため、広行さんは福島市に避難しました。

◆漁師の夢をあきらめきれず、震災後に決断!
(出身はどちら?)浪江町の請戸というところです。いまは更地というかなにもない状態。家もなにもなくて。(綾乃さんの中のふるさと請戸は震災前どんな風景でした?)家と田んぼしかない田舎町だったけど、生まれ育ったところなので、住みやすいというか居心地のいい場所でした。(お父さんのお仕事が?)漁業をやってました。小さいときから手伝うのが好きで。船には乗せてもらえなかったけど陸で網仕事とかを手伝っていました。
(綾乃さんはいま漁師を目指していると。)見習いなんですけど。(実際あったらかわいらしい女性でびっくり!漁師になりたいと思ったのはいつから?)ほんとに小さいころからいつかなりたいと思っていたけど、お父さんも反対で。大学のとき震災にあって、一回は無理なのかなと、普通に別の仕事について。でもどうしても諦めきれなくて、お父さんに認めてもらうために一回修業してから。そうしたら認めてくれるかなと思って。震災後に決断して漁師を目指し始めました。


綾乃さんは中学のときにお母さんを亡くし、栄養士になるために大学に進学。卒業後、一度は栄養士として病院で仕事を始めたものの、子どものころからの夢、「漁師になりたい」とい想いが消えることはありませんでした。

そこで、綾乃さんはお父さんに反対されるのを承知で、ある「行動」にでます。続きは明日、お伝えします。

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パーソナリティ 鈴村健一

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