2018年5月8日

5月8日 東海大学生有志による「阿蘇復興への道」(2)

今週は震災から2年を迎えた熊本からのレポート。今朝は引き続き、南阿蘇村を中心に活動している東海大学の学生たちによる復興支援団体、「阿蘇復興への道」についてお伝えします。

東海大農学部の“阿蘇キャンパス”があった南阿蘇村の黒川地区、震災前は約1000人の学生が住む「学生村」と呼ばれていました。被災した阿蘇キャンパスは現在“実習施設”として活用されているものの、学生たちの多くは熊本市内の熊本キャンパスに転移しました。そんな状況の中、にぎわいの消えた黒川地区をなんとか活気づけようと活動しているのが東海大学生有志による「阿蘇復興への道」。参加しているメンバーや主な活動内容を広報 古堅あさひさん(3年生)に聞きました。

◆食事会や語り部で黒川地区との交流を
2年生から4年生までで30名近くでやっています。震災を伝えるという面でも苦しい部分もあるんで楽しいことばっかりではないんですけど、和気あいあいと活動しています。基本的には黒川地区と学生のつながりを繋いできたいということで、黒川地区でちょっとした食事会とかバーベキューとか交流会みないのを作ってみんなでご飯食べたり、黒川地区で語り部、震災当時の状況を話させて頂く活動とかもやっています。あと10月の「南阿蘇大復興祭」も自分たちの活動では重要な活動かなって思います。いつも大家さんに会いに行ったり、食事会や語り部や復興祭を通して会う時に、いつも“ありがとうねー”とちょっと涙ながらに言って頂けるだけで、本当に行ってよかったなって思いますいつも。


お話しにでてきた「南阿蘇大復興祭」が目下「阿蘇復興への道」のメインイベント。これまで2回開催され、餅投げや、そばの早食い競争、ステージでは片平里菜やthe LOW-ATUS(ザ・ロウエイタス)のライブなど行われています。くまもンの登場も!
今年も秋に開催予定の「南阿蘇大復興祭」、今年はどんなことを考えているのでしょうか?

◆大家さんが笑顔になってくれたら
いろいろです。うちの東海大生も参加しますし、大食い大会やずっと自分たちの団体と関わってきてくれているアーティストの方も参加して頂いて、なんでホントいろいろです。いまは自分たちの代なんですけど、後輩が祭りをするにしても、語り部をするにも、ぜんぶ委ねていこうかなと思ってて。復興っていう言葉自体、人によってはふわふわする単語っていうか曖昧な単語だとは思うんですけど、自分たちとしては大家さんとかが笑顔になってくれたらいいなっていうのをいちばんに考えて伝えていこうとは思います。


お世話になった黒川地区の人たちに喜んでもらえたらという思いの元に、交流を続けている「阿蘇復興への道」のメンバーたち。
実習施設として阿蘇キャンパスの「農場」などは残るものの、農学部のキャンパスは益城町に移されることが決まり、震災前のように黒川地区に学生が住むという可能性は限りなく少なくなりました。それでも古堅さんはじめ、黒川地区で学んだ学生たちにとってこの場所はやはり特別な場所であるといいます。

◆あの場所にいたからこそ築けた「絆」
当たり前ですけどいちばんは自然が身近にあること。本当に阿蘇キャンパスにいるときは、平日に川遊びだったりとかもできるし、農場がキャンパス内にあるってのもあるんですけど動物がホントに近くにいて、市内の大学とは比べ物にならないくらいの自然との密度で関われるっていうのも大きいと思ってて。ほかにやっぱり「絆」。大家さんとの絆もそうですし、友人同士の絆もそう、先輩後輩との絆も、あの場所にいたからこそ築けるものがけっこう多いんじゃないかなっていうのは感じてます。



『LOVE & HOPE』、明日は益城町に生まれた、若い世代による復興プロジェクトについてお伝えします。

2018年5月7日

5月7日 東海大学生有志による「阿蘇復興への道」

今週は震災から2年を迎えた熊本からのレポート。今朝は南阿蘇村を中心に活動している東海大学の学生有志による復興支援団体「阿蘇復興への道」についてお伝えします。

東海大農学部の“阿蘇キャンパス”があった南阿蘇村の黒川地区には、震災前は約1000人の学生が住む「学生村」と呼ばれていました。被災した阿蘇キャンパスは断層の上に建っていることが判り、阿蘇キャンパスの再開は断念。現在は熊本市内のキャンパスに通う農学部の“実習施設”として活用され、いま黒川地区に住む学生はいません。

そんな東海大の学生たちによって立ち上げられた「阿蘇復興への道」。広報を担当している古堅あさひさんに団体立ち上げの経緯を聞きました。

◆募金活動から始まった“学生たちの支援の取り組み”
自分達の団体は学生有志の団体です。元々は地震が起こって地元に一時避難をしたんですけど、すぐ阿蘇、黒川に戻って瓦礫作業や家具の仕分けをしてらっしゃる先輩もいたんですけど、それに行けなかったりする生徒とかはみんな募金活動したりして、その集まった募金をどうやって一つにまとめようかということで、学校だったり南阿蘇だったりに募金をしようってことで先輩方が一時的に団体を作って。せっかく集まった学生の気持ちを無駄にしたくないってことで、何か阿蘇と自分たちの繋がりや地震を伝えていくっていうことに生かせないかなということで、「阿蘇復興への道」と名前を変えて模索しながら三年目になります。


募金活動から始まった“学生たちの支援の取り組み”を絶やすまいと「阿蘇復興への道」は生まれました。いまは南阿蘇村での村民とのBBQや交流会、復興イベントの開催など、さまざまなアクションを展開しています。

古堅さんはいま3年生。震災の時はまだ1年生で出身地の沖縄から南阿蘇へやってきて間もない時の地震でした。いまは中心メンバーの一人として、団体の運営に関わっている古堅さん、彼女もまた、震災当時、村民に助けてもらったことが忘れられないといいます。

◆黒川地区は第二の故郷のような
自分自身、新一年生で黒川に来て2〜3週間ぐらいの時の地震だったので、土地勘も無いし何もわからない状態で地震起きちゃったんですけど、その時もすごい大家さんに助けて頂いて、その日、夜中だったんで連絡手段なんかもダメで、大家さんが自分の携帯電話を貸してくれてみんなに、“これで親御さんに連絡を取ってね”と言ってくれて。大家さんのお家も全部崩れちゃってたんですけれど、地元に帰ってからも連絡をくれて、“大丈夫ですか”とか言ってくださって、ありがたいなって思いましたし、他の子の話を聞いてもやっぱりみんな助けられてという感じで、そのつながりは黒川地区の「学生村」の特別な感じ、第二の故郷のような、自分の親元を離れてでも安心できる場所っていうのは、いま違う場所にいるからこそ感じる点かなっていうのあります。やっぱり自分たちいま黒川地区に住んでいないのってけっこう大きいことだなって思ってて、今までいた時よりもやっぱり活気もけっこう減っちゃうなって思ってて。自分たちが一年生の時に震災を体験したけど、自分たち以降の新入生の子とかは、実習で阿蘇に行くっていっても、やっぱり阿蘇と関わっていくことも減ってくだろうし、大家さんと関わることもやっぱりない、もしかしたら会わないで卒業していく子とかもいるかもしれなくて、温かいもの、つながりだったり優しさだったり、知ってる自分たちが伝えていかないと後世に伝わらないものだなって感じるんで、そういうのも含めて自分たちが伝えていけたらなと思って活動はしています。


崩落した阿蘇大橋を渡った先にある黒川地区。いまも復興工事が続き、住民の帰還もそれほど進んでいません。失なわれた“地域の活気”を取り戻すために何かしたいと、現役の学生はもちろん、震災後に卒業したOBたちも一緒になって「阿蘇復興への道」は活動を続けています。

明日も「阿蘇復興への道」について、お伝えします。
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パーソナリティ 鈴村健一

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