2018年6月5日

6月5日 福島県 日山の山開き(2)

日曜日に8年ぶりの山開きを行なった、福島県、阿武隈山系の霊峰、日山(ひやま)の話題です。


二本松市、田村市、川俣町、浪江町、葛尾村の二市二町一村にまたがる日山。
山頂に3つの神社が祀られている信仰の山でもあります。

原発事故の影響で、これまで登山が出来なくなっていましたが6つある登山口のうち、浪江町と葛尾村を除く4つの登山口が8年ぶりに再開。
山頂中央広場・高さ1メートルの線量は、原発事故直後は、0.96マイクロシーベルトでしたが先月16日の測定では0.17マイクロシーベルトに下がっていることが確認され、また5月末の登山道のモニタリング調査では、空間線量が平均で 毎時0.3マイクロシーベルト強という数値でした。
   
6月3日の山開きには、この日を待ち望んだ登山客約1000人が訪れ、地域の守り神である日山登山の再開を喜びました。

再開した登山口の一つ、下田代登山口がある、川俣町の山木屋地区で、名産品の「トルコキキョウ」を育てている農家、菅野洋一さんに、
まず2011年の震災、そして原発事故の影響で山木屋地区がどういう経緯をたどったのか伺いました。


◆政府に振り回された避難生活
原発事故が起きて、2〜3日のうちにかな、だいたいの地区の人が避難したんですけどね。でも1週間〜10日くらい過ぎたら、なんとなく大丈夫なのかな?なんて感じでね、戻ってきて、それでまた農業再開していたんですけど、あれは4月の中旬頃かね、国の方から計画的避難しなさいということで避難した訳ですけど。やはり放射能は、若干は僕らもまた聞きくらいでかじっていたんですけど、事故があればたぶん放射能でこの地区は危ないんじゃないか?避難しなくちゃいけないんじゃないか?というのは、前から有るのは有ったんですよね。でも現実にそうなるとは夢にも思わなかったですからね。そういう面ではやはり、「計画的避難地域」が出てから“避難しなさいよ”っていう、これがちょっとね、我々にとってはちょっとふざけてんじゃないよ!というような感じもありましたよね。


原発の風下に位置し、放射線量が高くなっていた山木屋地区。ところが原発から30キロ以上離れているため、当初、避難指示は出されなかったそうです。
そのため住民は、一度は避難したものの、その後、町に戻り、ようやく避難指示が出たのは、1か月以上経った4月22日。その避難指示が解除されたのは、去年春のことでした。

そして現在、除染が進んで、ようやく避難指示が解除、そして親しんだ日山の山開きを迎えたわけですが、じつは菅野さん、避難指示が出ている時も日山に登っていたんだとか!

◆待ち望んだ山開き
うん、震災後も私はずっと登ってました(笑)。やっぱりもともと山も好きでね、とうぜんここの地区のシンボル的な山なんで。登りたかったんですよね。いまも顔ぶれを見た感じで、ここはもともと28戸の戸数があるんですが、ほぼ出席してるってかたちなんで、けっきょく待ちに待ってたのかな〜って感じますけどね。みんなで登って、でまたお祭りが出来るってことがね、最高ですよね。


無謀なようですけど、菅野さん、線量計をもって、調査もかねて登っていたんだそう。。。

またお話しに合った“お祭り”というのは、300年以上の歴史があると言われている、「三匹(さんびき)獅子舞」という無形文化財で、
毎年秋に、地域ごとの持ち回りで、舞いを奉納。8年に一度は、日山へ登って奉納をしていたんだそうです。

日山と同じように、この「三匹獅子舞」も山木屋の宝だということなんですが、元の規模で行なうのは、まだまだ難しいといいます。

◆住民減少の中で
獅子舞は10月の第1日曜日ですね。いま農家の戸数っていうか、ここの地区の住民の戸数が少なくなって、ちょっと出来る状態じゃないんですよね。ですから持ち回りじゃなくて、山木屋全体で去年はやったんですけどね。ですから今年もそういう形でやるようになるのかなと思いますが、とりあえず残念ながらちょっと、日山に登るようなあれは無いでしょうね。


原発事故の影響で避難指示が出ていた町では、避難指示解除後も若い人の帰還が進まないという現実もあります。ただ、ただし菅野さんの家族をはじめ、
山木屋地区では、若い世代が農家を継ぐために戻ってきています。その理由は明日以降お伝えします。

2018年6月4日

6月4日 福島県 日山の山開き(1)

今朝は、昨日8年ぶりに山開きを行なった、福島県、日山(ひやま)の話題です。



別名・天王山(てんのうざん)とも呼ばれる日山は、二本松、田村市、川俣町、浪江町、葛尾村、二市二町一村にまたがる山。
山頂には3つの神社が祀られている信仰の山でもあります。山頂にはツツジが咲き、一時は、“富士山が見える北限の山”とも呼ばれ地域の住民に親しまれてきまし
たが、福島第一原発の事故の影響で登山道の一部が避難指示の区域に含まれ、これまで登山が出来なくなっていました。

そんな日山が、8年ぶりの山開きを迎えるにあたり、5月27日、登山道の一つである川俣町の下田代登山口で、地域住民が登山道の草刈りを行ないました。



◆8年ぶりの山開き
(山木屋地区・菅野区長の挨拶)
おはようございます。8年ぶりの日山登山道の道刈りということで、帰還している人、また遠くから早朝、参集頂きましてありがとうございます。震災前は私の覚えている限りでは毎年、日山の登山道というより日山神社の参道の整備ということで、おそらく1世紀以上続いているのかなと思います。それが残念ながら震災でようやっと今回、6月3日に日山の山開きということを契機に、登山道の整備をしようということになりました。そういうことで今日は8年ぶりということで、かなり荒れていることも予想されますし、いちばんは年をえましたのでおそらく8年前の体力は無いと思いますので、その辺、おのおの自己管理しながら安全に気をつけて作業をお願いしたいと思います。また今日は町の災害対策課の依頼で、モニタリングチームが同行して頂きます。登山道のモニタリングをして、登山道が安全だということを皆さんにPRしたいということで同行いたしますのでよろしくお願い致します。(お邪魔にならないよう気をつけますのでよろしくお願いします。)ではそういうことでとにかく怪我のないようによろしくお願いします・・・


震災前は山開きに2000人が訪れていたという日山。地域の皆さんにとってどんな山だったのでしょうか?
この日草刈りに参加していた一人で、山木屋地区で農業を営む菅野洋一さんに伺いました。



◆地域の象徴の山
この地区にとってはやはり象徴というか、阿武隈山系でも2番目に高い山でもありましたし、30年くらい前かな、富士山が見える北限の山ということもなりまして、けっこうここは大切な山だったということで、先ほども区長からありましたけど、昔からここは、神社の鳥居もありますがその参道で、獅子舞って有るんですが、8年に1回、山に奉納するんです。ですからその意味合いも込めて草刈りを毎年やってたということですね。はやりいちばんこの近辺では高いということで、360度のパノラマが見える、素晴らしく良いところです。僕も山は好きなもんでしたから、毎年登ってましたね。年に3回4回・・・


そんな地域の宝である日山が、震災後、どうなっていたのか?引き続き、菅野さんのお話しです。

◆当時の放射線量
山じたいは入ってダメってことは無かったんでしょうけど、けっきょく山の上はどうしても線量が高かったということで、現実には山開きもやらなかったし、登山する人もほぼいなかったということですね。でも震災当時は、私、登ったことあるんですよ。その時は北側に面する部分はだいたい0.7か8マイクロシーベルトくらいだったんですけど、頂上からちょっと東側に向くと、3とか5とか、いうふうに上がってましたね。ですからやはり登れる状態ではなかったと思います。でも今回はじめて日山の山開き、これ今回6市町村かな、でやってるんですけど、今回初めて草刈りの行事が出来たってことなんですけどね。


6カ所ある日山の登山口のうち、浪江町と葛尾村の登山口は今も閉鎖されたまま。そんな中、地域の皆さんにとって嬉しい復興への一歩が今回の山開きが6月3日に行われました。当日は約1000人が日山を訪れ、山頂の景色を楽しんだということです。

明日も日山の山開きについて、お伝えします。
«前の記事へ || 1 | 2 | 3 |...| 233 | 234 | 235 |...| 1066 | 1067 | 1068 || 次の記事へ»

パーソナリティ 鈴村健一

メッセージ、ご意見、プレゼントご応募はこちら

特別番組 LOVE & HOPE ~10年目の春だより

TOKYO FM 特別番組 HANABI

「LOVE&HOPE~防災ハンドブック2015」PDF版ダウンロード配信中

アーカイブ

  • いのちの森
  • Support Our Kid's
  • TOKYO FM
  • JFN