2018年10月3日
福島県南相馬市小高区の「厩舎みちくさ」?
常磐道を北に走って、浪江町から南相馬市に入ったあたり、
右手に見えてくるのが「厩舎みちくさ」。
じっさいに番組スタッフも東北取材の道中に厩舎を発見して、
後日、取材に伺うことになりました。
2016年7月の避難指示解除後も帰還する住民が少ない小高区で、
なぜ厩舎を開くことになったの?
代表の脇坂南さんにお話しを伺いました。
「震災をきっかけに」
今は13頭いるんですけど、10頭がお客さんの馬でそれを預託してもらってます。なので主な収入は預託料です。それでお客さんが週末になったら自分の馬に乗りに来たり、あとは牧場の馬も3頭いるんで、馬を持ってないお客さんはその牧場の馬を乗って練習してます。私は2011年に、20キロ圏内から避難してきた“被災した馬”の現地で世話をするスタッフとしてNPO法人引退馬協会というところから派遣してもらって、こっちで警戒区域から助けられた馬たちの世話をしてたんですね。今まではだいたい10年くらい千葉、茨城とかでインストラクターの仕事をしてたんですけど、震災をきっかけにこっちで被災馬の世話とかをして、で、東北に移住しようと思って、被災馬の仕事が終わった後は、自分でも引き取った被災馬がいたので、その馬と一緒に働かせてもらえるところを見つけて、2012年からは宮城の乗馬施設で働かせてもらいながらお金をためて、それで2016年の夏に、こっちに移ってきました。ここは和牛の子牛を繁殖してたところだったので、部屋とかもこうして仕切りが調節できるようになってるんで、馬を飼うにはちょうどいい感じになってたので、なのでこちらを貸して頂くことにしました。
震災による原発事故で被災したのは、人間だけでなく動物も。
その多くは、置き去りにされたり、殺処分されたりしました。
その頃、被災馬の世話をしに福島を訪れた脇坂さんは、
いろんな縁があって「厩舎みちくさ」を開くに至ったということ。
この場所には以前に牛を育てていた人が建てた慰霊碑が残っていて、
そこにはこんなことが書いてあります・・・
「原発事故、放射能の存在すら知ることもなく、
空腹に鳴き続け、息絶えた牛たちよ、
人間のため試験に供され、命を絶たれた牛たちよ、
全て人間の身勝手により絶命した牛たちよ、許してください。合掌」
そうした場所で、いま被災馬を含む13頭の馬たちと生きている脇坂南さん。
明日もそんな「厩舎みちくさ」について、お届けします。
厩舎みちくさ