2019年3月6日

南相馬市 上野敬幸さん(笑顔のために)

福島県南相馬市の、上野敬幸さんの「いま」お伝えします。

津波でご両親と、まだ幼かった2人のお子さんを失った上野さんは、この8年、ご自身の家族のため、そしてつらい経験をした人たちのために
継続的に行っている活動があります。

それが、上野さんのご自宅前の土地を使った「菜の花畑の迷路」、そして夏に行われる、「追悼福興花火」です。

いずれも自分たちで資金を集め、ボランティアの方々と手弁当で続けているもの。こうした活動を続けること。その意味を上野さんはこう考えています。

◆みんなの笑顔のために
一番最初は当然、自分のわがままでスタートしたと思っているんです。永吏可(えりか)と倖太郎(こうたろう)に花火を見せるには、ここで上げるしかないと始めていたので。翌年からは2000発で追悼復興花火という名前はついていますけれども、喜んでもらえればそれで良いんですよ。菜の花も花火もそうですけれども、震災の時にあげた花火ではみんな泣いていて、翌年も当然泣いている人たちもいましたけれどもその中で子どもたちがはしゃいでいたり、そういう声が聞こえたりだとか、そういった部分で笑顔というのにすごくこだわるようになってきたと思うんですよ。自分が今できる事は何なのかなと思って、親父、お袋、永吏可、倖太郎・・・自分の場合だと4人がいて、俺が辛そうな顔をしていたりだとか、泣いてばかりしていると上から心配で見ているんだろうなと思っていて。そう思った時に天国でみんなにはゆっくりしてほしいので、そしたら俺が笑うことだったり、こういった場所で笑顔が生まれることでしか、亡くなった人たちを安心させる事は出来ないんだろうなと思って。そういうふうに考えるようになってすごく笑顔にこだわって、今は花火だったり菜の花だったり、喜んでもらおうと思ってやっています。


今年も、南相馬・萱浜地区で、上野さんは菜の花畑の巨大迷路づくりにすでに取り掛かっています。ゴールデンウィークの10連休に、子どもたちがめいっぱい遊べる菜の花迷路がまた、登場する予定。詳しくは福興浜団のFacebookなどを御覧ください。

★福興浜団ブログ
★福興浜団Facebook

2019年3月5日

南相馬市 上野敬幸さん( 震災から8年)

福島県南相馬市の、上野敬幸さんの「いま」お伝えします。

2011年の津波でご両親と、まだ幼かった2人のお子さんを失った上野さん。あの日から8年が経とうとする今も、「福興浜団」として、子どもたちを笑顔にするための様々な活動を、ずっと続けています。

一方、その間にも、日本では大きな災害が何度も起こりました。上野さんは、この8年の間に起きた災害について、こんな想いを持っていると言います。

◆自分の命、家族の命と向き合って欲しい
鬼怒川で思い知ったというのがあるんですよ。東北の震災と言うものが、みんな教訓にされているものだと自分で思っていました。だけどあの鬼怒川を見たときに全く違かったじゃないですか。前の日から「雨が降りますよ」とあれだけ言っていて、あんな川のそばに人が残っているんですよ。目の前が川なのに。全く教訓にされていない。去年も西日本でたくさんの方が亡くなってしまいましたけれども、それを見るたびに悔しくてしょうがないわけですよ。悲しいとか大変とかそういうわけではなくて、悔しくてしょうがない。自分の家族の命が、永吏可(えりか)と倖太郎(こうたろう)、親父とおふくろの命は何の意味もなかったなと。無駄になったような気がしてしょうがない。東北の20,000人弱の人々の一番の喜びは、何かが起きたときに死者がゼロということだと思うんですよ。手遅れになる前に逃げて欲しい。避難した結果何もなかった、よかったね〜でそれでいいじゃないですか。そういう風になってほしいと思っているので、教訓に全くされていない意識の低さ。それがすごく悔しくて3月11日は教訓として、命という部分と、別に東北の命と向き合う必要はないです。自分の命と自分の家族の命と、向き合ってほしい。そういう日になればいいなと思っていますよ。

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パーソナリティ 鈴村健一

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