2020年3月2日
大熊町・木村紀夫さんの「いま」?
今朝は福島県大熊町、木村紀夫さんの「いま」をお伝えします。
2011年3月11日。当時45歳だった木村さんは津波で妻と父、そして次女・汐凪(ゆうな)ちゃんを失いました。特に当時7歳だった汐凪ちゃんは行方がわからず木村さんは避難先の長野県から大熊の自宅に通い、捜索を続けました。
自宅は福島第一原発から3キロあまりの帰還困難区域。捜索できる日も限られます。それでも木村さんは捜索を続け、2016年の年末に発見された遺骨の一部が汐凪ちゃんのものと判明。木村さんは、51歳になっていました。
そして東日本大震災からまる9年を迎える今年2月。番組は、発見現場を木村さんに案内していただきました。
◆「戻ってきてね」と言われている気がする
そうですね、この土手の下あたりから見つかったんです。震災の年の5月下旬から2週間ぐらい、ここで自衛隊が片付けと捜索をやったんですよ。片付けといっても、瓦礫を持ち出して処分するのではなくて、何か所かに山にして置いておいたんですね。ここがその1カ所で、当日履いていた靴を俺、見つけていて、まさにその靴があった場所。そこから遺骨の一部が見つかったという。自宅から200〜300メートルくらいですかね。だから想像するしかないんだけど、うちの親父がやっぱりそのへんの田んぼの中から見つかっているんですね。おそらく一緒にいた可能性が高いんだとすれば、その周辺にいて、自衛隊に気づかれずに瓦礫と一緒に運ばれて、そのあいだにバラバラになっちゃったのかなといまは思っているんですけど。(そして遺体の2割が発見されたが)残りがどうなっちゃったのか、ただね、見つからなかったのは残念な反面、これからどうしていくとか、次につなげていくとかっていう意味では、なんかね、ここにまだ汐凪が残っているほうが、「ここに戻ってきてね」と言われているような気がして。それがあるので捜索もそうなんですが、ほかのこともやっているんですよ。ここをきれいに残していって、汐凪が人が好きだったのでたくさん人が来てくれるような場所にしていければ、そのほうが汐凪にとってはいいのかなと思っているので。だから最終的にはここ全体が、うちの土地だけじゃなくて、慰霊の場所みたいな感じで公園とかにできればいいなと思っています。
![](/cms/thumbnails/f2/f2e514daa14df062ccd53dc3ad80b7d7.jpg)
※発見場所は木村さんの自宅から数百メートル。捜索を手伝っていた作業員が汐凪ちゃんのマフラーを発見し、そこから遺骨の一部が見つかったという。
震災の年、45歳だった木村さんはこの春で54歳に。これまでに見つかった遺骨は「2割」。木村さんは「全部見つけるまで」と捜索を続けています。一方、木村さんの土地は中間貯蔵施設の建設予定地にあり、木村さんは捜索を続けられるよう行政に訴えているといいます。
明日も木村紀夫さんのお話です。
2011年3月11日。当時45歳だった木村さんは津波で妻と父、そして次女・汐凪(ゆうな)ちゃんを失いました。特に当時7歳だった汐凪ちゃんは行方がわからず木村さんは避難先の長野県から大熊の自宅に通い、捜索を続けました。
自宅は福島第一原発から3キロあまりの帰還困難区域。捜索できる日も限られます。それでも木村さんは捜索を続け、2016年の年末に発見された遺骨の一部が汐凪ちゃんのものと判明。木村さんは、51歳になっていました。
そして東日本大震災からまる9年を迎える今年2月。番組は、発見現場を木村さんに案内していただきました。
◆「戻ってきてね」と言われている気がする
そうですね、この土手の下あたりから見つかったんです。震災の年の5月下旬から2週間ぐらい、ここで自衛隊が片付けと捜索をやったんですよ。片付けといっても、瓦礫を持ち出して処分するのではなくて、何か所かに山にして置いておいたんですね。ここがその1カ所で、当日履いていた靴を俺、見つけていて、まさにその靴があった場所。そこから遺骨の一部が見つかったという。自宅から200〜300メートルくらいですかね。だから想像するしかないんだけど、うちの親父がやっぱりそのへんの田んぼの中から見つかっているんですね。おそらく一緒にいた可能性が高いんだとすれば、その周辺にいて、自衛隊に気づかれずに瓦礫と一緒に運ばれて、そのあいだにバラバラになっちゃったのかなといまは思っているんですけど。(そして遺体の2割が発見されたが)残りがどうなっちゃったのか、ただね、見つからなかったのは残念な反面、これからどうしていくとか、次につなげていくとかっていう意味では、なんかね、ここにまだ汐凪が残っているほうが、「ここに戻ってきてね」と言われているような気がして。それがあるので捜索もそうなんですが、ほかのこともやっているんですよ。ここをきれいに残していって、汐凪が人が好きだったのでたくさん人が来てくれるような場所にしていければ、そのほうが汐凪にとってはいいのかなと思っているので。だから最終的にはここ全体が、うちの土地だけじゃなくて、慰霊の場所みたいな感じで公園とかにできればいいなと思っています。
![](/cms/thumbnails/f2/f2e514daa14df062ccd53dc3ad80b7d7.jpg)
※発見場所は木村さんの自宅から数百メートル。捜索を手伝っていた作業員が汐凪ちゃんのマフラーを発見し、そこから遺骨の一部が見つかったという。
震災の年、45歳だった木村さんはこの春で54歳に。これまでに見つかった遺骨は「2割」。木村さんは「全部見つけるまで」と捜索を続けています。一方、木村さんの土地は中間貯蔵施設の建設予定地にあり、木村さんは捜索を続けられるよう行政に訴えているといいます。
明日も木村紀夫さんのお話です。