2019年5月7日

岩手県大槌町で活動するNPO法人「アラマキ」副代表、吉野和也さん?

今週は、岩手県釜石市及び大槌町を拠点に活動しているNPO法人「アラマキ」の副代表、吉野和也さんのお話し。

2011年の東日本大震災の直後、東京から大槌町の避難所へ移住、「大槌復興刺し子プロジェクト」を立ち上げ、その後、NPO法人アラマキを設立して「大槌食べる通信」を手掛けるなど、復興につながる活動を続けている吉野さん。

今朝は2011年5月の移住直後の動きについて伺いました。


◆「ありがとう」が嬉しくて

「まずは避難所でいろんな人に話を聞いて回るんですね。“どんな状況ですか?”“なに困っているんですか?”でそこで見つけたのは、高齢のおばあちゃんとか女性達が、避難所でずっといつもじっとして周りに迷惑かけないようにしてたんですね。であのままじゃみんな病気になっちゃうと周りの避難してる人たちも心配していて、じゃあその人たちに仕事を作ったらいいんじゃないか、でその仕事がお金になったらいいんじゃないか、で縫物だったら得意なんじゃないかって言うんで、「刺し子プロジェクト」っていう、布巾とかコースターを作ってもらって、でそれを僕たちで買い取って販売するっていうのを、5月の中頃からスタートして、6月14日にホームページを開設して販売したんですね。それからどんどんどんどんいろんな方たちのご協力のおかげで、今はスタッフ3人雇用できる感じになりました。すごく忘れないエピソードがあって、始めたての頃におばあちゃんにコースターを作ってもらって、お金を600円くらい渡したんですよね。その何日か後にそのおばちゃんに会った時におばあちゃんが言ってくれたのは、“ありがとう、もらったお金で孫にジュースを買ってあげることができた。それまで“喉乾いた”って言っても買ってあげることができなかったから嬉しかった。ありがとう”って言ってもらったんですね。それがすごく嬉しくてですね、印象に残ってます。」




そもそも「刺し子」は、布地を綴り縫いや刺し縫いする針仕事のことで、貴重だった布地を直しながら、長く大切に使うことから生まれた技術。東北をはじめ全国各地で引き継がれています。「大槌復興刺し子プロジェクト」は、その後「無印良品」とコラボするまでに成長。けっこうおしゃれ・・・

大槌復興刺し子プロジェクト
     
これまで延べ200人の女性が参加。刺し子で収入を得てお店を再建した人もいるそうです。

そして吉野さんはこのあと、「NPO法人アラマキ」を立ち上げ、さらに活動の幅を広げていきます。明日も吉野さんのお話し、続きます。

2019年5月6日

岩手県大槌町で活動するNPO法人「アラマキ」副代表、吉野和也さん?

今週は、岩手県釜石市及び大槌町を拠点に活動しているNPO法人「アラマキ」の副代表、吉野和也さんのお話し。

吉野さんは2011年の東日本大震災の直後、住んでいた東京から“大槌町の避難所へ移住した”という人。直後に被災者に現金収入をもたらす「大槌復興刺し子プロジェクト」を立ち上げ、その後NPO法人アラマキを設立して「大槌食べる通信」を手掛けるなど、今なお復興につながる活動を続けています。

※LOVE & HOPEでも何度か取り上げている「食べる通信」は、漁師や農家など食の作り手を特集した情報誌と、彼らが収穫した食べものがセットで定期的に届く“食べもの付き情報誌”のこと。震災後に東北で誕生し、現在は全国各地に拡大しています。

震災のあと、大槌町の避難所に移り住む、という思い切った行動に出た吉野さんですが、まずはその経緯について、
伺ってみました。


◆「そばにいたい」

「震災の時って僕は東京で仕事してたんですね、で、しばらく震災って他人事だったんです。ただインターネットを見るとその被災地の状況はすごくいろんな形で溢れていて、本当かなと思うようなこともたくさんあったんです。それで実際に行ってみないとわかんないなと思って、会社の休みの土日に、陸前高田に、自分の車に物資を積んで行ったんですね。2011年4月9、10の土日でした。そこで被災した人たちの体験したこと、いろんなことを聞いたんです。たとえば自分の奥さんとお子さんを亡くした消防団団長の話とか、長年の不妊治療の末にやっと授かったお子さんと旦那さんを亡くしたお母さんの話とか。で、それを話を聞いた時にすごく思ったのが、“この人たちの気持ち分からない”ということだったんですね。自分の奥さん亡くしたことないし、自分の子を亡くしたこともないので、肉親を亡くしてしまう人の気持ちが分かんなかったんです。ただその人たちのそばにいたいなってすごく思ったんです。そばにいれば一緒に泣いたり笑ったり喜んだりできるんじゃないか、そばにいれば本人が困ってる時に横から手を差し伸べる事も出来るんじゃないか、それがしたいなと思って、2011年の5月4日に東京の会社を退職して大槌町の避難所に行って暮らし始めるんですね。たとえばこっちの人ってパソコンが苦手な人が多かったんです。で、インターネットで情報発信することによっていろんな人から支援を受けることができるとか、できることがたくさんあったと。ただこっちに来て活動するにやっぱりお金が必要で、そういった時に周りの人たちに色々話したら、すごくいろんな形で協力をしてくれて、お金を出してくれる人が現れて、後押ししてもらえたんですね。それが最後のひと押しになったというか。」




大槌町は東日本大震災による津波と火災で壊滅的な被害を受けた場所。津波で町長や町の職員の多くが命を落とし、行政機能も麻痺しました。そんな大槌町で、吉野さんは被災者の傷ついた心に触れ、突き動かされるように移住を決めたといいます。じつは吉野さんご自身も不遇な生い立ちを背負いながら生きてきた過去を持ち、今回そこにマイクは向けませんでしたが、きっと心の傷を重ねあうような瞬間があったのだと推察しています。

震災前は東京のウェブ制作会社に勤めていた吉野さん、そのスキルを活かしながら、大槌町の一住民として復興へ歩み始めます。

『LOVE & HOPE』、明日もNPO法人アラマキの副代表、吉野和也さんのお話です。


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パーソナリティ 鈴村健一

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