2020年3月4日

大熊町・木村紀夫さんの「いま」?

引き続き、福島県大熊町(おおくままち)、木村紀夫さんの、「いま」をお伝えします。

東日本大震災による津波で行方不明となった次女・汐凪(ゆうな)ちゃんの遺骨の一部が発見されてから、この春で3年と3か月。いまも木村さんは「汐凪のすべてを見つけたい」と捜索を続けています。

まだ汐凪ちゃんを発見できる可能性がある自宅周辺の土地。そこは、「汐凪のお墓みたいなもの」。だから、そこが中間貯蔵施設の予定地だとしても、「土地を造成する状況には、できれば持っていきたくない」。高台に作った慰霊碑の前で、木村さんはそう話します。

◆「戻ってきてね」と言われている気がする
これから次につなげていくとかっていう意味では、なんかね、ここにまだ汐凪が残っている方が、「ここに戻ってきてね」と言われているような気がして。だから最終的には本当にここ(の土地)全体が、うちの土地だけじゃなくて、慰霊の場所みたいな感じで公園とかにできれば良いなと思っています。だからね、ある意味1000年先にここに津波があるときに、(自宅そばの高台に作った)あの慰霊碑が役に立つ時が来るかもしれないし。箱物を作るのじゃなくて、そこで何をするのかが俺は重要だと思っているんですよ。特に帰還困難区域とか中間貯蔵施設のエリアの中って表に伝わりづらいじゃないですか。もうすぐ聖火ランナーが走るんだけれども、おそらくその中で世界に配信されるのって「大熊町が復興しています」みたいな、そういう部分だけだと思うんですね。だけど、その裏に実はこういうところがあって、こういう思いでいる住民がいるというのは全く伝わらないと思うんですよ。だけど本当はそこに、教訓として残しておくものっていっぱいあると思うんですね。もちろん津波もそうだし、ここが特殊であるのは原発事故があったということですよね。それもちゃんと伝えなきゃならないし、慰霊もそうだし、伝承という意味ではここであったことを伝えることで次につなげていくというのが大事になってくると思うので。中間所蔵施設が順調に稼働して、原発も廃炉に向かって順調ですというのじゃなくて、その中でいろんなことがあったわけで、まあね、原発が良いか悪いかじゃなくて、ここであったことをちゃんと伝えて、あとは判断するのは皆さんなので。ただね、その考える機会を与えられる場所にしたい。



木村さんの土地は中間貯蔵施設の「緑地緩衝地帯」になるという話だそうですが木村さんによれば「なにを作るか全く決まっていない」とのこと。そこで木村さんは環境省などに、「復興公園にする」という案をこれから提案して、訴えていきたいと考えているということです。ただこれはあくまで、木村さんが個人として構想しているもの。実現するかはわかりません。

明日も木村紀夫さんのお話です。


2020年3月3日

大熊町・木村紀夫さんの「いま」?

引き続き、福島県大熊町、木村紀夫さんの、「いま」をお伝えします。

東日本大震災による津波で、行方不明となった次女・汐凪(ゆうな)ちゃん・当時7歳を探すため、立ち入り制限が続く大熊町へ一時帰宅して、捜索を続けてきた木村さん。

汐凪ちゃんの遺骨の一部が見つかったのは、震災から5年9か月が過ぎた2016年の年末。このとき、汐凪(ゆうな)ちゃんは、大熊町で唯一の行方不明者となっていました。

そして木村さんは、いまも捜索を続けています。今回、その胸の内を語ってくださいました。

◆ここを汐凪のお墓に
大熊町民としては死亡届けを出したので、行方不明者は「0」です。ただね、汐凪は全部は見つかっていないので。(捜索は具体的には)このへんの田んぼの捜索ですね。耕うんしながらずっと見て歩く、みたいな感じです。海岸沿いは歩くくらいしか、目視ぐらいしかできないですね。いまはもう防潮堤を作るためにもともとあった壊れた防潮堤を撤去しているんですね。そこで。ただ、やっぱりもしかするとその体の一部がそっちにある可能性もあるし、その可能性があるテトラポットを、そのまま残してその上に防潮堤を作るとか、そこに遺体がないって限らないじゃないですか。それ(防潮堤の建設)をやりますということに対して、いまのこの状況の中で異を唱えられるのは俺しかいないような気がするんですよ。9年経つんだから、そういうこともぜひ考えて欲しいなと思って。「やってもらえないですか」っつって頭を下げつつ。(どこまでゆうなちゃんが見つかると木村さんの気持ちが整理されるのか)たぶん見つかっても変わらないと思います。それは。起きた事は変わらないし、ほっとするとは思うんですが、だけどそれで元気になるとか気持ちが変わっていくというのはないと思います。俺の中では、ここをある意味、汐凪のお墓と考れば全部、それで整理がつくような感じです。だから余計にここを、いじらなくちゃ、造成しなくちゃならないという状況にはできれば持っていきたくない。うん。




※木村さんの自宅があった場所。ここを捜索の拠点にしている。

木村さんの自宅周辺は、除染廃棄物の中間貯蔵施設の予定地ということで、土地の明け渡しをめぐる問題はいまも続いているといいます。その一方、木村さんは長野県の避難先から去年、いわき市に引っ越しました。長女・舞雪(まゆ)ちゃんが東京に進学、独り立ちしたことで、より大熊町に近い場所から、通い続けるつもりだと話しています。

明日も木村紀夫さんのお話です。
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パーソナリティ 鈴村健一

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