2019年6月4日

釜石市ラグビーワールドカップ2019推進本部事務局 長田剛さん?

今週は、「釜石市ラグビーワールドカップ2019推進本部事務局」の、長田剛さんのインタビューをお届けしています。



3か月後に迫った「ラグビーワールドカップ2019日本大会」。全国12の会場のうちの一つで“釜石市の復興のシンボル”ともいわれる「釜石鵜住居復興スタジアム」では、予選ラウンドの2試合が行われます。

本番へ向け、いまは裏方として奔走している長田さんは、元トップリーグでも活躍したプロ選手。2009年に「釜石シーウェイブス」へ移籍し、震災が起きた時は現役の選手でもありました。


◆「釜石はラグビーで復興する」
「ボランティアをやってる時、クラブハウスとボランティアの(拠点のある)駅のところを毎日行き来してたんですね。で、僕は言われたんですけど、“カラダちっちゃくなったな〜”とか被災した方たちに。“こんなんやってんと早くラグビーせいや!”とか。いちばん心を動かされたのは、“次は早くラグビーで町を元気にして”って僕言われたんですよ。その時になんか心震えたというか、僕達は今までずっと町の人、釜石市民の人たちに支えられたんですね。でその人たちが大変なんやから今ラグビーじゃなくてボランティアでその人達の支えにならなあかんなと思ってやってたんですけど、“早くラグビーで町を元気にしてくれ”っていうのを聞いて、もうその一言で“あ、この町はラグビーで復興するんやな”って僕は思いましたね。自分のラグビー観も180度変わりました。その一言で。改めて自分たちの存在価値みたいなものを感じさせられて、よっしゃ、じゃあ明日からも俺たちはラグビーで町を盛り上げるぞってなりましたね。すごい結束でその1年はすごいチームだったと思います」



その年のシーズンは4位に終わりましたが、一丸となって試合に向かう結束力はすごかったと長田さんは振り返ります。被災した住民にかけられた“早くラグビーで町を元気にしてくれ”という言葉に、「新日鉄釜石」の日本選手権7連覇の歴史が息づくラグビーの町・釜石市民の気質が伝わってきます。

長田さんは、2009年に移籍で釜石に来るまでは、関西のチームに所属で、出身も奈良ということでした。選手を退いてもなお、釜石に残って今に至る・・・その理由とは、いったい何なんでしょうか?


◆「ラグビー人生の集大成として」

「選手で怪我してそのあとコーチをやって、でコーチを引退するっていう時に、まあずっと シーウェイブスの中にいた時は、応援してくれる人に“トップリーグに上がるトップリーグに上がる”とずっと言い続けてきたんですね。でも何一つ結果残せてないなと思って、結局上がれなかったんで。で、いま目の前に、絶対釜石市の為になる「ワールドカップ」っていうのがあって、自分のラグビー人生の集大成じゃないけど、成功させれば絶対釜石に恩返しができると思ったから、今は帰りたくないと思って、ここの試験を受けて入れて頂いたんですね。だから釜石に残ろうと思いました」




こうして長田さんは、釜石シーウェイブスを離れたあと、「釜石市ラグビーワールドカップ2019推進本部事務局」に試験を受けて加わり、いまは秋の本番へ向けて奔走を続けています。

『LOVE & HOPE』、明日もそんな長田さんのインタビュー、お届けします。

2019年6月3日

釜石市ラグビーワールドカップ2019推進本部事務局 長田剛さん?

今週は、「釜石市ラグビーワールドカップ2019推進本部事務局」の、長田剛さんのインタビューをお届けします。

いよいよ3か月後に迫った「ラグビーワールドカップ2019日本大会」。“アジアでは史上初の開催”ということで世界が注目する大会にもなっていますが、全国12の会場のうちの一つが「釜石鵜住居復興スタジアム」。東日本大震災で甚大な被害を受けた場所に新たに作られた、復興のシンボル的なスタジアムでもあります。



6月1日に、ここで行われるワールドカップの前哨戦「パシフィックネーションズ2019日本ラウンド」、日本代表対フィジー代表戦のチケットが一般発売されましたが、このフィジー戦はもちろん、釜石で行われるワールドカップ2試合の成功へ向け、今は裏方として奔走する長田さんは、じつは元トップリーグでも活躍したプロ選手でもあります。


◆2009年に釜石へ

「生まれは奈良で、ラグビーを小学校から始めて、高校天理高校に入って、帝京大学に行って、「ワールド」っていうトップリーグのチームに入って、でそこが強化をやめるっていったタイミングで移籍先を探して、それが2009年で、そのタイミングで「釜石シーウェイブス」がいちばん最初に“ぜひ来てくれ”って声をかけてくれたので、ひとつ返事で来さして頂いたんですね。そっから選手を4年間やって、そのあとコーチを5年間やって、で契約が終わったので、2018年から「釜石市ラグビーワールドカップ2019推進本部事務局」に入れて頂いて今の仕事をしてるってことですね」



かいつまんで来歴をお話ししてくださいましたが、スクラムハーフの選手とし活躍していた長田さん、じつは2012年シーズンの試合中に頭を骨折、命の危険にかかわるほどの大けがを負ってしまい、その影響で選手を引退することになったのだそうです。

東日本大震災は「釜石シーウェイブス」の選手時代に遭遇したわけですが、その時の状況についても伺いました。


◆選手みんなでボランティアを

「僕たちが住んでいたのはグランドの近くだったので、津波とかはまったく無くてですね、地震があった日からクラブハウスでの生活が始まって、男は車で寝て、女子供はクラブハウスの中で寝て、という生活をして、で、街でどうやら自衛隊がボランティアをやってるって事を聞きつけて、じゃあもう次の日にそれじゃ行くぞって、で、その日から何日経ったとかその日毎日必死に生きてたので、時間軸とか何日経ったとかっていうのはまったく覚えてないんですけど、そっからボランティアが始まったんですね、なので地震の時はボランティアをしてました。町の人たちもくれた喜んでくれた・・・喜んでくれてるってのはどういうか難しいですけど、そうですね力になれたと思います。はい」





日本選手権を7連覇した「新日鉄釜石」の町。市民にとってラグビー選手は今なお「誇り」で、そのラガーマンたちがボランティアに汗を流してくれた。住民の皆さんも心強かったのではないでしょうか。

そしてその時にはラグビーの再開はおろか、ワールドカップの開催なんて夢にも思わなかった長田さんだと思いますが、そこからここまでの道のりについても、明日以降、お伝えをしていきます。


«前の記事へ || 1 | 2 | 3 |...| 104 | 105 | 106 |...| 1066 | 1067 | 1068 || 次の記事へ»

パーソナリティ 鈴村健一

メッセージ、ご意見、プレゼントご応募はこちら

特別番組 LOVE & HOPE ~10年目の春だより

TOKYO FM 特別番組 HANABI

「LOVE&HOPE~防災ハンドブック2015」PDF版ダウンロード配信中

アーカイブ

  • いのちの森
  • Support Our Kid's
  • TOKYO FM
  • JFN