2019年7月31日

富岡漁港の帰港式?

今週は、先日7月26日に“帰港式”が行われ、震災以来8年ぶりに港が再開した、福島県富岡町、富岡漁港の遊漁船「長栄丸」の船主、石井宏和さんのインタビューをお届けしています。



相馬双葉漁協富熊地区副代表を務める石井さんは、現在42歳。この地で3代続く漁師で、27歳の時に釣り船の「長栄丸」を建造。東日本大震災による津波では、船は沖に出して無事だったものの、自宅が全壊、祖父を失い、当時1歳6か月だった長女は今も行方不明のままです。

原発事故の影響で母港には戻れず、事故後はいわき市の港に船を停めて、原発沖の魚を採って放射線量を調べるプロジェクト「うみラボ」に参加。福島の海の再生のために尽力してきました。

家族を奪った海に、再び船を出す・・・当時は“迷い”もあったのではないでしょうか?


◆「何もかもが嫌になった」

「もう何もかも嫌になりましたね。船の仕事もしたいと思わなかったし・・・(何が背中を押した?)それ聞かれるんですけど、よく思い出せないんですよね。なんでしょうね。娘の誕生ってのはやはり大きな出来事で、それはほんと、うーん、なんていうんですかね、希望ですよね。」



津波で祖父と長女を失った石井さん。石井さんの奥さんも津波にのまれながら九死に一生を得て、翌年2012年1月1日に次女を出産されました。石井さんご夫婦にとって、それがどれほどの希望となったことか。

そして再び船を出しはじめた石井さん。無事であれば今年10歳になる長女のことについては、こう話してくれました。


◆「もうどっちの記憶か分からない」

「いや正直そこ分からないんですよ。1歳半まで一緒にいたわけじゃないですか。で、次女が生まれて、やはり1歳半までは別人格だったんですけども、なぜかね、もう1歳半からは一緒なんですよ。もうどっちの記憶か分からない・・・(笑)」



長女が生きた1歳半を境に、長女と次女の記憶が重なって思えるようになったということ。これからも次女の成長に長女への思いを重ねていくことでしょう。

今はいわき市に住みながら、富岡町へ“通勤”する形で、富岡漁港から船を出している石井さん。じつは今、石井さんが船を出す福島の海は、試験操業が続いて本格的な漁が出来ていない分、震災前よりもずっと豊かな資源に恵まれているといいます。質の良さで知られる“常磐もの”のヒラメやメバルなどの大物が連日連れているということで、明日はそんなお話もお届けします。

2019年7月30日

富岡漁港の帰港式?

今週は、先日7月26日に“帰港式”が行われ、震災以来8年ぶりに港が再開した、福島県富岡町、富岡漁港の遊漁船「長栄丸」の船主、石井宏和さんのインタビューをお届けしています。



相馬双葉漁協富熊地区副代表を務める石井さんは、現在42歳。この地の漁師の3代目で、27歳の時に釣り船の「長栄丸」を建造、
“常磐もの”と呼ばれる質の高いヒラメやメバルなどを狙って船を出し、全国の釣りファンから知られる存在となっていました。

2011年3月11日、東日本大震災が起きた時、港に居た石井さんは、家族の無事を確認したあと、船を守るために沖に船を出しました。その後、富岡町には20メートルを超える津波が押し寄せ、自宅は全壊。そして祖父が亡くなり、当時1歳6か月だった石井さんの長女は、今も行方不明のままです。


◆「思い出したくない、あの日」

「自分はその日は港に居てお客さんを見届けて片付けも終わった時ですね、地震が来たのは。もうその時の状況は本当にアスファルトが波打って液状化してどんどん地面が岩壁が下がってくのを体験しました。で、家が車で2〜3分の距離だったので、やっぱり家族心配だった家に少し戻って、で、無事を確認して、すぐ妻に漁港まで送って、船を出したっていうとこですね。で、沖に2日間、停泊して、でその間に原発事故があったので、もう富岡漁港に戻ることはできなかったんですけど・・・(ご家族との連絡は?)取れましたよ。ときどき携帯がつながったので。陸上の状況ってのはなんとなくわかってました・・・・・・もう思い出したくはないです。ただひとこと言えることは、自分がもう情けなくてしょうがなかったですね。何もできない自分が本当に。自分のとった行動が正しかったのか間違ってるかということは、いまだに分からないですけど、もう考えないようにしてます。」



沖で避難しているとき、家族が津波の被害を受けているのに、助けに向かうことが出来なかった無念さは、いかばかりか・・・。それでも代々、海で生きてきた石井さんは、海を捨てることなく、原発沖の魚を採って放射線量を調べるプロジェクトに参加するなど、福島の海の再生のために尽力してきた。

また津波にのまれながら九死に一生を得た石井さんの奥さまは、震災の翌年、2012年1月1日に次女を出産しました。震災から8年を経て、母港で遊漁船を再開した石井さんは、今は隣のいわき市に自宅を構え、富岡漁港へ“通勤”する日々を過ごしています。

LOVE&HOPE、明日も、相馬双葉漁協富熊地区副代表で、遊漁船「長栄丸」の船主、石井宏和さんのお話です。

2019年7月29日

富岡漁港の帰港式?

今週は、先日7月26日に(船が港へ帰る)“帰港式”が行われ、東日本大震災以来、8年ぶりに港に賑わいが戻った、福島県富岡町「富岡漁港」のレポートをお届けします。



お話を伺ったのは、相馬双葉漁協富熊地区副代表で、遊漁船「長栄丸」の船主、石井宏和さん。

もともと富岡漁港は、カレイやヒラメなど、味がよくて形がいい“常磐もの”の拠点の一つでしたが、津波と原発事故の影響で、これまで利用できずにいました。

代々、富岡町で船を出していた石井さんは、原発沖の魚を採って放射線量を測り、安全性を継続的に調べるプロジェクト、「うみラボ」に参加していた方でもありますが、あらためてこの日ようやく母港に賑わいが戻ったことへの感慨、そして課題について、伺ってみました。


◆「より豊かになった海の資源を持続可能なものに」

「ようやくこの日を迎えられたってところですね。8年以上かかりましたけど。こっからがホントのスタートになりますね。ただどうしてもここの漁港っていうのは、福島第一原発と第二原発にはさまれた漁港で、やっぱその風評と言われてるものとは、これからも付き合っていかなければならないということは感じています。ここで“やらない”って選択をしてしまうと逆に風評を起こすのではないか?、だからここで、もう福島の海の安全性っていうのはもうわかっているので、やはりここでやり続けるっていうことが風評払しょくにつながるんじゃないかっていうのが自分の考えです。我々まあ「うみラボ」を通じて、あとはもう県のモニタリング調査を8年以上続けてるんですけど、やはり震災当初、事故当初っていうのは、やはり海が汚染されてて魚も汚染されてたんですけど、やはり長年調査を続けていくにあたって、それが科学的根拠に基づいて、安全性って言われるものは今はもう確立されてて、で、震災後、8年以上、本格的な操業を行なわなかったがために、福島の海の資源、魚の資源っていうのはものすごく増えて魚も大型化した。やはりこれからの課題っていうのは、その増えた資源を持続可能なものにしていく、それを生かしていくってことが必要になってくると思います。」



この富岡漁港の再開で、福島の10ある漁港すべてが利用可能になりました。課題の多さは変わりありませんが、福島にとっては大きな一歩となります。

豊かな海を舞台に、新しく歩み始めた富岡漁港。ただ帰港式に参加した船は、石井さんの「長栄丸」を含めて5隻と、決して多くはありません・・・


◆「再開はしたけどここを拠点に船を出すのは1隻のみ」

「うん、どうしても今、魚を水揚げする場所が、北は原釜魚市場と、磯部加工組合っていうところに魚を運ばなくてはならないので、やっぱりここから試験操業っていうのは、ちょっと今の段階では難しいですね。まあ遊漁船、釣り船なんかは、ここから出て再開してますけど、私ども1隻ですね。」




新しい岸壁と施設が出来ても、まだまだ厳しいという現状が伝わってきます。
「LOVE&HOPE」、明日も相馬双葉漁協富熊地区副代表、「長栄丸」船主、石井宏和さんのお話です。

2019年7月26日

そなえるふくしまノート(2)

昨日に引き続き、福島県の防災ガイドブック「そなえるふくしまノート」通称「そなふくノート」の話題です。

「災害にどう備えるか」を人気イラストレーター寄藤文平さんのイラストでわかりやすくまとめました。県内のほぼ全世帯と小学校、中学校、高校に配布。防災教育にも活用されています。

お話は、福島県危機管理部の川俣顕太郎さんです。
 
◆防災教育の授業でも使える「そなふくノート」
全世帯に配りたいと思い、どの世代の方が読めるように全ての文章にルビ(フリガナ)を振って、小学生でも読めるようにしました。また、英語版や点字版、音声版も作って、障害者の方にも配布しています。
「ふくしままっぷ」と同じ、ベコ太郎とキビタンが防災について説明する非常にユニークでわかりやすい防災ガイドブック。各小中学校に配ったところ、先生方からも評判がよく、この「そなえるふくしまノート」通称「そなふくノート」を使って、実際に防災教育の授業をしていただいたりしています。小学校低学年でもベコ太郎などのキャラクターが描かれていて非常に見やすくなっているので、地震の前にはどう行動したらいいかなど、避難訓練や防災教育に活用してもらっています。もちろん福島県向けに作っていますが、県外の方でも「ほしい!」という方は福島県危機管理課に問い合わせていただければお送りしていますので、気軽に問い合わせいただきたいと思います。


現在、第二弾「避難編」を制作中とのこと。災害が起こった後、どう避難するか。避難先でどう過ごすかを盛り込み、秋ごろ完成予定です。

★「そなえるふくしまノート」は福島県のサイトからダウンロードすることができます。コチラから!
また印刷版がほしいと言う方は、福島県危機管理課までお問合せを。

LOVE&HOPE。来週は8年ぶりに再開、福島県富岡漁港の今をお伝えします。

2019年7月25日

そなえるふくしまノート(1)

今日ご紹介するのは、福島県が制作した防災ハンドブック「そなえるふくしまノート」

防災ハンドブックといえば「文字情報がぎっしり詰まっている」というイメージですが、「そなえるふくしまノート」はちょっと違います。B5サイズで36ページ。薄い!イラストいっぱい!かわいい!

福島県危機管理部の川俣顕太郎さんに伺いました。

◆「備える」と「身を守る」
震災から5〜6年経って、被災した福島県でありながらも風化の影響か、防災意識も少しずつ薄らいできたというところもあって。そこで、可能な限り県内の全世帯に配布しようと、お付き合いのあった箭内道彦さんに相談し、難しいものではなく優しいもの、限りなく文字を排除してイラストで伝わるようにしたいということになりました。ちょうど「ふくしままっぷ」を作った後だったので、このようにイラストをふんだんに使った防災ハンドブックになっています。

中身としては、大きく分けると二つの要素で構成されています。
1)「備える」は災害が起きる前に備えること。例えば防災グッズを準備したり、家族がばらばらになったときにどこに集まろうか、など。
2)「身を守る」は実際災害が起きたときどんな対応をすればいいのか。例えば地震が起きたらどうするか、火山が噴火したらどう行動すべきかなど。
このノートを読んでいれば行動ができるよう「備える」「身を守る」の2つで構成されています。
実は「身を守る」のページを見てもらうとわかるとおり、全ての災害が起こる可能性がある珍しい県でもある。地震、津波、風雨水害、土砂災害、雪、火山、原子力。すべての災害が起こる可能性があるということで、この「そなえるふくしまノート」では避難後の話は書かず、避難の判断まで、まずは災害が起きたときどう判断するか、というところに絞って作りました。



★「そなえるふくしまノート」は福島県のサイトからダウンロードすることができます。コチラから!

2019年7月24日

ふくしままっぷ(3)

今週は、福島県が制作した冊子「ふくしままっぷ」にスポットを当てています。

一枚の大きなポスターをA4サイズまで折りたたんだユニークな形で、その中に福島の特産品や観光地、面白い人が所狭しと描かれています。制作にあたった福島県広報課の藤田尚将さんも福島県の出身。マップを作ることで、新たな発見があったと言います。


◆『あなたの知っているふくしまとあなたの知らないふくしま』
最後まで開くとA1サイズ(ポスターの大きさ)になっています。そこに福島県の地図が大きく手書きで描かれていて、福島の人や食べ物がごちゃまぜに載っています。
この「ふくしままっぷ」を作るまで自分も知らなかったのですが、奥会津に「サンショウウオジェラート」というものがあるそう。奥会津にはサンショウウオがいて、ジェラートにサンショウウオをそのまま刺して、出しているらしい。よかったらぜひ食べてみてください。僕もまだ食べたことがないんですよ。いつか食べてみたいが恐怖心もありつつまだ食べていません(笑)。

県民の方からもこの「ふくしままっぷ」を見て「福島のことを知っているつもりでも知らなかった。」ということもよく言われます。福島県民でさえも「実はそうだったんだ!」という情報がこの「ふくしままっぷ」には詰まっていると思います。「ふくしままっぷ」を作ってみて、改めて福島って広いなと感じました。これだけの魅力があるということを作りながら実感しました。読んでいただいた方にもこんなにいろいろなものがあるんだと感じていただけると思っています。また、知れば知るほど福島って楽しんだよということを理解して欲しいし、そこから「行ってみようか」と思ってもらえるとすごく嬉しいなと思っています。



★「ふくしままっぷ」は福島県のHPからダウンロード可能です。
★「日本橋ふくしま館 MIDETTE」でも手に入れることができます。
★お店などに「ふくしままっぷ」を置いてもいいよ!という方はぜひ福島県広報課まで連絡を!

明日は福島県が制作する防災ガイドブック「ふくしまそなえるノート」を紹介します。

2019年7月23日

ふくしままっぷ(2)

今週は、福島県が制作した冊子「ふくしままっぷ」にスポットを当てています。

一枚の大きなポスターをA4サイズまで折りたたんだユニークな形で、その中に福島の特産品や観光地、面白い人が所狭しと描かれています。イラストや文字は全て、アートディレクターの寄藤文平さんが担当しました。

制作にあたったのは、福島県の広報課、藤田尚将さん。藤田さんが特に力を入れたのが県内外の人が綴る「福島へのメッセージ」のページです。


◆『あなたの、わたしの、みんなの、ふくしま』
震災以降、福島についていろんな感情を持っている人がいらっしゃいまいた。そういった気持ちをそのまま届けたいと思って、読んだ方が福島について同じ目線で考えてくれたらという想いでみなさんの声を載せました。県民の方もいますし、県外の方もいます。例えば、
東京都30代女性「大好きな人の地元です。だから大好きです。」自分の大切な人の地元なので応援していますというメッセージ。
福島県30代女性「福島でいままでもこれからも笑って泣いて、一日一日生きていく人がいます」。笑って泣いて、というところがすごく心に残って掲載したいなと思ったことを思い出す。
福島県の小学生「わたしはたくさんの人に助けられてきました。なので今度は助ける番だと思う。」
福島県50代女性「福島にはいろんな人、面白い人がいる。理解し合いながら進んでいく必要がある。」
まさにいろんな人、いろんな考えの人がいることを、ごちゃまぜにして載せていいんじゃないかと。あえて整理しないで載せるというコンセプト。文字も寄藤さんが手書きで書いてくださって、全部手書きの「ふくしままっぷ」になっています。


全国の人に、福島について知ってもらいたい!そんな想いから誕生した「ふくしままっぷ」は福島県のHPからダウンロード可能です。
また「日本橋ふくしま館 MIDETTE」でも手に入れることができます。

2019年7月22日

ふくしままっぷ(1)

東日本大震災のあと福島県の広報課が制作した冊子「ふくしままっぷ」が密かな話題を集めています。表紙には、なにやらユーモラスな赤い動物のキャラクターが描かれています。

制作にあたった、福島県総務部広報課の藤田尚将さんに話しを聞きました。


◆写真を一切つかわない、福島の総合情報誌
震災後初めて福島県で総合情報誌を作ろうということになりまして。当時、福島のイメージがネガティブになってしまっていた部分があったので、郡山出身のクリエーター箭内道彦さんに相談をしました。箭内さんから出てきたアイディアが、「写真をいっさい使わないで作ってみよう」ということと、普通なら針金とじにする冊子を「開いていくごとに少しずつ大きくなって、最後は一枚のポスターになるようなものにしたら面白いんじゃないか」という提案でした。まずは手にとったときに、「なんだこれ!」と思ってもらえるようなものにしたいなあという想いがあったので、表紙にインパクトのある「ベコ太郎」というキャラクターが超ドアップで描かれています。福島には「赤ベコ」という民芸品があって、「ベコ」は福島では牛のこと。福島の顔として「ベコ太郎」を表紙に描きました。

表紙を開くと、福島の基礎情報として「県の花」や「県の鳥」が視覚的に目で見て楽しめるように描いてあります。

そしてもう一頁開くと縦型になり、そちらには震災以降に、あのときいろんな感情を持っている方がいて、その気持ちをそのまま届けたいという想いから、県内外の人が福島に対してどんな感情を持っているか、というのを載せました。読んだ方が同じ目線で福島について考えてくれたらという気持ちから、さまざまな人の福島に対するメッセージを掲載させえていただきました。


全国の人に、福島について知ってもらいたい!そんな想いから誕生した「ふくしままっぷ」は福島県のHPからダウンロード可能です。
また「日本橋ふくしま館 MIDETTE」でも手に入れることができます。

明日も藤田さんのお話をお届けします。

2019年7月19日

水害で命を失うことはない「備えができる災害」 土屋信行さん(10)


二週にわたり「リバーフロント研究所」土屋信行さんに「水害への備えや避難」について伺ってきました。

水害は浸水や生活への影響だけでなく、命を奪うこともあります。昨年の西日本豪雨では、200人を超える犠牲者が出ました。水害で二度と命を失わないために、わたしたちにできることとは。

◆水害で命を失うことはない「備えができる災害だ」
実は水害に関しては、起こる場所が特定されています。地震のように日本中どこで起こるかわからない、起こっても受け止めなければならない、というものではないんですね。水害は起こる場所が特定されていて、そこに住んでいることを認識していれば、絶対に水害で命を失うことはない「備えができる災害だ」と僕は思っています。
住んでいる場所が海抜ゼロメートル地帯ならゼロメートル地帯で、早く逃げる。「ここにいてはダメです」という江戸川区の水害ハザードマップのようなシグナルをきちんと受けとめて、早めに逃げていただきたい。地震のときもしかして堤防が壊れたら洪水になってしまうというゼロメートル地帯、またゲリラ豪雨のときは昔の川筋にいてはダメだという場所も、あらかじめわかることです。
また、最近は人工衛星による気象の観測網が発達しています。いざという時にはスーパーコンピューターで進路予測から台風の大きさ、台風が成立する時間まで非常に高い精度で予測してくれます。だから、気象庁の事前の情報は必ず、自分たちの住んでいるところと照らし合わせて、危ない情報はきちんと「危ない」と受け止めることが大切。正常性バイアスに陥って「たぶん大丈夫」「たぶん自分にはたいしたことがないだろう」という「たぶん」は忘れて、気象庁から出る情報を的確に避難に結び付けてほしい。はっきり言えば、「自分の命は自分で守る」。そのための避難情報だし、避難の準備だと考えてほしい。もう二度と、日本で水害で命を失わない。そういう日本人になろうではありませんか。


「自分の住んでいる場所について知る」「早く逃げる」、水害対策をきちんととれば命を失うことはない、備えができる災害として、この2つを突き詰めるとが大切です。

土屋さんのお話は、著書の「首都水没」、そして今日発売される「水害列島」でも詳しく読むことができます。

2019年7月18日

東京の水害の盲点「地下空間」と「高層ビル」 土屋信行さん(9)

今週も「リバーフロント研究所」土屋信行さんのインタビューです。
河川や治水に詳しい土屋さんに「水害への備えや避難」について伺っています。


今日は「東京の水害」の盲点。「地下空間」と「高層ビル」のお話です。

◆「地下空間」と「高層ビル」の盲点
東京には網の目のように張り巡らされた地下鉄があります。大江戸線がすべての地下鉄をつないでいて、「地下の第二の山手線」を目指そうと作られました。だから、交差している地下鉄は全て繋がっているんです。なので大きな洪水で一か所でも浸水したら、まず一番深い大江戸線を満タンにして、それから上のほうの地下鉄を水浸しにしながら、全ての地下鉄が満タンになってしまいます。そこに繋がった大きな建物の地下階や大きな地下街。これも便利なようにとつなげてあるので、全ての地下空間が繋がっていると考えてもらって、大雨や台風で水害の危険が迫っているときには地下にはなるべくいないで、地上に逃げてほしい。
また渋谷みたいに谷になっているところは、大きな交差点のところなどは実は1メートルから1メートル20センチくらい水に浸かってしまいます。だから、地上に出ただけで安心せずに、速やかに近くの高い建物に逃げ込んでいただきたい。
一方、高いビルにも大きな問題があって、それは電気です。地震にとっては電信柱が危ないということで、都内全域で無電柱化(電柱の撤去)が進んでいますが、ところが電柱を地面の下におろしておくと、浸水したときには電気を止めざるを得ない。だから、水害があったら、大きなビルディングは電気がないまま孤立してしまうことになります。タワーマンションにいらっしゃる方は、いざというときにどういうふうに命をつなぐかもよく考えておいてほしいと思います。


水害の危険が迫っているときは、なるべく地下空間にはとどまらないように。一方「高層ビル」「高層マンション」は電源喪失の恐れがあります。当然エレベーターもストップ。電気がとまればオンオフ機能を失いガスもとまります。
東京の水害の盲点。言われてみれば確かにと納得。水害がおきたらどうなるのか。日ごろ使っている経路や暮らしを見直してみましょう。

2019年7月17日

東京、山の手の水害 土屋信行さん(8)

今週も「リバーフロント研究所」土屋信行さんのインタビューです。
河川や治水に詳しい土屋さんに「水害への備えや避難」について伺っています。

今日は、東京の地形と水害について。
山の手と下町。二つのエリアに分けて、地域の歴史を紐解きます。

◆山の手は「昔川だった道路」が一番危ない
東京は大きく分けると山の手と下町に分かれています。大きな川として、江戸川、荒川、多摩川がありますが、いずれの川も山の土砂を運んできて、それが溜まって豊かな湿地帯を作った歴史があります。豊かということは、そこでたくさんのお米がとれるということ。氾濫するというのは必ずしも悪いことばかりじゃなくて、肥沃な土砂を平地に運んでくる。そこでお米を作れば豊かな実りが約束される低平地となる。それが下町です。
一方山の手がどうやって形成されたかというと、富士山と箱根の山の火山灰が降り積もってできた土地です。いわゆる「関東ローム層」という、水が浸みこみやすい土が重なってできています。埼玉県東部から千葉県北部一帯にかかる下総台地も同じ。ここに降った雨はほとんど大地に浸みこんでしまうので、川が形成されないんです。川というのは、浸みこみ切れない水が集まってきて「水道(みずみち)」をつくったもの。山の手のほうはほとんど大地に浸みこんでしまいますが、たまに大きな雨がふるとちょっとだけ川筋ができる。それが神田川や妙正寺川や善福寺川など小さな川です。でも昔と違うのは、ここにたくさんの人が暮らし始めて、武蔵野台地をコンクリートとアスファルトで覆いつくしてしまった。だから雨が降っても水が浸みこまないんです。でも、たくさんの雨が降ると、先祖返りして、行き場所を失って水が集まってくるのは結局、昔川だった場所にある道路。だから、山の手は「昔川だった道路」が一番危ないんです。



東京の山の手の危険地域。ここでも地名がヒントになります。「千川通り(せんかわどうり)」など、通りに「川」がついたら要注意です。また交差点の名前に「橋」とついていたら、そこも以前は川の上に橋がかかっていた証拠。つまり水が集まる場所です。「場所の歴史」と水害は、切っても切れない関係にあるようです。

2019年7月16日

江戸川区ハザードマップに学ぶ 土屋信行さん(7)

今週も「リバーフロント研究所」土屋信行さんのインタビューです。
河川や治水に詳しい土屋さんに「水害への備えや避難」について伺っています。

区の7割が海抜ゼロメートル地帯に位置する東京都江戸川区は、水害の危険が近づいたら区の外に避難するよう呼び掛けています。

でも、高齢者にとって、避難はかえって危険を伴います。
そこで今日は、「災害時要支援者の避難」に関するお話です。

◆籠城避難
江戸川区の水害ハザードマップは選択肢として「籠城避難」というものを謳っています。それは、身体の不自由な方や家族に高齢者がいるなど、逃げる行動が非常に難しい、いわゆる「災害時 要支援者」の方々は「逃げないでください」というハザードマップです。
江戸川区内でも小中学校の三階は浸水しない場所がありますし、また鉄筋コンクリートのマンションもあるので、いざとなったら、一番近い『垂直避難』が可能な場所に逃げていただく。江戸川区など、海抜ゼロ―メートル地域を抱える江東地域は、大雨や台風で浸水した場合、二週間以上水が引かないと想定されていますので、だから籠城を決める場合は、二週間以上の水や食料を自律するようにお願いしたうえで、選択して籠城してもいいですよ、ということになっています。
江戸川区にある「なぎさ防災会」は1300世帯を超す防災組織を形成していますが、この防災会では、「避難所に行くよりも籠城しよう」と決めています。なぜそう選択したのか、1つは、建物は耐震補強をして大変丈夫であるということ。もう1つは、高層階に供用備品を日常的に運んでおいてあること。また小さな発電機を各階に用意して、スマホで大切な情報伝達をできるようにしていることなどの準備が整っているから。「あとは水が引くまで、高みの見物をしよう」「籠城しながら酒でも飲もう」と言っている人もいたが、準備ができているからこその余裕の発言だと思います。


江戸川区では水害の危険が近づいたら、「逃げられる人は逃げる」「逃げることが難しい人は籠城する」この二つの選択肢を提示しています。二週間の「籠城」となると、相当の準備と覚悟が必要です。日ごろから、地域の人とコミュニケーションをとっておくことも大事ですね。

江戸川区ハザードマップ、詳しくはこちらからダウンロードできます。

2019年7月15日

江戸川区ハザードマップに学ぶ 土屋信行さん(6)

今週も「リバーフロント研究所」土屋信行さんのインタビューです。
河川や治水に詳しい土屋さんに「水害への備えや避難」について伺っています。

区の7割が海抜ゼロメートル地帯に位置する東京都江戸川区は、区民に区の外への避難を呼びかける画期的な水害ハザードマップを配布しました。

江戸川区を含む周囲の5つの区が、同じようにゼロメートル地帯を抱えています。大雨や台風のとき、いったいどこに避難すればいいのでしょうか。

◆「江東5区」の広域避難計画は避難先が指定されていません。
江戸川区の水害ハザードマップは24時間前までに、広域避難、つまり「ここにいてはだめです」「ここから出ていってください(避難してください)」と呼びかけるというもの。江戸川区の水害ハザードマップを作るきっかけとなったのが、江東区、墨田区、江戸川区、足立区、葛飾区の「江東5区」が協同で東京のゼロメートル地帯の治水の安全を図るためにはどうしたらいいだろうか、ということを3年に渡って協議した結果、広域避難計画を立てたわけです。「江東5区」の広域避難計画は避難先が指定されていません。どこに行ってもいいです、とにかく高いところに行ってください、ということは、友達や親せきを頼って避難するということになります。「避難」というと、非常に重く感じますよね。だから私は「雨が降ったら遊びに行く日」と決めていただいて、しばらく会っていない友達のうちを訪ねるなど、避難を少し前向きにとらえてはどうか。避難というと命からがら、リュックサックを背負って、非常食を持って逃げるというのではなく、危なくないうちに、大雨が降らないうちに、明るいうちに、公共交通機関が動いているうちに、お知り合いのところに一時身を寄せていただきたい。たぶん皆さんが心配されるのは、台風が来るたびに逃げていたら、空振りが多いんじゃないかということだと思います。その都度オオカミ少年が来たと友達に言われてしまうんじゃないかということだと思いますが、でも、自分たちが住んでいるところがゼロメートル地帯で危ないんだということを伝えて、(避難者を迎えるほうも)「ああ、来たか来たか」という文化を育んでいただければと思います。


災害から逃げることは恥ずかしいことじゃない、逃げることは当たり前なんだ。
この考え方をみんなで共有することが大事だと、土屋さん。

土屋さんの話は、著書の「首都水没」、そして今週発売される「水害列島」でも詳しく読むことができます。

江戸川区ハザードマップ、詳しくはこちらからダウンロードできます。

2019年7月12日

江戸川区ハザードマップに学ぶ 土屋信行さん(5)

今週は大雨や台風による水害対策について、街づくりや河川事業のスペシャリスト「リバーフロント研究所」土屋信行さんに伺っています。

今年5月、東京都江戸川区が発表した「水害ハザードマップ」。「台風や大雨の際は、ここにいてはダメ」と、区の外への避難を呼びかける画期的なハザードマップとして注目を集めています。

でも「ここにいてはダメ」と言われても、困ってしまいますよね。江戸川区の皆さんは、いったいどこに避難したらいいんでしょうか??

◆西は武蔵野台地、東は下総台地へ
江戸川区のハザードマップは24時間前までに、もう危ないぞというときは広域避難を呼びかけています。西は、上野の西郷隆盛像、あそこが武蔵野台地の東の端なので、あそこの大地より西側に行くことを促しています。東は江戸川の向こうに国府台(こうのだい)という台地があって、市川市、下総台地という大きな台地があります。その二つの台地どちらかに逃げてくれということになっています。

武蔵野台地のほうは23区の防災協定を結んでいて、災害時は助け合おうという防災協定が結ばれています。江戸川区と市川市も、やはり防災協定が結ばれていて、いくつかの大学のキャンパスに逃げられるようになっています。それでも逃げきれない場合は、江戸川区内にスーパー堤防という大変広い大島小松川公園(24ヘクタールの公園)があり、ゼロメートル地帯だからこそ高い盛り土をした「命山(いのちやま)」をつくりました。そこに20万人逃げ込めます。

しかし、災害発生の9時間前には遠くに逃げるのは危ないので、垂直避難(高い場所に逃げる)に切り替えます。防災拠点や近くの鉄筋コンクリートの高層マンションなどに逃げるなどの計画になっています。


葛飾区、墨田区、江東区、足立区、そして江戸川区。これらの「江東5区」は、海抜ゼロメートル地帯を抱える地域として2015年から、大規模な水害に対する避難対応を広域で検討してきました。江戸川区の水害ハザードマップは、その先陣を切ったものだそう。怖がるだけじゃなく、自分が住んでいるのがどんな地域か知る。そして準備と避難について、家族で考えておくことが大事。まずはお住まいの地域のハザードマップを確認していただきたい。

江戸川区ハザードマップ、詳しくはこちらからダウンロードできます。

「LOVE&HOPE」来週も引き続き土屋さんのお話です。

2019年7月11日

江戸川区ハザードマップに学ぶ 土屋信行さん(4)

今週は大雨や台風による水害対策について、街づくりや河川事業のスペシャリスト「リバーフロント研究所」土屋信行さんに伺っています。

今年5月、東京都江戸川区が全世帯に配布した「水害ハザードマップ」が「画期的だ」と反響を呼んでいます。いったいどんなところが「画期的」なんでしょうか。


◆キーワードは・・「ここにいてはダメ」
江戸川区のハザードマップは表紙のところになんと「ここにいてはダメです」と書いてあるんです。行政が地域住民に「ここにいてはいけない」と伝えるは画期的、素晴らしいハザードマップだと思います。というのは、地域の70%は海抜ゼロメートル地帯(東京湾の満潮より低い)にあって、それを守っているのは薄っぺらな堤防一枚なんですね。言ってみれば、洗面器をお風呂の湯船に押し込んでいるようなもので、洗面器が壊れればあっという間に中に水が入ってくるとう状況。そんな中で一年365日お暮らしであるということです。わたしが地域のお年寄りに話を聞いたら「よくぞ言ってくれた。昔わたしたちが親父やじいさんから聴いた文句、そのものだ」と話していました。昔あの地域は「水塚(みづか)づくり」といって、いわゆる塚をつくって、盛り土したところに離れの蔵を作って、蔵のなかに味噌醤油米、薪、布団などを置いて、およそ1か月籠城できるように自衛していたと言います。おまけに軒先に船がつってあって、出水した中でも船で地域とつながれるようになっていたそうです。それと同じ情報を江戸川区自らが「ここにいてはダメです」というタイトルで発信したというわけ。ここに住むうえではこういうことに備えてください、こうすれば安全に暮らせますよと丁寧に書いてあり、素晴らしいハザードマップだと思うます。



江戸川区は荒川と江戸川に挟まれ、区の7割が海抜ゼロメートル地帯にあります。江戸川区のハザードマップには確かに書いてあります。「ここにいてはダメです。浸水のおそれがない他の地域へ」

また江戸川区だけでなく、葛飾、墨田区、江東区、足立区の「江東5区」では巨大台風や大雨の際、同じようにほとんどの地域が浸水するとも書いてあります。

「じゃあ、どうしたらいいの?どこに避難したらいいの?」という話は、明日お伝えします。

江戸川区ハザードマップ、詳しくはこちらからダウンロードできます。

2019年7月10日

水害対策 土屋信行さん(3)

今週は、河川や治水、水害対策に詳しい「リバーフロント研究所」の土屋信行さんに「水害への備えと避難」について伺っています。

昨年の西日本豪雨を受けて、今年5月から大雨や洪水の時に発表される気象庁の避難情報が変りました。新たな防災情報では「警戒レベル」を五段階で表示。
例えば「避難準備」は警戒レベル3。「避難指示」や「避難勧告」は警戒レベル4など、五段階で準備や避難を呼びかけます。

◆一つ前、一つ余裕の避難行動を
つい最近、気象庁から大雨や洪水に関する防災情報の「警戒レベル」が五段階で示されるようになりました。いままでは注意報、警報、特別警報などいろいろあって、どれがどれくらいかわからなくなってしまったので整理して五段階で表示することになったのです。それを、警戒レベルが低いほうから順に「白」「黄色」「だいだい」「赤」「紫」と色合いでも示すようになりました。
一番気を付けてもらいたいのは、五段階の一番上の「紫」。これは紫色を見てから逃げるというのは手遅れだと思ってもらいたいです。四段階「赤」は、そこから避難するのではなく、「赤」が出るまでに避難を終了させていてもらいたい。三段階の「だいだい」で避難を終わらせるぐらいの気持ちで、一つ前、一つ余裕を持って早め早めの避難行動を心がけてもらいたいと思います。
日本人は我慢強いというか、周りの人が逃げ出さないと自分が逃げるのは申し訳ないと、避難行動がどんどん遅れてしまう傾向にありますが、これは逆で、「率先避難」という言葉がありますが、誰よりも早く避難をして、「早くこっちにおいで」と、皆さんが「率先避難」を心がけていただきたいと思います。



「大雨洪水の防災情報」五段階の警戒レベル。「警戒レベル4で全員が緊急避難」とありますが、土屋さんは「早めの避難を心がけ、できれば警戒レベル3で
避難を終わらせるようにしたい」と話しています。

★詳しくはこちらをご覧ください

『LOVE & HOPE』明日も土屋信行さんのお話です。

2019年7月9日

水害対策 土屋信行さん(2)


今週は大雨や台風による水害対策について、街づくりや河川事業のスペシャリスト、「リバーフロント研究所」土屋信行さんのインタビューをお送りしています。土屋さんは大雨や台風による水害対策の専門家でもあり、昨年の西日本豪雨の被害も検証しました。大規模浸水で51人が死亡した岡山県倉敷市真備町では、堤防8カ所が連鎖的に決壊し、13人が命を落としています。

◆大きな河川と支流の関係 高速道路と似ている
西日本豪雨で決壊した一番大きな川は高梨川で、そこに小田川が合流しています。大きな川にたくさんの川の水が集まってきてしまうと、小さな川、支川の水がなかなか入りきれないんです。例えて言うと、高速道路で本線に乘ろうというときに、本線を車がビュンビュン早いスピードで走っているとなかなか入るタイミングがなくて入れないというのと同じで、たくさんのボリュームの河川水が大きな川で大量にものすごいスピードで流れていると、小さな川のほうからはなかなか押し返されて流れ込んでいくことができない。そういう場所でした。そういう地域の特徴は、河川や治水を考えるうえで重要な要素だから、調べておいて、危ないぞと思って準備をしたほうがいいんです。
税金は福祉や教育に使わなければいけないなどいろんなところに需要があるので、ややもすると目先の安全な雰囲気に安心して頼りきって、インフラ整備は、「そこは補強しなくてもいい」というようになってしまった歴史がここ20〜30年あります。そういったところは見直して、やらなくていけない土木や河川のインフラ整備工事はやっていただかないといけないと思います。


土屋さんによると、今回決壊した地域では堤防の切り替え部分に土嚢を準備するなど、水害への準備が一定程度行われていた場所もあったそう。ただ、実際にはその準備を使うことなく、水が流れこんでしまったということです。
防災のための防備は、準備するだけでは意味がありませんん。いざという時、「使ったことがない、使い方がわからない」ということがないよう、カラダを使って訓練して、地域の防災力を上げる必要があるとも話していました。

明日も土屋信行さんのお話をお送りします。

2019年7月8日

水害対策 土屋信行さん(1)

今週は大雨や台風による水害対策について、街づくりや河川事業のスペシャリスト、「リバーフロント研究所」土屋信行さんのインタビューをお送りします。

土屋さんは大雨や台風による水害対策の専門家でもあり、昨年の西日本豪雨の被害も検証しました。そこから見えてきたこととは?

◆災害を目の前にしても『正常性バイアス』に陥っていた
西日本豪雨でわたしが一番強く感じたのは、堤防が破砕し壊れて水が広がっていったわけですが、その状態を天気予報でも比較的はっきりと「危ないですよ」とお伝えしていたのに、多くの方が「ハザードマップは知っていたけれど見たことがない」とか「見たけれど中身がよくわからない」とおっしゃっていたこと。また避難勧告や避難指示という行政からの呼びかけに対して「逃げなくても大丈夫じゃないの」という、いわゆる『正常性バイアス』がかかり「きっと大丈夫に違いない」という楽観的な見方をする方が非常に多くて、大学やメディアのアンケートによると「平均すると85%の方がたぶん逃げなくても大丈夫と思って災害に会ってしまった」ということ、災害というのは、目の前で起こっていてもそれでもまだなお「きっと大丈夫だろう」という正常性バイアスに陥っていたということにとても驚きました。
大事なことは、あなたのお住まいの地域で、親の世代、祖父母の世代にどんなことが起こったか、地域に伝わる危険情報が大事になります。古文書には災害情報が非常に多く書かれています。神社仏閣にある絵馬や石碑にも刻みこまれています。それは20年、30年という時間のサイクルではなく、何百年という長い歴史の痕跡がそういう形で表わされています。そういった言い伝えを馬鹿にしないで、大切なものと考えてほしいと思います。


「自分が生きてきた時間軸だけで、災害を推し量ることはできない。」これが西日本豪雨の大きな教訓です。地域の歴史に目を向けることが重要です。さらに土屋さんによると、「地名」にも様々な危険情報が埋め込まれているとのこと。東京でいえば「渋谷」「四ッ谷」「市ヶ谷」は文字通り地形的に「谷」にあることを表している。「沼」「港・湊」なども水がたまりやすいエリアです。このように地名に目を向けると、街の本当のカタチが見えてくるかもしれません。

明日も土屋信行さんのお話です。

2019年7月5日

愛媛県大洲市三善地区の自主防災の取り組みについて?

今朝は引き続き、1年前の西日本豪雨で被災しながら、一人も人的被害を出さなかった町、愛媛県大洲市三善地区の“自主防災の取り組み”について、お伝えします。



かつて“暴れ川”と呼ばれた「肱川」が流れる町。西日本豪雨では肱川とその支流の水が氾濫を起こしましたが、地域に住む約60名の全住民が“自主防災”による避難行動で被害を回避しました。

名前や性別、生年月日、血液型、持病などを書いた「災害避難カード」を住民全員が持ち、災害が起きた時、いつどこに避難するか、誰が誰をケアするか?まで書いた、地域独自の「ハザードマップ」を全戸に配り、災害に備えていた三善地区。自主防災組織の本部長、祖母井玄さんは、この取り組みの大切さについてこういいます。


◆「言い続ける、伝え続けることが大切」

「この地区が17地区に分かれてます。で、ワークショップでこの『避難カード』を作るというのは、そこに長く住んでいる人ばっかしの集まりですから、どこが危険だとか、どこへ行かないといけないとか、どこそこのおばさん一人暮らしだから、あんた声かけなさいよとか、そういうのが出来上がってたんですね。それを『私の避難行動(ハザードマップ)』ということで、十何箇所がそれぞれで考えてですね、で、山だったら土砂災害からの避難なのか、それからどういう風な避難するかとかですね、で自分の持ち出すもの、いざという時に持ち出すもの何かというのがあって、糖尿とかいろんな薬を持ち出す場合にですね、それもちゃんと書いて作り上げたんですね。だからそれぞれの17箇所が、その地区地区によって、別々のハザードマップがあるわけです。それで作り上げていったと。とにかく災害がいつ起きるか分からないし、どんな災害があるかわからないし、常にそれを自分の意識として常に持っとくためにやっぱり地域でそういった防災の意識を高めるっていう事ですよね。命は自分で守るんだっていうのを、とにかく言い続けていかないと、こういう起きたところは特にそれを教訓といいますか、私が親の代から聞いた、あそこまで水じゃあとかいうのをやっぱり言い伝えていく必要があると思いますよね」





住民自らが、過去の教訓を踏まえて、避難行動が難しい近所の高齢者のケアまで考えて作る、地域独自の「ハザードマップ」。先日のお話しでは、これをもとに小学校などで子供たちに伝えていく学習も行なっているということでした。

先日も九州で記録的な大雨になりましたが、毎年のように起こるこうした豪雨災害のとき、実際に避難行動を取る人の数は、決して多くはありません。

“地域一丸で住民の命を守る”という三善地区の徹底した取り組み。参考になればと思います。

2019年7月4日

愛媛県大洲市三善地区の自主防災の取り組みについて?

今朝は昨日に引き続き、1年前の西日本豪雨で被災しながら、一人も人的被害を出さなかった町、愛媛県大洲市三善地区の“自主防災の取り組み”について、お伝えします。



三善地区は、肱川とその支流の氾濫で、広い範囲が浸水、避難場所に指定されていた「公民館」も浸水しましたが、地域の住民が自分たちで考えて決めたという“自主防災”による避難行動で、全住民がより高台にある四国電力の建物に避難して、被害を回避しました。

三善地区が災害・・・浸水被害に対してここまで高い意識を持っているのはどうしてなのか?三善地区自主防災組織・本部長、祖母井玄さんのお話です。


◆「伝承を絶やさず」

「そうですね、肱川の水ですよね。これが昭和18年の大水の時には、一本杉というのがあるんですけど、水がその下の枝まで来たよとか、そういうのを皆、ある程度親から聞いてましたですね。そこに来たらだいたいここの家も浸かるということで、そういう想定というか言い伝えで、私らの親ぐらいの世代にですね、よく聞いてましたですね。それが18年ですから75年ぶりぐらいじゃないですかということですよね。私らの世代ぐらいまではよく知っとると思うんですけど、ただ子供ぐらいになったら、そういうのあったんじゃ言うでもピンとこないっていうのが、まあその頃は肱川のダムもなければ堤防もなかった時代ですから、起きたんだわいというようなかたちでおりましたけど、まあ若い人に言うていくいうか、伝承していくいうのも私らの責任じゃないかなと思って。だから肱川があるというのは、水があるというのは、それは大きな資源ではあるんですけど、ただ子供たちには“大変なんじゃ”というのを知ってもらうということで、注意喚起を小学校でやりました」





70年以上も前の大水の伝承を絶やさなかった地区の先達たち。

去年の西日本豪雨で、河川が氾濫して被害が出た地域のいくつかは、過去に同様の、浸水被害や土砂災害の記録が残っていました。しかしダムや堤防が出来て治水が進んだこと、そして時間の経過によって伝承は風化し、避難行動の遅れにつながった部分もあったかもしれません。西日本豪雨では、数十年に1度の大雨が予想される「大雨特別警報」の発令後も、ただちに避難しなかった人が多くいました。

地域一丸で、災害の過去を伝承し、危険が迫れば積極的に行動する取り組み、それが人の命を守ることを、三善地区が証明しています。

2019年7月3日

愛媛県大洲市三善地区の自主防災の取り組みについて?

今朝は昨日に引き続き、1年前の西日本豪雨で被災しながら、一人も人的被害を出さなかった町、愛媛県大洲市三善地区の“自主防災の取り組み”について、お伝えします。



(平時の肱川)


(三善地区)


(西日本豪雨の時の三善地区)


去年7月の西日本豪雨、三善地区は、肱川とその支流の氾濫で、広い範囲が浸水、避難場所に指定されていた「公民館」も浸水しました。その時、住民の命を守ったのが、地域の住民が自分たちで考えて決めたという、“自主防災”による避難行動でした。

三善地区自主防災組織・本部長、祖母井玄さんによると、三善地区では全住民に“2枚のカード”を配布しているのだそうです。


◆「『災害避難カード』と『ハザードマップ』」

「これですね、一つは『災害避難カード』という、名前とか性別とか血液型、生年月日、住所、電話番号、持病があればどんな薬飲んでるかとか、そういうなことを書くような欄を作ったんですけど、それから『ハザードマップ』については、誰を気をつけるか、誰に声かけしていくかとか、どこに避難するかとか、どの時点で・・・ま、いま5段階になりましたけど・・・どの時点で逃げるかというのを皆で話し合って作り上げましたですね」



(ハザードマップ「わたしの避難行動」)


(災害避難カード)


地域独自で作った「ハザードマップ『わたしの避難行動』」。危険な場所だけでなく、避難行動を始めるタイミングや場所、さらに誰が誰をケアして避難するか?まで記しています。ほとんどの住民はこれを冷蔵庫などに貼っているとか。そして三善地区の住民は、いざ災害が起これば、自分のことを細かく記した「災害避難カード」を首から下げて避難をします。

“暴れ川”と呼ばれる肱川が流れる町とはいえ、ここまで自主防災が進化したのは、いつ、どんな経緯からなのでしょうか?


◆「地区の自主防災の取り組みが、国のモデル事業に」

「防災の規約、組織ができたのが平成18年。この頃は多分この地域というだけではなく色んな所で作ったと思うんですが、その後やはりそういった水の危機意識があったものですから、それじゃいかんというのことで、平成27年4月に「防災計画書」を作ったんですね。みんなで作りました。それは他の地区よりも早かったもんですから、県から“じゃあ国のモデル事業に応募しよう”ということで、全国で4箇所か5箇所ぐらいあったはずですけど、そこに応募しようかっていう話になりまして、まあ4箇所か5箇所ですから応募しても無理かもしれんなーとか言いよったんですけど、そしたらウチが指定されたもんですから、じゃあやりましょういうことでワークショップを開いて、最終的には避難カードを作りましょうということで、首からぶら下げて逃げ込みましょうというそれを作り上げたんです。何を持ってくとか、誰を気を使うとかですね、そういうのを全部入れて作り上げました。けれどまあそれが2年後にこんなことになるとは思わんかったですけど」





この自主防災の形を作った2年後に西日本豪雨が起き、肱川やその支流の氾濫で、避難場所に指定されていた公民館までが浸水する中、全住民60人が、より高台の四国電力の建物に避難。一人の犠牲者も出さず、命を守りました。

地域の災害リスクを皆で見直し、具体的に対策を考え、そして住民たちは、全員が躊躇せずに避難行動をとる。
この“自主防災”の取り組みと向き合い方こそ、いままさに全国各地で参考すべき時が来ています。

2019年7月2日

愛媛県大洲市三善地区の自主防災の取り組みについて?

西日本豪雨から1年。いままたあの時と同じ気圧配置となり、西日本に大雨をもたらしています。今週は、去年の西日本豪雨で大きな浸水被害を受けながらも、人的な被害をまったく出さなかった、愛媛県大洲市三善地区の取り組みについてお伝えします。

三善地区を流れる1級河川、肱川とその支流が氾濫して、町は広い範囲が浸水。避難所に指定されていた「公民館」も浸水しましたが、地域の住民が自ら考えて決めたという“自主防災”の取り組みが、住民の命を守ったといいます。

お話を伺ったのは、三善地区自主防災組織の本部長、祖母井玄さん。まずは1年前、豪雨の時の三善地区について。

◆「湖みたいに白波を立てて押し寄せた」

「もうその時点で水かさが増えてましたし、これ以上降ったら堤防、越流するだろうなっていうのは危惧してたんですが、案の定6日7日と相当降りましたもんですから、それと内水の関係ですね。樋門を閉めましたので。肱川はけっこう支流が多いんですね。540とか全国でも相当多い部類ですから、その分、肱川がある程度のところに来たら、樋門=水門を閉めてしまうわけですね。肱川本流の川が逆流してこないように閉めてしまうんですけど、閉めてしまうと今度は支流の川の水がどんどんどんどん増えてきて逆流する。越流もとうぜんしましたけど、9時半ぐらいだったですかね、堤防を越えてしまって流れてきた。ですからこの避難所、公民館の避難所のところは、湖みたいに白波が立って、ここらの田舎ですから、畑に例えば野菜とかスイカとか植えてあるんですが、もうスイカが浮くような状態な感じで、住んでる方は気になって家に出たり入ったりしてですね、“危ないよっ”て言うんですけど。水も濁ってますからね。行ったらいかんと言うんですけど、やっぱ気になるようで行ったり来たりしよりまして、もう水かさはやはりどんどんどんどん増えてきました。そういう状態やったですね」



(ふだんの三善地区。田んぼは水没し、湖のようになったといいます)


1級河川の大河「肱川」の水が、支流に逆流してこないよう、樋門=水門を締めたことで、支流の水が溢れ、最終的には肱川の水も堤防を越えてくるという最悪の状況。田んぼは水没し、1メートル以上浸水した家もあるほど。さらには指定の避難場所になっていた「公民館」も浸水して孤立するという、危険な状況に陥った三善地区。

1年前に住民の皆さんがとった“避難行動”とは、どのようなものだったのでしょうか。


「4時半にここ(公民館)の所長とか来まして、私たちも隣に流れてる和田川の方を見たりとかですね、で、“これはいかんな”と思って、ここに最短コースで来ようと思ったんですけど、もう浸かってしまって行かれないんで、ちょっと山の方に上がってここまで出てきた。で、ここ避難する指定場所ってのは小学校と公民館と2箇所あったんですけど、小学校は絶対浸かるからダメだと。地震なんかだったら体育館があるからそっちがいいんでしょうけど、水の場合は駄目だということで、ここの公民館の2階を、指定の避難場所にして、上がってもらったという。で、これを呼びかけたのはですね、こちらには独自の有線放送ってのがあるんです。市の防災無線とは別にですね、この地区で「避難場所こちらです」とか「公民館の2階に集まってください」、で、全戸に「避難カード」と「ハザードマップ」作って配布してましたので、「避難カード」は首から吊るすようになっているんですが、それを着けて、こちらに避難してください、逃げてください、という形で何度も呼びかけました。それから、“孤立するのが危ないんじゃないか”ということで、ま、いろんな情報が入ってますから。道の駅の車が流されたとかですね、そういう情報ですね。これは“ここも孤立してしまうだろう”ということで、この奥にちょっと高台の四国電力の変電所がありまして、で、移動しようということで、健常な人は歩いて行ける。ちょっと足が、とか高齢者の方は、車に積んで移動させたということです。60名ぐらいが避難したですね、そこに」


(平時の肱川)


(避難場所に指定されていた公民館)


(公民館から100mほど向こうに見える四国電力の建物)


これまでも氾濫を繰り返してきた肱川。水が堤防を越えるた時、どこが危ないか、どこへ逃げたらいいか、いちばんよくわかっている地域住民が、マップを作り、避難の周知、ケースによる避難パターン、人の導線など、いざという時の避難行動を、日ごろから話し合っていたからこそ、全住民がともに避難行動を行なうことが出来たのではないでしょうか。

近年、日本では毎年のように豪雨被害が起こります。こうした“自主防災”の取り組みは、今後、全国に広げていくべき取り組みなのかもしれません。

パーソナリティ 鈴村健一

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