2019年7月31日
富岡漁港の帰港式?
今週は、先日7月26日に“帰港式”が行われ、震災以来8年ぶりに港が再開した、福島県富岡町、富岡漁港の遊漁船「長栄丸」の船主、石井宏和さんのインタビューをお届けしています。
相馬双葉漁協富熊地区副代表を務める石井さんは、現在42歳。この地で3代続く漁師で、27歳の時に釣り船の「長栄丸」を建造。東日本大震災による津波では、船は沖に出して無事だったものの、自宅が全壊、祖父を失い、当時1歳6か月だった長女は今も行方不明のままです。
原発事故の影響で母港には戻れず、事故後はいわき市の港に船を停めて、原発沖の魚を採って放射線量を調べるプロジェクト「うみラボ」に参加。福島の海の再生のために尽力してきました。
家族を奪った海に、再び船を出す・・・当時は“迷い”もあったのではないでしょうか?
◆「何もかもが嫌になった」
「もう何もかも嫌になりましたね。船の仕事もしたいと思わなかったし・・・(何が背中を押した?)それ聞かれるんですけど、よく思い出せないんですよね。なんでしょうね。娘の誕生ってのはやはり大きな出来事で、それはほんと、うーん、なんていうんですかね、希望ですよね。」
津波で祖父と長女を失った石井さん。石井さんの奥さんも津波にのまれながら九死に一生を得て、翌年2012年1月1日に次女を出産されました。石井さんご夫婦にとって、それがどれほどの希望となったことか。
そして再び船を出しはじめた石井さん。無事であれば今年10歳になる長女のことについては、こう話してくれました。
◆「もうどっちの記憶か分からない」
「いや正直そこ分からないんですよ。1歳半まで一緒にいたわけじゃないですか。で、次女が生まれて、やはり1歳半までは別人格だったんですけども、なぜかね、もう1歳半からは一緒なんですよ。もうどっちの記憶か分からない・・・(笑)」
長女が生きた1歳半を境に、長女と次女の記憶が重なって思えるようになったということ。これからも次女の成長に長女への思いを重ねていくことでしょう。
今はいわき市に住みながら、富岡町へ“通勤”する形で、富岡漁港から船を出している石井さん。じつは今、石井さんが船を出す福島の海は、試験操業が続いて本格的な漁が出来ていない分、震災前よりもずっと豊かな資源に恵まれているといいます。質の良さで知られる“常磐もの”のヒラメやメバルなどの大物が連日連れているということで、明日はそんなお話もお届けします。
相馬双葉漁協富熊地区副代表を務める石井さんは、現在42歳。この地で3代続く漁師で、27歳の時に釣り船の「長栄丸」を建造。東日本大震災による津波では、船は沖に出して無事だったものの、自宅が全壊、祖父を失い、当時1歳6か月だった長女は今も行方不明のままです。
原発事故の影響で母港には戻れず、事故後はいわき市の港に船を停めて、原発沖の魚を採って放射線量を調べるプロジェクト「うみラボ」に参加。福島の海の再生のために尽力してきました。
家族を奪った海に、再び船を出す・・・当時は“迷い”もあったのではないでしょうか?
◆「何もかもが嫌になった」
「もう何もかも嫌になりましたね。船の仕事もしたいと思わなかったし・・・(何が背中を押した?)それ聞かれるんですけど、よく思い出せないんですよね。なんでしょうね。娘の誕生ってのはやはり大きな出来事で、それはほんと、うーん、なんていうんですかね、希望ですよね。」
津波で祖父と長女を失った石井さん。石井さんの奥さんも津波にのまれながら九死に一生を得て、翌年2012年1月1日に次女を出産されました。石井さんご夫婦にとって、それがどれほどの希望となったことか。
そして再び船を出しはじめた石井さん。無事であれば今年10歳になる長女のことについては、こう話してくれました。
◆「もうどっちの記憶か分からない」
「いや正直そこ分からないんですよ。1歳半まで一緒にいたわけじゃないですか。で、次女が生まれて、やはり1歳半までは別人格だったんですけども、なぜかね、もう1歳半からは一緒なんですよ。もうどっちの記憶か分からない・・・(笑)」
長女が生きた1歳半を境に、長女と次女の記憶が重なって思えるようになったということ。これからも次女の成長に長女への思いを重ねていくことでしょう。
今はいわき市に住みながら、富岡町へ“通勤”する形で、富岡漁港から船を出している石井さん。じつは今、石井さんが船を出す福島の海は、試験操業が続いて本格的な漁が出来ていない分、震災前よりもずっと豊かな資源に恵まれているといいます。質の良さで知られる“常磐もの”のヒラメやメバルなどの大物が連日連れているということで、明日はそんなお話もお届けします。