2018年9月28日
浪江出身・原田功二さん3
福島県・浪江町を離れ、今年の春に茨城県つくば市で生活再建を始めた、原田功二さんのインタビュー、お伝えしてきました。
震災から7年。浪江町で営んでいたメガネ店をようやく再開した原田さん。実は、取材を受けていただくまでに、少し、時間がかかりました。
というのも最初、原田さんと奥様の葉子さんはメディアの取材に対して、ある不安を感じていたから、なんだそうです。その「不安」について、奥様の葉子さんはこう打ち明けてくれました。
◆ 知られたくなかった「福島から」
やっぱり当初の、放射能に対する周りの目とか、そういうのでどうしても嫌な思いをしたこともあって、どう思われるかなということを気にしちゃったり、まだ子どもが小さいときに、被災した方、避難している方の集まりに一緒にいったときに、(福島出身だと)言ったことで「避難した人なんだ、福島なんだと」と対応が変わった、よそよそしくなったりというのを聞いてしまって。「全然知らないところで生活するんだったら、周りには言わないでいたほうがいいんじゃないか」という言葉がひっかかって、戸惑って伏せてしまった。そのあとに、お店を始めるのをきっかけに、幼稚園のお友達がお祝いに来てくださって、そのときに父もお店に手伝いできてくれて、実はこういうわけで福島から避難してお店をつくばでやるとお話したら、「そうだったんだ」「応援するから」と。一気に自分の中で、自分が思っていたよりもすごくみんな暖かく応援する気持ちで見てくれるんだというのがすごく嬉しくて、仲良くしている幼稚園のママたち、家族でみんなで来てくれて、子どもと上で遊んだりしています。
今年9月現在、福島県から県外へ避難している人の数はおよそ3万3000人。その中には、やはり「身元を明かすことができない」ままの方もいるはずです。夫の功二さんも、 福島から避難している方に対して「偏見を持たずに接してほしい」と話しています。
震災から7年。浪江町で営んでいたメガネ店をようやく再開した原田さん。実は、取材を受けていただくまでに、少し、時間がかかりました。
というのも最初、原田さんと奥様の葉子さんはメディアの取材に対して、ある不安を感じていたから、なんだそうです。その「不安」について、奥様の葉子さんはこう打ち明けてくれました。
◆ 知られたくなかった「福島から」
やっぱり当初の、放射能に対する周りの目とか、そういうのでどうしても嫌な思いをしたこともあって、どう思われるかなということを気にしちゃったり、まだ子どもが小さいときに、被災した方、避難している方の集まりに一緒にいったときに、(福島出身だと)言ったことで「避難した人なんだ、福島なんだと」と対応が変わった、よそよそしくなったりというのを聞いてしまって。「全然知らないところで生活するんだったら、周りには言わないでいたほうがいいんじゃないか」という言葉がひっかかって、戸惑って伏せてしまった。そのあとに、お店を始めるのをきっかけに、幼稚園のお友達がお祝いに来てくださって、そのときに父もお店に手伝いできてくれて、実はこういうわけで福島から避難してお店をつくばでやるとお話したら、「そうだったんだ」「応援するから」と。一気に自分の中で、自分が思っていたよりもすごくみんな暖かく応援する気持ちで見てくれるんだというのがすごく嬉しくて、仲良くしている幼稚園のママたち、家族でみんなで来てくれて、子どもと上で遊んだりしています。
今年9月現在、福島県から県外へ避難している人の数はおよそ3万3000人。その中には、やはり「身元を明かすことができない」ままの方もいるはずです。夫の功二さんも、 福島から避難している方に対して「偏見を持たずに接してほしい」と話しています。