2018年2月28日

2月28日 中西哲生の歌津小太郎「結び昆布体験」

水曜日のプレゼント、中西さんが取材してきた
歌津 の「歌津小太郎」の【めかぶ漬け・新物】と【磯人漬(いそっとづけ)】を
セットにして3名さま。

たくさんのご応募ありがとうございました。
当選者は、、、
・マツモト さん
・りーぽっけ さん
・かじゅ さん
以上の3名様です。
おめでとうございます!
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今週は中西哲生の「漁師体験レポート」をお届けしています!

今日は宮城県南三陸町歌津地区から「歌津小太郎」さんへ!全身白衣と頭にネット帽を身に着け、大きい昆布が作業台に並んだ加工場にご案内いただきました。

ーーー今から何をお手伝いすれば?
私たちの煮物商品の中でも3本の指に入る昆布の煮物商品があるんです。それを1本1本「結び昆布」にするのを手伝っていただきたい!

ーーー今作業台の上に大きな昆布があって、その昆布を縦に長く切って、それを畳んで、結び目をたくさん作っています。ものすごく昆布がぬめっていて難しいですね。洗濯物をたたむの好きなんですよ。すごく几帳面にたたみたい人間なので。これで大丈夫ですか?
大丈夫です。それをもうちょっとギュッと。

ーーー本当に香りがいいですね。金華サバの昆布巻とかさんまの昆布巻を取り寄せて食べているんですけど。相当好きなんで。あ、ちょっとダメだな・・・
中西さん、仕上がったら今度のご注文の中に入れておきますので!上手っすよ!


ご案内いただいたのは、歌津小太郎の2代目、千葉孝浩さん。こちらは「さんまの昆布巻」が人気商品ですが、この日は「結び昆布」の結びを体験。なかなかうまく結べたのではないでしょうか?


◆中西さんが大好きな「めかぶ漬け」の新物をいただいちゃいました!

今が旬のめかぶ漬けの新物が出始まりまして、今日はこれを作っているお袋を紹介すます。新物の味をご馳走になってみますか?

ーーー旬のめかぶ漬けですね。香りがいい。いただきます! ん〜シャキシャキ!美味しい!このたれはお母さんがご自身で?
はい。今から34〜35年前になりますかね。

ーーー今どきのは色がさらに美しいですね。
めかぶは2月〜5月まで獲れるんだけど、うちのは2〜3月のめかぶだけにしています、色が悪くなったり硬くなったりするんで、ちょうどいい塩梅のを使って。旬のものでないと香りが落ちてしまうのでね。

ーーー歌津小太郎のホームページ見ているんですけど、まだ新物でてないですよね
だめだね〜〜〜。

ーーーここに新物あるってことはそのうちHPで買えますか?
即やらせないとダメだね、これは。
全国販売は3月に入ってからでないと、まだ地元で売る量しかないのですみません。来てもらった方の特権です。3月10日頃から一斉にご注文を承る段取りでおります。


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そして今日は、まだ店頭にしか並んでいない【めかぶ漬け・新物】と【磯人漬(いそっとづけ)】をセットにして3名さまにプレゼントします!ご希望の方は、住所・お名前・連絡先を忘れずにLOVE&HOPEのメッセージフォームからご応募ください!

※番組で「磯人漬は、めかぶ・アカモクなどの海藻が4種類入っています」とお伝えしましたが、アカモクは入っておりませんでした。
正しくは、早春の三陸の磯を彩どる4種類の海藻、わかめ、めかぶ、ふのり、まつもに刻み生姜を加え、和風醤油の味に仕上げた磯の香りたっぷりな和え物です。訂正しお詫び申し上げます。

※めかぶ漬けの新物は、3月中旬から歌津小太郎のHPでお取り寄せ可能です。

あしたは、南三陸戸倉から、旬を迎えた「牡蠣むき体験」のレポートです!もちろん美味しいプレゼントあります!

2018年2月27日

2月27日 中西哲生が挑戦!南三陸 歌津の「わかめ収穫体験」(2)

火曜のプレゼント、中西さんが取材してきた
歌津 「金比羅丸」のワカメにたくさんのご応募ありがとうございました。
当選者は、、、
・サッカー小僧さん
・さおりんさん
・あかぺんさん
・いぬくさ部長さん
・かよちんさん
以上の5名様です。
おめでとうございます!


私・中西哲生の体験取材をめいっぱいお届けしつつ、番組が厳選した、東北の美味しいモノ、プレゼントも用意しております!
きのうに引き続き、私・中西が体験した、宮城県南三陸町・歌津地区の「わかめ収穫体験」!地元漁師・高橋直哉さんの船に乗り、三陸の海で2m近くに育ったでっかいワカメをバッサバッサと 収穫した中西哲生。獲れたてのワカメをこんな感じで、美味しく頂きました!

◆三陸わかめは、世界に発信したい美味しさ!
ーーーーーじゃあ先ほど取らさせていただいたワカメ、めかぶ、食べちゃっていいんですよね
「しゃぶしゃぶでどうぞお召し上がりください、どちらも本当にオススメなので。食感も何もかも違います。」

ーーーーーしゃぶしゃぶして…すごい! 色が全然変わった! 美しい緑色に瞬時に変わりましたよ・・・もぐもぐ。味が濃い!
「肉厚な分、風味がぎっしり詰まっているんですよね。」

※しゃぶしゃぶしためかぶが、鮮やかなグリーン変わるさまを連続写真でご覧ください。

ーーーーーかなり肉厚ですよ。メカブもいきます。すんげえきれい。いただきます。・・・やばいねこれ。めちゃうまいっす。ヌメリがちゃんとあるのにシャキシャキして、噛み切れる感じは何なんでしょう。
「めかぶの特徴ですよね。」

ーーーーーこの旨さは日本全国に伝えなきゃだめですね。歌津のメカブとこのわかめ!親善大使をやらしてください(笑) 本当においしい! 今ぴら丸は震災をどう乗り越えたんですか。
「震災の時は、漁港の中に停めていて沖に出すことができなかったので船を見守るしかない状態だったんですけれども、かろうじて漁港の中にとどまって沈没することも流されることもなく奇跡的に残りました。体験プログラムをやろうと思ったのは、多くのボランティアの方が震災後に漁業支援に訪れてくださって、皆さんがおいしいおいしいと言うもんですから、これを発信せねばと言う気持ちになりまして、海の仕事もなくなったので何とか仕事も作りたかったというのもあって、観光事業として漁業体験を始めました。この三陸わかめもそうですし、三陸の海産物を食べたことがない方が多いと思いますので、どんどん発信してつ世界にも広めていきたいと思っています。」

ーーーーー全世界の方にこのわかめとめかぶの素晴らしさを伝えたいですね〜。おススメの食べ方はありますか。
「自分は、めかぶはご飯にかけます。自分はぶつ切りにして。細かく刻んであるメカブはスーパーにも売ってますが、あえてぶつ切りで。そうすると食感もより味わえるし。あとは天ぷらですね。わかめの天ぷら、めかぶの天ぷら。」

ーーーーーそれも美味しそうですね・・・!
「うまいっす!」



※高橋さんの船「金比羅丸」の漁師体験プログラム、3月〜4月は わかめ収穫体験。その後は季節に応じてホタテ、ホヤ、ウニなどの収穫体験もできるということです。ちなみにウニ体験は実際にウニを剥いて、中の実をおにぎりに乗っけて食べるのだそうですよ。ちょっとたまらんものがありますな。詳しい日程などはこちらをご覧ください

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そして!中西さんが取材してきた歌津 「金比羅丸」のワカメのプレゼント、ご用意しました!
きょうも、こちらの「塩蔵わかめ」200gを5名様に!欲しい方は、<住所・お名前・連絡先>を忘れずにLOVE&HOPEのメッセージフォームからご応募ください!

あしたは、同じく歌津から、「さんま昆布巻き」で有名な歌津小太郎というお店の加工体験レポートです。もちろん美味しいプレゼントもあります!

2018年2月26日

2月26日 中西哲生が挑戦!南三陸 歌津の「わかめ収穫体験」(1)

月曜のプレゼント、中西さんが取材してきた
「金比羅丸」のワカメ へのたくさんのご応募ありがとうございました。
当選者は、、、

・だおん
・パープル
・ほけきんぐ
・朝モス
・はるなつ

以上の5名様です。
おめでとうございます!
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「さあ! それではわかめ漁に行ってきます!」
ということで、歌津の透明度の高い海を出港!中西哲生が、三陸の絶品ワカメの収穫体験に挑戦です!

今週は、中西哲生が体を張って取材してきた模様めいっぱいお届けしつつ、番組が厳選した東北の美味しいモノ、プレゼントも用意しております!
今回の取材のテーマは「体験」。 いま東北は、漁師さんや水産関係の方が観光向けの「体験型プログラム」にすごく力を入れているんですね〜。まず中西が体験したのは、宮城県南三陸町・歌津地区の「わかめ収穫体験」!この地区で体験プログラムを企画している若き漁師・高橋直哉さんの船でいざ、三陸の海へ。 そして実際にわかめ収穫に挑戦してきました!!

◆三陸の海でわかめ漁体験!!

ーーーーーすごい! わかめのカーテン! 高橋さん、ワカメが上がってきました。色に驚いたんですが、もうちょっと茶色かと思ったら茶色でもないですね。
「褐色で、ちょっと黒っぽいわかめなんですね。これが三陸わかめの特徴で、葉肉が厚いのでこういった黒っぽい茶色になるんです。」


ーーーーー確かに葉肉が厚い。芸術的な美しさじゃないですかこの辺とか。
「めかぶの部分ですね。真ん中の芯の部分が茎わかめです。この葉っぱの生え始めの小さな部分が元葉といいます。ここから下が一般的なわかめと呼ばれるものです。」

ーーーーー大体1本で長さは?
「 長いもので2メートル位で、まだまだ成長します。」

ーーーーー今ぐらいの時期が一番おいしいんですか。
「今から4月の半ばまでですね。」

ーーーーー どういう風に収穫するんですか 。
「鎌を使って刈り取ります。茎が太い育ったわかめの根っこのところから、切り取ります。」



ーーーーーあ、結構簡単に切れる! 調子乗ってやっちゃいますよ〜。わかめが切れた瞬間気持ちいい!
「今日は風もなく穏やかで天候なんですけれども、普段は、わかめが凍るくらいです。水の上にあげた瞬間にわかめがパリパリ凍るんですが、今日は全然凍らないですね。寒い時だとマイナス10度まではいかないと思うんですけれども、気温よりも水温があったかいんで暖かく感じるんです」



〜この体験プログラムは、歌津の漁師 高橋直哉さんがやっている企画。高橋さんの船「金比羅丸」で沖へ出て、ワカメの刈り取りを体験。漁師さん直伝!プロのワカメ加工方法も体験できて、自ら獲ったわかめのしゃぶしゃぶも頂けます。さらに、体験で採ったワカメは詰め放題でプレゼント!というもの。「極上!三陸ワカメ狩り体験2018」、3月〜4月にかけて実施。詳しい日程などは「金比羅丸・漁業体験」からご覧ください。

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そして!中西哲生が取材した歌津 「金比羅丸」のワカメのプレゼント、ご用意しました!
きょうは、こちらの「塩蔵わかめ」200gを5名様に!欲しい方は<住所・お名前・連絡先>を忘れずにメッセージフォームからご応募ください!

あしたも、歌津のわかめ漁体験レポートです。

2018年2月23日

2月23日 大川伝承の会・語り部ガイド

東日本大震災の津波で、児童・教職員84名が犠牲となった宮城県石巻市の旧大川小学校。「子どもたちを助ける方法があったのでは」という疑問がいまも解決していない場所です。

遺族の一人、「小さな命の意味を考える会」代表の佐藤敏郎さんは、2016年「大川伝承の会」を立ち上げて語り部ガイドを主催。参加者に、震災当日の大川小学校の状況を伝え続けています。来月、3月4日(日)にも、語り部ガイドが予定されています。

今朝は、佐藤敏郎さんに電話でお話を伺いました。

速水:まず「大川伝承の会」による語り部ガイド、どのような想いでスタートしたんですか?

大川小学校のことは新聞やテレビなどでも報道されますけれど、全国から、海外からもたくさん人が訪れまして、せっかく来ていただいて何も知らずに帰って頂くのは申し訳ないなと思ってガイドを始めました。今、あそこは壊れた校舎があるだけなんです。だから「なんでこんな寂しい場所に学校建てたんでしょうか?」と聞かれることがありますけど、あそこには町があって、子供たちが走り回っていたということをまず知ってもらいたい。その町が今このようになってしまったという事実にも向き合ってほしいなと思って活動を続けています。

速水:最近になって、すごく多くの方が大川を訪れるようになったとか。

語り部ガイドは広くアナウンスしているわけではなく、定期的にfacebookにお知らせしてやってるんですが、必ず100人以上は来ます。大川小のもとには、何十人〜何百人と来ます。

速水:1月の会では、当時小学5年生で大川小で被災した高校生も語り部として参加されたんですよね?

若い世代が語り継いでいかないとこの活動は続かないと思っているんですけど、当時の小学生や卒業生の中学生(現大学生)とかが私たちも参加したいということで、去年末あたりから一緒に活動しています。あるいは、当時奇跡的に助かった少年も話してくれたんですけど、「ここで波にのまれて、山にしがみついて…」なんてかなりリアルな話をしてくれました。

速水:3月4日は、午後に勉強会も行われる。勉強会は、どのようなテーマで?

大川小学校に起きたことについて、何があったのかと、それ以降も教育委員会の対応や課題など見えてきたことがたくさんあるので、それをみんなで勉強して一緒に考えていきたい。それも参加される方が多くて県外からもいらっしゃっていて、ありがたいというか責任を感じています。

高橋:今でもたくさんの方が花を手向けにいらっしゃる大川小学校。そこでどれだけ悲惨なことが起きてたくさんの命が奪われたかということを、語り部ガイドの話を聞いて、しっかり理解したいといつも感じます。残っている光景からの教訓、そこに町があったことも含めて私たちもこれからも伝えていかないといけないと感じました。

「大川伝承の会語り部ガイド」、次回は3月4日(日)午前10時から。その他、今後の予定などは、「大川伝承の会」のフェイスブックをご覧ください。

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LOVE6HOPE、来週は、中西哲生さんが宮城県南三陸町で、漁師体験レポートお送りします。

2018年2月22日

2月22日 南相馬市 小高ワーカーズベース(4)

今朝は引き続き、福島県南相馬市の「小高ワーカーズベース」についてお届けします。

東日本大震災とそれに伴う福島第一原発の爆発事故によって避難区域となった南相馬市小高区。2016年夏に避難指示が解除になりましたが、今年1月末時点での居住者数は震災前の約1万3千人のうち、約 2千5百人にとどまっています。そんな町の現状を変えようと立ち上がったのが、2014年に「小高ワーカーズベース」を立ち上げた和田智行さんです。

現在は、コワーキングスペースのほか、スーパーの「東町エンガワ商店」、ガラスアクセサリー工房の「HARIOランプワークファクトリー小高」を運営しています。プロジェクトに加わる若い世代も少しずつ増えてきている、というお話しでしたが、いま小高の町の現在を見た時、復興はどこまで進んでいると実感しているのでしょうか。

◆小中学校の再開で一気に変わった
日々変わっています。特に避難指示が解除されて昨年4月に小中高の学校が始まったことで一気に変わりました。建物も取り壊して新しい町に変わりつつあって。今まで年配の方が多かったが、学校が始まったことで高校生が電車で通学したり、子供達も少ないが町の中で遊ぶ風景が出て来たので、町が明るい雰囲気になって来たと思います。


一方、「課題」についてはどう感じているのでしょうか。

◆超少子高齢化をどう解決するか
どんなに頑張っても戻りたいけど戻れないという層は大部分だと思う。元に戻す、人口を戻すのは難しいと思う。小高の場合帰還住民の50%以上が高齢者、子供は100人も帰って来ていないと思うので、そこの超少子高齢化をどう解決するかは大きな課題だと思っています。


まだまだ復興へは大きな課題が少なからずある小高の現状ですが、和田さんはそれでも、小高の今についてこんな前向きな気持ちを持っているといいます。

◆濃厚なコミュニティが新しい街を作っている
小高は一旦住民がゼロになった状態から、作り直しているポジティブな空気に溢れています。原発の避難区域は大変そうに見えるだろうけど、実際に来ている人は帰りたくて帰って来ている。小高をなんとかしたいという気持ちの強い人たちの濃厚なコミュニティが新しい街を作っているという面白い空気のある場所。興味のある人にもぜひ足を運んで頂きたいなと思います。


今日までの4日間は、福島県南相馬市の「小高ワーカーズベース」和田智行さんのインタビューをお届けしました。
「小高ワーカーズベース」公式サイト

2018年2月21日

2月21日 南相馬市 小高ワーカーズベース(3)

今朝は引き続き、福島県南相馬市の「小高ワーカーズベース」についてお届けします。

東日本大震災とそれに伴う福島第一原発の爆発事故によって避難区域となった南相馬市小高区。2016年夏に避難指示が解除になりましたが、今年1月末時点での居住者数は震災前の約1万3千人のうち、約 2千5百人にとどまっています。そんな町の現状を変えようと立ち上がったのが、2014年に「小高ワーカーズベース」を立ち上げた和田智行さんです。

現在は、コワーキングスペースのほか、スーパーの「東町エンガワ商店」、ガラスアクセサリー工房の「HARIOランプワークファクトリー小高」を運営しています。ここまでのプロジェクトの手ごたえについて、あらためて和田さんに聞いてみました。

◆新しい事業をはじめようと、着実に人が増えてきています。
事業を立ち上げる際に、それを回す人材が必要だが、年配の方だと事業をやるエネルギーはなかなか無い。じゃ私たちがチャレンジしたいと外から入ってくる若い世代が多くはないが増えています。自分たちが最初に旗を立てたからこそだと思うし、継続的に発信しているからかなと思う。男性とかおじさんたちが集まって仕事をしている風景は避難区域では当然の風景だけど、女性しかも若い女性が集まって仕事をするなんて無いし出来ないと地元の人たちは思っていた。だからこそそれを事業にすれば周りに気持ちの変化を与えられるし、女性が集まることは町の雰囲気も明るくなると思う。アクセサリーが避難区域の小高で作られることを知って、小高を訪れてくれる人もいます。あとは新しいプロジェクトを始めるためにきた人もだんだんと増えて来ています。まだ大きい動きではないが着実に。じっさいデザイン系など場所にこだわらない人が来たり、南相馬市が国のイノベーション・コースト構想の一環で「ロボット・テスト・フィールド」が作られるという環境が整備されたことで、南相馬市内でドローンのプロジェクトをやりたいと入ってくる方もいらっしゃいますね。


なお「小高ワーカーズベース」のプロジェクトの一つであるガラスアクセサリー工房は、全国に8カ所の製造販売拠点を持つ、HARIOランプワークファクトリーの生産拠点の一つ。現地での製造販売のほか、ガラスアクセサリーの製作体験も実施しています。

明日も引き続き、「小高ワーカーズベース」、和田智行さんのインタビューをお届けします。
「小高ワーカーズベース」公式サイト

2018年2月20日

2月20日 南相馬市 小高ワーカーズベース(2)

今朝は引き続き、福島県南相馬市の「小高ワーカーズベース」についてお届けします。

東日本大震災とそれに伴う福島第一原発の爆発事故によって避難区域となった南相馬市小高区。2016年夏に避難指示が解除になりましたが、今年1月末時点での居住者数は震災前の約1万3千人のうち、約 2千5百人にとどまっています。そんな町の現状を変えようと立ち上がったのが、2014年に「小高ワーカーズベース」を立ち上げた和田智行さんです。

現在は、コワーキングスペースのほか、スーパーの「東町エンガワ商店」、ガラスアクセサリー工房の「HARIOランプワークファクトリー小高」を運営しています。ここに至るまで、さまざまな困難もあったはずですが、和田さんはこのように話します。

◆避難区域の中で何かアクションを起こすことの難しさ
まず物件探しに4ヶ月くらいかかった。避難区域内で不動産は動かないので、自分で物件のオーナーに当たっていけないといけなかった。しかし、みなさんも「戻るかどうか決めていないので、その状況では貸せない」と言われたり、取り壊す予定の物件も多かったので、最初の物件を探すのに苦労しました。設立した後はいろんな方の応援がったので苦労は少なかったが、「何がやりたいのか」理解が得られないことが多くありました。例えば食堂を作るときも、避難区域内で食堂をやっていいのか行政に聞いても明確な回答が得られず。そもそも避難区域の中で何かアクションを起こすことの前例がなかったので、アクションを起こすことで周りに「こういうことがやりたい」と理解してもらうまでが大変だったと感じます。


もともと小高生まれの和田さんは、東京の大学に進学して東京で就職。2005年に小高にUターンしました。原発事故の影響で、一時は会津若松に避難していましたが、そのうちに小高の視察の案内を頼まれるようになり、小高に足を運ぶようになりますが、視察をしてもそれっきりで終わってしまう現状に業を煮やして「小高ワーカーズベース」を設立しました。まだ避難指示が出ている中での事業のスタート。どんな思いに背中を押されていたのでしょうか。

◆「リアル・シム・シティ」に可能性を感じた
もちろん自分の家も小高にあり、いずれは帰るつもりでした。子供もいるので生活できる町にしたい思いもあったが、住民がいなくなった町に、街の機能をもたらすことができるまさに「リアル・シム・シティ」と呼べる場所は避難区域くらいしかないし、そこに当事者として携わることができる可能性がモチベーションになって。もともと震災前から何もしなければ衰退するだけの町だったと思うが、震災後避難区域になったことでダイナミックに生まれ変わって、震災前の閉そく感が無くなって、新しい暮らし易い町、住みやすい町にできるかもと気づいたんです。



現在、コワーキングスペースは満室賃貸中。スーパーには住民や小高で働く事業者が集い、ガラスアクセサリー工房には7人の女性スタッフが働いています。

明日も引き続き、「小高ワーカーズベース」、和田智行さんのインタビューをお届けします。
「小高ワーカーズベース」公式サイト

2018年2月19日

2月19日 南相馬市 小高ワーカーズベース(1)

今朝は、福島県南相馬市の、「小高ワーカーズベース」についてお届けします。

東日本大震災とそれに伴う福島第一原発の爆発事故によって避難区域となった南相馬市小高区。2016年夏に避難指示が解除になりましたが、今年1月末時点での居住者数は震災前の約1万3千人のうち、約 2千5百人にとどまっています。

とくに若い世代が町に戻らない現状を変えようと立ち上がったのが、「小高ワーカーズベース」を立ち上げた和田智行さんです。まずはプロジェクトの概要と、設立に至る経緯について伺いました。

◆まずは昼間に人が集まるスペースを
福島県南相馬市小高区という原発の避難区域なった場所で、帰還する住民の暮らしを支えるサービスを作るためにスタートしました。目指すは「地域の100の課題から100のビジネスを創出すること」。まずは暮らしを支えるスモールビジネスを作るために。最初に始めたのがコワーキングスペース。何か物を始めるにもそのための物理的な環境がなかったので会員の人が自由に使えるスペースを整備。次におだかのひるごはんという食堂(現在は終了)。復旧工事や除染作業働きに来ている人たちの食べる場所がなかったことからスタート。次に仮設スーパー「東町エンガワ商店」という仮設スーパー。南相馬市のからの委託を受けてやっている。やはりコンビニやスーパーなど日頃の買い物ができる場所がなかったので帰ってくる住民の日用品を提供する店舗ということで始めました。次にガラスアクセサリー工房兼店舗「HARIOランプワークファクトリー小高」。特に女性の働く場所を作るために、耐熱ガラスを使ったアクセサリーの製造、販売の拡大も。南相馬市の避難区域は2012年4月に日中の滞在が認められた。そのタイミングでいろんな人が視察に来たが、何も生まれない。一方、他の被災地では外から来た人が地元の人と手を組んでいろんなプロジェクトを生み出している。その違いは何か考えた時に、そもそも避難区域の中は物理的に座ったり屋根の下でお茶を飲んだりする場所すらなかった。まずはその拠点をなる場所を作ろうと思った。ちょうどコワーキングスペースが東京にあるのが話題になり始めた頃。ワーキングスペースを利用するような人たちは、避難区域にコワーキングスペースがあるのを面白がってくれると思い始めました。


2014年に和田さんが「小高ワーカーズベース」を立ち上げた当初は、まだ避難指示解除前。いろいろな人が視察に来るけど、なにも生まれない。ほかの地域では、外部からの協力でいろいろな計画が生まれて実現しているのに。その現状を打破しようと立ち上がりました。

「小高ワーカーズベース」公式サイト

2018年2月16日

2月16日 我妻和樹監督「願いと揺らぎ」3

東京・東中野の映画館などで まもなく公開がはじまる、映画『願いと揺らぎ』の我妻和樹監督のインタビューです。

宮城県南三陸町、戸倉半島の北側にある小さな漁村「波伝谷(はでんや)」に2005年から通い続け、撮影を続けてきた我妻監督。映画『願いと揺らぎ』は、東日本大震災から1年後の2012年を中心に、被災後の住民の方々の不安や葛藤、リアルな心境も丁寧に伝えています。完成した映画、当事者である波伝谷の方々はどんな風に見たのでしょうか。

◆波伝谷の人たちに見せるのは怖かった
これは結構、波伝谷で上映するのが怖かったんですよね。結構デリケートな人間関係を描いていて、ただでさえ震災が起きた地域の人間関係のデリケートさがあるなかこの映画を上映することによって、地元の人に見せることによって悪影響与えたらどうしようという不安があったんです。ただ実際に見てもらったら、思っていた以上に皆さん、前の作品よりも良かったと受け取ってくださって、それは何故かと言うと、自分で言うのもなんですが波伝谷の人たちが抱えていたいろんなものと言うものを、それなりにちゃんとよかったことも大変だったことも含めてかけているからなのかなと言う気がするんですね。ちゃんと掘り下げられているというか。でも震災後っていろんなことがありすぎて、被災された方々も覚えていないことがたくさんあるんですよね。いろんなことが過ぎ去ってしまっていて。その中で改めて、当時の自分たちのことを振り返るとと言う意味では、皆さんには残してもらえて良かったと言う事は言われましたね。


ちなみに、我妻監督によれば、「これまで波伝谷のみなさんは僕のことを"あがつまくん"と呼んでいたがこの映画をさかいに、"監督"と呼ぶようになった」なんてことも話していました。一人前の映画監督として、町の人が尊敬の気持ちを込めた・・・ということかも!最後に、南三陸町 波伝谷の「いま」を教えていただきました。

◆高台移転後の波伝谷
2つの高台に団地を作って、そこに一軒一軒家を作り、個人の土地で家を作った人もいるんですけれども、今現在は37〜38軒くらいです。もともとは80軒弱だったのでちょうど半分以下くらいという感じですね。波伝谷の獅子舞の行事もそうなんですけれども、行事の時にちゃんと若い人や子どもたちが手伝うために帰ってくるんですよね。その中でお酒を飲みながら世代間の交流があって、震災前から見てきた"波伝谷らしさ"と言ったらすごく漠然としているんですけれども、ならではの地域のつながりが震災があってもちゃんと継承されている印象を受けますね。ただやっぱり高台に建った家ってみんな新しい家じゃないですか。今までの家と違ってインターホンがそれぞれ付いていて、扉で外と家の中が仕切られちゃっている感じがして、そういう意味ではだんだん、波伝谷も都会化してきていると言う話を地元の人たちからも聞いたりして、そこは大丈夫なのかなと心配するところもあります。



映画「願いと揺らぎ」は、東京・東中野「ポレポレ東中野」で2月24日(土)から公開。全国でも順次公開が始まるということです。
詳しくは「願いと揺らぎ」公式サイトをご覧ください。

2018年2月15日

2月15日 我妻和樹監督「願いと揺らぎ」2

引き続き、東京・東中野の映画館などでまもなく公開がはじまる、映画『願いと揺らぎ』の我妻和樹監督のインタビューです。

宮城県南三陸町、戸倉(とくら)半島の北側にある小さな漁村「波伝谷(はでんや)」で行われる獅子舞。地域の人々の心をつなげてきたこの伝統文化に関心を持ち、我妻監督は震災前から、波伝谷の人々にカメラを向けてきました。そして、東日本大震災から1年後の2012年を中心に、被災後の集落の人々の姿を切りとった映画が「願いと揺らぎ」です。このタイトルには、こんな想いが込められています。

◆「願いと揺らぎ」
タイトル「願いと揺らぎ」、被災して震災前の暮らしと何もかも状況が変わってしまった中で、震災から1年後というのはある程度落ち着きを取り戻してきた時期というか全然先行きは見えないんですけれども、震災前の自分たちの本来の生活に思いを馳せるようになっていた時期だと思うんですね。その中で地域の、全戸全世帯が関わる象徴的な1番大切にされてきた獅子舞を復活させようということで、本来の自分たちの姿を取り戻そうと。震災で人間関係もいろんな歪みがあって、住んでいるところもバラバラになっちゃって、実際には思うように進まない中での心の揺れ動きやすれ違いを描いているんですね。じゃあ誰がそれを引っ張っていくのが、高台にまとまって家を建てて、元々あった自治組織も震災の後に立ち行かなくなっちゃっているわけですよね。だからみんな考えていることは同じはずなのに、1つの結果に向かっていかないというか。あの当時、被災地のいろんなところで地域で大切にしてきた伝統行事が復活したと言うニュースが流れたと思うんですけれども、それって復興を加速させる素晴らしいニュースとして取り上げられたと思うんですけれども、その裏には地元の人たちのいろいろな苦悩や葛藤があったと思うんです。大切なものだけにみんなそれぞれいろんな思いを持っているわけじゃないですか。思いがあるからこそ一筋縄ではいかない。最終的には(獅子舞は)復活するんですけれども。「願いと揺らぎ」はラストが現代なんです。高台に家が立って自分たちが歩んできた道を振り返る形なんですけれども、当時は納得いかなかったことや押し込めてしまった思いが現在になって整理できてくるというか、要はそれがよかったのかよくなかったのかという事は、その時点では誰も決められないことで、長い時間が経ってようやくあの時のことを振り返ることができて、その時に初めて意味がつけられると思うんですね。願いと揺らぎはそういう映画です。



この映画では、震災でバラバラになった地域を一つにするため「獅子舞」を復活させようとするのですが、周りからの支援を受けず、自分たちの力でやり遂げたいという若者がいたり、様々な思惑で、人々がうまくまとまらない様子が出てきます。我妻監督が言うように、震災後の東北では、同じような混乱・戸惑い・・・「揺らぎ」があったのかもしれない。そう気づかされる映画となっています。

映画「願いと揺らぎ」は、東京・東中野「ポレポレ東中野」で2月24日(土)から公開。全国でも順次公開が始まるということです。
詳しくは「願いと揺らぎ」公式サイトをご覧ください。

あしたも、我妻監督のインタビュー、お届けします。

2018年2月14日

2月14日 我妻和樹監督「願いと揺らぎ」1

今朝は、まもなく、東京・東中野の映画館などで公開がはじまる、一本の映画についてお伝えします。映画のタイトルは、『願いと揺らぎ』。
宮城県南三陸町戸倉半島の北側にある小さな集落「波伝谷(はでんや)」を舞台にしたドキュメンタリーです。

この映画を撮影したのは、我妻和樹監督(32)。漁業や、古くからの伝統・文化とともに生きる、波伝谷の人々に関心を持ち、震災前からカメラを向けてきた方です。我妻監督ご自身は、宮城県でも内陸部にある、白石市出身。距離も離れた、沿岸部の波伝谷と関わることになったきっかけを伺いました。

◆小さな漁村の「営み」を知りたかった
波伝谷との出会い自体はたまたま、学生の時に大学のフィールドワークで地域の暮らしをまとめて本にするというプロジェクトに参加したのが2005年の3月12日の事なんですね。震災の6年前です。そこで今回の「願いと揺らぎ」という映画のモチーフにもなっているお獅子さま、南三陸町の無形民俗文化財に文化財に登録されている春祈祷という行事なんですけれども、獅子舞が地域の全戸を回って悪魔払い、いわゆる厄を払う行事なんですが、初めて波伝谷に行った時にその行事を目の当たりにしてすごく衝撃を受けまして、それから先、学生として3年間フィールドワークで入り続けて、大学を卒業してからまた3年間、今度は個人でドキュメンタリー映画の撮影を始めて、震災を経て、震災後も撮影を続けてずっと関わり続けて今に至るという流れです。


ということで、大学時代に民俗学を学んでいた我妻監督は、波伝谷の「お獅子さま(おすすさま)」・・・いわゆる獅子舞の文化と、その背景にある集落の営みを撮影。東日本大震災の「前の波伝谷」を記録した映画を2015年に発表しています。

そして今度は、震災後も波伝谷に通い撮り続けた映像を中心に、被災地に生きる人々の姿を伝えようとしています。それが映画 「願いと揺らぎ」です。

◆震災前を記録したからこそ伝わること
今回の作品に関しては、メインで使っているのは2012年時点の映像なんですね。僕が波伝谷との出会いになった獅子舞の行事を復活させようということで、動き出すんですけれども、全然足並みが揃わない。いろんな課題に直面してみんな価値観や考えがバラバラで、願いは同じなんですけれどもうまくいかない、すれ違いを描いているんです。そこに震災前の2005年から撮影してきた映像を織り込みつつ、ラストは2016年の12月なんですけれども、ラストで当時の自分たちの混乱や葛藤を高台に家を建ててようやく改めて振り返ることができるようになったタイミングで、振り返ると言う形になっています。12年という時間をそこに凝縮させているという感じになります。震災前からずっと1つの地域の営みを追いかけているわけで、震災に関するドキュメンタリーは「震災後」に作られたものがほとんどです。震災前から撮影していた僕の映画の1つの大きな特徴だと思うのは、もともとそこに生きている人たちの営みに目を向けているというところから、始まっていること。
だからこそ震災が1つの土地の歴史の中でどんな意味を持っていたのかという意味でとらえることができると思うんですね。


映画「願いと揺らぎ」は、東京・東中野「ポレポレ東中野」で2月24日(土)から公開。全国でも順次公開が始まるということです。
詳しくは「願いと揺らぎ」公式サイトをご覧ください。

中西 (※一言)
あしたも、我妻監督のインタビュー、お届けします。以上、LOVE&HOPEでした。


確定6:  :  

2018年2月13日

2月13日 アップデイトふくしま(2)

今朝も引き続き、先日10日土曜日に東京・青山の国連大学で行われましたパネルディスカッション「アップデイトふくしま」の模様をお届けします。

「知って応援。伝えて応援。」をキャッチフレーズに開催されたこの「アップデイトふくしま」、これまで『LOVE & HOPE』でもお話しを伺ってきました福島県民の被ばくの分析や発信をしてきた東京大学名誉教授、早野龍五さん、福島に通って医療活動を続ける医師の越智小枝さん、海外の学生を招いて福島を視察してもらう活動を続けている福島大学のウィリアム・マクマイケルさん、そして「はじめての福島学」を執筆するなど福島の現状発信に尽力してきた立命館大学の開沼博さん、この4人が立ち上げたアップデイトふくしま実行委員会によるパネルディスカッションです。

この4名をはじめ、行政や教育現場の方、生産者などさまざまな立場の方が参加して討論や発表が行われましたが、ステージには3人の学生も登壇しました。福島高校の沖野峻也くん、荒帆乃夏さん、ふたば未来学園高校の遠藤瞭くん。3人は去年秋、早野さんと共にアメリカ、バークレーで実施されたトークセッションに参加、それぞれの被災体験や現在の取り組みを英語で発表しました。そしてこの日は、改めてそれぞれの取り組みや思いを発表してくれました。

沖)これはDシャトルという機械なんですけど「個人線量計」と言ってポケットとかに入れて持ち歩くと1時間ごとにどれだけ被爆したかっていうことを測ってくれる機械で、これと生活記録表、いつどこに居たかを記録するんですけど、それとこのデータを照らし合わすことによってどこでどんな線量を受けたのかというのを解析することが出来ます。
早)福島高校で書いた論文、これですか?
沖)いちばん右側がヨーロッパ、真ん中が福島県内、左側が福島県外の放射線量で、これで測った2週間分のデータを一年浴びたらどうなるか換算して表したものなんですが、ご覧の通り、じつはほとんど同じ値で変わっていないということが分かったんです。
早)そういう一年分の線量ということで論文になりましたということですね。その後も福島高校では様々な取り組みをしていると聞いています。じゃ荒さん・・・
荒)こちらは私が海外に向けてプレゼンテーションを行うにあたりインタビューをした、福島で実際に活躍している農家の方なんですけど、サイトウノボルさん、キクチショウヘイさん、サイトウさんはスタディーファームというイベントを行なっていて、農業体験をするとともに、実際に採った食べ物の放射能を測定するというイベントであったり、キクチさんは卵のブランド化を行なっています。そのほかにも努力をされてる方はいるのですが、共通して言えることは震災によって崩壊してしまった販路を、自分たちの力で取り戻したということです。生産者と消費者が直接つながることで信頼を生み出し、その食べ物に対しての安全性、信頼感を高めているということが言えます。ただ震災前の福島に戻すのではなく、震災前よりより素敵な福島に戻そうと努力しています。
早)どうもありがとう。さ、次は遠藤くん。
遠)いま右上の方に丸がついていて放射線の膜がある町、これが私の生まれた大熊町です。で、故郷の復興をどうしていくべきか?と考えた時に、廃炉を進めることが復興にいちばん直結するというか直接的な手段であると考えたので、私は将来、福島第一原発の廃炉に携わりたいと考えています。


こうした高校生の発表も交えながら、3部構成/4時間に渡ったパネルディスカッションは、「アップデイトふくしま宣言」を発表してフィナーレを迎えました
後日、公式Facebookで写真や動画などが掲載されるので、ぜひ福島の「今」について、皆さんも情報のアップデイトをお願いします。
オフィシャルページ
公式Facebookページ

ぜひ今回の放送を聴いて感じたこと、『LOVE & HOPE』ブログのメッセージフォームから送ってください。
抽選で5名様に3000円分の図書カードをプレゼントします。

2018年2月12日

2月12日 アップデイトふくしま(1)

今朝は、先日10日土曜日に、東京・青山の国連大学で行われましたパネルディスカッション「アップデイトふくしま」の模様をお届けします。

「知って応援。伝えて応援。」をキャッチフレーズに開催されたこの「アップデイトふくしま」、これまで『LOVE & HOPE』でもお話しを伺ってきました福島県民の被ばくの分析や発信をしてきた東京大学名誉教授、早野龍五さん、福島に通って医療活動を続ける医師の越智小枝さん、海外の学生を招いて福島を視察してもらう活動を続けている福島大学のウィリアム・マクマイケルさん、そして「はじめての福島学」を執筆するなど福島の現状発信に尽力してきた立命館大学の開沼博さん、この4人が立ち上げたアップデイトふくしま実行委員会によるパネルディスカッションです。この4名をはじめ、行政や教育、生産者や学生など、さまざまな立場の方が参加して、福島の現状や風評被害の払しょくへ向け討論や発表が行われました。

今朝は「アップデイトふくしま」から、開沼さんを進行役に行われました総括のパートを一部、お届けします。

開)じゃ最初にフリップボードに自由に「福島のイメージのアップデイトに何が必要か」書いてください。はいじゃ早野さん・・・
早)「産めます」って書きました。我々にとって衝撃的だったのは、去年、三菱総合研究所が、“福島県内のこれから生まれる子供、孫、健康影響があると思うか?”都民1000人に聞いた。すると50%が「ありうる」と答えた。答えは「×」。広島長崎ですら・・・というと言い方が難しいが広島長崎で健康被害が無かったというのは70年間の調査でよくわかっている。福島の今回ひじょうに低い被ばくで、そういうことがあり得ないということ、これは専門家が皆さん口をそろえて仰っていることです。このこと、きちんと“そうではない”ということを社会の皆さんが共有するようにしないと、10年20年何十年と渡って、差別や偏見に繋がりうるということがあるので、私にとってはアップデイトすべき最大の問題はこれかなと思っています。
開)はい。マクマイケルさん・・・
マ)シンプルに「境界線を無くす」というのが重要かなと。何の境界線かというと、1つは東京と福島、海外でも偏見があるのに、日本国内ですらちょっとあって、何でもっとみんなで一致団結して、問題解決していくかってすごく大事な問題なのにどうしてもっとみんなお互いに支えあってシェアしないの?って、もちろんシェアしてるんですけどそういう意見もあって、確かにそうかなと。そういった意味で境界線を一つ無くすと。もう一つが外国人と日本人ですね。いまだに「福島」って場所とか県じゃなくて、なんかすごい悪いことが起きた、この世のアポクリプス、終焉が起こりうるようなマイナスな「事象」としてのイメージがすごく強く残ってると思います。じっさい私、福島大学でグローバル教育を担当してまして、今日もじつは私のプログラムに来てる学生たちが来ているんですけど、毎年たくさんの学生を呼んで一緒に福島をまわってるんですけど、けっこう福島に関心があって皆さん来てるのに、福島に着いた瞬間、“人がいるんだ”とか“建物が建ってるんだ”とか、意外とそういうイメージが先行してしまっていて、そういう境界線もどんどん無くしていけばいいなと。であとは世代ですね。若者もお年寄りも熱い思いを持っているんだな、福島を愛する気持ちを持ってるんだなと感じてましたけど、今後すごく重要だと思うので、こうしてみんなで境界線を無くして行って、核心を突いた情報を確信をもって我々一人一人が調べていくことによって福島のイメージが革新していくのかなと、そういうメッセージを書きました。


登壇者それぞれがこうして、“いまアップデイトすべきこと”を発表していったほか、来場者に向けて○×クイズなども出題。来場されている方は福島について知ろうとする意識の高い方が多くて、正解する人がほとんどでした。後日、公式Facebookで写真や動画などが掲載されます。
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『LOVE & HOPE』、明日も引き続き、「アップデイトふくしま」のレポートです。
ぜひ今回の放送を聴いて感じたこと、『LOVE & HOPE』ブログのメッセージフォームから送ってください。抽選で5名様に3000円分の図書カードをプレゼントします。

2018年2月8日

2月8日 岩手県釜石市「はまゆり飲食店街」2

今朝は引き続き、今年3月31日に営業期限を迎える、岩手県釜石市「はまゆり飲食店街」についてお届けします。

震災の翌年、2012年1月に開業した「釜石はまゆり飲食店街」は、釜石駅に近い「鈴子公園」に建てられた仮設商店街です。飲食店に特化した仮設商店街で、一角には震災前から釜石の名物として親しまれた「呑ん兵衛横丁」という飲み屋街もあります。開業から6年、復興のシンボルとして親しまれた名所の灯は、ついに消えようとしています。

一方、震災からまもなく7年が経つ市内の復興状況はどうなのか?飲食店会会長で「BAR LINK」のオーナーでもある山健さんのお話しです。

◆釜石はかさ上げをしていない分、復興工事は早かった
釜石は三陸沿岸だとめちゃくちゃ早い方だと思います。その一つの大きな理由として〔市街地のかさ上げを行わなかった〕というのがあります。ダメになっちゃったんですけれども湾口防波堤とかの威力を信じてまた湾口防波堤を作ってますけれどもね。1ミリもかさ上げしなかったです。ホテルなんかも高さ変わってないんでお分かりだと思いますけれども。道路を何センチ上げたとかこの地域は何センチ上げたとか言ってもホテルとかが上がってないのでしょうがない。こないだちょっと調べてみたら、僕らがいた横町の跡地なんかは、いまたぶん0メートル地帯。震災前1メートルそこそこ海抜あったんですけど、その時にも水害はあったんです。何度か。それで今この状況で地盤が下がったままですから、やっぱり目立ったところでいうと、あの岩泉のものすごい水害がありましたけれども、釜石も冠水してるんです。それはどうですかね・・・。見た目は復興したように見えるんでしょうけれども、実際そういう災害はもうふつうに。復興住宅という名で何棟も大町付近に建ててますけど、長い歴史、水害の歴史の中で、初めてじゃないですから。何度も何度も津波あるので、だから今後も必ず津波が来るって事考えた時に、その辺に住むっていう人は、少ないですよね。


一見、復興が進んでいるように見えるけど、かさ上げをしていない分、不安もあるというお話し。話しに出てきた市街地の大町は、ホテルや復興住宅が立ち並び、商店も増えてきているエリア。でも0メートル地帯・・・。かさ上げ工事で何年も時間がかかっている地域とはまた違った課題があるようです。

そんな中、3月末で期限を迎える「釜石はまゆり飲食店街」、駅前への集団移転計画が頓挫してしまっている状況の中、山さんが考える次の一手とは。

◆移転しないという考えも
ちょっと今からだと時間足りないんですけれども、ほかの民有地、今度は民間と民間との話になるんですけれども、そっちの方はちょっといま具体的なことは申し上げられないんですけれども、いま急いで動いてまして、とにかく諦めたらそれでおしまいなので、まずはそれで頑張って動いています。で、5年も6年もさすがにここで商売してるとやっぱり根ざしちゃったっていうか、それなりの常連さんもついたというか、なのでそれはまた大町へってことになると、逆にこの辺のお客さんは、“歩いて15分もかかるなら行かないよ”っていう人も出てきますよね。なのでできるだけこの鈴子地区で移転したいなという考え方はあるんですよ。ひとつね。


明日は呑兵衛横丁の魅力についてお届けします。

2018年2月7日

2月7日 岩手県釜石市「はまゆり飲食店街」1

今朝は、今年3月31日に営業期限を迎える、岩手県釜石市「はまゆり飲食店街」についてお届けします。

震災の翌年、2012年1月に開業した「釜石はまゆり飲食店街」は、釜石駅に近い「鈴子公園」に建てられた仮設商店街です。飲食店に特化した仮設商店街で、一角には震災前から釜石の名物として親しまれた「呑ん兵衛横丁」という飲み屋街もあります。地元の方はもちろん、観光客も足を運ぶ名所の灯がついに消えてしまう!ということで、気をもむ声も少なくないとか。そんな「釜石はまゆり飲食店街」の成り立ちと現状について、飲食店会会長で「BAR LINK」のオーナーでもある、山健さんにお話しを伺いました。

◆「呑ん兵衛横丁」だけでも釜石の文化として残したい
余震がすごく多かったんだよね。なので町なかにお店を出したりとかというのは、また津波が来るんじゃないか?ということもあったり恐怖感があって、ほとんどの人は“ほかの仮設店舗ありますよ?”って言っても入居しなかったんです。どうしてここの鈴子かっていうと、一本川があったりして、もし津波が来てもたぶん直接の波の被害はないだろうっていう考え方があって、それでここ飲食店は集中したということがあるんですね。それで契約の話があって、じゃこれからどうするか?って話になって、今から2年くらい前から徐々に、出来る限り「呑ん兵衛横丁」だけでも釜石の文化として残したいなというのがありました。「お恵」さんでいうと55年くらい営業されているんですよ。僕で14年なのでぜんぜん下っ端で、もう半世紀以上ですからね、人生の半分以上をお店に費やしてる、そういう方々が多いんですよね。彼らもなかなかお年をめされてる方多いんですけど、それでもやる気は十分にあったりして、もう店の中で死んでもいい!くらいのお店に対する愛が強い方が多いのが現状なんですね。なので“どこかテナントが空いてるからどうぞ”という訳にもいかなくて、それで僕らの企画「集団で移転したらどうか?」っていう案を出して、モメて、ダメで、その結果、集団移転は諦めたという格好になったんですね。それでも一応いろんな建設会社等々との話をしてた案がいくつかあったもんですから、それで駅前の「シープラザユー」というテントがちょうど取り壊しになるということで、その跡地を利用させてもらえないか?と、1階と2階を店舗にして3階4階を居住区にして、それでワールドカップ関係の民泊対応にもなるしということで建設会社が出資者を募ってくれて。結構な金額が集まる予定になったので、じゃ土地の提供をしてくれないか?というお話しをさせて頂いた。そしたら、「あそこは駐車場にするからダメだ」というお返事を頂いたんですね。これでおしまいということなので、まあどうしようかという状況なんですね。


「呑ん兵衛横丁」はそもそも、昭和30年代、戦争で夫を失った女性たちが市の中心部の水路の上に店を開いたのがはじまり。高度成長期には30店以上が並び、
製鉄所の従業員らでにぎわいましたが、津波で全26店が流されました。「はまゆり飲食店街」では12店が営業しています。釜石市は別の場所に店舗施設を建て、その場所で継続させようとしたものの、出店費用が高額なため高齢の店主たちは移転に踏み切れなかったといいます。

山さんたちは、独自の計画を出して資金も見通しを建てたものの、市の計画は覆らず。期限が迫る中、なんとか釜石の横丁文化を絶やすまいと奔走を続けています。明日はそんな、“この先の計画”についてお届けします。

2018年2月6日

2月6日 サポート・アワー・キッズ 「リユニオン」(2)

昨日に引き続き、復興を担う被災地の子どもたちの、自立支援に取り組む団体「サポートアワーキッズ」の活動レポートです。サポートアワーキッズでは、2011年から継続的に、被災地の子ども達のための海外ホームステイを実施しています。


これを経験した子どもたちは、自ら次の活動へ向けてスタート。1月12日、仙台市で「リユニオン」という報告会を行いました。
この会では、昨年夏の留学経験者33人のほか、これまでに同じ経験をしてきたOB・OGによる活動報告も行われたのですが、今日はその中から、2016年にアメリカへのホームステイを経験した、18歳の女の子のプレゼン、お聴き頂きます。


◆夢は、日本の「和菓子」を世界へ!
及川徳乃と申します。仙台青陵中等教育学校の6年生で18歳です。突然ですが私には将来の目標があります。和菓子職人になりたいと思っています。しかし学校の人がほとんどみんな進学を目指していたので、その中で和菓子職人になりたいんだよと語るのはすごく恥ずかしくて言えなかったり、本を読んでみようとか実際に自分で作ってみようと行動することが全くなかったのが、サポートアワーキッズでアメリカに渡らせていただいて、日本や東北の良さを改めて感じることができて、和菓子職人に、ただなりたいとうっすら思うだけではなく、本当になりたいと強く思うようになりました。ここでご報告をさせていただきます。来年の4月から、京都の老舗和菓子屋さんである末富さんというところに就職が決まりました。厳しい修行などはこれからだと思うので、私の大きな野望というか目標を今ここで宣言したいと思います。日本の良いところとか東北の良いところを、和菓子を通じて海外へ伝えられたらなと思います。また、海外に自分の和菓子のお店を作りたいです。アメリカにいかせていただいた時に、和菓子職人になりたいと言ったら、「和菓子って何?」と聞かれることが多くて、日本食はいろんな国で分かってもらえるようになってきたと思うんですが、まだまだ和菓子はわからないというのを知ってすごくショックを受けたので、どこに行っても和菓子、日本のお菓子と言ってもらえるような世界共通語にしたいと思います。(最後に、後輩たちのメッセージをお話ししていただきたいと思います) 「夢はあこがれで終わらせない」と言うことです。私自身、もともと末富は求人を取っていなかったんですがどうしても入りたいとお店に直接電話をして、面接をしていただいて内定をいただくことができたので、ただなりたい、これがやりたいと言っているだけではかなわないけれども、それを行動に移して初めて夢に一歩近づくと思うので、ただ考えているだけではなくてとりあえず、まずはやってみると言うのが、挑戦し続けることが大切です。以上です。


そして、このサポートアワーキッズの語学留学、2018年夏の実施へ向けて、募集がスタートしています。

6月から8月にかけて、フランス・アイルランド・オーストラリアなど5か国で実施される予定です。応募詳細・条件などは、サポートアワーキッズ・募集要項 をご確認ください。

2018年2月5日

2月5日 サポート・アワー・キッズ 「リユニオン」(1)

今朝は、復興を担う被災地の子どもたちの、自立支援に取り組む団体「サポートアワーキッズ」の活動をレポートします。この番組では継続してお伝えしていますが、サポートアワーキッズでは、2011年から継続的に被災地の子ども達による、海外ホームステイを実施しています。

そしてホームステイを経た子どもたちは、自ら、次の活動へ向けてスタート。それが昨年11月19日に仙台市で行われた「リユニオン」という報告会です。この報告会は、昨年夏に、フランス、アイルランド、オーストラリア、ニュージーランド、カナダを訪れたそれぞれの子どもたちが自ら企画。得たものや次の目標を発表しました。その中から、カナダホームステイに参加した3人の声、お届けします。



◆海外での経験は一生の宝物に
・熊谷海音さん、岩手県陸前高田市在住 中学2年
「私は震災後にミュージカルと出会い歌を歌うことがとても好きになりました。キャンプでは歌を披露する機会があり、私の歌で涙を流してくれる人や「良かったね」と感動を伝えてくれる人もいました。私はそれを聞いて、私の歌で人を元気にしたいと思いました。ホームステイでは、私は内藤洋子さんのお家にステイさせて頂きました。最初会った時は不安がありましたが、洋子さんはパワフルで本当の家族のように接してっくれました。娘のエリカとエリーナはキャンプにも参加していて、すぐ仲良くなることができました。ホームステイでは朝みんなと散歩したり、町へ出て買い物をしたり、日本と違う毎日で楽しく過ごすことができました。私は震災で、母と父と姉と祖母を亡くしました。祖父が死んだときは涙を流せませんでした。ホームステイをして相談に乗ってもらった時には、改めて家族っていいな、温かいなと思いました。洋子さんに「留学したいなら家においで」と言われたので、中学の家にたくさん勉強して、第二の故郷・家族に会えるように頑張っていきたいと思います。

・長峰希来々さん、宮城県仙台市在住 中学2年
「私たちはカナダで初めてキリスト教という異文化に触れました。キリスト教に触れることで文化や考え方の違いを体感することができました。私は今回カナダに行かせて頂き、日本という国を客観的に見ることができました。私はカナダに行くまで自分を押し殺すことが癖になっているということに気が付きませんでした。日本には”普通”という基準が強くあり、それより優れるモノ・劣るモノに対して偏見的な見方をします。なので学校に行っても自分の思ったことを言うのではなく、よくあることを口にしたり、得意なことがあっても目立つとあとで何か言われるのでやりません。日本人は変わったことを受け入れにくいと感じました。しかし私はカナダに行って自分を持つということの重要性に気が付きました。今回経験したことを踏まえ、今後私は模範的な何かではなく常に自分の考えを持って生活したいと思いました。」

・宍戸葵さん、福島県いわき市 中学3年「ホームステイ後、私は自分に自信が持てるようになりました。私の将来の夢は医者になることです。私は人の笑顔を見ることが好きです。なのでたくさんの人々を笑顔にできるような医者を目指したいです。カナダの方々の前で公言してきたので絶対に医者になってみせます。今回の経験は失われることのない一生の宝物です。この宝物をずっと大切にして将来に生かしていきたいです。」


リユニオンでは、この3人を含む合計33人が、こうしてプレゼンを行い、東北の未来を担うメッセージを会場で話しました。
震災で夢をあきらめかけた子が、海外の広い世界を知ってもう一度自分のやりたいことへ動き出す姿をなんどもお伝えしていますが、やはりこの経験は貴重なものになっているんですね!

そして、このサポートアワーキッズの語学留学、2018年夏の実施へ向けて、募集がスタートしています。6月から8月にかけて、フランス・アイルランド・オーストラリアなど5か国で実施される予定です。応募詳細・条件などは、サポートアワーキッズ・募集要項 をご確認ください。

あしたも「リユニオン」の模様をお伝えします。
 

2018年2月2日

2月2日 ふたば未来学園(5)

今週は、福島県立「ふたば未来学園」からのレポートです。

2015年4月、福島県双葉郡広野町に開校した「ふたば未来学園」。一期生、およそ150人が、この3月卒業を迎えます。一期生の一人、遠藤健次さんは、福島県双葉郡川内村の出身。「ふたば未来学園」の海外研修で、ドイツの省エネ社会を目の当たりにし、再生可能エネルギーの研究を「自分の目指す道」だと決めました。研究しているのは、断熱材や高性能な窓を利用した「パッシブハウス」や植物から電気を生み出す「植物発電」。「再生可能エネルギーで故郷を元気にしたい。」という強い想いが遠藤さんの原動力です。

◆再エネで「福島=クリーン」なイメージに変えたい
震災があって、もともといい村なのに、こんなに人がいなくなって、こんなに静かな村になっちゃったのが悔しくって、もとの活気のある街に戻したいという気持ちがあって、こういう再生可能エネルギーに関する活動をしています。川内村は戻りつつあるが、富岡町や双葉町、大熊町など原発に近い町はまだぜんぜん放射線の被害で、人が戻れていない。まだ放射線が残っていると、危ないとか危険だと言うまわりからのイメージで、放射線を心配しなくてもいい時期になっても人が戻ってこないという、一番嫌なケースがあるので、そういう問題がないように再生可能エネルギーを推進して、「福島=原発、放射線」というイメージから、「福島=再生可能エネルギー」というクリーンなイメージに変えることで放射線を心配しなくてもいい時期に、人が戻ってくるようになったらいいなと思っています。再生可能エネルギーや省エネが100%の地域は世界的にみても珍しいので、福島が世界から見て再生可能エネルギー、省エネルギーのお手本の地域になる。そうすると、県外海外から教育の場として人が集まってくるので、そこで人口の減少を解決できるんじゃないかと思っています。


遠藤さんは、3月にふたば未来学園を卒業し、4月から福島大学の「共生システム理工学類」という学部でさらに、エネルギー関連の勉強を続けます。

◆将来は再エネの企業で世界に広めたい
自分は福島大学に進学して、エネルギー関係について学びたいし、福島の復興にも携わっていきたい。もっと視野を広げて課題も見つけたいので、福島大学のカリキュラムにある文理融合でエネルギーを学べるので、そこで視野を広げて課題を発見してエネルギーについて学んで、大学を卒業したら再生可能エネルギーの企業に就職したい。グローバル化も進んでいるので、大学では英語も学んで、英語のコミュニケーションも生かして世界でも活躍して、再生可能エネルギーをどんどん広めていきたいと思っています。


一期生、およそ150人の卒業式は3月1日。「ふたば未来学園」で行われる最初の卒業式です。

***
そして、今週は福島の現状、また「ふたば未来学園」の取り組みについて、あなたからの感想もお待ちしています。『LOVE & HOPE』のブログ、メッセージフォームからお送りください。抽選で5名の方に、3000円分の図書カードをプレゼントします。
 

2018年2月1日

2月1日 ふたば未来学園(4)

今週は、福島県立「ふたば未来学園」からのレポートです。
「ふたば未来学園」は、避難と休校を余儀なくされた福島県双葉郡の5つの高校の受け皿として2015年に開校しました。学校が目指したのは、知識の詰め込みではなく、「世界の人と力を併せて、困難な問題に立ち向かう力」を育てること。

まもなく卒業を迎える、「ふたば未来学園」一期生の遠藤健次さんは、高校3年間で将来の目標を見つけました。

◆パッシブハウスや新たしい再生可能エネルギーで福島を再生したい
ふたば未来学園高等学校3年の遠藤健次です。川内村出身です。
最初高校に入るときには、復興に携わりたいとは思っていたけど、どう携わったらいいのかわからず。だから、この3年間は自分のこれからの目標や将来の夢を決められた、大事な三年間になったと思います。自分は震災の後原発事故にあって、小学校5年から6年の1年間避難生活を経験して、その経験や高校の研修を通して、福島県の課題を自分なりに2つみつけました。それは原発事故による産業の創出と、放射性物質の飛散による風評被害が主な問題だと感じて。その問題を解決するためにはどうしたらいいかと考えていたときに、一年生の後半にドイツ研修があったんですね。そのドイツ研修でドイツのエネルギー環境について学んで、ドイツにある「パッシブハウス」という省エネの家があるんですが、その省エネの家を日本にも取り入れていければ、再生可能エネルギーがもっと普及して、福島県を再エネ100%にすることによって、風評被害の問題や、再エネという新産業を創出することができるので、2つの課題をなくすことができるのではないかと感じているので、現在はふたば未来学園の特徴でもある「未来創造探求」の授業で、パッシブハウスと植物発電の再エネを研究、調査をしています。パッシブハウスの特徴は3重窓。自分も実験をしたが、窓の枚数を重ねるごとに外の温度をシャットダウンできるが、日本の場合夏になると湿気が多くて温度も高くなってしまうので、そういう点を考慮した日本にあうパッシブハウスをつくらなきゃいけないので、そこをいま考えていますが、思いつかなくていま苦戦しています。
自分は新しい再生可能エネルギーもつくりたいなとも思っていて。植物発電は微生物で発電するもので、植物を利用して、微生物が植物から出る栄養素を分解して電子が放出されるということが調べてわかったので、その電子を使って発電する仕組みの研究を進めています。植物発電だと植物を生かしたまま発電できるので、これからのエネルギーに一番適しているのではないかと思っています。


パッシブハウスや植物エネルギーなどの再生可能エネルギーで福島を再生したいという遠藤さん。さまざまな実験の結果をニューヨークの国連本部でプレゼンしたとのこと。卒業後は、福島大学の「共生システム理工学類」という学部でさらにエネルギー関連の勉強にまい進するそう。

*****
今週は福島の現状、そして「ふたば未来学園」の取り組みについて、あなたからの感想もお待ちしています。住所・氏名・連絡先を明記の上メッセージフォームからお送りください。抽選で5名の方に、3000円分の図書カードをプレゼントします。

パーソナリティ 鈴村健一

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