2017年1月31日
1月31日 福島県川俣町の「田んぼのスケートリンク」3
引き続き、福島県川俣町の大内秀一さんのインタビューです。
福島第一原発から40キロにある川俣町の山間の、小さな集落・山木屋地区。この地区では、原発事故の影響で休止していた冬の名物「田んぼのスケートリンク」が去年復活。この冬も一般開放されています。
稲刈りを終えた田んぼと、川の澄んだ水、氷点下を下回る冬の厳しい寒さで作る天然のスケートリンク。大内さんはその復活に力を尽くし、昭和59年からずっと守り続けてきました。そして、ずっとこの土地とともに生きてきました。
◆ここでしかできない暮らし
今まで葉たばことか牧畜とか、日中と夜間の温度差を利用した花とかそういう農業主体です。私はここでしかできない、ここだからできる暮らしがしたいんです。そういうつもりで、本当だったら震災の年の4月から自然塾を立ち上げる予定だったんです。塾の名前は「自然塾 山木屋村」。それをやるつもりでおりました。そういうことができる山木屋なんです。
「自然塾」ができるほど、豊かな自然のある地域なんですね。そして、今年3月をもって、山木屋地区は避難指示が解除されます。大内さんは、準備宿泊を延長しながら、山木屋のご自宅で生活。この春以降も、この土地のために、この土地で暮らしていくと話します。
◆新しい山木屋を作る
農地と住宅周辺の除染は全て終わりました。里山の除染ということで新年度から始まるようですけど、山木屋の小学校に自然観察園が1002ヘクタールほどのものがあって、そこをモデル除染ということで新年度から始まります。ただし子どもを持つ家庭はほとんど100%いまのところは戻れません。我々のように高齢者で山木屋に戻る人、あとは山木屋を必要とする人。山木屋のトルコキキョウは日本一と言われています。気候風土がもたらすものなんです。あとは山木屋の良さを認めて戻ってくる人。それでも1300人が避難して、100人戻ってくるでしょうか。そんなもんだと思いますよ。あとは逆にですね、何人いて何人戻るかっていうのは問題じゃないんですよ。本当にここに住む人間がこの地区を必要として、この地区を大切にして生きるような地域であればいいんじゃないですか。昔も享保の大飢饉などで離れざるを得なかった人がいるんですから。これから新しい山木屋を作ればいいんです。良さを見つけて必要とする人間がいる限り、山木屋は何年かかるか分かりませんけど、必ずできると思っています。私は今現在68才になっていますからエネルギーはそこまでありませんけど、少しでもここの地区のためになればとやっていくつもりであります。
福島第一原発から40キロにある川俣町の山間の、小さな集落・山木屋地区。この地区では、原発事故の影響で休止していた冬の名物「田んぼのスケートリンク」が去年復活。この冬も一般開放されています。
稲刈りを終えた田んぼと、川の澄んだ水、氷点下を下回る冬の厳しい寒さで作る天然のスケートリンク。大内さんはその復活に力を尽くし、昭和59年からずっと守り続けてきました。そして、ずっとこの土地とともに生きてきました。
◆ここでしかできない暮らし
今まで葉たばことか牧畜とか、日中と夜間の温度差を利用した花とかそういう農業主体です。私はここでしかできない、ここだからできる暮らしがしたいんです。そういうつもりで、本当だったら震災の年の4月から自然塾を立ち上げる予定だったんです。塾の名前は「自然塾 山木屋村」。それをやるつもりでおりました。そういうことができる山木屋なんです。
「自然塾」ができるほど、豊かな自然のある地域なんですね。そして、今年3月をもって、山木屋地区は避難指示が解除されます。大内さんは、準備宿泊を延長しながら、山木屋のご自宅で生活。この春以降も、この土地のために、この土地で暮らしていくと話します。
◆新しい山木屋を作る
農地と住宅周辺の除染は全て終わりました。里山の除染ということで新年度から始まるようですけど、山木屋の小学校に自然観察園が1002ヘクタールほどのものがあって、そこをモデル除染ということで新年度から始まります。ただし子どもを持つ家庭はほとんど100%いまのところは戻れません。我々のように高齢者で山木屋に戻る人、あとは山木屋を必要とする人。山木屋のトルコキキョウは日本一と言われています。気候風土がもたらすものなんです。あとは山木屋の良さを認めて戻ってくる人。それでも1300人が避難して、100人戻ってくるでしょうか。そんなもんだと思いますよ。あとは逆にですね、何人いて何人戻るかっていうのは問題じゃないんですよ。本当にここに住む人間がこの地区を必要として、この地区を大切にして生きるような地域であればいいんじゃないですか。昔も享保の大飢饉などで離れざるを得なかった人がいるんですから。これから新しい山木屋を作ればいいんです。良さを見つけて必要とする人間がいる限り、山木屋は何年かかるか分かりませんけど、必ずできると思っています。私は今現在68才になっていますからエネルギーはそこまでありませんけど、少しでもここの地区のためになればとやっていくつもりであります。