2016年5月31日

5月31日 熊本 内牧温泉の被害2


地震のあと、数件の宿で温泉の湧出が止まってしまった阿蘇市内にある内牧温泉。いまも一部の旅館が休業を余儀なくされています。そのうちの一軒、与謝野鉄幹・晶子夫妻が贔屓にしていたという老舗旅館、「蘇山郷」の三代目館主、永田祐介さんにお話を伺いました。

温泉は、新たに源泉を掘る作業に取り掛かる予定ですが、梁が落ちたり階段にひずみが発生してたり、壁の崩落、屋根の破損があって雨漏りが止まらなかったり、建物にもかなりの傷みがあるようです。「閉館」を考えたことはなかったんでしょうか?

◆支援してくれるお客さんからの声に応えて
正直ゼロではないと思います、ただたくさん仲間もいますし、中には東日本大震災、新潟、長野の地震を経験したメンバーもいます。その辺からいろんなアドバイスを頂いたり、九州中からたくさんの仲間が駆け付けてくれたりとか、今でもそうです、いろんな仲間が来て頂いて阿蘇のために、蘇山郷のために何かできることないか?て言ってくれているんで。でたくさん支援をしてくれるお客様もいて、当日お泊り頂いた方、停電で領収書が出せないのでその時はそのままお帰り頂いたんですが、あとから何組かのお客様が適切な避難誘導のおかげで無事に帰り着けました、必ずまた行くんでその時払えなかったお金を送るので足しにしてくれとか、けっこう何組か送ってきたりとか、そういのもあるので止まっていられないというか、その方のためにも温泉掘らなきゃというのは強く思いましたね。


多くのファンに愛される内牧温泉「蘇山郷」。いったいどんな名湯なのか、聞いてみました。

◆外国のお客さんからも・・
ほんとうに100%かけ流しの天然温泉。硫酸塩泉の部類に入ります。筋肉疲労、肩こり、リウマチとかに効能があります。じつは明日あさってくらいから何も無ければオリンピックのマラソン代表である旭化成の佐々木悟選手も合宿に来てくれるはずだったんです。なのでトップアスリートの方もうちの温泉の効能をよくご理解いただいてずっと来て頂いてるくらいいい温泉だと自負しています。うちは先進的にインバウンドの取り組みをしていたので、去年なんかは4人に1人が外国人のお客様だったんです。だから居酒屋さんなんかもうちが開けてないと外国人がまったく来ないとよく言われるんで、「あんたんとこ早う開けて」って。外国からもたくさんのメッセージ頂くのでぜんぶ返信してるんですけど、もちろん57号の復旧と豊肥本線が復旧しないと、なかなか外国人の方は二次アクセスがないので厳しいんですけど、なんとかそこも取り組みが進んでいけばとは思っています。


現在、新たな源泉の掘削と、建物の修復を急いでいる「蘇山郷」。なんとか7月の再開を目指しているそうです。


そして宿の近くには、熊本の名物、「赤牛(あかうし)」を使った「赤牛丼」の名店「いまきん食堂」も有ります。肉の旨みと甘めのタレが口の中に広がって、腰が抜けるほど美味しかった!「蘇山郷」は7月再開予定ですが、通常通り営業している宿もあります。最高の温泉と最高の「赤牛丼」を味わいに、内牧温泉にお出かけください!!

2016年5月31日

5月30日 熊本 内牧温泉の被害

熊本では地震のあと、温泉の湧出が止まったり池や湧き水が止まったり、地下水脈の異変も各所で起こっています。阿蘇市内にある内牧温泉もその一つ。阿蘇温泉郷の中でも最大規模の温泉地で夏目漱石など文豪に愛された場所としても知られていますが、いまも一部の旅館でお湯が出ない状態が続いています。

与謝野鉄幹・晶子夫妻が贔屓にしていたという老舗旅館、「蘇山郷」の三代目館主、永田祐介さんに伺いました。

◆震災後お湯が出ない
厳密にいうと温泉が枯れたわけではなく、中のケーシングの管がたぶん破損ないし崩落、とにかく塞がってしまったかたちです。なので泉脈じたいが枯れたわけではないと思っています。二度目の地震、本震のあと、夜中の1時半前でしたので寝ていました。当時25名前後のお客様の宿泊がありました。私もすぐ近くに住んでいましたので、家族を起こして車に乗せて、僕はすぐにここに。完全にその時点でライフラインが止まってしまったので、水も出ない、停電もしてる、お客様も軽いパニックになられていてフロントまわりに出てきていらっしゃったので“まず余震が落ち着くまで部屋には戻らないでこちらに居てくださいってお話したんですけど、ぜんぜんおさまらないんですよね。何回も揺れてたんで、“外に避難しましょう”ということで外に避難しなおして、マイクロバスがあったのでマイクロバスでお客様を点呼して、明るくなるのを見計らってお客様はそれぞれお帰りになられました。電気が来たのが確か19日の夕方だったんですが、まずお風呂に行って、温泉をくみ上げようとしたんですけど出てこない。で検査をしようと。3日後か4日後にボーリング屋さんに来てもらって、土中にある管が潰れてたり、砂が詰まってるっていう状態が通常考えられるということで砂を除去する作業をやってもらったんですけど、砂が出てくるどころか50メートルくらいから先に機械が入っていかない。それで話を聞くと、ほか数件もまったく同じような状態ということで、50メートルから60メートル下にある堆積層が動いているんじゃないか?というところが今の状態です。


“源泉かけ流しの名湯”「蘇山郷」、温泉が止まってとうぜん休業を余儀なくされます。宿泊客が来なければ町の商店などにも影響が出る・・・少しでも早く宿を再開するため永田さんは“新しく源泉を掘る”ことを決めました。

◆新しく掘ることを決意
新しく掘った方が時間もかからないし費用もかからないんじゃないか?ってことでしたね。そこに特別な状況が発生してなければ、同じくらい、150メートルから200メートル掘れば出てくるんじゃないかというボーリング屋さんの見立てでした。なので新しく掘るためにはどうしなきゃいけないか、もちろん資金調達もしなければいけないし、少しでも公的な資金が使えればいいし、国とか県の制度、東日本大震災の時に政府が出した補助金なども調べて、そして新しく掘るとなると通常はいろんな許可が必要になる。そういうのに対しての準備や事情が事情なので掘削要件を緩和してもらえるように県と話したり、そういうことをここ2〜3週やってました。共同で掘って分湯という話もあるんですけど、入湯税で掘る分は補てんはしてくれる、でも掘れても一本か二本、配管は手出しになる。であれば、掘って150メートルくらいの話しであれば自分のところに掘った方が逆に早いと僕は考えたんですけどね。


明日も、「蘇山郷」、永田祐介さんのお話しを、お届けします。

2016年5月27日

5月27日 熊本レポート 阿蘇白川駅カフェ「75th st.」

今朝も被災地・熊本からのレポートです。
熊本地震の影響で全線運休しているローカル線「南阿蘇鉄道」は南阿蘇村と高森町を結ぶ、18キロ弱のローカル線です。今回の地震で、土砂崩れによる線路の寸断、トンネルの亀裂や線路のゆがみなどが各所で発生、復旧のめどは立っていません。

90年近い歴史を持ち、住民の足としてはもちろん、阿蘇のカルデラを望む美しい車窓の風景、トロッコ列車の運行など観光列車としても人気が高かった「南阿蘇鉄道」。その中の10ある駅のうちの一つ、南阿蘇村の「阿蘇白川駅」は水色の木造建て、とんがり屋根の可愛らしい駅舎です。そんな駅舎に入っているのが「75th st.(セブンティ・フィフス・ストリート)」というカフェです。店主のキザキ真理子さんが、駅員さんに代って駅舎の管理も行ってきました。キザキさんは、震度6の本震のわずか5日後、“地元の方にホッとした時間を過ごしてもらいたい”と店を再開。美味しいコーヒーと、南阿蘇の食材を使ったお料理を提供しています。

緑豊かな季節を迎えて、ふだんであればこの「阿蘇白川駅」にはどんなにぎわいがあったのでしょうか。

◆田んぼに駅舎が写る風景
そうですね、だいたい観光客なんですけど、鉄道ファンでちょうど今頃の季節なんですけど、駅舎と田んぼ、青空の時に、田んぼに駅舎が写るんですよ。それを写真撮りに来られます。

阿蘇の伏流水だと思うんですが、白川水源、砂地からぶくぶくって小さい泡が出て、昔から変わらず水が湧き出ているんですけど、水源も南阿蘇には十何カ所あるんですけど、そういう水が南阿蘇の田んぼを潤しています。もうほぼ田植えも終わっています。以前と変わらない風景があります。日々と変わらない風景はすごく安心します。ここの景色を見てると何ともなかった感じですけど、ちょっと先に行くと、家が壊れてたり。そういうのを見ると心か痛んだりしますね。


鉄道は止まり、観光で訪れる人も途絶えたままの南阿蘇村。「阿蘇白川駅」を守り、カフェを開いているキザキさんにいまの思いを伺いました。


◆電車が通ってないけど毎日空けて待っています
店はたいしたことなくて助かっていますけど、南阿蘇鉄道も第3セクターでそんなに収入があるわけじゃないんでどうなるか心配ですね。復興するのに50億円はかかると聞いています。
(全線不通の中でも店を再開したのは?)お客さんは来てくれないかもしれないけど、開けるだけは明けようと思って始めました。疲れたり大変なことが皆さんいっぱいあると思うんで、疲れたときに来て頂きたいと思って。でランチも半額でコーヒーも安く飲んで頂いています。「ここに来るとホッとするね」と言って下さる方が居ますので、すごくうれしいです。たどり着いてここの窓の外を見られると、「ここは変わってないね」とおっしゃったり、ホッとされるんでしょうかね。電車通ってないけど毎日開けて、管理もしてますので、これから長い時間がかかると思いますけど、ちょっとコーヒーを飲んで頂いて、少しでも気持ち安らげる場所を提供できたらと思っています。
私がいちばん好きな風景は秋。稲が実って黄金色にかわる風景が好きです。それを一緒に見て頂けたらなと思います。


阿蘇白川駅へは、熊本市から県道28号を使って車で行くことが出来ます。近くには「白川水源」などの名所もあり、ペンションなども営業中。にぎわいが戻る日を願って、今日もお店を開けているキザキさんに会いにぜひ、「75th st.」訪ねてほしいです。

また南阿蘇鉄道では、オフィシャルホームページで「復旧義援金」を募っています。

『LOVE & HOPE』、被災地・熊本からのレポート。
来週月曜日は、源泉から温泉の湧出が止まった内牧温泉を訪ねます。

2016年5月27日

5月26日 熊本レポート 西原村農業ボランティア2

今朝も、熊本地震で甚大な被害を受けた地域の一つ、西原村からのレポートをお届けします。

西原村は県内有数のサツマイモ産地ですが、本格的な作付けの時期の直前に地震が起き、片づけに追われる農家の皆さんは、
畑作業に手が回らない状態となっていました。そこで村は、ボランティアに来ていたチームや、地元農協、社会福祉協議会と話し合って農作業を専門にあっせんする「農業復興ボランティアセンター」を立ち上げました。いま村内の畑では、フェイスブックなどでの呼びかけで集まった、全国からの学生ボランティアたちが地元農家の方と一緒に、畑仕事に汗を流しています。

そんなサツマイモ畑の一つ、「シルクスイート」を作っている曽我君代さんの畑にお邪魔して、一緒に汗を流していた3人の学生にお話しを伺いました。

関西の西宮からきた関西学院大4年の花田です。ぼくたちは途上国でボランティアをしていた学生の集まりで、今回も中長期的に今後の熊本に何ができるのかニーズを探りにきた。この作業を実際は広い畑で夫婦二人でやられているということだったが、ぼくら着いてから2時間しかやってないけど明日体やばいな、と思いながらやっていて。この作業が震災で1ヶ月とか止まったと思うんですけど、この遅れを二人で取り戻すのは現実問題難しいかなと。ただ、人数さえいれば僕らでもできることはすごく多くて、2週間、1ヶ月という遅れを人材で取り戻していくというは十分感じました。

関西学院大学3年高田千佳です。西原村の農家・曽我さんのところへいって、サツマイモ・カライモの苗を植える作業をやってました。大きな農地に5人ぐらい派遣されてやるんですけど、正直やったことがないので疲れてしまったり、どういうふうにやったらいいんだろう?とか汗水流して作業したときに、ここを農家さん2人でやってるんだと思うと、日本を支えている農家ってこれなんだなとすごく感じて。この震災があって曽我さんは10日間くらい避難されていたんですけど、「ちょっとやる気失っちゃったんだよね」って言ってて、小さな一言だと思うんですけど、あ、そういう声を一番大切にしなきゃいけないんじゃないかな、と思って。自分たちができることで、若者なので体力は自信があるのでそういったところで力になりたいってさらに思うようになりました。

関西学院大学3年増原早紀です。被災状況もニュースで見るだけだったんですけど実際に行ってみて、1ヶ月は経っているものの山奥に入っていくと山が崩れていたり家屋が崩れているところを目の当たりにして、まだまだニーズはあると感じたし。きのうも足湯ボランティアで体育館でおばあちゃん達と話しても、指揉みしながらおばあちゃんが「震災の時はすごかったんだ。家も崩れて、いつ帰れるかわからない。ご飯も毎日支給されるけど食べたくない。お風呂も1ヶ月入ってないけど入りたくない。」とかいろいろ話してくださって。ただ、うんうんと聞いているだけでいいんだよとNGO協働センターの方も言ってくださって、よかったのかもしれないけど複雑な思いです。2日しかいなかったけど熊本の良さってのもすごく感じてて、自然がきれいだし人もいいし。大変なこともあるけど今復興に向け頑張ろうとしている熊本もどんどん帰ってから後輩たちに伝えて、何回か通って好きになってもらって、一緒に復興に携わっていきたいなと考えています。


3人は1995年、96年の産まれ。阪神淡路大震災を知らない世代です。それぞれが海外留学でボランティア活動をし、戻ってきたばかりの時に起きた熊本地震。3年生の高田知佳さんは「今動かないときっと後悔する」と熊本でのボランティアを決意して、二人に声をかけて、今回の参加に至ったそうです。

被災地・熊本からのレポート。明日は、不通となっている南阿蘇鉄道の「白川駅」で、駅舎と「カフェ」を守り続けている方にお話しを伺います。

2016年5月25日

5月25日 熊本レポート 西原村農業ボランティア1

今朝も、熊本地震で甚大な被害を受けた地域の一つ、西原村からのレポートをお届けします。

全国有数の農業県である熊本県。中でも西原村はサツマイモの産地として知られています。梅雨入りを前に、いま本来ならサツマイモの作付けの時期なんですが、農家の多くは地震のあとの片づけに追われて、畑の作業に手が回らない状態となっていました。

災害時にボランティアセンターでは、原則農作業の手伝いは受け付けていません。ところが西原村では、ボランティアチームや、地元農協、社会福祉協議会と話し合って、農作業を専門にあっせんする「農業復興ボランティアセンター」を立ち上げました。いま西原内の畑では、facebookなどでの呼びかけで集まった、全国からの学生ボランティアたちが農家の方と、畑で汗を流しています。

◆農業という生きがいのお手伝い
この辺の農家は平均が70代80代の方がされてて、震災で生きる希望を無くして避難所に居られたんですけど、やはり人間は目標を失うと極端に弱る。この辺の人の希望というのは、震災を受けたんだけど、作付をいつもの時期にやりたいということだったので、“農家ボランティアも有りじゃない?”っていうことで。実際、いま芋の作付時期なので、そういう作付のお手伝いをして頂いて、例年並みの作業が出来れば安心すると、生きがいを持たれてやっているんです。

お話しは、西原村役場の 堀田直孝さんです。

家の片付けも大事ですけど、こうした“生きがい”につながる農家の支援もたしかに大切。いち早く「農家ボランティア」を立ち上げた西原村、ほかの地域も参考になります。

そんな「農業復興ボランティアセンター」を通じて駆け付けた大学生たちと一緒にサツマイモの作付けをしていた、曽我君代さんの畑を訪ねました。

◆ボランティアさんがいなかったら仕事しなかったと思う
転がして穴あけて棒でまた穴あけて・・・この開いてるのは今日やったんです。そこからこっち。
みんなきついけど頑張ってやってくれるので、暑くてもキツイって言わないし。「おばあちゃん楽しかった!」って言って帰るのが嬉しい。だから「お父さん、今日はいらん。ほかの事しなさいよっ」って(笑)。私も若い人と仕事した方がいいから。だから今度は収穫の喜びを味あわせてやりたいと思うんです。「おばあちゃん、また10月来るよ〜」っていうから。また呼びます。
農業ボランティアのカワイさんっていう人が、「今度大学生が来られますけど、雇われますか?」っていうので、「雇います!」って。自分たちでは雇えないでしょ?だから震災があって避難してる時は、もう今年はカライモ植えるの止めよう農家やめようかって言ってたんです。そうしたらボランティアさんの話があって、これから頑張らないと!って。ボランティアさんが居なかったら仕事しなかったと思います。なので仕事も追いつきました。追いついたですよ。だから10月が楽しみです。収穫が。

◆西原村のシルクスイート
前は「金時」しか植えてなかったんです。「金時」は形がかぼちゃみたい。「シルクスイート」にしたら芋がキレイで、形も良くて味もいい。焼き芋にしたら冷めても美味しい。これが人気なんです。「シルクスイート」!
(どうやって食べたら美味しい?)焼き芋です。のどに詰まらないんです。「金時」は栗みたいでのどに詰まるけど、これは冷めても甘くて美味しいしトロッとしてる。ギフトか大阪ですね行くのは。地元には行かないですね。やっぱりなんとか作らないといけないし、植えたら出荷しないといけないし、出荷が楽しみです。


明日はそんな曽我さんの畑で作業をされていた、学生ボランティアたちの声をお届けします。
●西原村農業復興ボランティアセンター facebook

2016年5月24日

5月24日 熊本レポート 西原村の被災状況

今朝は、熊本地震で甚大な被害を受けた地域の一つ、西原村からのレポートをお届けします。

震度7の激しい揺れで家屋の多くが倒壊した西原村。今なお住民の1割に近い600人以上が避難所で生活をしています。そんな避難所の一つ、河原小学校避難所はいち早く避難住民みずからが運営に参加する“自治運営”の方法を取り入れ、ピーク時には800名を超える住民が協力しあいながら避難生活を送っていました。5月11日に学校は再開しましたが、いまも100名以上の方が体育館で避難生活を続けています。

この避難所の運営する西原村役場 堀田直孝さんに、地震からひと月以上。西原村の被害状況、避難所の状況について伺いました。

◆役場の職員は限界です。
断層の上は倒壊、集落ごとの倒壊がかなり。だいたい65%くらいが被災されていると思います。いま家は建っていても、地滑りというか、今も徐々に動いているんです。土地が。そういう人が避難して来られているのが現状です。
畑は甘藷、サツマイモの産地なんですけど、畑には亀裂が入っていて植え付けの最盛期なんですけど、どうなるか分からないですね。田んぼは水路の崩壊で田んぼが出来ない。この辺の農家は平均が70代80代の方がされてて、震災で生きる希望を無くして、避難所に居られたんですけど、やはり人間は目標を失うと極端に弱る。この辺の人の希望というのは、震災を受けたんだけど、作付をいつもの時期にやりたいということだったので、“農家ボランティアも有りじゃない?”っていうことで、実際いま芋の作付時期なので、そういう作付のお手伝いをして頂いて、例年並みの作業が出来れば安心すると、生きがいを持たれてやっています。
あと健康面は、徐々に体力皆さん弱られて、血栓とかけっこう病院に搬送される方は出てます。(職員もきついのでは?)正直言うとみんな限界です。休みもないし。今日も罹災証明の受付とか土日関係なくやっているんで、激ヤセはしましたね。ひと月で5キロ痩せて、エコノミーですかね、足のむくみとか激しくなって、そろそろ病院受診かなと思ってます。病院が予約取れないんですよ。


真摯に被災住民と向き合い、身をすり減らしながら復興のための努力を続けている堀田さんと村の職員の皆さん。すべては村を愛する気持ちがあるからこそだと思いますが、そんな西原村の魅力は“iターン”でやってくる若い方が多いということにも表れています。

◆Iターン移住者が多い村
ここは熊本でも、まあ日本もですけど、村で人口が伸びているというのはここだけじゃないかなと思うんです。高齢化率も徐々には高くなってはいますけど、熊本市の近郊に近いという利便性と、この自然環境の中で子供を育てたいという若い世代の方もいっぱいおられて、よそからの移住者が、自営、IT関係、いろいろいます。かなり住宅も建設されたところでの震災ということで、やはり自然の驚異にショックを受けられていますね。この辺に来られた方は。


まだ壊れた家屋もそのままの西原村ですが、名産のサツマイモ畑などではボランティアの学生たちと地元農家の方たちが力を合わせて作付けをしています。明日はそんな西原村の畑を訪ねます。

2016年5月23日

5月23日 熊本レポート 益城町のテント村閉鎖へ

今朝は、いまなお余震が続く、熊本からのレポートです。


震度7の地震に2度も見舞われた益城町。今も町のいたるところに崩れたままの家屋やブルーシートで屋根を覆った建てものが点在していますが、先週ようやく罹災証明書の発行、そして仮設住宅の受付も始まり、復興へ向けて本格的に動き出しています。

そんな中、町は登山家の野口健さんが中心となって開設した総合運動公園のグラウンドの「テント村」を今月いっぱいで閉鎖し、町内6カ所に避難住民を移転させる方針を発表しました。“プライバシーが保たれる”と好評だった「テント村」、130張りあまりに約500人の方が避難生活をしていましたが、閉鎖を決めた事情について、益城町政策推進課の田中さんに伺いました。

◆梅雨入りを前にテント村を閉鎖
これから、来週くらいから梅雨入りしますので、総合体育館のテント村の横に河川が走っているんですね。その河川の横に堤防があったんですけど、震災の影響で堤防自体が1m、2mくらい下がってしまってて、でこれから梅雨入りして大雨が降ったときに河川が氾濫して浸水してしまうというのと、あといますごく日射が強くなってきてて、中で過ごされている方たちの健康状態に良くないというのを駐在されてる保健師さんから忠告を受けて、撤去の方針になりました。


暑さはもちろん、浸水の危険があるなら閉鎖は当然でしょう。
しかし、テント村の中にはペットと一緒に避難生活ができるエリアもあり、頭を悩ませています。そこで出会った2家族に話を伺いました。

◆ペットと一緒で行き先が決まってないから動けない
家族で6人+猫1匹でこのテントに暮らしています。動物がいるから住むところも普通のところじゃ入れないんですよ。ペットを飼えるところじゃないと。ここを出ないといけないらしいですけど、行き先が決まってないからみんな、撤去もできないと思います。動けないから。住む場所もないから。
(現状この生活で辛いことは?)夜は寒いし、電気も充電するぐらいしかできないかたテレビも見れないし。(テントの中の灯りは?)懐中電灯やランタンみたいなのでみんな暮らしています。雨も若干上から入るので、ブルーシートかなんか被せるしかないかなと。仮設に入れれば少しは落ち着くが、今日見に行ったら益城はまだ全然更地で何も建ってないから、8月くらいになるんじゃないですか、、、

◆半壊だと仮設住宅の申し込みができない
じゃあ私たち住むところはどうするんですか?って言いました。だって私たち「半壊」なんです。「半壊」だと仮設住宅申し込みダメなんです。だから住むところが無いから、ここに居らしてもらおうかなと思っていますけど。現在私たち6人なんです。でも主人は体育館に居るんです。だからバラバラ。6人はちょっと無理なんです。(ワンちゃんも?)13歳です。物資はもの凄く恵まれています。何も欲しいものは有りません。本当に動物と離れたくないもので、何とかここに居らしてもらおうかなと考えています。


今朝は熊本からのレポート。益城町総合運動公園グラウンドの「テント村」で、ペットと避難生活を送っている方の声をお届けしました。

◇益城町政策推進課の田中さんによると、総合運動公園のアリーナを新たに避難所として開放、アリーナ入り口にはペット用のゲージを設置して、ペットと一緒に避難している方にも対応するということなんですが、高齢だったり、ストレスで弱っているペットと離れて暮らすことに抵抗のある方も少なくないようです。

◇益城では早ければ6月から仮設住宅への入居がスタートする予定ということですが、
お話しを聴きました方のように、「半壊」認定の場合は仮設住宅にも入れず、家の修復か再建が終わるまでは避難所を頼るか、自力で部屋を借りたりするしかありません。

『LOVE&HOPE』、明日も熊本からのレポートをお届けします。

2016年5月20日

5月20日 サン・ファン祭り

今朝は明日あさって、宮城県石巻市の「サン・ファン館」で行なわれる「サン・ファン祭り」についてお伝えします。

宮城県石巻市の「慶長使節船ミュージアム(サン・ファン館)」は、江戸時代、慶長使節団を乗せて石巻の月浦を旅立ち、鎖国時代にもかかわらず2度もヨーロッパに渡った船、「サン・ファン・バウティスタ号」の復元船を係留・展示している博物館です。

2011年、東日本大震災の津波とその後の強風の影響で、マストが折れるなど大きな被害を受け休館していましたが、〔慶長使節出帆400周年〕の2013年秋に再開館。

今も昔も地域に勇気を与え続ける「サン・ファン・バウティスタ号」で行われる「サン・ファン祭り」。いったいどんなお祭りなのか?「慶長使節船ミュージアム(サン・ファン館)」企画広報課の吉本裕香里さんに伺いました。

◆サン・ファン館では、国内最大級のガレオン船「サン・ファン・バウティスタ復元船」を係留展示しており、その進水日が平成5年5月22日となっております。この日を復元船の誕生日として位置付けて、そのお祝いをすることと、地域活性化の一助とするのを目的として開催しているのがサン・ファン祭りです。地元団体や市民の皆さんが作る、石巻市の春の最大のイベントとして親しんでいただいております。今年はサン・ファン館の開館20周年、ならびに石巻市サン・ファンパークの開園20周年にあたります。震災で大きな被害を受けながらも、この記念すべき節目の年を迎え、祭りが開催出来るのも、皆様の温かい想いとご支援のおかげです。色々と企画がありますので、楽しみ方はいろいろございますね。21日土曜日の前夜祭は、石巻のお祭りを盛り上げたい、と手を挙げてくださった皆様による楽器演奏やダンスなどのパフォーマンスがご覧いただけます。22日の日曜日は、広場でのメインステージ、館内のフォトクイズラリーイベント、石巻漁港でのヨット体験クルーズ、とあちこちでイベントが行われるので、出来れば全部、堪能して頂きたいですね!出店の方も、石巻の新鮮な魚介類を使ったイタリアンなど魅力的なお店がたくさん!広場や芝生エリアを余すことなく歩き回ってたくさんのものを味わって頂きたいです。

そんな「サン・ファン・バウティスタ号」ですが、船内を見学して、当時の航海の様子を知ることが出来るのも魅力の一つでした。これがいま「中止」となってしまっているんですが、その理由とは?

◆サン・ファン・バウティスタ復元船が、造船から23年の歳月と東日本大震災の大津波の影響で、船体の強度が低下し、改修しなければ3〜5年程度で維持が困難になるという報告が所有者である宮城県から発表されました。このような状況から、今後の復元船の維持管理の方針が決まるまで、乗船とドック棟への立ち入りを中止とさせて頂いております。しかし、サン・ファン館展望棟や常設展示室・ショップやシアター、石巻市サン・ファン・バウティスタパークにおける営業は、今後も充実、活性化を図りながら行って参りますので、なお一層のご利用を合わせてお願いいたします。是非21日と22日はサン・ファン館で歴史を学び、ステージでは音楽を楽しんだり、地域の伝統芸能に触れて、出店では美味しいものを食べてと、お祭りを余すことなく楽しみながら復元船の誕生日をお祝いして頂きたいです。

宮城県石巻市の「慶長使節船ミュージアム(サン・ファン館)」で明日あさっての2日間行なわれる、「サン・ファン祭り」。21日が「前夜祭」で夜8時まで開館。幻想的なライトアップが楽しめます。22日は入館料(350円)が無料に。

ぜひ明日あさって行われる「サン・ファン祭り」、足を運んでください。

2016年5月19日

5月19日 熊本地震「法律」による支援(4) 県外避難・転居

熊本地震で被災された方への、法律による支援・サポートの情報お伝えしています。

日本弁護士連合会 災害復興支援委員会・委員長で弁護士の中野明安さん。


今日は、この熊本地震で相当数に上ると考えられている「県外避難」に関して、伺いました。

◆県外避難と県外転居
県外避難をするということになったり、県内でも熊本市外に避難されることについて、無料で公営住宅を提供する自治体がたくさんある。全国でほとんどの自治体が提供すると声をかけて頂いている。その場合によくある相談が、「もし県外に出てしまうと支援策、義援金、再建支援金などををもらえなくなってしまうんですか」という相談があるが、そのようなことは全くありません。住所の問題としてどこに所在があるのかをきちっと市の方に分かるようにして手続きを取れば、災害救助法が適用される修繕や義援金の支払い・配分もあるので、心配せずに適切に避難して頂きたいと思う。結局避難を継続するとか、避難はやめて新しい生活を別のところで行うという判断はある時期にしなければいけないと思う。今回の熊本地震の大きな特徴は、余震が非常に多く続いていていつ収まるか分からないという状況。本当に観なさん落ち着かないと思う。その中で避難を継続するということを判断されるのも一つの選択肢だし、熊本は残念ながら住めないと転居される方もいると思う。熊本から市外に転居して生活は新しい別のところに本居を求めるのであれば、災害との関係でいうと、その災害のための支援策は得られない可能性が高い。ただ日弁連は、それぞれの判断がそれぞれ尊重されるべきだと考えているので、県内で避難をしてそこで再建する方、県外で新しい生活をしたいと考える人も、きちっとした生活ができる制度を準備すべきだと思っている。新しい生活をしようと思って苦労されることがあればそれも我々は受け取って、必要な制度ができるように準備をしていきたいと思っている。



高橋 生活再建へ向け、法律のサポートは、必ず必要になります。
最後に中野弁護士から一言頂きました。

●0519弁護士に相談を
被災されて避難されている方、ご自宅に戻ってご準備や片づけをしたり、新しい生活へ向けて動き出そうと思っている人がいらっしゃると思う。その中でいま法律は、みなさんが生活再建をするために必要なメニューも色々用意している。それをみなさんは知らないかもしれない。実は行政も知らないこともある。そういうものについてぜひ弁護士に相談してみて下さい。こういう状況なんだけど何か支援策があるのかということを相談して頂きたい。いま熊本県弁護士会では出張して避難所相談を行い、電話相談もやっている。いずれも無料で弁護士が窓口でお話を聞いてアドバイスをするということをやっている。ぜひ利用して生活再建に前向きなものとして受け取って頂ければと思う。


今朝は、熊本地震で被災された方への、法律のサポートの情報から「県外避難、県外転居」に関するものをお伝えしました。

〇熊本県弁護士会において、全国の弁護士の支援を受けて、電話による無料の相談・情報提供を行っています。
電話番号:0120-587-858(フリーダイヤル)
開設時間:10時00分〜16時00分(無休)
料金:無料
(土日については6月末までの実施を予定)

〇また、大分県弁護士会でも無料法律電話相談を行っています。
電話番号:0120-225-506
相談時間:平日10時〜14時(土日祝日除く)
相談期間:平成28年5月16日(月)〜平成28年6月15日(水)
料金:無料

◯法テラスサポートダイヤル 
0120-078309 (おなやみレスキュー)
解説時間 平日9:00〜21:00 土曜9:00〜17:00
料金:無料
法テラス情報サイト

2016年5月18日

5月18日 熊本地震「法律」による支援(3) 二重ローン対策

熊本地震で被災された方への、法律による支援・サポートの情報お伝えしています。

きょうは東日本大震災でも大きな問題になった「二重ローン」に関する法律の支援について日本弁護士連合会 災害復興支援委員会・委員長で弁護士の中野明安さんに伺いました。


◆4月に始まった新制度「被災ローン減免制度」を活用して
東日本大震災の時は、新築で建てたばかりでローンがたくさん残っているのに家が無くなってしまい、また新たに家を建てなきゃいけないのに借金が残っているという不合理さがあった。そこを解決する制度をその時から検討して準備を始め、始まったのが2011年8月以降。遅かった。そこで2015年から、災害が発生した時にそのような問題をただちに解決する方法を考えており、今年4月1日から始まった制度が「自然災害による被災者の債務整理に関するガイドライン」。これが適用されるようになった。これは震災によってこれまでの債務(住宅ローン、個人事業主が事業者として借りているローン)の返済が非常に難しくなった、返しきれないと思った場合にその方が金融機関に申し入れをすると、登録支援専門家が債務者と金融機関のあいだの和解案を作り、一定の債権を免除する、債務を免除するという制度。もちろん条件がある。返済能力などを考えてどのくらいの借金が免除されるかは変わってくる。そこは登録支援専門家がお話を聞いて一定の条項案をまとめる。返しきれなかった場合、今までだと「破産」という手続きになってしまい、手元の現金・資産をほとんど吐き出すのが原則だった。全部金融機関に渡して残ったものは破産手続きで免責されるというもの。ただ今回の減免制度はもっと緩やかなもの。今ある預貯金の500万円が残せるし、義援金はきちっと手元に置いておいてよい。その上で話し合いをして、壊れた家は修理して使えるなら残しましょう、ということを進めていく。破産よりも非常に生活再建にはメリットがある制度。熊本の皆さんでためらわずに活用して頂きたいと思う。その時、正式な手続きはその本人が金融機関に申し立てをするのだが、その前にぜひ弁護士会、弁護士に相談してほしい。自分が適用されるか、具体的な返済状況を弁護士と相談して、金融機関と話し合って制度を使うメリットがあるかどうかは相談内容で分かってくる。ぜひ相談に来てほしいと思う。


いま中野弁護士がお話してくれた二重ローン対策は、「被災ローン 減免制度」という呼び名が使われています。

〇熊本県弁護士会において、全国の弁護士の支援を受けて、電話による無料の相談・情報提供を行っています。
電話番号:0120-587-858(フリーダイヤル)
開設時間:10時00分〜16時00分(無休)
料金:無料
(土日については6月末までの実施を予定)

〇また、大分県弁護士会でも無料法律電話相談を行っています。
電話番号:0120-225-506
相談時間:平日10時〜14時(土日祝日除く)
相談期間:平成28年5月16日(月)〜平成28年6月15日(水)
料金:無料

◯法テラスサポートダイヤル 
0120-078309 (おなやみレスキュー)
解説時間 平日9:00〜21:00 土曜9:00〜17:00
料金:無料
法テラス情報サイト

2016年5月17日

5月17日 熊本地震「法律」による支援(2) 近隣トラブル

今週は熊本地震で被災された方への、法律による支援・サポートの情報お伝えしています。

お話を伺ったのは、にほん弁護士連合会 災害復興支援委員会・委員長で、弁護士の中野明安さん。

熊本地震の被災者の方を対象とした法律に関する電話相談も担当しています。中野弁護士は特に、近隣のトラブルに関する相談が大変多いと話します。

◆隣のお家とのトラブルを解決するには
今回の熊本地震では、相隣関係、相隣問題という隣近所とのトラブルが多い。具体的な相談内容としては、「隣の家の瓦が落ちてきて、自分の家の壁を壊してしまった」「大事な植木鉢を割ってしまった」「ブロック塀が倒れ掛かってきて、屋根を壊した、クルマに傷がついてしまった」というものについて、隣人の賠償世紀うすることは可能かという問題が非常に多い。良く言われるのが、震度5弱の地震でこういう状況になった場合はきちっとした管理ができていなかったんじゃないかと言われることがあるが、裁判例でいうと震度5を超えるものについては想定しがたいものであるので過失はない、責任は追及できない、損害賠償は請求できないという判決になる場合が多い。今回の場合がより複雑なのが、どの地震、何回目の地震でそのようなことが起こったのかということについて、みなさんはっきりは分からない。そういう中で不可抗力・過失無しという判断になるのか、それとも管理に手落ちがあったということになるか、判断は別れてくる。我々弁護士が相談を受けた場合は、事実としてそれまでどういう状況だったのか、具体的にいつの時点で損害が発生したのか、、より細かくお調べいただきたい。我々弁護士の間では「被災者ノートを作ろう」といっている。自分たちが地震後にどんな生活をしていて何を不自由に思い、何が財産として失われたか、壊してしまったかを記録しておきましょうということ。メモではなく写真も撮ってもらいたい。みなさん今後は罹災証明書、被災証明書の申請をされると思うが、その時にはどういう被害状況なのかを分かりやすく説明できるために写真を取っておいてもらいたい。被災した状況が分かりやすく説明できるような写真をぜひ今の家の撮影しておいていただきたいと思う。


ただ、ご近所同士で損害賠償や裁判というのはあまり、気が進むものではありません。これについて伺いました。

◆話し合うで解決するためにも弁護士へ相談を
相隣関係について、裁判はやはり適切ではないと考えている。責任があるかないか、ゼロか百かで決めるような問題ではないと思う。そのためにはどういうものがあるかというと「調停」という制度がある。お話し合いをする機会を裁判所が持つ。ADRといって弁護士会その他の団体が裁判外で話し合いをする制度がある。そういうものをつかって話し合いで解決するというのはどうですか、というのを提案したいと思っている。なぜならばそれは近隣だから。隣同士で納得をして解決するということをしないと今後の生活が大変になってしまう。ぜひそうした方が良いと思う。それは裁判、賠償請求を受けた側もする側も非常に大事なことだと思う。


中野弁護士によれば、熊本地震に関する相談ではこの「話し合いで解決する」「調停」がふさわしいケースが多いそう。調停に関する手続き費用の免除といったことも検討されているようです。詳しくは、まずとにかく弁護士の方に相談することが大切だということです。

〇熊本県弁護士会において、全国の弁護士の支援を受けて、電話による無料の相談・情報提供を行っています。
電話番号:0120-587-858(フリーダイヤル)
開設時間:10時00分〜16時00分(無休)
料金:無料
(土日については6月末までの実施を予定)

◯法テラスサポートダイヤル 
0120-078309 (おなやみレスキュー)
解説時間 平日9:00〜21:00 土曜9:00〜17:00
料金:無料
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〇また、大分県弁護士会でも無料法律電話相談を行っています。
電話番号:0120-225-506
相談時間:平日10時〜14時(土日祝日除く)
相談期間:平成28年5月16日(月)〜平成28年6月15日(水)
料金:無料

明日も法律による被災者サポートの情報、お伝えします。

2016年5月16日

5月16日 熊本地震「法律」による支援(1) り災証明

熊本地震から1ヶ月。今も1万人以上の避難者の方が不安な日々を過ごしています。この不安の解消、そして生活再建へ向けてまだまだ様々な支援が必要です。

今週は、「法律」による支援、サポートの情報です。
お話を伺ったのは、にほん弁護士連合会 災害復興支援委員会・委員長で、弁護士の中野明安さん。


熊本地震の被災者の方を対象とした法律に関する電話相談も担当しています。まずは、現在どんな相談が多いのか伺いました。

◆罹(り)災証明書は持家、賃貸に関わらずもらう必要があります
よく相談であるのは、罹災証明書の交付手続きについて。知っている方は罹災証明書はもらうのが当然だと思っているかもしれないが、こういう相談が多い。「罹災証明書は貰う必要があるんですか?」・・・貰う必要があります。今後の色々な支援を受けるための第一歩の証明書ですから、申し込みをして下さい。自分の住んでいる家が壊れたということの証明書が「罹災証明書」。借家人でも罹災証明書はもらえるのかという相談もある。これももらえる。借家だからもらえないなんて思う必要は全く無いので、ちゃんと罹災証明書を求めて下さい。そうしないと震災に対する支援が受けられなくなってしまう可能性があるので注意。もう1つよく言われるのは、大した損害ではないんだけど罹災証明書は手続きして良いのか、という質問。大した損害かどうかはその後判断されるので、罹災証明書の交付申請はやって頂きたいと思う。その中で半壊だとか全壊だとか一部損壊といったランクが分かれてくるが、それぞれの支援メニューがあるので、ぜひ受けて頂きたい。


そして、気をつけなければいけないのが、「り災証明書」のほか「被災証明書」という別の制度があることです。

◆被災証明書とは
罹災証明書は建物だけなんです。自分の住んでいる家。その他に、クルマや建物以外が壊れたという場合は「被災証明書」という制度がある。財産が壊れたことをきちっと証明する。今後の保険金などを貰う場合に公的な立場で、壊れたことを証明する制度。同じく市町村で発行する。わかりにくいしなぜそうなの、と疑問に思う人もいると思うが、罹災証明書は被災者生活再建支援法の適応の前提になる。我々日弁連も問題にしているが、建物が壊れたかどうかで被災の程度は判断できないのではないかと言っている。職場がダメに成って仕事ができなくなるのも大きなダメージだが、現時点の制度は建物が壊れたことで被災の程度を決めるということになっている。そのための罹災証明書になっている。ですので罹災証明書と被災証明書は別のものだという説明をして、罹災証明書は今後のメインとなる被災者生活再建支援法の支援金をもらうにあたっての、大事な証明書ということになっている。制度としては改善すべきだと思うが、現時点はそういう制度なのでみなさん忘れずに罹災証明書は取って頂きたい。


中野弁護士によれば、法律による支援メニューがまさに準備されているところなので、まずはとにかく弁護士に相談してほしい、とのこと。現在、熊本県弁護士会が避難所での出張相談を行っているほか、電話による相談も受け付けています。

電話相談窓口、お伝えしておきます。
〇熊本県弁護士会において、全国の弁護士の支援を受けて、電話による無料の相談・情報提供を行っています。
電話番号:0120-587-858(フリーダイヤル)
開設時間:10時00分〜16時00分(無休)
料金:無料
(土日については6月末までの実施を予定)

◯法テラスサポートダイヤル 
0120-078309 (おなやみレスキュー)
解説時間 平日9:00〜21:00 土曜9:00〜17:00
料金:無料
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「LOVE&HOPE」
明日も法律による被災者サポートの情報、お伝えします。

2016年5月13日

5/13 映画『サンマとカタール〜女川つながる人々』

今朝は、宮城県女川町を舞台にしたドキュメンタリー映画「サンマとカタール〜女川つながる人々」をご紹介します。

若い世代が中心となった新しい街づくりが、被災地の希望の象徴として取り上げられ「復興のトップランナー」と呼ばれることもある女川町。2011年3月11日の東日本大震災による津波では、住民の1割近くが犠牲となり、8割以上が家を失っています。そんな女川町の復興のストーリーのはじまりに、じつは中東の国「カタール」の支援が大きな影響を与えていました。

「サンマとカタール〜女川つながる人々」、乾弘明監督にお話しを伺いました。

◆復興の教科書のような映画になればいい
女川はサンマで有名で水揚げは日本有数。サンマの町として水産業をまず何とかしないといけないというのが復興のテーマで、そこで最初に必要になるのが「冷蔵庫」だった。で仲買の方たちが奔走しますが、なかなか国の予算も降りてこない。そこに支援をしたのが、カタールの「カタールフレンド基金」でした。カタール自体もじつは天然ガスが出る前は水産業の国でした。なので水産業を発展させていくのが大事だということに気づいていて、「現在」にお金を出すんじゃなく、永続的にそれを使って産業が発展していくものを、ということで20億円が支援され、それで巨大な冷蔵庫が出来ました。その冷蔵庫「マスカー」が瓦礫の中にポンと建つんですが、それが女川のシンボルとなってそこから復興していく。中心人物となった仲買人の石森さんという方を主人公にしたドキュメントを作ろうとしたんですが、町へ行ってみると更地で、これからいよいよ女川の町づくりが始まるという段階だったので、石森さんと話して、「僕よりもこれから復興に立ち上がっていく若い奴らを撮った方がいいんじゃないか」と。「それを記録してほしい」というのもあって、この映画がスタートしました。若いリーダーたちが中心となった「復幸祭」を映画のメインに取り上げているんですが、震災後から始めたお祭りで、津波の記憶を忘れないため「復幸男」といって低地から高台へ一気に走っていく、スタート合図が「逃げろー」と。お祭りとしてそれを残していこうっていう気概を持って。ただ震災前は若い人たちのネットワークはあまりなかったんだそう。深いつながりは。それが復興祭をやることによって、若い人たちの横のつながりがすごくかたくなって何人もの優れたリーダーが出てきた。で、それぞれがみんな個性があって魅力的で、それが一緒になって街づくりを進めているという、すごい町だなと感じますし、誰と話してもこちらが感動するような言葉がボンボン出てくる。優秀なリーダーが偶然なのか居て、下の世代もそれに触発されるように付いていってる。で、年配のベテランの方は、「俺らは一歩引く。これからの町はお前らの住む町なんだから、めんどくさいことは俺たちがやるから、お前らの好きなようにやれ」っていう気概と、若い人たちを信頼するあの気持ちってすごいと思います。見てて僕らが熱くなるので、暗いイメージが無い作品になってるかと思います。前を向いていくっていう姿勢を逆に被災地から頂く、日本って震災はどこでも起きる、じゃそのあとにどうしていくんだろう、その気構えと震災を受けた後の復興を考えた時に、女川のやり方、あのパワー、前を向いていく姿勢を知っておくといいんじゃないかと。でもしもそれがちょっとした教科書みたくこの映画がなってくれるといいかなと思ってます。


◇「サンマとカタール〜女川つながる人々」
東京では「ヒューマントラストシネマ有楽町」、仙台では「桜井薬局セントラルホール」で公開中。
明日からは「名古屋・名演小劇場」、 5 月 21 日(土)からは「大阪・シネ・リーブル梅田」、岐阜県大垣市の「コロナシネマワールド」と全国各地で順次公開されます。

「サンマとカタール〜女川つながる人々」オフィシャルサイト

2016年5月13日

5月12日 熊本地震 西原村の現状(4)

今週は、熊本地震で甚大な被害を受けた地域の一つ、西原村からのレポートをお届けしています。震度7の激しい揺れで、家屋の多くが倒壊した西原村。今なお総人口の約1割に当たる約650人が避難所で生活をしています。この西原村にいち早く駆け付けて支援活動を行なっているのが阪神・淡路大震災を機に立ち上がり、長年ボランティア活動を続けている「被災地NGO恊働センター」。
お話しを伺ったのは、元代表で現在は顧問の村井雅清さんです。

いまだ避難所やテント、車中で生活をしている方も多い段階ですが、西原村での今とこれからの課題とはどういうものなんでしょうか?

◆遅れている罹災証明の発行 他県に応援を頼むべき
応急危険度判定はやっと終わって、次急がないといけないのは罹災証明の発行です。益城町とか西原村とかは、役場の職員が避難所に付いています。お世話をしたり。そうすると本来業務が出来ないっていう状況が続いていて、罹災証明も順調に出せていない現実があります。これは経験のある自治体にどんどん応援を頼んで、どんどん来てもらったら済むことなんですが、それが理解されていないのか、他県に応援発信というのをあまりしていない気がします。九州圏内はやってるんですけれど。応援を求めても災害救助法で出る範囲なので、呼んだ自治体がお金を払わないといけないものでもないんです。お互い様なのでどんどん呼んだらいいんです。被災者一人一人が再建をするには、すべてこの罹災証明が必要なんです。これを早く出してあげないといけない。
次に、ボランティア的に一番の課題は、GWが終わって夏休みに入るまで、非常に厳しい状況ですね。なので近場の地域から何とかボランティアを入れてくれるようにしないと厳しい。こういうことは経験的にわかっているので、たとえば私たちの関係者が福岡の駅前でボランティアを集めてバスを出す。佐賀の駅前に行ってバスを出す。そういうやり方をどんどん発信すれば手伝ってくれる人たちは出てくるであろうと。これはそれぞれ地元の社協さんなりNPOがやれば済むことなんです。私たちが出しゃばってやることじゃないんですが、気が付くまでは私たちがやるしかないということですね。


そしてボランティアに参加しようと思っている全国の方に、こんなメッセージも頂きました。

◆ボランティアは想像力が求められる
ボランティア参加者はもう少し考えないといけない。例えば北海道から行っても雨だったらできないし、その費用とか考えたらもったいないなあと。それをほかに回したら違うのになあと思わなくはないですね。もちろん北海道であろうと海外であろうと、何か力になりたいという気持ちは、もちろん受け止めないといけないし、積極的に行って頂いたらいいです。ただ、いまの状況というのはまだまだ落ち着いていない状況だから、どういうことが想定されるかということは調べていけば分かるので、それに対するリスクは自分で責任を取らないといけない。まず自己完結、自己責任。最初から想像して分かる人は単独で行ってもいい活動をして帰られる。そして単独でもいいんですが、経験のある団体に問い合わせて、そこに入らせてもらうという知恵も必要だと思います。そういう意味で活動拠点への支援金もお金に替えられない効果があるというか、役に立つことも多々これから出てきますよね。


村井さんの言うようにGWが終わって、これから夏休みまで、ボランティアの数が減る傾向すでに出てきています。近い地域の方はぜひ積極的に参加を考えて、遠い地域の方は、義援金やボランティア団体への支援金で協力することも大きな力になります。

◇熊本地震による被災地の様子、ボランティア活動の状況は「被災地NGO恊働センター」のブログで確認できます。

2016年5月13日

5月11日 熊本地震 西原村の現状(3)

熊本地震で甚大な被害を受けた地域の一つ、西原村からのレポートをお届けします。

震度7の激しい揺れで家屋の多くが倒壊した西原村。この西原村にいち早く駆け付けて支援活動を行なっているのが、阪神・淡路大震災を機に立ち上がり長年ボランティア活動を続けている「被災地NGO恊働センター」。お話しを伺ったのは、元代表顧問の村井雅清さんです。

先週のゴールデンウィークには、全国から多くのボランティアが駆け付けた熊本。しかし各市町村によって受け入れ態勢が違っていたり、集まるボランティアの数に偏りが生じて力を発揮できなかった人も少なくなかったといいます。こうしたボランティアの受け入れを限定せざるを得ない現地の事情とは、どういうことなんでしょうか?

◆ボランティアの受け入れ限定
ボランティアの受け入れを限定しないといけないというのは、まだまだ余震が続いて、二次災害、土砂災害、さらなる倒壊があるとなると、制限なしにボランティア来てください、という訳にはいかない。幾らでもニーズはあるんですけど、そのニーズをきちっと整理をして、ボランティアとマッチングさせる能力が不十分というふうに思います。ボランティアの数に格差もずいぶん出てきてしまって、益城町はすごく注目されたから、殺到して早々と限定していたので、実際には300人前後しか行っていない、西原村は被災者数少ないにもかかわらずボランティアは多いですね。西原村は「12時に受け付け終わりますよ」という条件は有りますが、対象は全国です。どこから来てくれてもいいですよ、と。熊本市のボランティアセンターも「九州在住」と広げていますが、あとは「県内」と限られています。甲佐町(こうさちょう)というところは最初二十数人しか来なかったので、「県外」に広げて、次また「九州在住」に広げないと、ボランティアが集まらない、こういう所もあります。


余震が続いて、土砂災害のリスクもある中、活動が制限される。そして、メディアに取り上げられるところは人が集まるけれど、そうじゃない地域にはなかなか人が集まらない。情報の集約と発信がまだまだうまくいっていない状況があるようです。
そうした情報の精査が難しいなか、ボランティアに参加する方法のひとつとして、活動に慣れた団体を通じて参加する、というお話しも有りましたが、その一つでもある村井さんの「被災地NGO恊働センター」の活動スタイルについても伺ってみました。

◆ひとりひとりの被災者の声を聴く
私たちのチームのスタッフは、被災地の片づけをしている時に、ひとりひとりの被災者の声を聞いてくるんですが、それがとても重要で、ひとりひとりの被災者が言っておられることを出来るだけ受け止めて、何が出来るか?ということを返す、ということが必要なんです。私たちの今のやり方は、現場の近くに「サテライト」を置いてニーズに対して対応する、というやり方をしているので、被災者により近いところでニーズを受け止めて、必要なところで必要な人数を送り、必要なことをやり遂げる、こういう方針でやっています。今までは「本部」のボランティアセンターが一つあって、そこにニーズが上がってきてニーズを整理して人も派遣するというやり方をしていた。今回の本部というのは、それぞれの「サテライト」で上がってくる課題を、さらに本部のコアメンバーが、この問題についてはどういう解決方法があるだろうかということを「考える」メンバーがそこにいるわけです。例えば西原村は、いまカライモ(サツマイモ)の苗植えの時期なんですね。サテライトは、農家さんに行ったら農家さんが「カライモの苗植えが大変だから手伝ってよ」と言われたと。しかしそれってやっていいのか判断がいるから、そういうのは本部に相談しようと。それじゃ「ボランティアが余ってきたらそっちへ行ってもらったらいいよね」ということで、役場の農政課と交渉して、農協さんにも間に入ってもらって、交渉するのが「本部」の役割。いちばん大事なのは、被災者に寄り添って被災者の言葉に対応するボランティア活動をもっていくというのが理想ですね。


現地でボランティア活動を続ける「被災地NGO恊働センター」村井雅清さんによると、西原村の中に「本部」と「サテライト」を、3カ所設置。被災地者の身近なところで「声」を聞いて、迅速な対応を心がけているということです。

2016年5月10日

5月10日 熊本地震 西原村の現状(2)

今朝も、熊本地震で甚大な被害を受けた地域の一つ、西原村からのレポートをお届けします。
震度7の激しい揺れで、家屋の多くが倒壊した西原村。今なお総人口の1割に当たる約680人が避難所で生活をしています。この西原村にいち早く駆け付けて支援活動を行なっているのが、阪神・淡路大震災を機に立ち上がり、長年ボランティア活動を続けている、「被災地NGO恊働センター」。お話しを伺ったのは、元代表で現在は顧問を務めていらっしゃる、村井雅清さんです。

西原村でも、ほかの地域と同じように、避難所だけでなく車中泊を続ける住民の方がまだまだ多いといいますが、現状はどうなのでしょうか?

◆それでも車中泊を続ける理由
必ずしも入れないから車中泊をしているんじゃなくて、一応、安全といわれる建物の中に避難はしておりますけど、余震が止まらないので怖いから車中泊をしている人もいる。だいぶ余震の数が減ったので、夜は避難所に来て寝ている人がほとんど。なかにはそれでもまだ怖いという人はずっと車中泊、あるいはテント泊している人もいます。やはりいちばん言うのは、早くゆっくり寝れる場所というか、住まいが欲しいというのは圧倒的に多い。でもこれは余震が収まらないと叶わない。そうですよねって言うしかなんですけど、でもできるだけ車中泊で閉じこもるんじゃなくて、テントでも張って、足を伸ばしてくださいねとか、エコノミークラス症候群にならないように、簡単なこういう体操すれば大丈夫ですよとか、それこそ足湯きてくださいねとか、そういうアドバイスをするということですね。今はそれしかできないですよね。


地震が少ない地域で起きた大きな揺れ。じっさいに14日の地震で倒れなかった家が16日の本震で倒れた例もあって、余震が収まるまでは帰りたくても帰れない人が多いんだそうです。
地震が少ない地域だけに、自治体も手が回り切れていない部分があると村井さんは言います。

◆西原村の行政に求める部分
ボランティアセンターのウチのスタッフや一緒にやってるメンバーが「まとめ役」になるんですが、よく考えたら、危険だということが前提にあって、何かあったらだれが責任を取るんだ?ということがまた次のリスク管理としてはあるから、ここまでくると瓦礫の片づけについては、ボランティアに決めさせるということが自体が酷な話で、きちっと役場、行政が「こういう場合ははいってはいけない」と示すべき。土砂災害の地域なら、その家が大丈夫だと思っても、雨で土砂崩れが起きてその家が流されるのはあり得ます。そういう地形的なチェックもしたうえで入らないといけないし、まあお任せではないですけど、手が回らないし、みたいなことで、ボランティアさんの出来る範囲で気をつけてやってくださいね!みたいなということになっています。もう一つは、災害救助法で、瓦礫の撤去は全額出る。本来、業者さんを雇ってどんどん片付けていけばいい。その業者さんの出来ない部分、細かい部分をたとえば壊れた中から大事な位牌を取り出してほしい、写真を取り出してほしいということき、業者さんの横に3人くらい付いて掘り出すとかやれば危なくはない。そんな風に救助法で出る部分と、まったくボランタリーなボランティア活動を組み合わせればなんの問題ない。行政は災害救助法を徹底活用して、やるべきですね。


今だ余震が続いて、土砂災害のリスクもある中、ボランティアに参加される方は、しっかり状況判断をして行動したり、慣れたボランティアチームに参加するのも一つの方法です。

「被災地NGO恊働センター」、村井雅清さんのお話し、明日も続きます。

2016年5月9日

5月9日 熊本地震 西原村の現状

今朝は、熊本地震で甚大な被害を受けた地域の一つ、西原村からのレポートをお届けします。
震度7の激しい揺れで、家屋の多くが倒壊した西原村。今なお総人口の1割に当たる約680人が避難所で生活をしています。この西原村にいち早く駆け付けて村にボランティアセンターの開設を働き掛け、その運営も担うなど支援活動を行なっているのが、阪神・淡路大震災を機に立ち上がり長年ボランティア活動を続けている「被災地NGO恊働センター」。元代表で現在は顧問を務めていらっしゃる、村井雅清さんにお話しを伺いました。

◆倒壊率が一番高い地域
いちばん最初は熊本学園大学でやってる避難所に行ったんですけど、そのあと被災地各地を回って、最終的には益城町と南阿蘇の間にある西原村という所が、同じ布田川断層という断層上にあって、倒壊率がいちばん高い地域なのにまったく注目されていなかったので、ここにしようと決めました。阿蘇の麓の布田(ふた)いう地域は、73世帯にうち3軒以外はぜんぶ壊れている、風当(かざあて)というところは30世帯のうち3軒だけがセーフで27軒はアウト。そんな状況です。私たちはそのうえで、役場と社会福祉協議会と協議したうえで、ボランティアセンターを立ち上げませんか?という提案をして、このようなやり方でやりましょう、と協議をして立ち上げたということですね


地震のあと、地域によって駆け付けるボランティアの数に「差」が生じていたのも事実で、とくに人手が不足していた西原村に村井さんら「被災地NGO恊働センター」は拠点を置き活動を始めました。現在の西原村の状況とは、どんなものなのでしょうか?

◆西原村のボランティア活動で障害となっていること
たぶん西原村のボランティア活動だけでなく、どこでも同じ状況だと思いますが、「要注意」という黄色の紙の判定と、「危険ではない」という緑の判定、そこは注意すれば片付けができるので、活動の多くは瓦礫の片づけになっています。赤紙は「危険判定」ですから基本的にはボランティアは入り難いということになりますが、赤紙というのは、何で危険なのかということを2007年の能登半島地震くらいからちゃんと書くようになったんですね。「隣の家が壊れていて、それが押し寄せてくるから、こちらの家は危ないですよ」と書くんですね。だから瓦の屋根が落ちてくる可能性がありますから気をつけましょうと。そうするとこれはヘルメットをかぶって注意して家に入れば片付けは手伝えます。赤紙だから入れないというわけでは無いんです。このあたりが周知徹底されていないというのが、ボランティアのストレスになるし、被災者の方も早く入って片付けたいのに・・・となります。で、本来は、被災者に対してもっと寄り添った活動が急がれるにもかかわらず、西原村に関してはそれがほとんど出来ないという状況です。なぜかというと、避難所に被災者の方が居るんですけど、かなりギュウギュウ詰めに入っている状況で、避難所の中で活動が展開できない。私たちは「足湯ボランティア」という阪神淡路大震災の時からやっている活動を、体育館である避難所でやらせてもらっているんですが、2メートル×2メートルくらいのスペースしかもらえず気を遣いながらやっているので、本当であればもっと大掛かりにやりたいんですけど、それも出来ないという状況が続いてます。これから連休明けでボランティアが減りますけど、これから倒壊家屋の状況も分かってきて、入れるところは入ろうという判断がされ、いちばん人手が要る時ですね。


〔張り紙の意味の周知徹底不足〕や〔避難所の過密状態〕など、まだ現場が混乱している状況が伺える村井さんのお話し。建物の状況が分かってきてこれから人手が必要な時なのに、連休が終わってボランティアの数が減ってしまう・・・これも大きな課題です。

被災地NGO恊働センター」村井雅清さんのお話し、明日も続きます。

2016年5月6日

5月6日 『GW東北めぐり』(6) 女川町「温泉ゆぽっぽ」「焼肉幸楽」

この連休中は、「高橋万里恵のGW東北めぐり」と題して、東北のオススメスポットを案内しています。

南三陸から下ってきまして、石巻市長面浦にある「はまなすカフェ」まで昨日はレポートしました。今日は、牡蠣のスパゲティとスープが激うまの「はまなすカフェ」からさらに南へと下ります。長面浦からリアス式海岸の海岸線を車で走ること、30分。この番組で何度もご紹介している、女川町に到着です。

◆女川温泉「ゆぽっぽ」
何回来てもすごいですよね。まだ木の香りする。2階に上がる途中の中二階にある椅子がリクライニングソファみたいな、ここでゆっくりするのもありだし。今2階に上がってきたんですけど、畳が敷いてあってゆっくり休めるスペースなんですけど、寝てます、お父さん。笑 手も足も広げて気持ちよさそ〜 私もあれやりたいっ。あとは、海とシーパルピア女川商店街が一望できるんですけど、キレイだな〜。そして振り返ると、千住博さんのタイルアートがあります。青いペイントで樹が書いてあるんですけど、すごく繊細。このお花1つ1つを町民の方が画いたということで、小学生が画いたようなひまわりもあるんですけど、まるでプロみたいな花もあるし、すごいきれい。じゃお風呂入りますか、私は女風呂へ。いってきま〜す。


ということで女川温泉「ゆぽっぽ」に入ってきました。新しい女川町の玄関口、「女川駅」の駅舎の上に併設しているのが、「ゆぽっぽ」です。この建物、もうお馴染み、プリツカー賞を受賞された坂茂さんの設計で、屋根の形は、女川町の鳥・ウミネコが翼を広げている感じのデザイン。中はというと、休憩室や脱衣所、お風呂の壁のいたる所に、日本画家・千住博さんのタイルアートがなんとも優しく、心を癒してくれます。

震災前は駅の横にあった「ゆぽっぽ」。当時から地元の方に愛される憩いの場でした。ゆぽっぽの支配人、吉田 雅さんに伺いました。

◆ゆぽっぽを拠点に2〜3日ゆっくりしてほしい
「震災後4年目で女川駅と一緒に、再開ということでスタートしたんですが、駅と一緒になったことで復興のシンボルのような建物として世界の坂茂先生に設計していただいて。今まで人が集まれる場所がなくなってしまったのが女川町ですので、まず町民の方の交流、憩いの場になってもらいたい。午前中からお母さんたちが、自分たちで作った漬物を広げてみんで食べ合ってたり、とてもうれしいですねああいう姿を見ると。あとは駅前のプロムナードが出来上がってますけど、新しい女川町を見に来ようという方がどんどん来ていただいているので、震災を乗り切った源泉に入っていかれる方が、ご利益があるみたいで入っていかれる方が多いですね。」
「温泉自体の効能は?ちょっとしょっぱい感じがしました」
「アルカリ性塩化物泉といって少し塩分がありまして、保湿性がひじょうによくて、裏に売り湯があるんですけど、アトピーでお悩みの方がよく買いにくる。それだけ全然違うらしいですね。」
「これから女川に遊びに行きたい!という方に、ゆぽっぽ以外のどんな楽しみ方おススメですか?」
「まずうちの温泉は500円で、1回入ると「外出券」というのがあって、その日は何回も楽しめるので、まず温泉で旅の疲れを癒していただいて、それから新しく出来上がった町を、観て歩いて食べていただいて、また帰る前に温泉に入るというのがおススメ。」
「1日で足りますかね?」
「宿泊施設も徐々に充実してきていますので、本当は2〜3日ゆっくりしていっていただくと女川の味とか人の良さとかわかると思いますね。」




「高橋万里恵のGW東北めぐり」、今回2泊3日の旅最後の夜は、「漁業の街・女川といえば、ここへ行け!」という地元の方のアドバイスにより、地元の蒲鉾屋・高政の高橋正樹さんと一緒に、駅前プロムナードの一角、香ばしい香りのするこちらのお店を訪ねました。

◆焼肉「幸楽」さんは、仙台牛1頭買い!
「なんで女川の夜なのに、魚くってないの?って話ですよね」
「ということでいただきま〜す」(旨すぎて笑い出すまりえ)
「この店は仙台牛を一頭買いしてて、やっぱり宮城県で銘柄A5ランクの仙台牛。仙台の牛タンて実は仙台牛ではないですからね。でも、仙台牛一頭買いの店で牛タンを食べれば? 当然美味しいですよね〜。この幸楽さんが肉をお客さんに出す前に、さばいてすぐじゃない。ベストなタイミングで出してくる。だから俺らも安心していろんな人に「いく?」て声かけられるし、旨いねって心から思うわけですね」
「カルビ焼けてます」「あらら、もう焼き過ぎですよ!」「すごいな〜」


「高橋万里恵のGW東北めぐり」、今日は宮城県女川町の温泉「ゆぽっぽ」。そして最後は、焼き肉「幸楽」さんをご紹介しました。

◇女川温泉ゆぽっぽ
◇焼肉幸楽

2016年5月5日

5月5日 『GW東北めぐり』(5) 長面浦「はまなすcafe」

この連休中は、「高橋万里恵のGW東北めぐり」と題して、東北のオススメスポットを案内しています。

今朝もきのうに続き、石巻市長面浦にある「はまなすカフェ」のレポートです。
アクセスは、仙台から三陸自動車道 河北ICで降りて、そこから北上川沿いを下って30分。旧大川小学校の横を通り、さらに海側へ車を走らせると見えてくるのが、長面湾を一望できる広いテラスが特徴、浜のおかあさんたちが運営する、「はまなすカフェ」です。

長面浦の牡蛎は、わずか7ヶ月で出荷できる大きさに育ちます。大きくて、加熱しても小さくならない理由は、周囲の山から流れ込む沢の水と、三陸の豊かな海が出会う「汽水域」で育つから、、、だけではないようです。

はまなすカフェ代表、濱畑千代子さんに伺いました。

◆温熱処理した牡蠣だから、栄養たっぷり!縮まない!
「はまなすカフェの牡蠣パスタいただきましたが、長面浦の牡蠣、旨いんですね!」
「1年経たずに育って甘味が凝縮するというか、種つけ終わって夏の熱い日に“温熱処理”をするんですけども、牡蠣にムール貝がいっぱい着いて牡蠣の栄養をみんな持っていってしまうので、65℃のお湯に10秒間入れて、牡蠣にも少し無理をかける。煮すぎてしまうと牡蠣も死んでしまうし、煮すぎないとムール貝も死なないでそのまま育ってしまう。そうして一度牡蠣に無理をかけると、11月頃には鍋にしても何にしても牡蠣が縮まらない牡蠣に育つんです」
「確かにすごく甘味のある牡蠣で洋風な料理にもすごく合う牡蠣だなと思いました。はまなすカフェはいつオープンしたんですか?」
「去年の4月5日にオープンしました。牡蠣剝き処理所の休憩所ってことで。それとコミュニティセンターというかここでみんなで集まれる場所になればいいかなと。全部ここは住めない場所になったので、お彼岸とかお盆とかに帰ってきますよね。その時、せっかくお墓にきてお線香あげて、家がない人はそのまま帰ってしまうけど、こういう場所があれば寄っていって少しでもみんなで話ができたらいいなってことで。そしたら、15年ぶりとか、40何年ぶりに会ってここでお話ができた人も。
あと、来る途中に家がないから、ここは昔から河川敷だったんですか?と兵庫県の方から聞かれたんですけど、ここには200軒ぐらい家があったんですよと。このように津波がきてこのようになった、という話が聴けて、あぁ良かった、来た甲斐がありましたってことで。そういう外からの人たちの交流の場にもなってます。」
「木をたくさん使ってらして、大きな窓もいっぱいあって、目の前にはすごくきれいな海が広がってて、ここ来たらみんな長居しちゃうんじゃないですか?」
「ここの売りはオーシャンビュー!このようにただ見ていると湖みたいで海のようには感じはしないと思うけど。あと震災にあった人はまだ、こっちに来れないと、子ども亡くしている方はまだ、海行けないねって。。でも海はきれいなんですよ。」
「でもお母さん自身も津波を見て逃げて恐い思いをされてきたけど、それでもやっぱりこの場所でお仕事することを選んだというのは」
「自分の生まれ故郷だし、あのように津波見て逃げたけど、いつもそういう海じゃないですからね。だから自分たちの仕事もここにあるし、毎日通ってこなきゃいけないなって。 あと「はまなすカフェ」なので、追々ここに、はまなすいっぱい植えたいと思っています。」


宮城県石巻市、長面地区の「はまなすカフェ」
長面湾の周りにはおよそ200軒家がありましたが、津波で集落は流失し、現在は住んではいけないエリアに指定されています。またこの地区の子どもたちは、犠牲者が多く出た大川小学校に通っていたためお話にあったように、まだ心の傷が癒えていない住民の方も多くいらっしゃるということです。もともと自然に自生していたという「はまなす」の花、これからたくさん植えられたら、地域の方の癒しになるかもしれないですね。

◆『はまなすcafe』◆
日曜日、10:00〜15:00 OPEN!(月〜土 不定期)
アクセス 三陸自動車道河北ICから約20km・30分
電話 090-7330-3311
ホームページ
facebookページ


明日は、石巻から女川へと移動します!お楽しみに。

2016年5月4日

5月4日 『GW東北めぐり』(4) 長面浦「はまなすcafe」

この連休中は、「高橋万里恵のGW東北めぐり」と題して、東北のオススメスポットを案内しています。

まずはおさらいです!昨日まで、南三陸町の名所をご紹介してきました。
「神割崎」、カフェの「ちょこっと」、さんさん商店街の「キラキラうに丼」、そしてまもなくツツジが見頃を迎える「田束山(たつがねさん)」。どれも是非足を運んでいただきたいのですが!

今日ご紹介するのは、南三陸町から南下しまして、北上川を渡り、石巻市へ。旧大川小学校の、さらに海側へと車を走らせると、見えてくるのが・・・ 海を望む大きな窓や広い縁側が特徴、浜のおかあさんたちが運営する『はまなすカフェ』です。

◆牡蠣スープに牡蠣スパゲティ
「うわ〜きましたぁ〜 お母さんこれは?」
「牡蠣スパゲッティです」
「牡蠣めっちゃのってますよ大きいの!!1・2・3・4・・・6個ものってます!この匂い伝えたい!クンクン・・ガーリックのいいニオイ!たまら〜ん」
「これも飲んでみて」
「スープ?スープからいきたい、緑っぽい茶色っぽいスープ・・いただきま〜す
ん!牡蠣のスープ。はじめて飲んだこの美味しさ!牡蠣の旨みたっぷりで、でもえぐみとかゼロ。頂いたあとすーって爽やかです。」
「牡蠣と、生クリームと・・あとはシェフに聞いてください」
「じゃパスタもいただこうかな。春キャベツがのってる〜いただきま〜すっ。
ん〜もいひ〜 牡蠣の旨みがガーリックとオイルがまた絡まっておいひ〜
「他にどんなメニューが?」
「牡蠣フライ、牡蠣ごはん、牡蠣カレー。牡蠣は7月のはじめまで。牡蠣は冷凍とかしないで牡蠣がなくなればそれで終わり。鮭が獲れれば鮭メニュー。長面浦、長面湾で獲れたものだけ使ってメニュー考えてます。」


お話は、はまなすカフェ代表、濱畑千代子さんです。
このはまなすカフェのすぐ目の前は、穏やかな海。長面湾です。津波で200戸を超える集落が流失し、現在は住んではいけないエリアに指定されています。

◆筏が残ったから、再開した
「長面浦の地図見てますが、私初めてうかがったんですが、海があって川があって海と川の間に入江みたいになっているというか」
「そうなんです、長面湾。」
「太平洋の海水と北上川が混ざって長面湾に入ってきているんですね。」
「それで汽水湖ということで真水が入ってくるから1年もかからないで、3月に入れたのを11月には牡蠣ができて剥ける。甘味があってみんなに美味しいと言われている」
「以前はここには住宅があって、海と近い距離にみなさん住んでいらした?」
「こっち(長面)が146軒で尾崎が58軒あった。」
「震災後は仕事どう変わりました?」
「歳も歳だったので船もダメ、牡蠣の筏もダメだったらやめるという頭だったけど、そしたら船が多少壊れていたけど残ってたし、
イカダも11台あったのが3台だけ残ってたから、それでってことで再開したの。あと田んぼと畑はまだ水の中なので一切できないし。だから牡蠣しかないから牡蠣の筏を前よりも増やして、ずっと牡蠣だけやってます。」


濱畑さん、以前は海の仕事だけでなく、田んぼや畑もやっていました。でもこの長面エリア、地盤沈下のため、未だ田んぼは海水に浸かったままなんです。いたる所水浸しでした。再開まではまだ時間がかかる、ということです。
それでも長面湾は回復しています。実はこのパスタを頂いたあと、漁船に乗せていただき湾内を一周してきました!牡蠣のイカダがたくさん浮かんでいて、牡蠣の赤ちゃんも見せて頂きました。まだ1cmぐらいの赤ちゃんが1年を待たずに11月頃には出荷できる大きさに育つそうです!



◆『はまなすcafe』◆
日曜日、10:00〜15:00 OPEN!(月〜土 不定期)
アクセス 三陸自動車道河北ICから約20km・30分
電話 090-7330-3311
ホームページ
facebookページ


明日も「はまなすカフェ」、濱畑さんのお話お送りします。

2016年5月3日

5月3日 『GW東北めぐり』(3) 5月は山が真っ赤に染まる南三陸歌津「田束山」

連休中のLOVE&HOPEは『高橋万里恵のGW東北めぐり』と題して、GW、そしてこれから夏にかけて足を運んでいただきたい場所を厳選してご紹介しています。

金曜日から、南三陸町の名勝「神割崎」、波伝谷のカフェ「ちょこっと」、「キラキラうに丼」が始まった「さんさん商店街」と巡ってきました。そして今日ご紹介するのは、南三陸を代表する名所「田束山(たつがねさん)」です。

◆2m以上あるツツジ!
「うわ〜田束山に着きました!」
「ここが海抜512メートルです」
「ここから歌津の町も見えますけど、リアス式海岸の様子がよくわかりますね〜
今私たちの歩いている山道の横に立っている2メートル以上ある木、これがツツジですか?」
「そうです。もう80年〜150年は経ってますね」
「これがどんどんお花咲かせるんですか?」
「そうですね〜」
「今はまだお花咲いてないですけど、5月になったらここがツツジになって、まず手前がピンクになってその向こうに青い海のコントラストということですよね!うわ〜すごいですね〜」


南三陸町と気仙沼市にまたがる田束山、霊峰として歴史的にも多くの信仰を集めてきた山で、「三陸復興国立公園」の一部にも指定されています。標高はこの地域ではいちばん高い512mで、リアス式海岸を見下ろす三陸海岸を一望できるほか、5月に開花する“5万本のツツジ”でも有名です。

ご一緒頂いているのは、田束山のふもと、歌津の「伊里前福幸商店街」の衣料品店、「マルエー」の店主で南三陸町商工会の副会長でもある、千葉教行さん。歌津の皆さんにとっての宝物でもある田束山について、お話しも聞かせてくださいました。

◆5月にはツツジとシロウオ両方楽しめます!
「素晴らしいですね!」
「この景色だけでも田束山の宝物がありますね。」
「歌津の皆さんにとってはどんな山なんですか?」
「私たちなんかも一年に何回か来ないと落ち着かない、気が晴れ晴れとするんですね。で新たな勇気をもらって、また頑張ろうって気になります。とくにこの5年間で沈んだ気持ちを奮い立たせてもらえる、というような山です。」
「5月ごろに来るときれいなツツジが見られるそうですが、その頃お祭りがあるんですか?」
「はい。前は「ツツジ祭り」は山頂で行っていたんですけど、震災前から、同じ時期に伊里前川に、シロウオが遡上してきて、それが珍しいというので「シロウオ祭り」を合体させて、商店街とかで大きなイベントをするようになって、去年までは盛大に行われたんですけど、今年は川の工事、それから商店街の前後のかさ上げ工事で駐車場がまったくなくなってしまったんです。それで大きなイベントは皆さんにご迷惑をかけるので、今年は一年休もうということで、今話されています。」
「残念ですけどツツジのきれいな花は楽しめますよね?」
「そうですね。観光協会でも日曜日あたりは、山頂までのバスを出して商店街からお客さんをツツジのシーズンに見てもらおうかという計画にはなっております。」


例年だと5月の下旬に満開となる山頂のツツジ、今年はちょっと早くて10日くらいには見ごろになるのでは?ということでした。週末には山頂までのバスも商店街から出るということ。満開のツツジと、360度のパノラマを楽しんで、そして「伊里前福幸商店街」で、旬のシロウオ料理を楽しんで欲しい。踊り食い、お吸い物、かき揚げ天ぷらなどで提供されるそうです。

◇その「伊里前福幸商店街」。いま元の場所の対面に場所を移して営業を続けています。今日から5日までは、「ゴールデンウィーク青空テント市」が開催。朝採りホヤの限定販売や、熊谷育美さんのライブなどがにぎやかに行われます。来年の春には、かさ上げ工事が終わって、いよいよ本設の商店街が完成するということ。新しい歌津の中心街の誕生も、もう目の前。

南三陸町歌津「伊里前福幸商店街」サイト

明日水曜日は、石巻市、静かなに入り江に出来た、「牡蠣パスタ」の美味しいカフェを訪ねます。

2016年5月2日

5月2日 『GW東北めぐり』(2) 南三陸町キラキラ丼

東日本大震災から5年、津波で大きな被害を受けた太平洋沿岸部の町では、初夏の行楽シーズンを迎えて、以前のにぎわいを取り戻そうと頑張っていらっしゃる人たちがいます。そこでこの連休中は「高橋万里恵のGW東北めぐり」と題して、GW、そしてこれから夏に向けて足を運んでいただきたい場所を厳選してご紹介していきます。

今日ご紹介するのは、震災後、2012年2月にいち早く仮設商店街としてオープンした、宮城県南三陸町の「さんさん商店街」です。地元の32店舗が軒を連ね、中央のフードコートには週末ともなると多くの観光客が訪れる「南三陸さんさん商店街」。いまや南三陸観光の基点にもなっています。なかでも季節ごとに食材が変わる名物の「キラキラ丼」はあまりにも有名。この5月から、そんな「キラキラ丼」シリーズでも、エースの丼が始まりました!「さんさん商店街」設立の立役者で、食事処「志のや」の店主である、高橋修さんにお話しを伺いました。

◆生ウニをたっぷり100グラム!
皆さん大勢詰めかけて頂く、南三陸キラキラ丼の中でも、一番人気の「ウニ丼」が始まります。南三陸で獲れるウニはムラサキウニで、どんどん暑くなることによって、身が甘くなって色が良くなってきます。キラキラ丼は定義がありまして、地元の米を使うのはもちろん、必ず生ウニをたっぷり100グラム入れるということになっています。「生まれて初めてこんなにたくさんウニを食べた」というお客さんも多いです。こちらで使うウニは添加物を使っていません。ウニは溶けやすい性質があるので、それを防ぐためにミョウバン水に漬けるんですが、やっぱり地元のウニを味わってほしいということで、無添加のウニを出す。それが口の中で甘くとろけるんです。皆さん会話もなくもくもくと食べていらっしゃいますね。GWはこのところの異常気象の影響で、ウニの入荷が少ないです。なのでGWは限定数でやらせて頂いていて、各店舗、50〜100食になっています。出来れば早めに来店してほしいです。
じっさいウニは5月から8月にかけてやってますので、多い人だと6回くらい足を運んでくださいます。喜んでいただいて、「また来たよ」と言って頂けるのが、震災で大半やられた店が片寄せ合って頑張ってるんですけど、やっぱり震災に遭う前は飲食店なんてバラバラだったんですけど、結局自分たち、飲食店やるには、米を作る農家のお父さんも必要だし、漁師がウニを獲ってくる、ワカメを獲ってくる、水産加工場も必要、だから「町を作る」というのは、みんなが参画してこないと、いい町にもならないし。今年の12月31日までで「さんさん商店街」の仮設の店舗が終わって、やっと来年の3月から本設の店舗になります。被災地で「成功例」という形で、キラキラ丼も4年で60万食から70万食、出させてもらいましたので、これをベースに町おこし、地方再生という形に出来ないかなと思ってます。



◇「南三陸キラキラうに丼」は、5月1日からスタートしています。8月31日まで。夏へ向けて、さらに甘みが増してくる、ということ。

◇「志のや」をはじめ、9つのお店が、それぞれ趣向を凝らした「キラキラうに丼」を提供しています。〔無添加の生うに100グラム〕がマスト。行くしかない!

◇「さんさん商店街」の仮設店舗は今年いっぱいで終了。来年春に本設の商店街が誕生するということ。かさ上げ工事が進んで、生まれ変わる南三陸町の、〔変化のハイライト〕が今年から来年にかけて。ぜひ足を運んでその歴史を目撃してほしい。

南三陸さんさん商店街」のサイト

明日火曜日は、山頂にツツジが満開、「田束山(たつがねさん)」を訪ねます。

2016年5月1日

4月29日 『GW東北めぐり』(1) 神割岬〜カフェ「ちょこっと」

東日本大震災から5年。被災地では今、きれいな海辺の景色や美味しい食べ物などで、以前のにぎわいを取り戻そうとがんばっていらっしゃる人たちがいます。そこで4/29〜5/6までは、『高橋万里恵のGW東北めぐり』と題して、GW、そしてこれから夏に向けて足を運んでいただきたい場所を厳選してご紹介していきます。

まずはじめに訪ねたのは、宮城県南三陸町を代表する名勝です。

◆三陸復興国立公園、名勝「神割岬」
下に降りる階段があるので降りていってみたいと思います。
♪波音〜
うわ〜海の色が透明〜〜〜!波しぶきが気持ちい〜ですね〜

「高橋万里恵のGW東北めぐり」!最初に訪ねたのは、志津川湾の南にある南三陸金華山国定公園の名勝、「神割崎(かみわりざき)」。海に突出た岩がふたつに割れて、その間を荒波が流れ込む、勇壮なリアス式海岸の景勝地の中でもとくにダイナミックな自然の力を感じる場所です。一帯は公園として整備されていて、遊歩道のほかに、キャンプ場、レストハウスもあります。そんな「神割崎」の魅力について、「神割観光プラザ」の及川わたるさんにお話しを伺いました。

◆クジラが上がった伝説の岬
まりえ「松の木の緑と海の青のコントラストがとてもきれいな場所。この神割岬はどんなところなんですか?」
「岬が2つに割れている場所がそう呼ばれているところなんですが、昔南三陸町と石巻市のまだ堺がなかった頃に、そこの浜に鯨が上がって村人たちで獲りあいになり、それが三日三晩続いたそう。そこで神様が怒って「仲良く鯨を分けなさい」という意思表示なのか岬を2つに割ったのが今の神割岬。今の南三陸町と石巻市の区切りになったという伝説が残っています。」
ま「たしかに、本当は大きな岩だったのを、誰かが真ん中でパッカーンと割ったんだろうな、という感じがしますよね。」
「今では、あの割れ目の間から朝日が昇るタイミングが年に2回、10月下旬と2月中旬にあるんですけど、その時期しか見られない絶景を求めて、全国から写真を撮りにくる方がたくさんおられます。そんなことも楽しみの1つとして神割岬キャンプ場に訪れるのもいいのかなと思います。水平線の向こうから朝日が昇ってきて岬の間を通って、最初は岩場と海を照らしながら、青っぽいような景色からだんだんオレンジに代わっていき、太陽が上がるごとに明るみを増してくる。太陽から差し込む光で道ができたりとか、時間帯によって見応えがあるなかなかの隠れスポットというか、南三陸町の魅力として皆さんに見て頂けたらうれしいですね。」


34歳イケメンの及川さん。デートで神割崎に来たことは・・・無いそうです。しかしキャンプ場の展望スポットには「出逢い岬」の看板が。デートにもオススメとのことです!


そして海風に当たって少し体が冷えたら、オススメのカフェが南三陸町の波伝谷地区にあります。店の名前は「ちょこっと」。震災後、“ばっばのごはん”と地元で親しまれた食堂、「ほったて小屋」を営んでいた成澤英子さんが、かさ上げ工事の影響でお店を閉めた後、“何も無くなった地元に、もう一度、人の集える場所を作りたい”と開いたカフェです。

更地にポツンと建つ、南三陸の木材を使って建てた木の香りのするカフェ。英子さんと、娘さんの公子さん、時々、お孫さんもお手伝いしている、アットホームな雰囲気のいいお店です。ここで、美味しいランチを頂きました!

◆旬なものを田舎のばあちゃんが作る味で
「今日はAランチが牛丼定食でBランチがまぐろ丼定食ですね。田舎のばあちゃんが作る味でやってます。まぐろ丼に添えているめかぶは今が旬です。」
ま「GWにかけて旬なもの他にもありますか?」
「シラスですね。生しらすも出ますし釜揚げしらすもでますし、タケノコやたらの芽など山菜も出てきます。うちはその頃山菜の天ぷら定食になりますね。」
ま「あと私ここ波伝谷に来る途中、景色が変わったり道が変わったなと思ったんですが、最近の波伝谷の復興状況いかがですか?」
「高台を通る国道398号線が工事の最中で、その工事に伴って迂回路があっち行ったりこっち行ったりで、朝出て行った道路と帰ってくる道路が違うということがたくさんあります。」
ま「みなさんがGWにこの「ちょこっと」に来てごはんを食べたあとにどこか行こうかな、と思ったらおススメのポイントはありますか?」
「やっぱり歌津の田束山(たつがねさん)ツツジがきれいに咲くのでいいですよ。」
ま「よくデートに使ってました?」
「主人は船乗りでしたらいないのが多かったんです。でもデートスポットとしても見晴らしがいいし、太平洋が一望できるので素敵ですよ」


宮城県南三陸町の「神割崎」と、波伝谷地区のカフェ「ちょこっと」を訪ねました。
◇神割崎。とくに春から夏にかけては海の色がキレイなので、ぜひ足を運んで欲しい。写真スポットしてもオススメです。
◇ちょこっと。場所は分かりにくい。でも探していく価値あり。美味しくて、ほっこりあたたまるカフェです!

次回月曜日は、旬のウニが輝く、南三陸町「さんさん商店街」の「キラキラ丼」をご紹介します!

パーソナリティ 鈴村健一

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