2015年8月31日

8月31日 石巻市 大川小学校のいま2

今朝は、8月17日の放送に引き続き、宮城県石巻市 大川小学校をめぐる、ご遺族の今の想いをお伝えします。



全校児童108名のうち74名が死亡・行方不明となり、教職員の方も10人が亡くなった大川小学校。今も「助ける方法があったのでは」という、疑問が解決していない場所です。そしてこの場所で、語り部を続けているのが、「小さな命を考える会」代表の佐藤敏郎さん。次女で、当時 大川小の6年生だった佐藤みずほさんのお父さんです。

佐藤さんは、津波でみずほさんを亡くされているんですが、もう2人お子さんがいます。いま大学に通っているご長女、そして就職を控えたご長男。
この2人のお子さんをはじめ、津波を免れた子どもたちは、4年半を経て、自分たちの意思で、町の将来を考え始めたと言います。

◆旧校舎の保存をめぐって
うちの娘は大学生なんですけど、大川小出身で、今は校舎はこうなってしまったけれども自分の心の中では体育館も校舎もあの時のまんまなんです。ここで朝から晩まで生活していたわけで、だから大切にしたいって子どもたちも言っているんです。震災遺構の問題は各地でいろんな議論がされていますが、大川小学校の旧校舎は複雑な事情もあって議論にすらされてもらえなかった。そんな中で去年あたりから高校生、妹や友だちを亡くした子どもたちが4年半必死になって生きてきて、「学校を残したい」ということを勇気を出して発信しはじめました。うちの娘の同級生とかここの卒業生たちですね。私たちの楽しい思い出の集まった母校。特に大川地区は「ここ」しかない。町も生活も何もなくなってしまった。全部壊したくないという気持ちがあると思う。あとはあの悲しみを繰り返さないためにも。津波の威力とかそういうものを伝えてくれるのがこの建物だと子どもたちは言っているし、私もそう。一方で、「辛いから、見たくないから壊してほしい」という気持ちもやっぱり大事。子どもたちもそう言っている。だから誰も間違ったことを言っていない。みんなでそれを聞くところから始めたいと思っている。まずそれを話し合える、出しあえる場をなかなかも受けてもらえなかったので、そこからだと思います。いろんな時間的な制約があって、石巻市では議論する前に費用の計算をしている。それはちょっと残念なやり方だなと私は思っています。50年先、100年先を考えて話し合ってもいいんじゃないかなと私は思っています。


そして佐藤さんの長女、そのみさんは、大川小の卒業生たちとともに、「大川小の校舎を残す・保存する」呼びかけを始めていて、先日の、国連防災会議でも自分たちの意見を発表したといいます。

父親である佐藤さんは、そんなそのみさんの「成長」も強く感じているようです。

◆あいつなりに向き合っているんだな。
2つ下の妹ですごく仲が良くていつも一緒だった。だからショックだったと思うんです。名前はそのみと言うんですが、そのみは作文を書いたんです。その作文には「いつもの自分が流された」って書きました。いつもの自分が無くなって本当の自分が見えたと。今までいかに、いろんなものに寄りかかっていたか。本当に自分がやらなければいけないことを今やらないと後悔するということが分かった、ということを書いていて。弁論大会に出るタイプじゃなかったんですけど、出場して発表したりしてあいつなりに向き合っているんだなと。うちの娘は小さいころから映画が作りたかったんです。「大川の映画が作りたい」と。震災があってかなりしぼんじゃったんですけど、逆にその夢は「震災」という次元が加わったみたいです。だからそっちの世界へ行こうとしています。いま大学生でちょこちょこカメラを回しています。


佐藤さんは大川小のおとなり、女川中学の先生でしたが、現在は教職を退き、こうした語り部の活動などに専念。語り部として、時には、全国からやってきた高校生を案内することもあるそうです。高校生・・・もし、次女みずほさんが生きていたら、ちょうど同じ年代です。佐藤さんは「この4年半という時間に想いを馳せてほしい」と、高校生たちに語り掛けていると言います。


明日は、佐藤敏郎さんと子どもたちによる、東日本大震災に学ぶディスカッションの模様をお届けします。

2015年8月28日

8月28日 復興グルメ 『福島地ビール 桃のラガー』

復興グルメシリーズにご応募いただき、ありがとうございました!
8月28日(金)の復興グルメプレゼント『福島路ビール』の当選者は、
・しろふわさん
・とっとこナツ太郎さん
・ちーまちゃんさん
以上、3名さまです。おめでとうございます!
現地直送となります。美味しく召し上がってください!

復興グルメシリーズ、次回をお楽しみに!
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今週は、『東北復興グルメ』シリーズ!
東北の「おいしいもの」を作る人たち、食を通じて、復興・地域活性に貢献する人たちに焦点を当ててお届けします。

今朝は、福島市で地ビールの製造と販売を行う 「福島路ビール」。
震災直後は、風評被害でその売り上げが大きく落ち込んだといいます。また、同じく風評被害で販路を失ったのが、県内産の果樹農家でした。
そこで!「福島路ビール」が取り組んだのが、果物の果汁を生かしたフルーツビール「桃のラガー」「林檎のラガー」の開発です。

開発を初めてから3年。現在の状況を「福島路ビール」の営業統括責任者、吉田真也さんに伺いました!

◆人気商品に
福島県の農家さんが製造している桃と林檎を使用しているが、震災後風評被害で販売が少なくなっているもので、それを応援するということで、それらの果物を使用したビールを作っている。農家さんは果物をつくる専門家だが、それが世の中にフルーツビールとして世の中に出て行って、展示会などでお客様の反応を見ていただくと、非常に好評で喜んでくれている。先日も福島の駅前でイベントを行ったが「今回は桃のラガーはないの?林檎のラガーはないの?」というお声をいただくようになって、非常に浸透してきたなあと実感している。桃のラガーは非常に人気があり、実は先日まで欠品していた。8月の上旬に農家さんから仕入れて、いま搾汁していて、お盆明けにできあがってくる状況で、それを待ってまた製造にはいる。


お客さんにも好評で、着実に浸透しつつあるという「桃のラガー」。震災当時、福島県内の果樹農家は風評被害により、生産の8割を廃棄せざるを得ない状況でした。
現在はどんな様子なんでしょうか。

◆家庭用が不振
実際一回は非常に戻ってきたが、応援という形は残念なことに長くは続かないので、また下降にはなってきているみたい。わたしがお付き合いしている農家さんは贈答用ははいっているが、まだ家庭用が不振なようで、そちらを手前どもで購入させていただいている状態。


そして気になるのは「桃のラガー」のお味です。

◆桃の香りが高いフルーツビール
白桃を使う。白桃は非常に香りが高い。福島は寒暖差が大きく糖度の高い桃が獲れるので、フルーツビールには適していると思う。果汁を3割近く使っていて、飲んだときに非常に果汁感を感じていただけると思う。「これ桃だね」と実感してもらえる味わいで、男性も女性もお楽しみいただけると思う。お肉というよりは、チーズなどに合わせていただくとよろしいかなと。
近くにフルーツラインという街道があり、季節ごとにいろんな果物があるので、ぜひそちらのほうにもお立ち寄りいただいて、福島の農家さんを応援していただけたらと思う。


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今朝は、「桃のラガー」「林檎のラガー」、そして福島産ひとめぼれを使った「米麦酒」など『福島路ビール』を6本をセットにして、3名の方にプレゼントです!応募はこのあと9時まで受け付けています。応募はメッセージフォームからどうぞ。お名前、住所、連絡先をお忘れなく!
このあと9時まで受け付け。当選者はブログで発表します。

もちろん購入も可能です。福島市内にある「福島路ビール」の工場直売店、または「福島路ビール」のオフィシャルサイトからどうぞ!

2015年8月27日

8月27日 復興グルメ 『相馬の梨』

8月27日(木)の復興グルメプレゼント!
『相馬 佐藤果樹園の梨』の当選者は、
・グズラさん
・ウサギのハナさん
・オリーブの木さん
以上、3名さまです。おめでとうございます!
現地直送となります。美味しく召し上がってください!

明日は、福島路ビール 桃のラガーをお届けします!お聞き逃しなく!

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今週は、『東北復興グルメ』シリーズ!
東北の「おいしいもの」を作る人たち、食を通じて、復興・地域活性に貢献する人たちに焦点を当ててお届けします。

今朝は、福島県の「復興グルメ」、相馬市の〔磯部の梨〕をご紹介します!
太平洋沿岸部の相馬市で梨??と思う方も多いと思いますが、じつはその味の良さから、全国的な人気を誇る名産品なんです。

そんな相馬市の「磯部地区」で、4代つづく梨畑を営んでいる「佐藤果樹園」の佐藤健一さんにお話を伺いました。

◆潮風で育つ梨
明治22年に一人の人が梨の作付けを始めた。で一人では大変だと、うちを含め4人で始めた。うちは桑だったので、桑を切って梨を植えた。うちで4代目。そのあと桃とかいろいろやったけど、浜風に弱いという事で、最後は梨ということで今は梨だけ作っている。もとからのお客さんは磯部の梨を食べたいという事で選果場にくる。やっぱ磯部の梨はうまい!っていう。潮風の塩加減でうまいっていうけど・・・だって作りは同じ。土が粘土で、あとは潮風の塩で味つけるっていうんだけど・・・。で、この郷のは美味しいって来てもらえる。


粘土質の土と、吹き付ける潮風が、梨の栽培に適していたのか、すっきりした甘みと旨みのある〔磯部の梨〕は遠方からも買い求めに来る人がいるくらいの名産品となっているんです・・・

2011年の東日本大震災では、津波で7名の梨農家さんが命を落とし、低地にあった畑も波をかぶりましたが、大部分の畑は高台にあって無事だったといいます。ただそのあとの、福島第一原発の事故による風評被害が、〔磯部の梨〕にも及びます。

高いところにあったから被害はそんなになかった。この辺はライフライン、水道から電気から、全部だめになったから、避難させられた。避難して梨作ってる人、その時、部長やってたから、梨畑はなんでもなくて、放射能は飛散したけど、作ってみないとどうしようもないから、じゃあ戻って作るかとなって、作った。その年。でモノは出来た。で放射能も大丈夫だし、出荷した。風評被害で値段はがた落ち。作っても販売できなかったらとなったら、先が見えなくて不安だった。4年たつが3年間は保証してもらった。今年も保証してもらえると思って栽培しているけど、やはり風評被害は少なからずある。うちらも市場に行って、「大丈夫だからたのむ」と言ってくるが、だんだん戻ってきてはいる。

この4年間の間に、磯部の梨農家は、100名から30名にまで数を減らしているそうで、厳しい風評被害との戦いは今も続いていますがそれでも、直売をしている佐藤さんの梨畑には、連日、梨を買い求めにたくさんの方が訪れ明るい兆しも見えてきています。

そんな佐藤さんに、梨農家として一年でいちばん、“ウキウキ”する時は、いつですか?と聞いてみました。

◆1年間手間をかけて育てる
ウキウキするのは収穫してお金入ってくるときだよ(笑)!それしかない!だって1年間手をかけて、台風がきてバタバタと落っこちる経験何回もしているから、だから収穫して出荷してはじめて1年間の苦労が報われる


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今朝は、この磯部の梨「幸水」5キロ入りを、3名の方にプレゼントします。
応募はこのあと9時まで受け付けています。『LOVE&HOEP』のサイト、メッセージフォームからどうぞ。

また直接購入したい!という方は、「佐藤果樹園」0244-33-5194までお問合せください。


『LOVE&HOPE』、『東北復興グルメ』シリーズ、ラストの明日は、「福島路ビール」に注目!「桃のラガーなど、福島路ビール飲み比べセット」のプレゼントもあります!

2015年8月26日

8月26日 復興グルメ 気仙沼『カニ物語 Deep Sea Red Crab』


8月26日(水)の復興グルメプレゼント!
『かに物語 Deep Sea Red Crab』の当選者は、
・ベニシジミ さん
・ラス子 さん
・ちぐりん さん
以上、3名さまです!おめでとうございます!
まるずわいがに、現地直送となります。美味しく召し上がってください!

明日は、相馬の梨をお届けします!お聞き逃しなく!

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今週は、『東北復興グルメ』シリーズ!
東北の「おいしいもの」を作る人たち、食を通じて、復興・地域活性に貢献する人たちに焦点を当ててお届けします。

今朝はきのうに引き続き、気仙沼市の「復興グルメ」です!
気仙沼に水揚げされる海産物といえばみなさん、フカヒレ、カツオ、さんま、メカジキ・・・などを思い浮かべると思いますが・・・ 実は!気仙沼市の地域資源に「カニ」が入っているのをご存じでしたでしょうか?

40年前からこのカニをとり続けている、(株)カネダイ代表の熊谷公男さんに伺いました。

◆Deep Sea Red Crab
「ディープ・シー・レッド・クラブ」は深海700〜800mのところに生息しているカニ。皆さんご存知のカニは茹でると赤くなりますがこのカニは獲ったときすでに赤いのでRED CRUB。日本名だと「まるずわいがに」。非常に甘味が強く、弾力性があって加熱料理に使ってもカニの存在感を表してくれる美味しいカニ。宮城県気仙沼市では、市の地域資源として国にお墨付きをもらったカニ。実は現在の社長が現在74歳になるんですが、社長が若かりし頃、マグロ船もやっているので、マグロ以外にも世界のいろんな海で獲れたものを日本の食卓に運びたい、はるか2万キロ、アフリカのナミビアという国の沖合に行ってとってきています。


カネダイはもともと40年前からこの「ディープ・シー・レッド・クラブ」をレストランやホテルなどの外食産業や、全国の問屋さんに卸していました。
しかし震災で多くのものを失い、それでも震災からわずか9か月で、このカニを通してお客さんの喜ぶ顔が見たいと、仮設のレストランを復興屋台村「気仙沼横丁」にオープンさせます。

◆かに物語にかける想い
東日本大震災をきっかけに「かに物語」を作った。実は大震災で気仙沼市にある15の営業所や工場をなくし、何億という被害があったんですけど、それだけじゃなくて工場がなくなるということは雇用の場所もなくなるということ。それじゃなにかやらなきゃね、って中で、この「まるずわいがに」面白いんじゃないかと。このようなむき身で販売しているのは私たちの会社しかない。で気仙沼市の地域資源でもあるし、気仙沼の復興ののろしをあげるにはちょうどいいんじゃないかということで、6坪なんですがこのまるずわいがにを使った小さなレストランを仮設店舗でオープンして、海外のカニということもあり日本食の提案ではなく「洋」の提案としてビスクとかフレンチカレーとかパスタソースとかを提供して、お客様がそこで喜んでくれた味を今工業化製品にして、気仙沼魚市場の隣に今「海の市」という産業センターができて、そこに去年2014年の7月19日にオープンしたのが「かに物語」の直営店です。
雇用の創出が目的だったがそういった意味では、店舗と工場あわせて10人に増えてきました。震災前は70名ぐらいいたので、あと60名ぐらい頑張らないといけない!


明るく話されている熊谷さんですが、ご自身も実家と新築したばかりの自宅が津波で全壊となった
そうです。それでも、2年後には本格的な工場を再建したいと、震災に負けない想いを語ってくれました。
そんな熊谷さんに、最後に「ディープ・シー・レッド・クラブ」の美味しい食べ方を、教えていただきまし

◆洋風に食べるご提案。白ワインに合うんです!
私たちの店では簡単なんです。バターを溶かして、レモンをちょっとしぼって「溶かしバターレモンソース」、これ浸けて食べてみてください!もう白ワインとかに最高に合いますので!あとビスクはカニの殻と白ワインと香味野菜を焼き付けるような形で出汁をとる。この出汁をぼくたち「ヒュメドcrab」と勝手に名前をつけているんですが、その「ヒュメドcrab」をトマトベースのスープに入れてカニのむき身と野菜を入れて煮込んだのがうちのビスクです。これにパンを付けて食べたり、ここにご飯を入れてとけるチーズをのせて焼くとリゾットみたいになります(笑)
あと、今facebookのいいね!を1000件にしないといけない私の使命があるのですが、まだ600件で止まってるので何卒みなさん、いいね!押してやってください!お願いします‼


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今日はこの【ディープ・シー・レッド・クラブ】のむき身、特大の爪1kgをリスナーの方3名様にプレゼントします!ご希望の方は、「メッセージフォーム」からお名前、住所、連絡先を忘れずに入力して「プレゼント希望」と書いてご応募ください。このあと9時まで受け付け。当選者はこのページで発表します。



気仙沼のおみやげ市「海の市」で直営店オープン!
「かに物語」オンラインショップでも好評販売中です💛
多彩なメニューに心が躍ります!ぜひチェックを!

また「かに物語」facebookページ、目標「1000いいね!」、応援よろしくお願いします!


明日の復興グルメは、福島、「相馬の梨」をプレゼントします!

2015年8月25日

8月25日 復興グルメ 気仙沼『純米酒漬 黄金さんま干し』

8月25日(火)の復興グルメプレゼント!
「純米酒漬 黄金さんま干し」の当選者は、
・ラジオズキ さん
・マリスケ さん
・ぴこっち さん
以上、3名さまです!おめでとうございます!
明日は、気仙沼・かに物語の「まるずわいがに 特大一本爪 1kg」です。
お聞き逃しなく!

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今週は、『東北復興グルメ』シリーズ!
東北の「おいしいもの」を作る人たち、食を通じて、復興・地域活性に貢献する人たちに焦点を当ててお届けします。

今日は、宮城県気仙沼市からの「復興グルメ」です!
創業は昭和23年。カツオやさんまの加工品製造の老舗、「かねたけ畠山商店」。鰹節、鰹の旨煮、サンマ一夜干、サンマのつくだ煮など 新鮮な原料で出来るだけ添加物を使わず、昔ながらの手作り製法で本物の味を追求、ご夫婦で切り盛りする老舗の商店です。

二代目 畠山孝志さんを支える奥様、畠山てつこさんに伺いました。

◆自宅はどこに行ったかわからない
軽く考えていた。津波といってもまさか自宅がどこ行ったかわからないぐらいになると思ってなくて、床上か床下ぐらいで考えていた。うちにおじいさんとおばあさんがいたんで、少し高いところに親戚がいるから、お茶っこ飲みにでも行っててけらいん、て言ったんですよ。私と主人は安易に考えて何も持たないで少し高いところに行ったら、自宅がギシギシとなぎ倒されている音がしたんです。だから5分遅かったら私達は津波にのまれていたんです。自宅はどこに行ったかわからないし、工場で鉄骨の3階建てで、2階まで水があがって、鉄骨が傾いて…そういう状態です。


水産業の町、気仙沼を襲った地震津波。再出発に必要な土地や建物、販売先を失い・・・・徐々に人々は姿を消して行きました。

自宅と工場を失った「かねたけ畠山商店」も例外ではありません。しかし、地元の食材で安心・安全、美味しいものを届けたい!という想いで震災の翌年、2012年7月に仮設の加工場で営業を再開しました。

そして新商品、純米酒で上品な旨みに仕上げた逸品「黄金(こがね)さんま干し」が誕生しました!

◆「純米酒漬黄金さんま干し」
気仙沼産の鮮度のいい大きいさんまを使っている。脂ののったそのままでも美味しいさんまを、一般の干物よりランク上の味を目指して、天然塩、純米酒によってうまみを出そうと、福島の地震や津波にあった方の最高級の純米酒を使って、じんわりと味を浸み込ませるために一晩寝かせて、それから干すんです。焼き上がりは黄金色になるんです。それで名前を「黄金さんま干し」と考えたんです。熱いうちに焼き立てを食べるのが一番ですね。酒のつまみでもいいですし、日本人ですから白いご飯に干物の焼き魚は最高だと思います!
最初のうちは古いお客さんも「あぁ店再開したんだね」って手を差し伸べて買ってくれたんですけど、年々覚めてきたんだか、ちょっと停滞ぎみ。それが今に至るんですよね。前から感じてたんですけど、やっぱり子ども達が魚離れしているんですよね。若いお母さん達も焼くと煙が出るし、魚臭くなるしっていうので魚離れしている。私たちの製造して魚はもちろん焼かないとわからないから。実際子どもたちにもいろんなイベントで試食コーナーをやると「美味しい!」と食べてくれる。お母さんにしてみれば面倒くさいとか、やっぱりハムとかソーセージの方に手がいってしまうんじゃないですかね。昔ながらのおじいちゃんとかおばあちゃんとかは、やっぱ「おかずはなんてったって焼き魚っさね」って食べてくれるんですけどね。それこそ添加物もないし、身体にもいいし、味もいいし、酒肴にも最高なんですけどね。それだけなんですよね。一度手に取って食べてもらえば、できたら焼きたてのアツアツを食べてほしい。そうすればきっと味もわかってもらえると思うんですけどね。


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今日はこの『純米酒漬 黄金さんま干し』をリスナーの方にプレゼントします!
1パック2尾入×3パックを3名様に。
ご希望の方は、「メッセージフォーム」からお名前、住所、連絡先を忘れずに入力して「プレゼント希望」と書いてご応募ください。このあと9時まで受け付け。当選者はこのページで発表します。

また復興支援のためこちらの商品買いたい!という方、かねたけ畠山商店さんから直送販売もしていますので、ぜひお取り寄せしてご家族で楽しんでみてはいかがでしょうか❤

かねたけ畠山商店
電話0226-22-1562


LOVE&HOPE、明日の復興グルメは、同じく気仙沼から
かに物語の「まるずわいがに 特大一本爪 1kg」をプレゼント!

2015年8月24日

8月24日 復興グルメ 陸前高田『夢の樹バウム』

8月24日(月)の復興グルメプレゼント!
「おかし工房 木村屋 夢の樹バウム」の当選者は、
・ちえぞうさん
・なるぽんさん
・もふもふさん
です!おめでとうございます!
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今週は、東北各地の美味しい「食」に注目する『東北復興グルメ』シリーズ!東北の「おいしいもの」を作る人たち、食を通じて、復興・地域活性に貢献する人たちに焦点を当ててお届けします。

トップバッターは、岩手県陸前高田市から。創業、昭和元年から地元で愛され続けるお菓子屋さん「木村屋」。津波で被災しましたが、翌年の5月、「おかし工房 木村屋」としてプレハブの仮設店舗で再開しました。

四代目 木村洋平さんに伺いました。

◆木村屋のお菓子がもう一度食べたい!
創業は昭和元年です。創業当時は和菓子専門店として“お土産といったら木村屋のゆべし”と言っていただける地元に根付いたお菓子として知られていました。海沿いだったので店舗も自宅も全て流されてしまいました。残念ながら本店で働いていたスタッフが皆さんの避難の誘導をされていて、ご自身が流されてしまいました。私は当時東京で音楽関係の仕事をしていまして、震災があっただけでは帰る気にはならなかったんですけど、2012年の5月に仮設店舗でお店が再開したというのを聞いて、これは家族しか力になれる人はいないと思って、帰る決意をしました。もちろん父もあれだけの被害があったので、最初は再開は無理だろうと思ってたそうなんですが、やっぱり地元の方々から「木村屋のお菓子がもう1度食べたい」と強い要望をたくさんいただいて、それが支えになって、もう一度チャレンジしてみようという気持ちになったと聞いています。



「おかし工房 木村屋」として仮設店舗で営業を再開。と同時に、「いつまでも『被災企業』ではいられない」。「店の成功の秘訣は品質へのこだわりにある」と、新たな洋菓子を開発。今では店の看板商品となっている 「夢の樹(いつき)バウム」が誕生しました!

◆復興への思いを込めた「夢の樹バーム」
バウムクーヘンは、震災後仮設店舗として再開した時に新商品として発売したものなんですが、「夢の樹バーム」は奇跡の一本松をモチーフにしたというのもあり、復興の象徴になる商品としてとても好評いただいています。とにかく大きい!一番大きいのだと高さが12センチ。直径が15センチ。周りにポコポコがあるのでもう少し大きく感じるんですけど、実物を見ると「こんなに大きなバウムクーヘンは初めてみた」という声が多く聞かれます。それから食べてみると、バターや卵に地元のものを使用している。例えば卵に三陸の有精卵や、岩手県の紫波(しわ)という町の南部小麦を使用しています。それがすごく香りが濃厚で、食べごたえがあってボリュームも満点だと聞きますね。
やっぱりこれだけ大きな店をこの短期間で構えることができたのはとてもうれしく思ってますし、その分、大げさかもしれないですけどこの町の中でも、これだけ頑張ってるお店があるんだよ、ってことで、これからいろいろな展開を考えている方にも何か支えになったりとか、そういったアピールしていくような役割もあるのかなと思います。実は本店の店内にカフェのスペースも準備してまして、そこにモニターテレビをつけて木村屋だけじゃなく高田の街にはこんな面白いお店がいっぱいあるんだよ、と街の情報を紹介するような場所としても提供していきたいと思っているので、遊びにいらしてください!


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「おかし工房 木村屋」さん。今年の3月には、陸前高田の高台に本店舗がオープン!先週、21日には仮設店舗が焼き立てパンのベーカリーショップとして再オープンしましたので、是非現地で味わっていみてはいかがでしょうか。

おかし工房 木村屋のサイト
おかし工房 木村屋のfacebook

LOVE&HOPE、あすは気仙沼から。純米酒で上品な旨みに仕上げた逸品「黄金さんま干し」をご紹介します!もちろんプレゼントもありますのでお楽しみに!

2015年8月22日

8月21日 STAND UP SUMMIT2015

今朝は、8月11日、東京ビッグサイトで行われた『STAND UP SUMMIT 2015』の模様をお送りします。
このイベントは、これからの復興を担う若者たちが中心となる参加型の復興支援イベントで、「未来は自分たちで創っていく!」という想いのもと、東北、東京、海外から350名の中・高・大学生が集まりました。

その中から岩手・宮城・福島を代表する6名の生徒たちが壇上にあがり、震災当時のことから、故郷の今、そして復興への想いを語ってくれました。

また特別講師としてお迎えした、大きな夢を実現させ続けている、トップアスリート、車いすテニスプレーヤーの国枝慎吾さんからのメッセージとともに、お伝えします。

●岩手県 宮古第一中学 荒川泰青くん 中学3年
岩手県宮古市は震災で甚大な被害を受けた町です。震災当時僕は小3の3学期で自宅は1階はすべて浸水しました。津波が来たときは雪が降っていたが、夜になって町のすべてが停電だったので空の星がすごくよく見えた。普通ならキレイとか、電気のありがたみを知るという感じだと思うが、その時はおびただしい星の数があって、死んだ人が星になったかのようで不気味だった。中には家族を失って、神様私たちに何をしたのと泣きながらうずくまっている人もいて、小学校4年生でありながら「死ぬかもしれない」という場面に直面してしまいました。
しかし今の宮古市は4年経って復興しきれてないところもありますが、だんだんと昔の街並みを取り戻して、それから岩手県は来年2016年には国体が行われることになりました。震災で5年しか経ってないのに国体ができるのはすごいことだと思うし、英語が好きですごく勉強しているので、東京オリンピックでは選手でなくても、外国人の方の通訳をしたり、震災のことを伝えたりして、復興に協力できればと思っています。 

●福島県 東日本国際大学付属昌平高校 猪狩晴絵さん 高校2年
私は現在いわき市に住んでいます。私が住んでいるところは市街地なんですが、いわきの沿岸部の四ツ倉というとこでは、そこの中学校では津波で流されてしまったご遺体がサッカーのゴールネットに引っかかってなかなか学校が再開できなかったり、近くの蟹洗温泉では露天風呂に入られていた方がそのまま流されてしまったという話も聞いています。
私は幼い頃浪江町という、今は原発事故で入れない区域に住んでいたのですが、立ち入ってよい地域に行ったことがあるんですけど、ニュースとかでよく防護服を着て入るのを見たことがあると思うが、あの空間は行ってもらわないとわからないんじゃないかなと思います。今でも甲状腺の検査を福島県民の方は定期的に行っていて、それが続くのかなってなんとなく日々の生活の中で思ったりしています。福島の現状をこれからも伝え続けていきたいです

●国枝慎吾さん
自分自身の体験になってしますが、最初にテニスをはじめて世界ナンバー1をはじめてみたのが高1のときだった。その時僕はあんな風にはなれないなーと思ったんです。ただ同じ舞台で、勝てはしないにしろプレイしたいなと思ったのが最初の僕が車いすテニスに対する夢でした。一歩ずつ練習してきて、3年後、そのナンバー1の選手とプレイすることがありました。その時は6−0,6−0で負けました。その次にプレイした時は3ゲームとれました。その次は1セットとれました。やっぱり努力を積み重ねているうちに自分自身のレベルが知らず知らずのうちにあがっていき、5年後ぐらいについに逆転することができました。途中であきらめるんじゃなくて、やっぱり諦めるっていう行為は、全力で取り組んでからだな、というのをこのテニスを通じて感じたので、みんなにも、人間の可能性はやってみないとわかんないんだぞ、というのを伝えたいですね


この他、東北3県の学生からは、震災前は魚介を専門とした商店街が立ち並んでいた街が今はガレキも撤去され、更地になって、面影もない。復興なんてしていない。被災3県の現地にいって、そんな今の東北の現状をしっかり目に焼き付けてもらいたい という声が数多く寄せられました。

またこの日は、東北の学生だけでなく、東京、そして海外からの留学生も集まり、これからの復興支援のかたちや、2020年までに私たちにできることなどが議論されました。

イベントの様子はコチラのページにて、後日報告されます。

2015年8月22日

8月20日 写真家 畠山直哉さん(3)


写真家、畠山直哉さんは、石灰石鉱山の採掘現場や、鉱山の爆破の瞬間をとらえた写真集など数々の作品群を発表。日本を代表する写真家の一人として活躍しています。

そんな畠山さんの故郷・岩手県陸前高田は、東日本大震災とその後の津波で甚大な被害を受けました。震災から4年半。宅地の造成や防潮堤工事など、いま街は大きくその姿を変えようとしています。

◆この惨事をどう未来に伝えるか
津波の被害があった建物の、どれを壊してどれを遺すかという判断は結構大変だった。いまでも大変なことが続いているところもある。例えば広島のドームも時間が経ったら「これは遺すべきだ」という意見が大勢を占めたという。でも今あれがなかったら…と考えるとちょっと怖い。あれがなかったどうやって広島の惨事を想いだせばいいのだろうという気持ちになる。それと同じように、廃墟でもいいからそこになにかがある、そのことで過去と現在がかろうじてつながり、思い出すことができる。そういう仕組みはやはり必要だと思う。


白砂青松。白い砂浜と青い松が広がる景勝地、高田松原もほぼすべて流された陸前高田。震災前の街の姿を取り戻すことは、容易なことではないと畠山さんは言います。

◆ノスタルジーにあふれた空間
どんな街にしたいかという勉強会が2011年、12年には結構あった。例えば古い町並み、江戸時代の街道とかが僕が生まれ育った街には残っていた。その街道とは特殊なかぎ型をしている。話によると、敵が襲ってきたときにかぎ型の街道の影になって、姿を隠せる、そういうデザインだったという話があった。非常になじみ深い空間だった。それを同じように、かぎ型の街道を盛り土の上に再現すべきだという意見もあるのはわかる。これも外国にいったときの話しだが、最近の僕の陸前高田の写真を見せたら、こういう大規模な土木工事を行わずに、以前の平和な街の姿を再現し、そこに都会から人を観光のために呼ぶことがどうしてできないのか、と言われたことがある。つまり、ノスタルジーをそのままデザインして、ノスタルジーにあふれた空間はとても居心地がいいものだから、そこに積極的に都会から観光客を呼べば、街の活性化につながるのではと。そんなコンクリートとか防潮堤とか、山を切るとか木を伐採するとかはやめて、昔のような街を作り直すという発想がどうしてないのかと、アメリカのヒューストンで言われたことがある。でも、いま陸前高田の土地の上に立ってみたら、それはあまりに夢のような話だというのが理解できるのではないだろうか。そういった、江戸時代、明治時代の街並みを再現するというのは、博物館のようにしてしまうということ。日本の何か所で、山間のすごく古い集落で博物館のようにしている例があるが、それは実際そこに資源があったから。僕たちの街はそれをすべて波でさらわれてしまったから、ゼロから博物館の展示品をつくるということはお金がかかりすぎる。よっぽど観光客が来てくれるという自信がないかぎり、それはできない。


東北の沿岸部の中でも、陸前高田は特に津波の被害が広範囲に及んだ地域です。
畠山さんのお話からは、大規模な土木工事で故郷のかたちが大きく変わる、その戸惑いも感じます。


畠山さんが撮った震災後の陸前高田の写真は、写真集「気仙川」と陸前高田「2011-2014」にまとめられています。
また、畠山さんの創作の様子を追ったドキュメンタリー映画「未来をなぞる、写真家・畠山直哉」が現在渋谷の「シアター・イメージフォーラム」で公開されています。

2015年8月22日

8月19日 写真家 畠山直哉さん(2)

写真家、畠山直哉さんは、石灰石鉱山の写真集『ライム・ワークス』で一躍注目を浴び、鉱山の爆破の瞬間を撮影した『ブラスト』でも高い評価を得ました。一方で、都会のビル群や地下水路なども撮影。地域と都市。自然と近代化。その両面を畠山さんは写真を通して描き出してきました。

そんな畠山さんの故郷が、岩手県陸前高田市です。震災の津波は、市内を流れる気仙川をおよそ8キロ遡上し、畠山さん自身、津波で実家と母親を失いました。写真家としてこの体験をどう受け止め、作品に還元していくのか。
震災後、畠山さんは複雑な思いを胸に故郷陸前高田の風景を撮り続けています。

◆だから今撮っておく
最初のころは被災物を中心に撮っていた。壊れた家やガレキなど。それがだんだんなくなるから新しい工事を撮るようになる。でも土木工事を撮りながら、「あの下には家があったんだけどなあ」と思ったり。
これほどの土木工事が陸前高田で行われているというのは、たぶん陸前高田の歴史上初めて。これほど大規模な工事をたぶん東北の沿岸部は経験したことがない。津波ももちろん特別な出来事だったが、津波の後でこのように人間が自分たちの住む土地を新しく作っているということ自体が、また特別なこと。それが今まさに起こりつつある。
そのプロセスが終わったら、例えばベルトコンベアーなんかは今年の9月ぐらいから一斉に片づけられてしまう。今はすごくいろんなものが動いているように見えるが、吊り橋も撤去され、ベルトコンベアーも片づけられ、盛り土も終わり高台も終わり、ということになると、街はたぶん本当に静かなものになる。ひっそりとした。
その時点でどのようなことがあったのか思い出すのは、たぶん難しいと思う。だから今撮っておく。こうやって4年ちょっと過ごして、あの時撮っていた写真を今見るというのは、そのときは「こう見える」と思ってなかった見え方がするようになる。それは津波の前に撮っていた写真が、津波の後にみると全然違ったものに見えたのとちょっと似ている。津波の直後に撮った写真をいま見ると、そのときに見てた見え方とちょっと違ってきている。それはあの日から4年過ぎして、僕たちが別の心持になっているということもある。出来事はそういうふうに少しずつ変形されていものだと思う。どのような種類の写真や言葉や映像を見て、出来事のことを考えるかは結構大事なことだと思う。津波の直後の写真がいま見直される時期に来ていると思う。そのときに僕が撮った写真は、少なくとも僕にとっては非常に有用なものになっていると思う。この実感は4年たった今ある。ほかの人の写真ではなく、僕が撮った写真が僕に見せてくれるものがいっぱいある。同じように今撮っている写真も3年後、4年後、5年後、なにかの役に立つはず。少なくとも僕にとっては。そういう気持ちで陸前高田の写真をいま撮っている。


陸前高田市では、平成30年度までに震災後の新しい街づくりを完成させることを目標に掲げています。

畠山さんの創作の様子を追ったドキュメンタリー映画「未来をなぞる、写真家・畠山直哉」が現在渋谷の「シアター・イメージフォーラム」で公開されています。

2015年8月18日

8月18日 写真家 畠山直哉さん(1)

今朝は写真家 畠山直哉さんのお話です。

畠山さんは1980年代に写真家デビューし日本各地の石灰石鉱山やセメント工場をフィルムに収める一方、都会の建築物なども撮影。「自然と都市の関わり」をテーマに作品を発表し国内外で高い評価を得てきました。

そんな畠山さんの故郷が、岩手県陸前高田市です。

◆まさか陸前高田があのようになっているとは・・
その日は赤坂にある写真のラボにいて、大慌てで外に出たら建物がまるで柔らかいゼリーとかこんにゃくみたいに揺れていて、上のほうのベランダから子供が親を読んで泣いてる声がきこえていた。よく覚えている。ちょうど3時からNHKが宮城県の海岸部の津波の様子を映し始めた。それにくぎ付けになっていたけれど、まさか自分の生まれ育った陸前高田があのようなことになっているとは、まったく想像しなかった。


震災の津波は、市内を流れる気仙川をおよそ8キロ遡上し、地域に甚大な被害をもたらしました。気仙川沿いの畠山さんの実家も流されました。
震災から一週間後。畠山さんが目にした故郷の姿は、以前とは大きく変わっていました。

◆新しい段階に
震災後初めて故郷に足を踏み入れたのは3月18日。それ以前にオートバイで東京から向かったが、その道中で母がだめだったということを知った。そのころ撮っていた写真というのは悔しいとか、悲しいとか、腹が立つ、怒る、そういう感情が理由になって、シャッターを切ることが多かった。壊れた家やガレキを撮っていた。ただ2013年あたりから被災物が片づけられはじめられ、分別が進んだ。一方、新しい宅地を創るために大規模な土木工事が始まった。山を切ったり、土を盛ったり、海岸線を埋めてて防潮堤をつく始めたり。それで、写真を撮る意味がだんだん変わってきた。
昔あった「こういうもの」が「こんなになっちゃった」というのを写真に撮っていたわけだけど、「こんなになっちゃった」というものそのものがなくなってしまったから。例えば廃墟となった建物があって、その中に入って写真を撮ったりすると、すごく独特な気持ちになる。市役所のフロアーに書類が床一面に積み重なって、いっぺん濡れて乾いて埃っぽくなって。そういうのを見るのと「あー」っと思う。悔しいやら悲しいやら大変だという気持ちやら。
でもそういうものがなくなってしまう、片づけられてしまう。それで、地面が平らになって新しい土が盛られて、便利なグーグルアース的な視点で新しい線が引かれて、新しい道ができる。そうなると、記憶とか感情でシャッターを切るというのとはもうちょっと別の視点でシャッターを切るようになる。つまり2014年の頭くらいから、新しい段階に入った。


変わりゆく陸前高田を写真に収めるため、いまも毎月、故郷に足を運ぶ畠山さん。「記録」と「記憶」、両面から写真を撮り続けているといいます。
その写真は、写真集「気仙川」と「陸前高田「2011-2014」にまとめられています。

畠山直哉さんを追ったドキュメンタリー映画「未来をなぞる」が8月15日より公開

2015年8月17日

8月17日 石巻市 大川小学校のいま

今朝は、中西哲生のレポートです。

取材したのは宮城県石巻市 大川小学校。



全校児童108名のうち74名が死亡・行方不明となり、教職員の方も10人が亡くなった場所です。まだ下校前、学校の管理下にありながら、これほどの犠牲が出てしまったのは、大川小学校だけだと言います。そしてこの件は今も、「なぜ助けられなかったのか」という疑問が残ったままです。

現場を案内してくれたのは、津波を受けた大川小学校の旧校舎で、語り部を続ける、「小さな命を考える会」代表の佐藤敏郎さん。ここで亡くなった小学6年生・佐藤みずほさんの、お父さんです。



◆なぜ、大川小の児童たちは避難できなかったのか
津波は色んなモノを巻き込んできたわけで、2時46分に大きな揺れがあって、3時33分ごろに富士川という細い川が溢れたみたいです。ここまではこないだろうという方が多かったんですが、そこから溢れたのを見て「これはまずい」逃げた人は助かっている。そして北上川は、北上川の上に架かっている橋に色んなモノがせき止められ堰になり、波がたまってたまって、ドンと来たのが3時37分です。だから一気に(津波が)来たんですよね。ここ(大川小)に来た時は8m近くと言われている。2階の天井ギリギリまで。そこに体育館があったんですが木っ端みじんです。海から4km離れていて体育館がこれだけ破壊されたのは今回の震災では他に無いと思う。このように山に囲まれていて、地震から51分あったわけです。親としてみればなんとかならなかったのかという思いがある。体育館の裏ではシイタケ栽培を毎年行っていた山があるんです。しかも当時は3月なので草も生えていないし、しいたけ栽培は毎年3月はじめにやっていて、子どもたちは毎年登っていた場所。ほんのちょっと登っていたら助かったんです。だから選択肢はなかったわけではなくて、迎えに来たお母さん達も「先生、津波が来るから山に逃げてね」と言っているし、子どもたちも「先生、山に逃げよう」と訴えている。先生方の中にも「逃げよう」という意見があったみたい。しかし組織として意思決定に繋がらなかった、共有できなかったのが問題だと思っている。あの山に登れるか登れないというより、なぜ動かなかったのかというのをしっかり真ん中にして考えたいと思っている。私は教員だったので先生方みんなは知り合いで、間違いなく一生懸命だったと思う。一生懸命だったけれども動けなかった、助けられなかったということはしっかり向き合わなければならないと思っている。どんなに先生達は後悔したかと思う。なんらかの理由で校庭にとどまってしまい、動き始めたらすぐに津波が来た。しかも川に向かってしまっていて、さらに行き止まりのところに行ってしまって、あのへんで押しつぶされて子どもたちは見つかった。だからそれが悔しいというか。ちゃんと考えて行きたいなと思うところ。なんらかの理由があったはずだし。




佐藤さんは震災当時、おとなり女川町の中学校の先生でした。同じ「先生」という立場。そして「遺族」としての辛い想い。本当に大きな葛藤を抱えながら、過ごされて来たと言います。

◆命たちに意味づけをしたい
たくさん全国の方がいらっしゃって手を合わせて祈ってくれるのをとてもありがたいと思うのと同時に、そっとしておいてほしいという想いが無いわけではない。私自身もそのあいだで4年半は迷っていたところがある。(生かされている意味をどうとらえてらっしゃるか)去年1年前くらいからは、あの命達に意味づけをしたい。未来につながるような意味付けをしたい。それは私たち生かされているものの役割のような気がする。いろんな話をする時も、ここに子どもが居ると思って話せば間違った方には行かないと思う。今日も一緒に居ると思って話せば。そんな風に、整理じゃないですけど、言葉にするようになりましたね。




佐藤さんの次女・佐藤みずほさんは当時小学校6年生。いまも校舎の中には、みずほさんや、児童の名札が残っています。大川小からのレポートは、また9月にお伝えします。

2015年8月14日

8月14日 「未来の祀り・ふくしま」

今朝は、来週8月21日(金)から3日間、福島県福島市で開催される、「未来の祀(まつ)り・ふくしま」に注目します。
「未来の祀り・ふくしま」は、今年が初めての開催。「まつり」の字は、“神さまを祀る”の、「祀り」の字を使います。福島在住の詩人、和合亮一さんが発起人となり、「未来を祀る、ふくしまを祀る」をテーマに震災における福島の現実を伝え、未来へ祈りを捧げるための行事がさまざま行われます。

今朝は、福島県福島市で開催される、「未来の祀り・ふくしま」について、発起人である福島在住の詩人、和合亮一さんに伺いました。

◇「未来の祀り・ふくしま」、来週8月21日(金)から3日間、開催。
 会場は、福島稲荷神社を中心に、市内各所。

◇シンポジウムや、トークライブ、影絵芝居など学びの多いコンテンツに加えて、最終日には、福島稲荷神社に奉納される書き下ろしの現代神楽、「ふくしま未来神楽」が上演されます。

プログラムについて詳しくは「未来の祀り・ふくしま」のオフィシャルサイトを訪ねてみて下さい。

2015年8月13日

8月13日 5年目の夏、石巻のこれから (石巻STAND UP WEEK 2015)

8月1日(土)スタンドアップウィーク最後の週末。石巻の伝統行事「川開き祭り」も2日間の最終日を迎えました。

商店街には、震災後5年ぶりに戻って来た吹き流しの七夕飾り。そして歩道沿いには、たくさんの方の願い事が書かれた短冊もありました。



スタンドアップウィークを企画した、ISHINOMAKI2.0 代表理事 松村豪太さんは、5年目の夏に、どんな願いを、短冊に託したのでしょうか。

◆本当にやりたいことをできる時期へ
僕は書きたいことがありすぎて筆が止まっていましたが、やはり「世界で一番面白い町を作ろう」ですかね。いま色んな団体というかプロジェクトがにょきにょきと生え始めている時期だなと思うんですね。例えば僕らも、2.0不動産という、空き家をDIYで改修して移住者を呼び込むプロジェクトをやっていますが、そこをぐんと先を言ったフィッシャーマンジャパンのトリトンプロジェクトという、職業と結び付けて漁業の担い手・チャレンジャーを作っていき、さらに空き家を拠点として改修するというプロジェクトが生まれている。そういう存在が生まれていて、ネットワークも築けていることが心強く、可能性を感じています。僕が石巻の人間として震災当時もここにいたから変わったことをやりやすい立場だと思うが、地域の人を応援しよう、復興活動をしようと外から来たみなさんはやりたいことを遠慮してきた5年なのかも知れない。この5年というタイミングで団体によっては解散や縮小もあるが、逆に本当にやりたいことを出来始める時間なのかもしれない。たんなる絆の応援ではなく、ビジネスベースや新しいことが起きつつあるのが今の時期かも知れない。仕事が無いと永住、定住はできない。新しく仕事を作ることだと思う。地元の高校生にとっては石巻は典型的な田舎の地方都市だが、彼らにとって仕事は就職相談課の窓口に来た型通りのペーパーのもの。時給はいくら、月給はいくらで、週に何日休めるかというのが全てで選択の余地は無かった。でも仕事はそれだけじゃなくて、すごい人の背中を見ながら動く仕事もあるし、ローカルにとどまらず世界とやりとりしながらする仕事もある。そういうことを見せて行かなきゃいけない、選択を示さなければいけない。さらに選択肢も震災をきっかけにできつつあるのがこの町。ちゃんとそれを多くの高校生大学生に見えるようにする、こちらから丁寧に話す機会を作る、そして楽しいと思ってもらえる時間を作らなければいけないと思っています。



(左:STAND UP WEEK 総合ディレクター勝邦義さん 右:松村豪太さん)

「世界で一番面白い町を作る」、というキーワードを旗印に、震災から5年目の夏祭りを終えた石巻は、これからも外からやってきた人たちを巻き込みながら、他にはない新しいものを生み出していきそうです。

◆しなやかに、外とつながって
石巻の七夕は、豪華さやボリュームでは仙台や平塚には到底足元にも及ばない。そこにないものが石巻の七夕にあるとしたら、「風にたなびく」ということ。仙台はやはりアーケードに覆われた静かな動かない七夕。それに対して石巻の七夕は外とつながっていて、空と一体になって景色を作っていると思う。この海風、川の風がしなやかな丈のカーブと合わさって、風にたなびく姿が石巻の七夕なんじゃないかなと思いますね。




こうして8月1日、石巻の川開き祭りとスタンドアップウィークは夜空を彩る花火とともに、幕を閉じました。

石巻の七夕飾りは、外と繋がって景色を作ります。そして町の人たちも、外と繋がりながら、しなやかに変化を続けていくはずです!

2015年8月12日

8月12日 5年ぶりの七夕飾り(石巻STAND UP WEEK 2015)

引き続き、宮城県石巻市の夏の恒例イベント『STAND UP WEEK』のレポートです。

毎年7月31日と8月1日に行われる、石巻の伝統行事「川開き祭り」。スタンドアップウィークはこのお祭りに合わせる形で、震災後に始まったイベントです。

イベントも今年で5回目。町には新しいお店も増え、震災直後と様子はずいぶん変わりました。特に今年は、川開き祭りをあざやかに彩る、お祭りの「象徴」の復活という 大きなトピックもあったんです。
ISHINOMAKI2.0 代表理事 松村豪太さんに伺いました。

◆みんなで復活させた七夕飾り
あっという間に気がついたら8月1日最終日。今年は『みんなの七夕』ということで、震災以来ストップしていた七夕の吹き流し飾りを、参加型で色んな関わり方で色んな立場の人たちが作るというメイン企画を実施して、のべ500人くらいが参加しました。現地の人だけでなく東京で支援する企業の方や、クラウドファウンディングで思いを制作費として拠出してくれる人も。また現地ではワークショップだけでなく、町のお母さん達が自分で吹き流し飾りを彩るお花を作って頻繁に届けてくれるという涙が出そうな場面もあった。七夕飾りの本数は60本くらい。震災前は商店街の人たちが七夕飾りを作っていた。「向いの商店には負けない」「あっちの呉服屋には負けない」というライバル関係があって張り合っていたので面白いものが作られていたが、それは書くお店に従業員がたくさん居た時代のこと。今は震災を別にしても小売業は大変な状況で、なかなか攻めの経営はできていない。担い手も見つかっていないお店が多い。それが3月11日でさらにダメージを受けて、なんとか営業を続けていても社会貢献までは手が回らない状態だった。そして正直な話し、「七夕飾りがなくなってほっとした」という声すらあり、一方で「なくなって寂しかった、こんな商店街でいいのか」という声もあった。2011年の夏にSTAND UP WEEKという実験的な企画をスタートさせ、みんなで素朴に頑張って元の町の戻そうということではなく、新しいモノ、モデルを作ろうとやってきた。この七夕飾りを復活させる、あるいは新しい作り方ができたら良いんじゃないかと考えた。それがこの七夕飾りの発案のきっかけでした。




こうして5年ぶりに、商店街の空にたなびく七夕飾り。地元・石巻で生まれ育った松村さんは、それを見上げながら、こんな話しをしてくれました。


◆こんなに大事なものだったんだ。
昔から見ていたはずだが、当たり前の景色だったんですね。こんな大事なもので大変なものという意識はなくて、東日本大震災そのものもそうだけど、無くなって初めて景色の背景がわかったというか、かけがえの無さというか大事さがわかった。良さが確認で来たものがすごくたくさんある。その中でこの七夕飾りは僕自身もプレーヤーになったのでより実感した。実際に七夕の吹き流し飾りを作るのも大変なんですが、それを通りに立てかける作業は初めてやったのだが相当大変。竹は10mくらいあって見上げると本当に高い。これをみんなで持ち上げて、道路交通の邪魔にならないようにロープを張り、七夕の先生である向いの瀬戸物屋さんの社長さんに教えてもらった。若い人だけじゃなく商店街の人も40人集まって、みんなで教わって「いっせーのせ!」で、10mの竹を立てかける。もう映画みたいでしたね。




LOVE&HOPE、あしたもスタンドアップウィークのレポートをお届けします!

★STAND UP WEEK サイト

2015年8月11日

8月11日 HOYAPAI(石巻STAND UP WEEK 2015)

今朝は、宮城県石巻市の夏の恒例イベント『STAND UP WEEK』のレポートです。

石巻の伝統行事「川開き祭り」に合わせたイベント、スタンドアップウィーク。このカルタ取りの会場に、頭に不思議なものをかぶった人がたくさんいました。


こんな感じで。

大人も子どもも。

こんなところにも。

気がつくと高橋さんの後ろにも。

スタッフも。

これ、HOYAPAI(ほやぱい)というもの。頭にかぶって楽しむアート作品です。考えたのは仙台出身で東京造形大学でデザインを学んだ新人アーティスト、太田和美(おおた・かずみ)さんです。



◆母なる海の恵 × 母親の象徴 = HOYAPAI
そもそも、風船とみかんのネットを使う作品を大学の卒業制作で作った。最初はおっぱい。石巻にもっていき、たらこだった。石巻はスケトウダラ漁が盛んで、身は笹かまぼこで卵はたらこ。加工業が盛んだったので、たらこの遊具を作って子どもたちが中に入って遊ぶというものを作っていた。去年くらいから地元のお母さん達が、「なにこれ、ホヤじゃないの」と言うのでホヤパイが誕生。スタンドアップウィークのくくりでは、石巻のクリエイティブに参加しようということで、じゃあみんなでホヤパイをかぶって写真を撮りましょうという企画を実施。きょうなんかは地元のお母さんがフラダンスをするにあたって、ホヤパイを腰に巻いて踊ってくれた。今年はそういうのができて良かった。海がすごくキレイ。海がキレイだしそこの生き物たちがキレイ。震災後は海の水がすごくキレイになり、そのおかげでそこに住む生き物たちの色が映える。私がホヤをしっかり作ろうと思ったのも、キレイな青い海の中で赤くつややかにプルンとなっている(ホヤ)が溜まらなく好きで、そこからホヤパイをしっかり作品として。ホヤとおっぱいを私なりにオマージュして作ろうかなと。


発案者の太田和美さんは現在27歳。アーティストとしてはまだ、なりたての、ホヤホヤ…。震災後の石巻は、若いクリエイターが自由に表現できる環境があるということで、大田さんは石巻で生活しながら、創作活動を続けています。

仙台出身・いまやすっかり石巻の人になった大田さん。この町の好きなところを、ホヤパイをかぶった状態で語ってくれました。

◆石巻の「川の文化」
石巻に来たら海だけでなく、川の文化も知ってほしい。石巻に来て地元の歴史を調べている人たちのお話を聞く機会も多かった。石巻という場所は江戸と東北を結ぶ港で、東北で集めたお米を石巻の港から江戸に運ぶ千石船というのがずっとあり、お米を集めるために色んなところに川と掘があって、人々の生活がそこで営まれていたことが随所に残っている。住吉神社のある住吉地区は蔵が残っていて、そういう町歩きもしてもらえると楽しいのかなと思う。文化のある町です。



このHOYAPAI、現在はレンタルサービスも行っていて、様々なイベントや団体への貸し出しもしています。詳しくは、★ホヤパイのFacebookページをご覧下さい

あしたも石巻STAND UP WEEKのレポートです。

2015年8月10日

8月10日 Light Up Nippon

今朝は、あす8月11日火曜日、東日本大震災から4年5か月を迎える日に、東北沿岸部の各地で一斉に花火を打ち上げるイベント、「Light Up Nippon」に注目します。

「Light Up Nippon」は、2011年8月11日に第一回目が行われ、今年で5回目。花火の灯りで被災地を照らすとともに、東北の産業を応援するイベントなども行ってきました。その軌跡は、「Light Up Nippon」という映画にもなりました。

あらためて、この「Light Up Nippon」に込めた思いを、主要メンバーのお一人で、カメラマンの小田切アキさんに、5回目を迎えるにあたっての思いを伺いました。


岩手県野田村から、福島県いわき市久之浜まで、総延長300キロの沿岸部で一斉に打ち上げられる鎮魂の花火・・・各会場の情報などは、「Light Up Nippon」のオフィシャルサイトをチェックしてください。



2015年8月7日

8月7日 南相馬「追悼福興花火」2015


「天国の子どもたちに、もう一度花火をみせたい」
「天国にいるみんなに、安心してもらいたい、笑顔を届けたい」
「深い悲しみから抜け出せない人に、そっと背中を押したい」
また一歩「前に進もう」と誓いを込めて見上げる花火。

明日、福島県南相馬市萱浜の空に、2000発の追悼の花火が打ち上がります。

この企画の中心にいるのは、番組では何度も取材している「福興浜団」の上野敬幸さん。津波による行方不明者の捜索を今も続け、人のいなくなってしまった場所をもう一度、笑いあえるところにしようと活動されています。

今朝は上野さんと電話をつなぎ、5年目の夏を迎えた萱浜地区の様子、追悼福興花火への思いを伺いました。


【追悼福興花火2015】
8 月8日(土)
16:00〜追悼福興ライブ 後藤正文(アジアン・カンフー・ジェネレーション)他
19:30〜追悼花火


★福興浜団のfacebookでは「2011年−2014年の福興花火」の様子がご覧になれます。
★USTREAMで生中継もされます。
★現在、寄付も受け付けています。
詳しくは福興浜団のfacebookをご覧ください!

2015年8月6日

8月6日 SENSEKI TRAIN FES(4)


今週は、先月東北で開催された電車移動型の音楽フェス、「SENSEKI TRAIN FES」の模様をお伝えしています。

宮城県の仙台駅と石巻駅を繋ぐJR仙石線。今年の5月に、4年2か月ぶりに全線復旧しました。その再開を祝っておこなわれた音楽イベントが「SENSEKI TRAIN FES」です。「本塩釜」、「高城町」、「陸前小野」、仙石線沿線の3会場で行われました。

今日は昨日に引き続き、「高城町駅」会場の模様をお伝えします。
トークショーのステージでは、『あまちゃん』でおなじみ、宮城県出身の脚本家、宮藤官九郎さんをはじめ、ロックバンド「銀杏BOYZ」の元ギタリストで、現在は山口県の周防大島で農家を営む中村明珍さんなどが仙石線の再開を祝って、トークを繰り広げました。

◆コメがまずくなるから畑ではケンカしない
Q 宮城県民の魅力って、どんなところですか?
宮藤:基本的にものをあんまりハッキリいわないですよね、東北全般、いや、うちの母親だけかもしれないけど断らないですよね、いろんなことを。で、いなくなってから、「ホントはこうだったのに」っていう人が多い。
住職:宮藤さんのお母さんとお父さんは私たちの学校の先生だった。絶対に怒らない先生だったんですよ。
宮藤:ぼく怒られましたけどね家で。赤い靴下履いてるって、仏壇に手を合わせていたら、赤い靴下履いてて、後ろから殴られたんですよね、同一人物とは思えないですけどね。
Q 中村さんは、いま、山口県の周防大島ですよね?
中村: 畑があるから農業やれって妻に言われて、農業やることになったんです。その中で、宮城の米農家の夫婦に会ったんですね。話をしたときに、畑に入る時は絶対に喧嘩しないそうなんですね。理由を聞いたら、「コメがよー、まずくなるのよ」って。腹が立つときは、夫婦で作業をして畑を出てから、
車に乗って扉を閉めてから喧嘩をすると。すごい人がいるなと。ぼく宮城のイメージそれになりましたね。
宮藤:車に入ってからすごい喧嘩しそうですね(笑)


7月11日に開催された電車移動型の音楽フェス、「SENSEKI TRAIN FES」。高城町駅会場となった松島高校の運営には松島高校・観光科の生徒たちが携わりました。

◆松島高校観光科の生徒たち
「はじめて観光科に入ってこういうフェスティバルをみんなで開催することができて、がんばったなって思います。」「来る人みんなが笑って帰れるようなフェスティバルにしたいと思っていました。帰っていくお客さんが、わたしが見た中ではみんな笑顔でありがとうって言ってくれて、よかったなって思いました。」「接客などを教えてもらっていたので、それはこれからも活かせると思います。観光科として、ほかのところから来た人が楽しめるイベントをこれからも作っていきたいと思います。」



今朝は、お休み中の中西さんに代わって、弁護士・菊池幸夫さんとお送りしました。

2015年8月6日

8月5日 SENSEKI TRAIN FES(3)


今週は、先月東北で開催された電車移動型の音楽フェス、「SENSEKI TRAIN FES」の模様をお伝えしています。

宮城県の仙台駅と石巻駅を繋ぐJR仙石線。その再開を祝っておこなわれた音楽イベントで、「本塩釜」と「高城町」、「陸前小野」、仙石線沿線の3会場で行われました。今日お届けするのは、高城町会場。地元・松島高校の体育館で行われ、運営には松島高校の生徒たちも携わりました。


そこで盛り上がったのが、『あまちゃん』でおなじみ、宮城県出身の脚本家、宮藤官九郎さんが登場した「トークショー」。演歌歌手で大の電車好きという徳永ゆうきさん。そして震災以降、被災地を不定期に巡る喫茶店、「Cafe de Monk」を主宰している 金田諦應住職などとともに、仙石線の再開を祝うトークが繰り広げられました。

◆仙石線は復興のシンボル
Q 仙石線の魅力は?
徳永:昔、東京で走っていた車両が仙石線に使われているんですよ。山手線とか京浜東北線とか。鉄道ファンからすると、第二の人生なんだ、と結構テンション上がりますね。ぼくは「撮り鉄」なので、たくさん写真撮って、ファーンって警笛鳴ってすれ違うとテンション上がります。

金田:東名とかあのへんは海がキレイで、シーカヤックをしたような記憶がありますね。その脇を仙石線が、海すれすれに走っていくんです。やっぱり宮城の魅力って海の美しさですよ。それから、そこから獲れる魚介類ですね。震災の1年後ぐらいには海が復活していましたからね。回復力はすごいですよ。

Q あまちゃんでも、ドラマでは「北鉄」が復旧することが、復興のシンボルになっていましたね。
宮藤:地元の人は、バスや車のほうが便利だという人もいますけど、そういうことじゃなくて電車が走っていてくれることがいいことなんだって言うんですよね。北鉄のモデルになった三鉄は、1駅か2駅だけだけど、走っていることが重要だということで、震災の1週間後には走っていたって聞いたんですよね。元気なんだってことをアピールするために、無理矢理、走らせたっていう」

来場者の声
◆仙石線はおじいちゃんが石巻の家に住んでいて、一回だけ一人で乗って行った思い出があるので、また乗れてうれしいです。マグロの直売所で鉄火丼を食べてきたんですけど美味しかったです!
◆仙台の市内に住んでいます。なかなか来る機会がなくて、こっちのほうに。仙石線に乗って。景色と音楽が自分の中でリンクしてグッときて、今日ならではの感じがあって良かった。
◆マイア・ヒラサワさんです。高校のダンス部の子たちと一緒に最後やっていたんですけど、ちょっと泣きました。



今朝は、お休み中の中西さんに代わって、お笑い芸人の厚切りジェイソンさんとお送りしました。

2015年8月4日

8月4日 SENSEKI TRAIN FES(2)


今週は、先月東北で開催された、電車移動型の音楽フェス「SENSEKI TRAIN FES」の模様をお伝えしています。

宮城県・仙台駅と石巻駅を繋ぐJR仙石線。その再開を祝っておこなわれた音楽イベントなんですが、「本塩釜」と「高城町」と「陸前小野」、仙石線沿線の3会場で行われました。会場と会場をつなぐのは、まさに仙石線、ということで、“移動しながらその町の魅力も楽しんじゃおう”、という前代未聞の音楽フェスです。

特徴的だったのは、各会場、地元の方々が運営に携わったこと。「陸前小野駅」の会場で活躍したのは、震災で被災した後、ある“ものづくり”によって日本中から注目されることになったお母さんたちでした。それは、靴下を縫い合わせて作るお人形、「おのくん」、です。おのくんプロジェクト代表の武田文子さんにうかがいました 。

◆里帰りしてくるおのくん、人のつながりができるんです
靴下で作ったお人形「ソックモンキー」。それをまねて、「おのくん」という小野仮設で使っているので「おのくん」と命名して、被災したおかあさんたちが、少しでも自分たちの生活の役に立てばとおもって始めたものなんですね。最初はまさか売れるとも思わないであまりにも暇だったんで始めたんですが、いまのところ予約は1年待ちで、とてもじゃないけどおいつかないんだけど、それで、里親制度、ということにしているんです。おのくんお人形を買うじゃなくて、買った人が里親になるということ。自分の好きなように着飾ったりして、そのあとに、里帰りしてくるんですよ。ヒトのつながりができるんですよ。だから私も生活していてこんな経験もないし家も全部なくなって箸1本残ってなかったけど、人間的なつながりが震災前はあるわけなかったけど、いまの震災後のほうがスゴイ充実した生活、楽しみながらやってますね。ぜんぜん震災になっても、命さえ助かればね。
それまでは、二年ぐらいはかかりましたね、吹っ切るまでね。それまでは涙も出ないんですよ、あまりにも重すぎて。私は車に乗って、近所の親せきのおばさんと二人で津波に流されて、車の中で、首のところまで水が来ていたんですよ。車もあかないし、無理だと思っていたら、いろんな瓦礫が流れてきて、車のガラスを壊してくれて、なんとか助かったという感じですよね。おばさんは助けられなかったですけどね。ようやく涙が出るようになるまで2年かかりました。涙がでたらすっきりして明るくなりました。
全国のみなさん、仙石線を降りるとすぐですから、みなさんが立ち寄って頂いて、ひまつぶしでもいいから寄って頂いて、寝るなり遊ぶなりなんでもしていただいて、そんなのんびりしたお店を作りたいと思っていますから、おじいちゃんやおばあちゃんと話してくれたりしたら嬉しいですねえ。お待ちしていますので皆様どうぞよろしくお願いします。



いままでは、陸前小野駅の前にある「小野駅前・応急仮設住宅」で作って販売をしていたんですが、駅前には、あらたに「空の駅」というコミュニティスペースが誕生しました。この夏、仙石線に乗る機会があるという方は、ぜひ、陸前小野駅前のおかあさんたちに会いにいってみてください!




7月11日に開催された電車移動型の音楽フェス、「SENSEKI TRAIN FES」
ライブは陸前小野会場から、空気公団のステージで「お山参詣登山囃子」お送りしました!

2015年8月3日

8月3日 SENSEKI TRAIN FES(1)


今週は7月11日に開催された電車移動型の音楽フェス、『SENSEKI TRAIN FES』をお送りします。

宮城県・仙台駅と石巻駅を繋ぐJR仙石線が、今年の5月30日に震災以来4年2か月ぶりに全線再開したのですが、その再開を祝って行われたのが「SENSEKI TRAIN FES」です。

「本塩釜」と「高城町」と「陸前小野」、仙石線沿線の3会場で行われ、会場と会場をつなぐのがまさに仙石線、という“移動しながらその町の魅力も楽しんじゃおう”、という前代未聞の音楽フェスです。
各会場、地元の方々が運営に携わり、ライブのほかにも「ぜひ、ここにも寄って行って」と、「地元のステキなヒト・モノ・コト」をたくさん紹介してくれました。
本塩釜でおススメされたのが、ここ、亀喜寿司です。

◆近海のマグロが入ってきたときは皆さん喜んだ
亀喜寿司の保志昌宏です。
すぐ目の前が港なので、川の流れのように家に車が突っ込んでいったり、街中そんな状態でした。
でも一番最初に入ってきたのは、6月の終わりごろ。沖の底引きで獲ってくる近海物の、ブドウエビとかメヌケとかがけっこう入ってきたので、食べに来てくださったお客さんが徐々には多くなってきましたよね。
それで、希望が持てたのは、やっぱりマグロ。塩釜と言えばマグロがメインの魚なので、マグロが入ってきた時点で、寿司と言えばマグロなんでね、みなさんイメージ的に。近海物のマグロが入ってきましたよというとみなさん喜んでね、それでマグロが獲れてくるとカツオとかも入ってきますんでね。
ただ、漁師さんが半分に減っちゃったんで量的に少ないですから、獲る漁師さんが減っていますから、値段がグッと上がっているのが現状ですね。


本塩釜の駅から徒歩10分のお寿司屋さん、「亀喜寿司」。
津波によって街一帯が、腰ぐらいの高さまで海水に浸ったそうですが、それでもゴールデンウィーク前にはお店をオープンさせたということです。

そして、じつは、塩釜は、生マグロの水揚げが日本一の場所!9月の中旬から12月までは、三陸の東の沖合で最高級のメバチマグロが獲れるそうで、「三陸・塩釜・ひがしもの」というブランドにして売り出しているということです。

漁師さんの数は減ってしまったとはいえ、天然ものの、新鮮でおいしい魚を楽しめる塩釜のお寿司屋さん。「ほかのどこにも負けない!」という、こんなこだわりを持っていらっしゃいました!

◆五感をフルに使って味わうのが塩釜流
私をはじめ塩釜の寿司屋さんの親方は、五感、いわゆる、口、手、耳、鼻、五感をフルに使って食べてもらうのが塩釜ならでは、亀喜の食べ方ですね。魚のいろんな状況や、漁師さんの獲り方、お客さんが楽しんで情報が頭に入っている方が深く味わえる。
いまだと旬なのはガゼという殻つきウニ。これは七ヶ浜、ここから車で10分。七つの浜があるので七ヶ浜なんですが、漁師さんが素潜りで潜って、岩場から獲ってくる紫のウニを地元ではガゼと呼ぶんですよ。これがイチバン旬のものです。
七ヶ浜沖のガゼは、宮城県でもトップクラスの品質。実が盛り上がるぐらい、パンパンに入っています。なおかつ、紫のウニはトゲ、足が長いんですがそれが短いんですね。なぜかというと、歩かないでもエサがたくさんあるので、そんなに歩き回らなくてもいいメタボなウニなので、足が短い。ですから実がごっそり入っている。それを、塩釜で作っている藻塩をかけてスプーンで食べるとなんともいえない素晴らしい味ですね。



そして、塩釜という土地の由来は「塩づくり」から来ているそうなんですが、そんな塩釜の名物のひとつが、海水を煮詰めて丁寧に作る“藻塩”という塩。この藻塩をふんだんに使ったスイーツもオススメということで、駅前を中心に、お菓子屋さんも何軒かあるそうですよ!
音楽をきっかけに、その土地の魅力に触れることのできるSENSEKI TRAIN FES、明日もお伝えします!



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パーソナリティ 鈴村健一

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