2014年8月28日

8月28日 関東大震災に学ぶ、都市型災害への備え(4)

今週は、「関東大震災に学ぶ、都市型災害への備え」について、名古屋大学・減災連携研究センター教授の武村雅之さんに伺います。武村さんは、「関東大震災」の傷跡が残る地域をくまなく歩き、震災の教訓を伝える活動を続けています。

そんな武村さんがわたしたちの「盲点」だと語るのは、「災害時の一斉避難」です。

◆「地震が起こってすぐ避難」は本当に安全か
日本人の悪い癖で、「地震が起こったら避難する」とみんな思っている。いかに安全な場所にいても、地震が起こったら、どこか別の場所に行かなきゃいけないと思っている。それは学校の防災訓練が必ずどこかに避難させるから。でもあれは、火災に対する訓練。学校は法律で火災の訓練を必ずやらなきゃいけないことになっている。ところが震災のときに、学校から火災が起こるということは、あるかもしれないけど、少ないだろう。だからそこにいるひとが、どういう場合はどうしようと、自分の頭でちゃんと考えないと、地震が起こったら反射的に避難するというのは、やめたほうがいいんじゃないか。昔は建物が耐震的じゃないものが多かったので、余震で壊れるということを恐れて皆さん外に避難した。でもいまは耐震的なものがすすんでいるので、周りを見渡して、自分がいる建物がそんなに危険でないということがわかれば、しばらくそこにいて、まわりの様子を見てからゆっくり判断をしたほうがいいし、東京の都心はきちんとした基礎をもった建物も多いから、そういうこところから、わざわざ急いで避難して、危険なところに行く必要はないんじゃないか。
都心に勤めている人は家族に対して、「わたしは地震が起こったときすぐに家には帰れないので、どこにどう連絡をしよう、家族はどういうふうに動こう」と、家族と段から決めとけばいいだけ。港区はたしか高層住宅に住んでいる方は避難所に来ないでくださいということになっていると思う。それは、エレベーターもとまるので、自分のところで備蓄するのが前提で、そういう高層住宅の人達が一斉に地上に降りてきたら、もう大変なことになって、本当に避難しなければいけない人達が避難できないので、やめてくれ、ということになっている。
自分のいるところが火災などなく安全ならば、少し踏みとどまって情報収集をするということを考えたほうがいいと思う。それが現代の都会人のやり方、生き方だと思えばいい。そういうルールづくりをして、普段から共有すること。普段からこういう場合どうなんだろう、本当にこれは安全なんだろうか、ということを少しずつ皆が考えておくことが重要。


地震が起こって室内に留まるべきか、屋上に避難するべきか、別のところに避難するべきか・・・マニュアルに従うのではなく、その場の状況をまず考える。これが災害時の行動の基本です。
9月1日の「防災の日」を前に、もしものときの行動も家族と確認しておきたいですね。

2014年8月28日

8月27日 関東大震災に学ぶ、都市型災害への備え(3)

今週は、「関東大震災に学ぶ、都市型災害への備え」について、名古屋大学・減災連携研究センター教授の武村雅之さんに伺います。武村さんは、「関東大震災」の傷跡が残る地域をくまなく歩き、震災の教訓を伝える活動を続けています。

関東大震災の死者行方不明者は、10万5千人。そのうち、4万人近くが一度に命を落としたのが、現在の東京墨田区に位置した「元陸軍の被服廠跡(ひふくしょうあと)」です。公園予定地として更地になっていた2万坪の広大な敷地に逃げ込んだ人達は、一旦は安全を確保したとものと、安心します。けれども、その安心もつかの間、被服廠跡は地震による火災に包まれ、ここで多くの人が命を落とす結果となりました。被服廠跡の教訓として「災害時には、安心が危険を招く」と語る武村さん。さらに、もう一つの教訓があります。もう一つ被服廠跡のポイントは家財道具。家財道具を皆さん大八車に乗せて持ってきた。当時の報告書を見ても、それが大量の死を招いた一番の原因だと書いてある。

◆車は可燃物である
その次に書いてあることは、「江戸時代、火災のときに家財道具を大八車に乗せて逃げることはご法度だった」と書いてある。それが江戸の市民のルールだった。ところが明治になって、いろんな人が東京に来て人口密集が起こり、そういう(江戸の)ルールを知らない人が、結局関東大震災のときに家財道具を持って逃げてしまって、大参事が起こってしまった。その火災を調査した東京大学の中村清二先生が報告書の最後にこう書いている。「同じ失敗を何度となく経験しても、わたしたちは一向賢明にならなかったのである。大八車が自動車に代わることはあろうけれども」と。
当時自動車はほとんど走っていない時代なのだが、大八車が車に代わることがあっても、わたしたちはまた同じ失敗を繰り返すかもしれないと、心配している。
思い当るのは東日本大震災。東京の人達は多くの人が自分の車で自分の家に帰ろうとして大渋滞を引き起こした。車は可燃物。大渋滞が起こった時にまわりで火災が起こったらどうなるのかと考えなければいけない。皆が想い想いに行動していては、安全は確保できないのではないか。
例えば首都直下地震の場合、家も壊れるし延焼火災も起こる。当然高速道路も火災の危険がある。当然東京のまわりはドーナツ状に木造密集地で火災危険度の高いところがある。車で帰りたい人は、そこより外側に住んでいる人が多いので、非常に危険な木造密集地を可燃物を抱えながら突入していくということが、車で自宅に帰るということ。われわれはそこのところを考えなきゃいけない。


東日本大震災で東京の道路は大渋滞になっていました。幸い火災などはなかったが、もし火が出ていたらどうなっていたか・・。「もし火災が起きたら・・」「もしビルが倒壊して道路がふさがれたら・・」
“想像する力”も防災を考えるうえで大切なことではないでしょうか。

2014年8月28日

8月26日 関東大震災に学ぶ、都市型災害への備え(2)

今週は、「関東大震災に学ぶ、都市型災害への備え」について、名古屋大学・減災連携研究センター教授の武村雅之さんに伺います。武村さんは、「関東大震災」の傷跡が残る地域をくまなく歩き、震災の教訓を伝える活動を続けています。

関東大震災の死者行方不明者は、10万5千人。そのうち4万人近くが、非常に狭いエリアで一度に亡くなったことはあまり知られていません。それが「元陸軍、被服廠跡(ひふくしょうあと)」。被服廠とは、軍服や靴などを製造していた場所で、大震災の4年前に移転し、震災当時は、公園予定地として更地になっていました。

◆被服廠跡の教訓、安心は禁物
東京の死者が6万9千人。そのうちの3万8千人は非常に狭い場所で一挙に亡くなった。それが陸軍の被服廠跡。いまの両国駅から北を眺める一帯が被服廠跡。江戸東京博物館とか国技館も一部そう。広さは2万坪と当時の資料にはあり、サッカー場だと6面つくれる広大な土地。
関東大震災が起こったのが11時58分。墨田江東は地盤が悪くて、たくさん家がつぶれたから火災もたくさん発生して、人々は家財道具を山ほど積んで逃げてきた。午後3時ごろには被服廠跡には入れない人がぎっちりと詰まっていく。その人達が2時間後の16時すぎぐらいに全滅する。なぜ午後4時過ぎに亡くなったか。それは被服廠跡が最後まで焼け残っていたから。気がついたら、周りは全部火の海で、家財道具につぎつぎと引火して、火災旋風という炎の竜巻みたいなものが起こって、ほとんど全滅した。
ところが、そこで生き残った方がいて、直前の様子を書き残している。「場内にては、飯びつを持て来て、ご飯を食べいる人もあり。荷物の上に立ちあがって諸方の火事を見ている人あり、旗を立ててカルピス飲料水を売り歩く人もあり、近所では食料品店を開店してものを売っていた」と書いている。それが亡くなる2時間前のこと。皆がなんでそんななごんだ雰囲気だったかというと、おそらく、こんなに広い場所に逃げてこられたから、これで命が助かると思った。家財道具も持ってきたから、家がだめでもとりあえず「安心」だと思ったのだと思う。
わたしはこの写真を見て「安心することほど人間にとって怖いことはない」と思う。もしも家財道具を持ち込んだ人達が、この家財道具に火が付いたらどうしようとちょっとでも心配していたら、そこにはとどまらなかったんじゃないか。そうすると、3万8千人のうちのかなりの方が、命だけは助かったかもしれない。
「安全」と対になる言葉は「心配」ではないか。心配を皆が少しずつ共有するから安全が保てるのであって、みんなが安心しきっていたら、こんなに危険なことはないと、この被服廠跡の大参事がわたしたちに教えてくれているのではないか。


お話にあった「元陸軍の被服廠跡」には、現在、犠牲者の遺骨を納める「東京慰霊堂」が建てられています。関東大震災があった9月1日には、毎年大法要が営まれているそうです。

2014年8月25日

8月25日 関東大震災に学ぶ、都市型災害への備え(1)

今週は「関東大震災に学ぶ、都市型災害への備え」について考えます。

1923年(大正12年)9月1日。
東京、神奈川を中心とした広い地域を、マグニチュード7.9の地震が襲いました。いわゆる「関東大震災」です。死者行方不明者は10万5千人。全壊した家屋11万棟。全焼した家屋21万棟。被災した人の数は、なんと200万人にも及びました。

日本の災害史上、もっとも多くの被害を出した関東大地震からわたしたちが学ぶべき教訓とはなにか。名古屋大学・減災連携研究センター教授の武村雅之さんは、長年このテーマに取り組み、関東大震災の被害が残る地域をくまなく歩いてきました。

そこから見えてきたのは、「人間と科学技術の関係性」だと言います。

◆科学技術という選択肢を適切に利用する意識
関東大震災は全体の死者が10万5千人。そのうちの6万9千人が東京での死者。関東地震は東京直下で起こったと思っている人が結構いる。それは東京での被害が大きいから。でも実は関東自身の震源は神奈川県の下、相模湾、また千葉県の南部でプレート境界が動いた。だから(震源地は)東京から見たら少し離れている。東京では地盤がいいところでは震度5くらいだった。それでなんで、6万9千人、7割の人が亡くなったのかを解明することが、関東大震災で一番重要なテーマではと長年考えてきた。
そのときに、大正の関東大震災の220年前、元禄12年に元禄地震があった。大正の地震とそっくり。当時は江戸だが。では江戸で亡くなった人がどれくらいいたか。たぶん400人くらい。なんで元禄のときに400人ぐらいで済んだ被害が対象で6万9千人になるのか。大正の頃には軟弱地盤にものすごい木造密集地があった。具体的には隅田川の東側。いまでいう墨田区江東区のあたりに、ものすごい密集家屋があって、元禄のころは湿地帯で人が住めない状況だった。なぜそこに住めるようになったのか。江戸時代に治水技術、科学技術が進んで、堤防をつくれるようになった。湿地帯を埋め立て技術によって住めるような土地にした。その結果220年の間に、軟弱地盤の上に広大な耐震性に乏しい木造家屋の密集地を作り上げてしまった。
軟弱地盤に人は住んではいけないわけでない。でもやっぱり住むためには、それなりの耐震性を考えるとか、それなりの都市計画を実行することが必要。科学技術は選択肢を増やしてくれるだけで、人間が適切な選択をしていかなければ、防災上はかえって危険になるということが十分にあり得る。科学技術は人間が主体になって適切に利用するという意識をもたないと、選択肢があるからいいんだ、ということではない。日本もこれから人口が減っていくわけだから、できるだけ危険度の低いところに住むような選択というのをしやすいようにしたほうがいいように思う。


2014年8月25日

8月22日 東北沿岸700?をゆく大学生の旅(3)

今朝は、「あるいて、つないで、みちになる〜ぼくらのみちのく潮風トレイル」参加者のレポートです。
昨日までは、プロジェクトのプロフィールについてご紹介しましたが、一行はおととい水曜日に、北は八戸を、南は相馬をスタートしています。
約700キロを、南北それぞれ4人ずつのチームで歩く、「ぼくらのみちのく潮風トレイル」。

まず八戸をスタートした南下チーム・・・チームリーダー、東北芸術工科大学の佐藤亨さんと電話がつながっています。おはようございます!

■南下チーム(昨日2日目/蕪嶋神社→ホロンバイル→種差海岸→坂下商店)

・昨日スタートしてから1日で、14キロちょっと歩きました
・いま目の前は、海。厚い雲から朝日が少し見えてきています。
・佐藤さんは元自衛隊の隊員で、震災の救援活動に携わった経緯から、東北のためになりたい!と、大学に行き直された・・・。今回の旅では何がしたい?→地域それぞれ抱える問題は様々ですが歩くことで見つかるものを探してみたいです。

かわって、相馬をスタートした北上チーム・・・チームリーダー、東北芸術工科大学の小松大知さんと電話がつながっています。おはようございます!

■北上チーム(昨日2日目/松川浦環境公園→鹿狼山→新地駅周辺)

・昨日はスタートしてからだいたい16キロほど歩きました。
・スタートからここまでは順調に?何かハプニングは?
 →きのう鹿狼山という山に登ったんですけど、登る前雷がなっていて中止するかどうか決断を下す時になって雨と雷がちょうど止んで、無事登ることができました
・小松さんは元々造形に関心が高くて、東北独自の文化と、その背景にある精神を探りたい!とお話しされていましたが、ここまでになにか発見は?
 →きのう、タバコの古い道具や骨董品を集めて個人で展示をしているという方に出会えて、これからも東北はそういうのが眠っている土地だと思うのでとても楽しみにしています。


大学生8人が東北沿岸部700キロを歩く、「ぼくらのみちのく潮風トレイル」、また来週のこの時間に、レポートを届けてもらいます。


「あるいて、つないで、みちになる〜ぼくらのみちのく潮風トレイル」Facebook

「ランドネ」サイト

2014年8月21日

8月21日 東北沿岸700?をゆく大学生の旅(2)

昨日に引き続き、東北沿岸700キロを巡る8人の大学生の、23日間の旅の続報です。

東北沿岸を歩いて旅するコース『みちのく潮風トレイル』を、大学生が実際に歩き、その記録をFacebookで発信するプロジェクト。 それが『あるいて、つないで、みちになる 僕らのみちのく潮風トレイル 東北沿岸700?』です。
8人のメンバーは2チームに分かれ、1チームは青森八戸市から南下、もう1チームは福島県相馬市から北上。目指すゴールは岩手県大船渡市三陸町「恋し浜」です。



すでに旅は始まっていますが、今朝は出発直前に語ってもらった 3人のインタビューをお届けします!

◆それぞれの、東北を歩く「理由」
☆小松大知(東北芸術工科大学3年生、プロダクトデザイン学科 宮城県仙台市出身)
デザインを学びたいと思って美術大学へ。震災が起きた後、東北ではデザインも震災を考えながら学びたいと思った。今回の企画は23日間、東北を歩き続けながら震災の記憶、食文化、人との出会いを肌で感じられる良い機会だと思って参加した。プロダクトデザインを学んでいるので「モノ」に興味がある。神社に馬のおみくじがあったり、自分が想像もしていないようなモノがたくさんあると思う。それは建築や特産物もそう。そういうものを見つけたいし裏側にある精神というかなぜ作られたのか、どういう想いで作られたのかを探求できればと思う。

☆山本はるひ(秋田公立美術大学1年生 神奈川県出身)
大学進学で秋田へ。テレビで起きていることでは実感が沸かず、被災した方々と感覚は全く違う。被災地のことを毎日考えなくても生きていける自分が、そういう環境で育った自分がどうやって力になれるんだろうと、その方法をずっと探していた。方法を探すだけではだめで、三陸沿岸など東北の文化そのものを読み解いて、知って、肌で歩いて感じて、形を見つけていこうと思い参加した。

☆佐藤亨(東北芸術工科大学3年生 建築環境デザイン学科 群馬県出身)
元々自分は高校を卒業してから6年間自衛隊に勤めていて、当時は南相馬に初日に入り、その後は2か月間、相馬で救命活動をしていた。最初の1か月間は常に遺体をあげ、確認してという作業が続いていて、自分もそうだったが周りのほかの隊員は精神的にかなりまいっていたという。その時手伝いをしていた地域で、現地で毎回顔を出す人がいて「ここには家があった」「ここの町は綺麗だった」という話を聞いたが、自分は撤去しかできず2か月後には戻ってしまった。でもまだできることがあるんじゃないかと思い、東北の大学の建築学科に入学して街づくりを勉強したいと思った。今回のトレイルで自分が活かせるのは体力面。アウトドアも好きなので、その知識も役立つのではないか。みんなのサポートができると思い参加した。




<南下チーム>※青森県八戸市より出発
佐藤亨(東北芸術工科大学3年(建築・環境デザイン学科)群馬県桐生市出身)※チ
ームリーダー
高橋麻里子(東北芸術工科大学2年(企画構想学科)宮城県仙台市出身)
森恭平(立命館大学2年(法学部法学科)大阪府大阪市出身)
姫田光(京都造形芸術大学(プロダクトデザイン学科)大阪府河南町出身)

<北上チーム>※福島県相馬市より出発
小松大知(東北芸術工科大学3年(プロダクトデザイン学科)宮城県仙台市出身)※
チームリーダー
大津悠美子(東北芸術工科大学4年(企画構想学科)宮城県仙台市出身)
武田力(東京藝術大学(geidaiRAM所属)熊本県熊本市出身)
山本はるひ(秋田公立美術大学1年 神奈川県泰野市出身)

***
プロダクトデザインを学ぶ小松大知さん。震災当時はまだ中学3年生だった、山本はるひ さんそして、自衛隊員として被災地支援をしたのち大学へ進学した 佐藤亨さん。3人の声をお届けしましたが、他にも個性的なメンバーがたくさんいるということです。
旅人達の目印は、こけしの杖と「あるいて つないで みちになる」のロゴ入りTシャツです!


明日は、このメンバーと、直接電話をつなぐ予定です!
⇒詳しくは、プロジェクトサイト と Facebookページ をご覧ください。

2014年8月20日

8月20日 東北沿岸700?をゆく大学生の旅(1)

今朝は、この夏、8人の若者たちが繰り広げる東北沿岸部700キロの旅! これをクローズアップします。

旅の舞台は、東北沿岸部『みちのく潮風トレイル』です。トレイルとは「歩いて旅するためのコース」のこと。青森県八戸市から、福島県相馬市までを繋ぐトレイルが来年の全線開通へ向け、徐々に整備されています。このトレイルを舞台に、8人の大学生によるプロジェクトが間もなく始まります。プロジェクトをサポートする、 東北芸術工科大学 准教授の宮本武典さんに伺いました。


◆あるいて、つないで、みちになる
僕らのプロジェクトは『あるいて、つないで、みちになる 僕らのみちのく潮風トレイル 三陸沿岸700?』。環境省が大震災で被災した三陸沿岸部の海岸線を700?に渡って結んでいくロングトレイルのコースを整備するという事業。そのコースを学生たちが、この夏23日間かけて有志として歩く。人数は8人で元々震災直後に山形の学生たちが立ち上げた復興支援のボランティア団体があり、震災直後から石巻や牡鹿半島にがれき撤去のボランティアで行っていて、3年ほど沿岸部とつながりを保っていたメンバー。いくつかの大学の学生が集まって700キロという距離を、八戸から気仙沼へ南下するチームと福島県の相馬地方から気仙沼へ北上するチームに分かれて踏破。350キロずつを歩き気仙沼で合流する形になる。



23日間、350キロ+350キロの旅。スタート日は・・・本日です!元々、被災地に特別な想いを持つ8人の大学生たちは、それぞれの目的を胸に、まもなく、旅の第一歩を踏み出します!

◆それぞれが目的を胸に。
歩くこと自体が目的ではない。歩いている土地が津波で被災した沿岸部なので色んなことを学生は考える。例えばリーダーの学生は建築を学んでいて、震災直後から沿岸部の状況を見てきた。もうすぐ4年が経過する中でどう変化しているのかがテーマになると思う。震災直後に大学に入学した大津さんという女子学生は今4年生。ラジオのパーソナリティになりたくて、卒業研究では「声で人と人とを繋げる」というテーマを掲げて取り組んでいる。彼女は旅をしながら土地土地で出会った人たちの声を拾って、言葉で700キロを繋いでいこうという個人テーマを掲げて歩く。頭やネットの中で考えるのではなく、現場でひとの声を広い、土地の風や匂いや手触りを感じて歩いてもらいたいという想いがある。リポートした内容はFacebookなどで随時発信する。最終的には学生たちの歩いた記録を本にして学生目線のガイドブックにする。この後歩く若い人たちの記録を活かしていただきたいという構想でいる。
           

ちなみに若き旅人たちは、目印を持っています。目印は、「持っている杖」。みちのく名産の「こけし」の形の杖をみんな持っています。(ちなみにこけしの顔は、メンバーそれぞれの顔そっくりにデザインされてるらしい)さらに、アウトドアブランド「モンベル」のおそろいの装備、プロジェクトのロゴの入ったTシャツを着ているので分かるはず!!

このプロジェクトは、一般の方の「スポット参戦」も可能。1日だけ一緒に歩きたい!という方もウェルカムだということです。


⇒詳しくは、プロジェクトサイト と Facebookページ をご覧ください。


明日は、出発直前に取材した、旅のメンバーたちの声をお届けします!

2014年8月19日

8月19日 Stand Up Summit(2)

子どもたちが考える被災地の復興。先週8月11日に、東京ビッグサイトで「Stand Up Summit2014」が開催されました。東北、東京、そして海外の子どもたちが、東北の復興について話し合いました。

今回はこのイベントに、TOKYO FMも参加。23人の子どもたちが、TOKYO FMブースのグループディスカッションに加わりました。

テーマは、「復興のために“言葉”が果たす役割とは。」

まずは、23人が4つのグループに分かれて、1時間話し合い、イベントのラストには代表の2人が全体プレゼンテーションに臨みました。ステージは、1000人を収容する東京ビッグサイトの国際会議場。


TOKYO FMブースのプレゼンテーターは、石巻市立女子高等学校、千葉英恵さんと、都立晴海総合高校、國井勇太くんの二人です。

◆「がんばっぺ」
わたしは石巻市立女子高等学校3年の千葉英恵です。わたしたちは「復興のために言葉が果たす役割」について話し合いました。その中でキーワードとして「がんばっぺ」と「人の心」が出てきました。「がんばっぺ」は方言を使うことで団体力を高めたり、温かみを与えてくれる力があるからです。「人この心」は感情を込めることができ、人に寄り添えるから。わたしは震災の後、揺れを感じると不安になることがあったが、母に背中をさすってもらい「大丈夫だよ、がんばっぺ」と言われることで、頑張ることができた。わたしたちは、言葉は前向きにし、復興を加速させるための原動力になると思います。

◆「心」
都立晴海高校3年の國井勇太です。僕達は言葉での復興についてディスカッションしました。僕がいた班は「心」に注目して考えました。残念ながら言葉では壊れた建物を直したり、被災者の方に食事を運んだり、目に見える形での復興はできません。でも今日実際被災にあった地域の学生に、(震災後)なにが一番うれしかったかと聞いたところ、人々からもらった「大丈夫だよ」「一緒に頑張ろう」という言葉だったことがわかりました。
言葉には具体的に目に見える成果はないけれど、人々の心になにかを伝えることができます。ほかの方法ではできない、言葉だからできること。これってすごいことではないですか。ここにいる誰にでもできるんです。どんなかっこ悪い言葉でもいい。皆さんがいま思っていることを伝えればいい。「頑張れ〜」なんてしょうもない言葉だけど、でもその「頑張れ」の中に詰まっている自分の気持ちが伝われば、それだけで人は笑顔になれる。「心での復興」「言葉での復興」は、「人と人の心の架け橋」になる。これがあるから「絆」が生まれるんです。


Stand Up Summit2014 公式サイト

2014年8月18日

8月18日 Stand Up Summit(1)

今日と明日は、「子どもたちが考える被災地の復興」です。
先週8月11日に、東京ビッグサイトで開催されたのが「Stand Up Summit2014」。東北、東京、そして海外の子どもたちが、力を合わせて、東北の復興について話し合う取り組みです。

子どもたちは12のグループに分かれ、それぞれ「食」や「農業」、「科学技術」「デザイン」「金融」などさまざまなキーワードをもとに、復興について考えました。このサミットに、今回TOKYO FMも参加しました。講師はTOKYO FM古賀涼子アナウンサー。東北、東京、そして海外の学生(中・高・大学生)23名が参加し、「言葉の力」についてディスカッションが行われました。

 
「震災のあと、どんな言葉に励まされたか」
「方言にはどんなチカラがあると思う?」
「そもそも、言葉は復興の役に立つのだろうか?」
…という問いに対して、様々な意見が飛び出しました。

グループの一つ、1班のディスカッションの様子です。


◆言葉の力
・震災のときに家が壊れて、おばあちゃんのところに行ったが、夜皆で話していて、話していると楽になったから、言葉は大切だと思う。
・言葉は復興につながる。人間ただ立っているだけではなにも起こらない。誰かがしゃべるから動きだせる。
・わたしは東京にいた。10年経ったら忘れられちゃうこともあると思うけど、継続して言ったら、忘れないんじゃないか。言葉とか音のほうが感情が入って、画像がなくても自分の想像が拡げられて、自分の考えが深まっていき、絶対に忘れない、心に残るものがある思う。
・書いてあると想像して深める感じだけど、言葉だと、誰かがしゃべってくれて、温かみみたいなものがあるから、心に沁みたり、いろんな感情とかを考えることができるんじゃないかと思う。
古賀「方言も重要かな?」
・方言はコミュニティの中にいるからわかる言葉だから、誰かとつながっていられる。方言があったほうが楽しく生活できる感じがする。
古賀「いまツイッターで会話することもできるけど、こうやって(直接会って)お話することで、皆がどういう気持ちでどういう性格の持ち主かまでわかったりするよね。音に出して言葉にするっていうのは、それだけ力もあるよね。


グループディスカッションの最後には「復興のために言葉が果たす役割」について、4つの班の代表がそれぞれ自分たちの意見を発表しました。


◆人と人をつなぐ架け橋 
言葉には話しての感情がこもり、相手の背中を押す原動力となり、そこから想像を伝える力を持っていると、僕達は考えました。一方被災地では言葉から誰かとのつながりを感じることができ、元気づけられる。だから復興のために、言葉は「言葉をかける人とかけられる人の橋渡し」という役割を持っていると思う。


同じ「言葉」でも、文字として残す言葉ではなく、声に出して伝える言葉のほうが相手の心を癒し、背中を押す原動力につながる。そう話してくれた子どもたちの言葉には、まさに力があると感じました。
 
明日もこの続き、お伝えします!

Stand Up Summit2014 公式サイト

2014年8月14日

8月14日 ウルトラシャルソン

今朝は、この夏休みに東北で開催される、ちょっと変わったランニングイベントを紹介します。「ウルトラシャルソン」です。

「シャルソン」は一般的なマラソン大会とは違い、もっと気軽に、「町を走ること」を楽もうと企画されたもので、いま、全国的に広がりを見せています。そのシャルソンを被災地支援につなげようというのが、
8月24日にスタートするウルトラシャルソン。企画した、シャルソンの発案者・佐谷恭さんに伺いました。



◆心の赴くままに走って被災地支援
シャルソンとは「ソーシャルマラソン」の略。町を自由に走ってその町の魅力を発見、それを走った人同士でシェアしようという趣旨の新しいタイプのマラソン大会。通常はマラソンというとスタートからゴールまでのスピードを競い、前を向いてどんどん進み頑張るがシャルソンは、スタートは決まっておらずゴールだけが決まっている。コースも決まっていない。

ある街を、自分の心の赴くままに進んで、面白いものや魅力的なものを発見して自慢する。ゴール後にシェアするパーティーをする。そこでいろんな体験をした人が口々に自慢を語り、その町の魅力がどんどん引き出されていくのがシャルソンの特徴。最初は僕が経営するパクチーアース東京という東京世田谷のお店で『共同マラソン』という名称でスタート。一年に一度やろうと2年半前にはじめたが、予想以上にウケて色んな地域でやりたいという声があがり、町おこしをやっている人、地域を何とかしたいという心意気のある人に、シャルソンという仕組みでやりませんかと呼びかけをした。北は北海道から南は宮崎まで2年半で41回開催。

東北には僕自身は縁がなかったが、震災後の年の5月に仙台、南三陸にお手伝いで行く機会があり、
それからは定期的に半年くらい、理由をつけて東北へ向かっていた。自分なりになにができるのかを考えて、シャルソンと言う仕組みも作ったので、これで地域活性ができないかと。東北に興味がある人、外の人たちが街と街を繋いでいく。シャルソンで活性化して観光客を受け入れたり色んなくるようになったらいいなと思って、東北にシャルソンを持っていく。

1回目に予定していたのが釜石から石巻だったが、とりあえず8月24日から8月28日に
釜石から気仙沼にて開催。その後は気仙沼から石巻へ。石巻の跡も話が進んでいる。東北の海岸沿いをどんどん南下していく形で、1年に1度から2度続けたいと思っている。5日間のイベントなので全部参加する人は宿泊を伴うため、すでに申し込みは締め切っているが、あとは地元の方が一部参加する方法もあるので、そううい方はぜひともウルトラシャルソン実行委員、およびご当地シャルソン協会までご連絡を。「走って、見て、感じて、話して、伝える」という行為をすることで、旅をすること、地元の人が外の人と触れ合うことで、もっと自分たちのことを発見して好きになるということをウルトラシャルソンでやっていきたい。今回来られる人はぜひ。第2回第3回とやっていくのでぜひ注目して欲しい。


ウルトラシャルソンスタートは8月24日。28日まで4日間かけて、岩手県釜石市から、宮城県気仙沼市を走ります。すでにフル参加の申し込みは終わっていますが、開催地の地元の方で「1日だけ参加したい」といった、スポット参加はまだ受付を行っています。

★ウルトラシャルソンについて
★参加受付はこちら

2014年8月13日

8月13日 福島県富岡第一、第二小の5年生がつくったラジオ番組

原発事故の影響で「全町民避難」が続く、福島県富岡町。
富岡の臨時災害FM「おだがいさまFM」も、郡山市の仮設住宅にある「おだがいさまセンター」から放送を続けています。

そんな「おだがいさまFM」で、7月に放送されたラジオ番組が、「みんなで伝える富岡キッズステーション」。富岡の小学生がラジオ番組づくりにチャレンジしました!

原発事故の影響で、いまも故郷を離れて暮らしている富岡の子どもたち。「故郷のことを忘れない」そんな想いを胸に、町の歴史や行事について、町の人にインタビューしているということ。

二学期、三学期にもそれぞれ番組を制作する予定です。


2014年8月13日

8月12日 大学生による大学生のための被災地ツアー「ChanceSeed」(2)

今朝も、大学生による大学生のための被災地ツアー「ChanceSeed(チャンスシード)」の話題です。

日本女子大学の現役大学生、水沢友里奈さんを中心に、今年2月にプロジェクトをスタート。

「被災地に行きたい!」「でもお金や時間がない!」という大学生のために、交通費、宿泊費込、2泊3日で7500円!という被災地ツアーを企画。6月下旬、第一回目のツアーが開催され、大学生37人がバスで被災地に向かいました。    

◆学生たちの声
(被災地に)行ったことがなかった学生は「全然想像と違った」という感想が寄せられた。もう建物なども建っていると思っていたが、海水なども入り込んで、到底建物など建てられない状況が広がっているのを見て、全然自分が思っていたのと違う、と。
「何かできることはないだろうかとこのツアーに参加したけれど、自分なんかにはなにもできることはないのではと無力感にさいなまれた」という学生もいた。わたし自身、初めていった被災沿岸部は南三陸町だった。行くまでは、なにかしなくちゃいけない、ボランティアなどに関わりたいというのがあったが、実際に現地に行ったら、お金も責任もない一大学生にできることなんてなんにもないんだなと感じて。なにかしたいと思うこと自体が自己満足なのかな、と無力感にかられたので、参加してくれた学生も同じなのかなと思った。具体的に、次の行動につなげてくれた学生がいて、2日前までNPOセンターでボランティアをしてきました!という声も届いてきた。(東北と関わる)きっかけの部分が、バスツアーを通じて植え付けられていたらよかったなと思う。


6月、第一回目のツアーで訪ねたのは、宮城県の石巻市、名取市、そして松島町。地元の方に震災のときの様子を聞いたり、被災した大川小学校を訪ねる一方、復興に向けた観光の取り組みも見学しました。

◆7500円へのこだわり
今回よかったなと思う点は、現地の方と関わりを持って、実際にお話を伺うことができた点。個人で行くとなかなかできないことで、団体で行くとできるので、その部分は継承していきたいと思う。現地の人達から講和を聞いたり、ワークショップをしたりというのは今後も続けていきたい。
今後も活動していきたいので、震災復興は継続することに意味があると思うので、わたしはいま大学四年生で来年は大学にいないので、運営メンバーに後輩に入ってきてもらいたいと思い、現在メンバーを募集している。
(第二回目は)11月下旬に行う予定。どこに行くか、なにをするか、これから動き始めようと思っている。参加費は交通費、宿泊料込めて7500円。ボランティアのバスツアーの相場は2万5000円くらい。これは学生にとってはちょっと高い。なので、1万円は切りたいなと。ただ、運営側としては7500円は大赤字なので、助成金や寄付などがないと成り立たないので、その部分が課題。


そして11月には第二回目のツアーを予定しています。
現在、7500円を実現させるため、格安の宿を探しているとのこと

2014年8月13日

8月11日 大学生による大学生のための被災地ツアー「ChanceSeed」(1)

大学生による大学生のための被災地ツアー、「ChanceSeed(チャンスシード)」。中心となっているのは、日本女子大学の現役大学生、水沢友里奈さんです。

◆被災地の「来てほしい」と、学生の「行きたい」をつなげたい
わたしたち「ChaneSeed」は大学生限定の、低価格、短期間の復興バスツアーを企画運営しています。わたし自身の母方の実家が宮城県だったこともあって、震災後半年くらい被災地に足を運ばせてもらったり、岩手県大槌町で2か月間くらい、町の中高生に無料で放課後学校を開いているような学習支援のボランティアをしていました。また沿岸部の仮設商店街に足を運ばせてもらっていて、時間が経つにつれて、人の賑わいが減っていると感じた。現地の人の声で「もっと人に来てほしいとか」、いま三年半たって、「いまだからこそ受け入れ側の態勢も整っているし、気持ち的にももっと人に来てほしいという気持ちも高まっているから、いまこそ来てほしい」というお話を聞くにつけ、大学生でも、なかなか行きたいけど行く機会がない、お金がない、時間がない、という声を耳にしていたので、両者をつなげる機会を提供できないかと思い、学生限定のバスツアーを企画しました。


今年2月に、仲間2人とともにプロジェクトを立ち上げて、東北への視察旅行、ツアーの企画、クラウドファンディングでの資金調達、バスの手配、参加者の募集などを、全て自分たちで行いました。

そして第一回目のツアーが開催されたのが、6月下旬。大学生を乗せた大型バスが東北に向かいました。

◆自分の目で見てきたい
2014年6月27〜29日、宮城県の沿岸部、石巻、名取、松島町に行ってきました。全部で5大学37名の学生が参加してくれた。全参加者の7割が、一度も東北に足を運んだことがないという学生だったので、まず行って自分の目で見てきたいというきっかけで応募してくれた人が多かったです。
実際、震災当時のお話を、「ここはここまで津波がきて、この山に逃げて助かった」というお話や、石巻の大川小学校にも行かせてもらって、震災遺構を残すか残さないかというのが現地で問題になっているというお話を聞いたりもしました。最初(被災地を)目にしたときは、言葉にならないというか、現地につくまではガヤガヤしていたが、現地についたら誰も言葉を発しなくて、自分で感じる部分が大きかったのかなという印象を受けました。


またツアーでは、“現地の旨いもの”も堪能したようです!

◆美味しいものも堪能!
牡蠣小屋に行って牡蠣を食べる班と、牡鹿半島の特産物「鹿カレー」を食べる班に分かれて、その後は名取のキリンビールの工場でご飯をたべました。
29日(二日目)は主に観光をした。松島町はすごく有名な観光地で、いち早く宮城県の復興に向けて観光地として松島を整備することで、人を引き込んで復興を促していこうという宮城県全体の取り組みがあったので、ぜひその辺も見てみたいと思ったので、松島で観光したい。


2泊3日のツアーは、学生が参加しやすい価格にこだわり、交通費宿泊費込みで、参加費7500円!そのために、大学の助成金を活用したり、クラウドファンディングで資金を調達したり、宿やバス会社にかけあって価格を抑えたりと、あの手この手を使ったそうです

* また11月には、第二回目のツアーを開催する予定で、現在準備中!

2014年8月5日

8月5日 WORK FOR 東北2

引き続き、東北被災地の自治体が、一般企業から人材を確保するためのマッチングプロジェクト『WORK FOR 東北』についてお伝えします。



先日 都内で行われた説明会では、岩手県釜石市、宮城県石巻市、福島県郡山市など、各自治体が、
「いま、どんな人材を求めているのか」について説明を行いました。

石巻市のプレゼンでは、笹野健副市長が壇上にあがり、会場に集まった一般企業の人事・CSR担当者に向け、こう呼びかけました。

◆求む!カツオのような人!
わたしども石巻市は、「なりわい」の確保に本格的に力を入れなければ行けない段階に入った。本当に膨大な事業を抱えている。市役所には1200人のプロパー職員がいるが、ほかの自治体、自治体を辞めた方、民間を辞めた方、JICAを辞めた方など340人の外部人材おり、市は内外人材の複合体になっている。これから、というかすでに始まっているのが、秋には(一部)完成する石巻の魚市場、来年夏には900m東洋一の市場が完成。そこに大量の生魚が入ってくる。それをどう売るかを考えなければ行けない。「売る」というチャレンジをする上で、支援頂ければと思う。実際にどういうタイプの方が活躍してほしいかというと「カツオのような人」。朝早くから魚市場で、けんけんがくがくと海の男とやりあえる強い男性・女性が欲しい。

笹野副市長の言う「なりわい」とは、つまり産業です。震災後、仮設で運営していた魚市場も再建が進み、実はきのう8月4日に一部が業務を開始。来年7月には新しい魚市場が完成する見込みです。

そこで、石巻市が必要とする人材が「カツオのような人」。これはですね、「カツオのように止まらず動き続けられる」「雑食で誰とでもコミュニケーションできる」「30代〜40代で脂が乗っている」などの意味が込められています。

一方、各企業の担当者は、被災地に「人材を送り込む」ことについてどんな考えを持っているのでしょうか。

◆参加企業・担当者の声
「体力があってやる気があって、というのは民間人財でも大切なこと。今まで民間と公的なところは難しいものがあったかも知れないが、復興という大きなミッションの中では交わっていけるのかなと感じた。当社も復興ボランティアとして何人かずつ被災地に行っている関係もあり、社員が戻ってくると社会的感度があがるというか、感じる部分が非常に大きいと言って帰ってくる。そういう意味では社員が成長するというのは共感する部分がある。」(大日本印刷 CSR推進室担当者)
「何年か前と求められていることも変わってきていると思うし、いろんな土台ができて町づくりが始まる中で、官民一体でやっていかなきゃいけないことが増えていると実感。今時分は民間企業につとめているが、そこで培ったスキルを使う場面が増えていくのではないかと思っている。」(一般企業・商品開発)

※WORK FOR 東北の取り組みに、もしコピーをつけるなら・・・と、コピーライター佐々木圭一さんが、なんと!コピーを考えて下さいました。



WORK FOR 東北サイト

2014年8月4日

8月4日 WORK FOR 東北1

今朝は、会社にお勤めの方や、その企業が、今後 被災地とどう関わっていくのか、これを考える取り組み「WORK FOR 東北」を紹介します。

「WORK FOR 東北」は、復興庁と日本財団が主体のプロジェクト。先日行われた説明会には、東北被災地の自治体職員と、首都圏の一般企業の人事、CSR担当者が集まりました。



まずその概要を、日本財団「WORK FOR 東北」統括の青柳光昌さんに伺いました。

◆企業のマンパワーを東北へ
WORK FOR 東北とは、いま東北被災地で求められている人材、具体的には観光事業を企画したり産業の復興のためのブランディングなどの事業の推進・マネジメントができる人材を被災地に送り、復興のサポート、マッチング、コーディネートをするプロジェクト。企業向け説明会は4回目。地元の観光や産品のブランディングを中心になって行うのは役場だが、役場だけでは上手くいかない。地域の観光協会や商工会議所、NPOなど外の視点が入っているところは、町おこしや村おこしに成功しているパターンが多い。東北にもそれが必要になっているということ。


つまり、人材を必要とする自治体と、被災地支援に関心を持つ企業の「つなぎ役」となるのがWORK FOR 東北です。始まったのは去年の10月。すでに一般企業から30人の社員が被災地へ派遣され、説明会では、その事例も紹介されました。

企業が被災地にお金を出す支援は数多くありますが、これは、企業に「人を出してもらう」のが目的。なぜいま、企業が「人を出す」ことに関心を持っているのでしょうか。

◆被災地の経験がイノベーションを産む
今回ご紹介している企業さんの話というのは、「辞めないで、企業派遣の形で採用してください」というもの。地元にとっては「よそもの」が入ることでよい化学反応となりメリットがあるが、これを「派遣」という形にしてもらう理由は、行った社員が1〜3年して組織に戻ると、ユニークでつらく、面白い体験を企業に持ち帰り活かすチャンスがでてくるから。大きな組織・会社でやることは決まっている。大きなプロジェクトでタスクも決まっているが、それだけではイノベーションは起きない。企業もジレンマも感じている。『留職』というNPOを通じた開発途上国への派遣を行っている企業もある。あれは究極の形。それと同じくらいの効果が今の東北にはある。東北ではいろんな人が復興へ向けて取り組んでいる。一次産業をがんばる方、行政やNPOの方とのコミュニケーション、合意形成は物事が決まっていない中で決めていくというのは得難い経験。それを社内に持ち帰ることで、イノベーターとして新しいプロジェクトを進めるときに、この1年・2年の経験が生きるかもしれない。企業の人材育成にとっても大事だということを、我々としては企業にも理解して頂きたいと考えている。


実は、企業のお勤めの方の中には、「会社を辞めてでも、被災地に貢献する仕事に就きたい」という方もいるといいます。企業としては、当然辞めさせたくはないわけで、そこで「辞めさせず、ほかでは得られない経験を積ませる」ということで被災地派遣の部署を作る…というケースもあるということです。

また、当然ですが、企業によっては新たなマーケット開拓という狙いもあります。

明日は、いま被災地の自治体が求める人材について、具体的な例をお伝えします。

※WORK FOR 東北出は8月5日(火)にも都内で説明会を実施します。この会は企業向けではなく「個人向け」の説明会です。

WORK FOR 東北サイト

パーソナリティ 鈴村健一

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