2014年3月31日
3月31日 東北食べる通信2月号 東松島の海苔漁師1
今朝は、この番組では何度も取り上げています。『東北 食べる通信』の続報です。東北の、農業・漁業に携わる“生産者”を取材した記事とともに、その「生産物」が、付録としてついてくる・・・史上初の“食べる情報誌”が、「東北食べる通信」です。
その2月号の付録が、宮城県 東松島市で、今年最初に獲れた「一番摘みの海苔」!生産者は、東松島 大曲浜の海苔漁師・相澤太さん、人呼んで、「海苔の顔が見える 職人漁師」です!
◆海苔の顔が見える職人漁師
味と言うか、海苔は種付けから育苗で、赤ちゃんの育て方で将来が全部変わる。今の海苔がどういう表情をしているのか、喜んでいるのかきつそうな顔をしているのかはわかるってことですよ。
相澤さんは現在34歳。おじいさんの代から続く海苔漁師さんです。2009年には海苔の品評会で史上最年少優勝を果たし、その海苔は皇室にも献上されています。
今では地元海苔漁師の間で“若きエース”と言われる相澤さんですが、高校時代はサーフィンばかりしていたそうです。
転機が訪れたのは高校卒業の時。一度就職していつかは漁師になろうと考えていた太さんに対しお父さんは「今、やる気がないならやるな」と一喝。太さんは腹をくくり海苔漁師の道へ進むことを決意して、九州・熊本県にある、海苔の種づくりの会社へ、単身修行の旅へ出たと言います。
◆品評会で優勝して、いろんなものが見えた
海苔漁師を19歳からやりはじめて、九州での研修を終えて帰ってきて変な自信があった。自分は勉強してきたんだ、と。でも帰ってきて色々やってみると何も分からずコテンパンに打ちのめされた。こういう仕事って経験がある人がわかっている。海のこともどうやったらいいものを作れるかも。だから人の仕事を見るようにした。海で張っている網を見て、失敗した人のも成功した人のも見る。おやじは一切教えてくれなかったんですよね。だから見た分だけ経験にできた。23歳でたまたまだ乾海苔の品評会で準優勝を取れた。それでさらにそこから優勝をしたいと思うようにあった。良い海苔を取れるように勉強して、28歳ではじめて優勝。それと同時に色んなものが見えてきた。良いものを作り続けても漁師はいなくなる。良いものを作ったって消費者に届いていない。問屋さんは「海苔は10年くらいストックできるからね」と言う。10年前の海苔が当たり前に市場に出回っている、味がないし風味がないのは当たり前。それにすごくショックを受けた。だったら俺は見た目じゃなくて美味しいものを作らないと、と思った。それまでの品評会は見た目重視でいかに問屋に買ってもらえるかが、良いものの基準だった。問屋さんが言う良いものは、色つやや味もあるが、やはり”歩留り”。壊れにくくてストックしやすい、モノがそろっていて扱いやすい海苔。味じゃない。だから、やっぱりここは俺の世代だ、こういう漁業や市場を変えるのは俺の世代。自分でもっとおいしいものを作ろうとやりだした。
こうして相澤さんは、20代で海苔づくりに夢中になっていきました。海の上で育てる海苔は、こまめに育成状況を確認する必要があり、 相澤さんは「海苔が心配で、船の上で眠ってしまったこともある」そう。こうして朝から晩まで海苔に寄り添い続けているうちに、相澤さんは「海苔の顔がわかる」ようになった…といいます。
※東北食べる通信 情報はこちら
その2月号の付録が、宮城県 東松島市で、今年最初に獲れた「一番摘みの海苔」!生産者は、東松島 大曲浜の海苔漁師・相澤太さん、人呼んで、「海苔の顔が見える 職人漁師」です!
◆海苔の顔が見える職人漁師
味と言うか、海苔は種付けから育苗で、赤ちゃんの育て方で将来が全部変わる。今の海苔がどういう表情をしているのか、喜んでいるのかきつそうな顔をしているのかはわかるってことですよ。
相澤さんは現在34歳。おじいさんの代から続く海苔漁師さんです。2009年には海苔の品評会で史上最年少優勝を果たし、その海苔は皇室にも献上されています。
今では地元海苔漁師の間で“若きエース”と言われる相澤さんですが、高校時代はサーフィンばかりしていたそうです。
転機が訪れたのは高校卒業の時。一度就職していつかは漁師になろうと考えていた太さんに対しお父さんは「今、やる気がないならやるな」と一喝。太さんは腹をくくり海苔漁師の道へ進むことを決意して、九州・熊本県にある、海苔の種づくりの会社へ、単身修行の旅へ出たと言います。
◆品評会で優勝して、いろんなものが見えた
海苔漁師を19歳からやりはじめて、九州での研修を終えて帰ってきて変な自信があった。自分は勉強してきたんだ、と。でも帰ってきて色々やってみると何も分からずコテンパンに打ちのめされた。こういう仕事って経験がある人がわかっている。海のこともどうやったらいいものを作れるかも。だから人の仕事を見るようにした。海で張っている網を見て、失敗した人のも成功した人のも見る。おやじは一切教えてくれなかったんですよね。だから見た分だけ経験にできた。23歳でたまたまだ乾海苔の品評会で準優勝を取れた。それでさらにそこから優勝をしたいと思うようにあった。良い海苔を取れるように勉強して、28歳ではじめて優勝。それと同時に色んなものが見えてきた。良いものを作り続けても漁師はいなくなる。良いものを作ったって消費者に届いていない。問屋さんは「海苔は10年くらいストックできるからね」と言う。10年前の海苔が当たり前に市場に出回っている、味がないし風味がないのは当たり前。それにすごくショックを受けた。だったら俺は見た目じゃなくて美味しいものを作らないと、と思った。それまでの品評会は見た目重視でいかに問屋に買ってもらえるかが、良いものの基準だった。問屋さんが言う良いものは、色つやや味もあるが、やはり”歩留り”。壊れにくくてストックしやすい、モノがそろっていて扱いやすい海苔。味じゃない。だから、やっぱりここは俺の世代だ、こういう漁業や市場を変えるのは俺の世代。自分でもっとおいしいものを作ろうとやりだした。
こうして相澤さんは、20代で海苔づくりに夢中になっていきました。海の上で育てる海苔は、こまめに育成状況を確認する必要があり、 相澤さんは「海苔が心配で、船の上で眠ってしまったこともある」そう。こうして朝から晩まで海苔に寄り添い続けているうちに、相澤さんは「海苔の顔がわかる」ようになった…といいます。
※東北食べる通信 情報はこちら