2013年4月30日
4月30日 福島県双葉郡浪江町 八島貞之さん
今週は、東北各地の現状をお伝えするともに、連休の観光情報も紹介しています。
今日は、福島県双葉郡浪江町から。福島第一原発から10キロ圏内と、20キロ圏内にまたがるこの町の住民の方は、2月末現在で2万1171人が、福島県内・県外で避難生活を続けています。
お話を伺ったのは、八島貞之さん。地元・浪江町の鉄工所の代表です。八島さんは、出来るだけ浪江に近い場所、福島県南相馬市 原町区に会社を置き仕事を続けています。ご家族は80キロ離れたいわき市で生活。八島さんは単身赴任という形です。八島さんに今の生活で、不満に感じていることを伺いました。
◆仕事は除染作業しかない
まず仕事。私のところは鉄工所で溶接の職人さんを使っていた。震災の年はまだ復旧工事で仕事があったが、翌年の平成24年になるとだんだん鉄骨工事は減り、今は土木工事と除染しかないため除染に携わっている。私の考えだが、元々被ばくしたかも知れない地域の人たちが除染作業に携わるというのは、どうしても納得いかない。除染作業だけは携わらないようにしたかった。被ばくしたかも知れない現状にあるわけで、何年か後に健康被害が出た時にしっかりそれを伝えたかったのだが、同意書を書いて除染作業に携わるということは、被ばくしても良いという覚悟での仕事になってしまう。事故当時の被ばくではないと言われてしまうのが悔しい。
八島さんの会社では現在、仕事の大半が除染作業となっています。その内容は、放射線の調査や草刈、建物の高圧洗浄機での洗浄、そして表土の剥ぎ取りなどです。
八島さんは、鉄工所としての本来の仕事をしたいと考えていますが、仕事は少なく、かといって他の地域の仕事を奪うわけにもいかない。長年 雇い続けてきた熟練の職人さんを 手放すわけにもいかない。悩んだ末、現在の土地で除染作業に関わっていると話します。
一方、4月1日づけで、浪江町は一部地域の立ち入りが可能になりました。八島さんは、これをどう捉えているのでしょうか。
◆浪江の人たちと生活がしたい
浪江が再編されて、町内が避難指示解除準備地域になった。自由に出入りできるようになったが子どもを持つ親としてはまだまだ心配。まず最初に、順番としては除染とインフラ整備をきちっとしてから一般の人が出入りできるようにしてほしい。いくら除染、インフラ整備が終わっても、私たちの世代は戻ることに疑問。すぐ隣町2〜3キロのところに中間貯蔵施設が出来る予定で、浪江町の町内にも仮置き場がいっぱい出来る予定。そんなところで生活が出来るかどうかは不安でならない。浪江町という地域に戻るのではなく、浪江町という名前を残すような取り組みをして、安全な場所で家族のもとから通勤、仕事が出来る場所で、浪江町の町民の人たちと一緒に生活がしたいと思っている。
そして、八島さんは現在、浪江町のローカルフード「なみえ焼きそば」による町おこし団体としての活動も続けています。メンバーはそれぞれの避難先から、イベントのために集まり、町のPRを続けているのですが、連休中の出店情報などについては、明日のこの時間にお届けします。
今日は、福島県双葉郡浪江町から。福島第一原発から10キロ圏内と、20キロ圏内にまたがるこの町の住民の方は、2月末現在で2万1171人が、福島県内・県外で避難生活を続けています。
お話を伺ったのは、八島貞之さん。地元・浪江町の鉄工所の代表です。八島さんは、出来るだけ浪江に近い場所、福島県南相馬市 原町区に会社を置き仕事を続けています。ご家族は80キロ離れたいわき市で生活。八島さんは単身赴任という形です。八島さんに今の生活で、不満に感じていることを伺いました。
◆仕事は除染作業しかない
まず仕事。私のところは鉄工所で溶接の職人さんを使っていた。震災の年はまだ復旧工事で仕事があったが、翌年の平成24年になるとだんだん鉄骨工事は減り、今は土木工事と除染しかないため除染に携わっている。私の考えだが、元々被ばくしたかも知れない地域の人たちが除染作業に携わるというのは、どうしても納得いかない。除染作業だけは携わらないようにしたかった。被ばくしたかも知れない現状にあるわけで、何年か後に健康被害が出た時にしっかりそれを伝えたかったのだが、同意書を書いて除染作業に携わるということは、被ばくしても良いという覚悟での仕事になってしまう。事故当時の被ばくではないと言われてしまうのが悔しい。
八島さんの会社では現在、仕事の大半が除染作業となっています。その内容は、放射線の調査や草刈、建物の高圧洗浄機での洗浄、そして表土の剥ぎ取りなどです。
八島さんは、鉄工所としての本来の仕事をしたいと考えていますが、仕事は少なく、かといって他の地域の仕事を奪うわけにもいかない。長年 雇い続けてきた熟練の職人さんを 手放すわけにもいかない。悩んだ末、現在の土地で除染作業に関わっていると話します。
一方、4月1日づけで、浪江町は一部地域の立ち入りが可能になりました。八島さんは、これをどう捉えているのでしょうか。
◆浪江の人たちと生活がしたい
浪江が再編されて、町内が避難指示解除準備地域になった。自由に出入りできるようになったが子どもを持つ親としてはまだまだ心配。まず最初に、順番としては除染とインフラ整備をきちっとしてから一般の人が出入りできるようにしてほしい。いくら除染、インフラ整備が終わっても、私たちの世代は戻ることに疑問。すぐ隣町2〜3キロのところに中間貯蔵施設が出来る予定で、浪江町の町内にも仮置き場がいっぱい出来る予定。そんなところで生活が出来るかどうかは不安でならない。浪江町という地域に戻るのではなく、浪江町という名前を残すような取り組みをして、安全な場所で家族のもとから通勤、仕事が出来る場所で、浪江町の町民の人たちと一緒に生活がしたいと思っている。
そして、八島さんは現在、浪江町のローカルフード「なみえ焼きそば」による町おこし団体としての活動も続けています。メンバーはそれぞれの避難先から、イベントのために集まり、町のPRを続けているのですが、連休中の出店情報などについては、明日のこの時間にお届けします。