2013年1月31日
1月31日(木)宮城県気仙沼市唐桑町の「からくわ丸」〜“よそもの、わかもの、ばかもの”の被災地支援〜(4)
「からくわ丸」は宮城県気仙沼市の唐桑地区で展開されている街づくりプロジェクト。唐桑の魅力を再発見する「まち歩き」やメンバーが唐桑の将来について話し合う「唐桑ルーキーズサミット」など、さまざまなプロジェクトを展開しています。中心となっているのは代表の加藤拓馬さん、24歳。子供のころ神戸で阪神淡路大震災を経験した加藤さんは、東日本大震災のあと、就職を控えていたにもかかわらず、いてもたってもいられず、東北へボランティアに向かいます。いまは住民票も唐桑に移し、唐桑での生活が2年を迎えようとしています。
■「昔ながらの近所づきあい」に日本の突破口がある
たぶん(唐桑の)地元の若者たちが(からくわ丸と一緒に)活動をしているのは、「地元愛」地元のことがほんとにすきなんだと思う、僕等とは比べ物にならないくらい。
唐桑のよさは、海がきれいで、山の幸、海の幸がとれること。そして、自分が唐桑に2年住んで一番魅力的に感じるのは、昔ながらの狭いコミュニティ。前田浜には前田さん、佐々の浜には佐々木さん、馬場の浜には馬場さん。そういった狭いコミュニティだから、いい意味でも悪い意味でも、他人に対しての地域内の関心が強い。悪い意味で働く場合の多いけど、ひとたび震災のように有事になると、お互いがお互いのことを助け合うのが当たり前。その関係性は「ボランティア精神あふれる街ですね」なんていう言葉はあてはまらない。そういうんじゃない。もともと日本の社会がもっていた原型みたいなものが、唐桑には残されているというふうに自分は感じた。それは東京では味わえないものだし、これからの社会、20年、30年経っていて、どんどん人口が減って経済がだめになる中で、どういうふうに人と接していけばいいのか、社会と向き合っていけばいいのか、たぶんいろんな人が直面する問題だと思うが、その突破口が自分は「田舎の近所づきあい」にあるんじゃないかと感じた。
だったらもう住むしかない、と。東京に帰る理由がなくなってしまった。
からくわ丸サイト
■「昔ながらの近所づきあい」に日本の突破口がある
たぶん(唐桑の)地元の若者たちが(からくわ丸と一緒に)活動をしているのは、「地元愛」地元のことがほんとにすきなんだと思う、僕等とは比べ物にならないくらい。
唐桑のよさは、海がきれいで、山の幸、海の幸がとれること。そして、自分が唐桑に2年住んで一番魅力的に感じるのは、昔ながらの狭いコミュニティ。前田浜には前田さん、佐々の浜には佐々木さん、馬場の浜には馬場さん。そういった狭いコミュニティだから、いい意味でも悪い意味でも、他人に対しての地域内の関心が強い。悪い意味で働く場合の多いけど、ひとたび震災のように有事になると、お互いがお互いのことを助け合うのが当たり前。その関係性は「ボランティア精神あふれる街ですね」なんていう言葉はあてはまらない。そういうんじゃない。もともと日本の社会がもっていた原型みたいなものが、唐桑には残されているというふうに自分は感じた。それは東京では味わえないものだし、これからの社会、20年、30年経っていて、どんどん人口が減って経済がだめになる中で、どういうふうに人と接していけばいいのか、社会と向き合っていけばいいのか、たぶんいろんな人が直面する問題だと思うが、その突破口が自分は「田舎の近所づきあい」にあるんじゃないかと感じた。
だったらもう住むしかない、と。東京に帰る理由がなくなってしまった。
からくわ丸サイト