2012年7月31日

7月31日「東北の郷土芸能奉納(1)」

先週末からきのう月曜日まで、東京・明治神宮では、東北被災地の郷土芸能が集まる催しが行われました。


催しを主催した、全国郷土芸能協会の小岩秀太郎さんにお話を伺いました。

◆郷土芸能奉納に込めた意味
 明治天皇が亡くなられた100年祭。7月30日が本祭り。
 その前の28日〜30日に、東日本大震災で被災した郷土芸能から奉納。
 岩手、宮城、福島の7団体が参加。明治神宮への奉納なのでその気持ちが大きい。さらに震災が起きたことによって、数々の支援を受けたことへの御礼としてもやりたいと言っている。
 震災から1年が経過して、忘れられつつあることへのアピールという意味もある。
 他の団体も色々ある。できない人たちもいる。そういう人たちのためにもやりたいという話をしている。



<写真:本吉法印神楽>


<写真:岩手県奥州市・大船渡市 金津流獅子躍>


この催しでは、福島県浪江町・請戸地区出身の団体も、地元に伝わる「請戸の田植え踊り」を奉納。
かわいらしい花笠をかぶった小中学生が、舞台で踊りを披露しました。


請戸芸能保存会会長・渡部忍さんにお話を伺いました。

◆子どもたちにとっての田植え踊り
 請戸の田植え踊りは、とりわけ東北の飢饉の多いところにある。温かいところには無い。
 豊作への祈りが郷土芸能になった。2月24日がお祭り。2月は色がない。白か黒か。神様に喜んでもらうために、赤や黄色など原色を配したものに先人が変えたようだ。
 我々も小さい頃から祭りを自然と受け入れてきた。地元の祭りとしてのプライドもあった。そこで奉納する田植え踊りも、小さい頃から「かっこいい」「大きくなったら躍りたい」と思う気持ちが、子どもたちの根っこにもあるのではないか。


浪江町・請戸地区は原発10km圏内にあり、渡部さんご自身もいわき市で避難生活を送っています。
この日集まった20人の踊り手やそのご家族も、同じ境遇が続いています。

◆避難生活の中の踊り
 バラバラ。新潟、栃木、宮城、うちの踊子だけでも。県内各地の福島や郡山などで避難生活。
 練習はしていない。明治神宮で奉納するにあたって4回練習した。
 最初、子どもたちには友達と会える楽しみがあった。そして踊りが好きなので踊りが踊れる喜びもあった。
 公演をしていると、見ている請戸の方が泣いてしまう。嬉しさ、可愛らしさで。それを見た子どもたちも気持ちが変わった。子どもでも出来ることがあると感じた。
 苦しい時間を過ごしてきたが、頑張って今日までやってきた。

2012年7月30日

7月30日「相馬野馬追」

7月28日(土)からスタートした、福島県相馬地方の伝統の夏祭り「相馬野馬追」。
相馬藩の軍事訓練として、千年以上の歴史があります。
例年は3日間に渡って、出陣式、武者行列、甲冑競馬などが行われますが、昨年は震災と原発事故の影響で、大幅に規模を縮小しての開催となりました。

この「相馬野馬追」の中心となっている、中村相馬神社の宮司・田村誠信さんにお話を伺いました。

◆例年通りの開催に“戻す”
 去年のようなことはしないという強い意思を持って、今年は開催。
 (馬の数は)今年は404駒。小高、原町の馬たちが北海道などに避難していたが、それを戻して絶対やるんだという南相馬市の意気込みが出ている。
 (相馬野馬追は地域の人々にとって)当たり前のもの。震災があろうがなにがあろうが、この相馬野馬追は続けていきたい。


「相馬野馬追」は今日が最終日。
9時からは「野馬懸」と呼ばれる古式の神事が行われます。





2012年7月27日

7月27日「流木ガレキの“メダル”を選手たちへ」

7月21日(土)東京・代々木第一体育館で行われたロンドンオリンピック日本代表選手団壮行会に、宮城県石巻市の小・中学生31人が招待され、震災の流木ガレキで作った「メダルの形のお守り」を選手たち518人に手渡しました。

このお守りには、子どもたちからの応援のメッセージと、オリンピックを通じて被災地の問題を伝える意味も込められています。

 


◆プロジェクト担当・細野豪志 環境相
 現在も被災地では様々な復興に向けた努力が積み重ねられているが、ガレキの問題は深刻。
 片付いてきたが、今もグラウンドや運動施設がガレキに埋まっている。子どもたちが運動できないという環境が続いている。スポーツは誰もを元気にする。そのチャンスをぜひ被災地の子どもたちに提供したいという思いがあった。




◆石巻市・牡鹿中学校3年生・佐藤みずほさんによる、選手団へのメッセージ
 3月11日、あの東日本大震災によって、私たちの生活は一変しました。私たちの通う牡鹿中学校は高台なので流されませんでしたが、物資仕分け基地となり、グラウンドにはヘリやトラックが次々到着し、体育館は全国からの支援物資でいっぱいになりました。
 私たちの貴重な運動場が全て無くなり、大好きなスポーツができなくなったのが辛かった。そんな時、私たちのグラウンドにマラソンランナーの谷川真理さんが来て下さり、ウォーキングやマラソンを一緒にしてくれた。久しぶりに体を動かすことができてとても嬉しかったことを今でも覚えています。
 今回選手の皆さんが胸につけているバレッタは、震災のガレキに新しい命を吹き込んで作ったものです。ロンドンでオリンピックの会場で選手の皆さんが素晴らしい活躍をして下さるよう願いを込めて作りました。選手の皆さん、私たちは日本からずっとみなさんを応援しています。頑張って下さい!

 







子どもたちの故郷・宮城県石巻市の中心街も、イベントで賑わっています!
ISHINOMAKI2.0が企画した「STAND UP WEEK 2012」が先週末からスタート。8月1日まで続きます!
○ 呉服屋さんの多い街・石巻ならでは「ゆかた de 街コン」
○ レゴブロックでロボットを組み立てるワークショップ「ロボラボ」
○ 牡鹿半島の鹿肉、金華サバを使ったご当地グルメ「巻食」を食べられる「日和キッチン」
○初心者でも楽しめるストリートフットサル「2on2」
○7月31日・8月1日 石巻の伝統行事「川開き祭り」

【ISHINOMAKI 2.0「STAND UP WEEK 2012」 詳しくはこちらからどうぞ】

2012年7月26日

7月26日「福島県浪江町・鈴木酒造店(3)」

福島県双葉郡浪江町では原発事故の影響により、全住民の避難が続いています。
浪江町にある鈴木酒造店・鈴木大介さんも、自宅と酒蔵を津波で流され、震災翌日には避難。
酒造りに欠かせない「酵母」も、津波で失ってしまいました。

鈴木酒造店の鈴木大介さんにお話しを伺いました。

◆エイプリルフールの日に届いた知らせ
 福島県の試験場に研究目的で、震災前の1月に酵母をサンプルとして送っていた。それが残っていたと知らされたのが4月1日。エイプリルフールの日に言われて「ほんとか?」と思った。
 酵母たちというのは、自分たちだけでなく、先代、先々代の仕事の中で、自然に選抜されてきた酵母。蔵の歴史でもある。
 最初、震災のどさくさでそんなことも忘れていたが、残っていると聞いて、その時は酒造りがやれるか根拠もない時期だったが、酒蔵が残っているのと同じくらいの感覚で喜んだ。



鈴木さんはこの酵母を使って昨夏、福島県南会津で酒造りをスタート。
さらに秋には、山形県に移り住んで、本格的に酒造りを再開しました。


◆山形で再開した酒造り
 本当は福島県内で再開したかったが、最短でも1年半以上掛かってしまうとわかり、すぐ作れるところということで、後継者がいなくて継続を考えていた酒蔵が山形にあり、思い切って行ってみようということになった。
 ただ、正直水が変わるだけで大変なこと。雪もすごいし1年経ったけど、まだ慣れていない。
 福島では、朝日が海から上がって山に下りていくのを毎日見ていた。いまは山から上がって山に下りていくという景色。地元はよかったなあと思うことも時々ある。ただ山形にいるからには山形に馴染んでいかなければいけない。地元の空気や季節の匂いはちゃんと覚えている。
 私がやりたいのは、「海の男酒」を銘打ってずっと作ってきたので、山に行ってもその謳い文句は失くしたくない。地元の人たちの気持ちのよりどころとなるような酒を造っていくのが義務だとも思う。
 晴れの酒は人の気持ちを和ませてくれる。被災した人はそういった場面も少ないので、少しでも「幸せ」を運ぶような酒を今後作っていけたら。




鈴木酒造店の代表銘柄は「磐城壽」。
そして酒蔵を受け継いだ山形県『東洋酒造』の代表銘柄は「一生幸福」。
鈴木さんは、両方の銘柄を作り続けています。

【鈴木酒造店 長井蔵】
■住所:〒993-0015 山形県長井市四ツ谷1-2-21
■電話:0238-88-2224
■FAX:0238-88-3503




★クロノス×ISHINOMAKI2.0東日本大震災復興支援ツアー第2弾!★
【「GAKU-MCと巡る 石巻川開き祭り」 supported by 「白元 どこでもアイスノン」】


今年3月にTOKYO FM「クロノス」とNPO「石巻2.0」のコラボレーションで実施した
東日本大震災復興支援リスナーツアーの第2弾が決定!!

今回は、アーティスト「GAKU-MC」さんが参加!


石巻最大の夏祭り「石巻川開き祭り」で灯篭流しや花火大会を鑑賞するほか、
フットサルの「2on2」を通して現地の方々と触れ合いながら、被災地をめぐる2日間の旅です。

日程は、7月31日出発、8月2日早朝 東京発着。
詳しくはTOKYO FM「イベント80」のページをご覧ください。

パーソナリティ・高橋万里恵も参加します。

2012年7月25日

7月25日「福島県浪江町・鈴木酒造店(2)」

福島県双葉郡浪江町では原発事故の影響により、全住民の避難が続いています。

浪江町で酒造りを行なってきた「鈴木酒造店」。
震災当日の昨年3月11日は、酒造りのシーズンを締めくくる、お祝いの日となるはずでした。
鈴木酒造店の鈴木大介さんにお話しを伺いました。

◆3月11日は締めくくりの日だった
 ちょうどその日(震災の日)が、シーズン最後の仕込みの日だった。ワンシーズン休みなく働いて、一つの区切りとして皆で打ち上げ、お祝いをやろうとしていた。3時前、“晴れの魚”というとアンコウなので、お袋がアンコウをさばき始めたころに、地震が起こった。
 本震で母屋が倒れた。家族は無事だったので、消防団の活動に移った。
 酒蔵から堤防を挟んですぐ海で、堤防から海が一望できるが、そこから10m近い津波が崩れるのが見えたので、それを見て「これは何も残らないだろう」と思った。
 震災後(自宅や酒蔵を)見に行ったら、更地のような状態だった。


◆震災直後の大きな喪失感
 実際のところ、震災の一晩目はもう(再開は)無理だろうと思った。
 自分達はその後すぐ町を離れたが、自分のところの酒米を栽培している農家さんの一つが、津波で家族全て犠牲になった。原発の事故でひと月捜索もできなかった。
 ゴールデンウィークの前にお父さんとお孫さんが見つかって、火葬をやるから来てくれないかということで行った。ひと月経っていることもあって遺体の損傷も激しくて、腐敗した匂いも本当に同じ日本なのかと思った。
 犠牲になった人たちもみんな知った人ばかり。
 モノづくりをやることは情報を出すこと。自分はこの人たちのために酒造りをやらなきゃと覚悟した。



震災後、全国に避難している浪江の人たちから鈴木さんのもとに「ふるさとの酒を造り続けてほしい」という声がたくさん届きました。
その声にも答えようと、酒造りの再開に向けて動き出したということです。

事業の再開を心に誓った鈴木さんが、どうやって再び酒造りを始めたのか。
その様子は、明日ご紹介します。


【鈴木酒造店 長井蔵】
■住所:〒993-0015 山形県長井市四ツ谷1-2-21
■電話:0238-88-2224
■FAX:0238-88-3503




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日程は、7月31日出発、8月2日早朝 東京発着。
詳しくはTOKYO FM「イベント80」のページをご覧ください。

パーソナリティ・高橋万里恵も参加します。

2012年7月24日

7月24日「福島県浪江町・鈴木酒造店(1)」

日本有数の米どころで、おいしい日本酒の産地でもある福島県。
双葉郡浪江町で代々酒造りを行ってきた「鈴木酒造店」も、そんな福島の地酒を守り続けてきた酒蔵の一つです。
江戸時代・天保年間には酒造りをしていたという記録があり、酒蔵だけでも200年弱の歴史があるといいます。

鈴木酒造店の鈴木大介さんにお話しを伺いました。

◆鈴木酒造店の代表銘柄「磐城壽(いわきことぶき)」
 磐城壽は福島・浪江の請戸(うけど)という漁師町でずっと作られてきたお酒。漁師さんたちの祝い酒で、ひとことで言うと米の旨味がぎゅっと詰まったお酒。ぬる燗で味がのびるお酒。
 風習として、船が20万、30万という水揚げをしたら、漁協からうちの酒がご祝儀として船主に贈られていた。「魚が獲れたか」という挨拶が、言葉を変えて「酒になったか」と言ったりしていた。


◆季節と自然の恵みを、原発事故で失った
 浪江は海、山があり、海の幸、川の幸、里のもの、山菜、きのこなど、季節の恵みがあってとってもいいところ。
 自分の酒を扱ってもらうときは、酒販店さんに必ず浪江まで来てもらって、取引をしてもらっていた。地酒が出来上がってくるまでの環境を感じてもらって、地元の風土を売りにして商売をしていた。
 米作りにしても、水もきれいで、天候も温暖で、四季の移ろいの中で生活していた。地のものを食べて、酒も生活に関わりながら、お互い鍛えあいながら育ってきた味なので、それを外に出せる喜びを持っていたが、原発の事故でそれがすべて無になった。
 自分は何もできないんじゃないか、やってきたことも全て無くなって、その喪失感は津波よりも大きかった。



鈴木酒造店は東日本大震災による津波で、海岸沿いにある酒蔵や自宅が流され、さらに震災翌日には原発事故により、ふるさとを離れることを余儀なくされます。

震災後の喪失感からどのように酒造りを再開したのか、その道のりは明日ご紹介します。


【鈴木酒造店 長井蔵】
■住所:〒993-0015 山形県長井市四ツ谷1-2-21
■電話:0238-88-2224
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詳しくはTOKYO FM「イベント80」のページをご覧ください。

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2012年7月23日

7月23日「被災地における衛生問題」

昨年の東日本大震災後、梅雨から夏にかけて被災地を悩ませたのが、ハエや蚊などの発生による衛生問題です。

お話を伺ったのは、岩手県ペストコントロール協会 会長・朝倉 哲哉さんです。
花巻市内で害虫駆除の会社を営む朝倉さんは、震災後、陸前高田市、大船渡市、大槌町などで害虫の調査と駆除にあたってきました。

◆今年の対策
 有機物である腐敗した魚が混じっていれば、瓦礫からも害虫が発生するので、瓦礫も注目していた。今年は昨年同様大量発生するのかというと、建築関係の方、ボランティアの方々が瓦礫を撤去してくださり有機物がない状態なので、人間が生活していく上で健康に障害を及ぼすようなレベルではない。
 瓦礫の山が片付いていないところもあり、そこには多少有機物がある。また越冬するハエが瓦礫の中にさなぎを産んで、それが今、確認されている。
 防除計画としては、どれくらいのハエが瓦礫、埋却場所、仮設住宅に存在しているかを確認し、ある一定の水準を越えているときに薬剤を散布する、という状況。



昨年は瓦礫の処理に追われて害虫駆除の対策が遅れたそうですが、今年は春先から対策に動く市町村も多く、例えば岩手県大船渡市では、4月から発生量に合わせた薬剤散布が行われています。

一方、今後気をつけなければいけないのが、瓦礫に住み着いたネズミの駆除だといいます。

◆ネズミの駆除と、問題
 ガレキの中にネズミが営巣している状況で、粘着トラップを設置、薬剤を配布、エサでおびき寄せて捕えるという対応をしている。
 ガレキが片付いてくるとネズミの居場所が無くなる。近隣に住宅や仮設があるとドブネズミが侵入してくる可能性は高い。
 仮設は個人の使用物なので、仮設にネズミが侵入した場合、住民が自分で駆除しなければならない。その辺は難しい問題。



各都道府県のペストコントロール協会のオフィシャルサイトでは、自分で出来る防虫対策、またお住まいの近くの害虫処理業者を探すこともできます。
【社団法人 日本ペストコントロール協会 Official Website】





★クロノス×ISHINOMAKI2.0東日本大震災復興支援ツアー第2弾!★
【「GAKU-MCと巡る 石巻川開き祭り」 supported by 「白元 どこでもアイスノン」】


今年3月にTOKYO FM「クロノス」とNPO「石巻2.0」のコラボレーションで実施した
東日本大震災復興支援リスナーツアーの第2弾が決定!!

今回は、アーティスト「GAKU-MC」さんが参加!


石巻最大の夏祭り「石巻川開き祭り」で灯篭流しや花火大会を鑑賞するほか、
フットサルの「2on2」を通して現地の方々と触れ合いながら、被災地をめぐる2日間の旅です。

日程は、7月31日出発、8月2日早朝 東京発着。
詳しくはTOKYO FM「イベント80」のページをご覧ください。

パーソナリティ・高橋万里恵も参加します。

2012年7月20日

7月20日「ISHINOMAKI 2.0 『STAND UP WEEK 2012』(2)」

宮城県石巻市・ISHINOMAKI 2.0が企画するイベント「STAND UP WEEK 2012」。
石巻の若い世代と、その熱に引き寄せられた他県の若者が、一度“ゼロ”になった街で、真っ白なキャンバスに自由にアイデアを描くように、楽しみながら、色んなことを仕掛けています。
ISHINOMAKI 2.0代表理事の松村豪太さんに、明日から始まるこのイベントについて、改めて詳しく伺いました。


◆誰が参加してもOK
 今回のSTAND UP WEEKも映画上映会、そして「ゆかた de 街コン」も行なう。石巻は中心市街地に呉服屋さんが多い。それを巻き込んで、浴衣で街を歩いたら楽しいことが起こるのではないか。色んなお店を覗きやすくなる仕掛けになればいいなと思っている。
 全国だれが来てもOK。石巻がいま抱える問題として宿泊施設があるが、宿泊場所に困っているなら、更地が広がっているからそこでキャンプをやればいいという話がある。キャンプメーカーからテントを借りることになり、街キャンプ&バーベキューも準備中。


◆人と人との繋がり
 毎日が出会いの連続、奇跡のような出会い。今まで気づかなかった色んな才能が石巻に眠っていて、津波で海の底がさらわれかき混ぜられ、いろんな才能が出てきて繋がったような感覚。

◆自由な発想と想像力で
 あとは多くの人を巻き込んで。閉塞感に包まれた街を、オープンでクリエイティブな街に作り変えようとしている。それは被災地・石巻に限ったことじゃない。日本全体が元気のない時代。そんな中で何も無くなった石巻には元気があった。25万人のボランティアをはじめ、日本に風穴を開けるヒントになっている気がする。むしろここから日本を元気にしたいと思っている。色んなことが新しく誕生している。石巻に足を運んでほしい。



ISHINOMAKI 2.0が企画する「STAND UP WEEK 2012」
今年も7月21日(土)から2週間にわたって開催されます。

キャッチコピーは「みんなを巻き込もう。未来を巻き込もう」
石巻の未来を“みんなで考え、みんなで造り、みんなで楽しむ!”という12日間です。


【ISHINOMAKI 2.0「STAND UP WEEK 2012」 詳しくはこちらからどうぞ】


最後の2日間、7月31日と8月1日に行われるのが、石巻で大正時代から続く「川開き祭り」です。
この開催に合わせて番組では、「石巻復興支援ツアー」第2弾を企画しました。


★クロノス×ISHINOMAKI2.0東日本大震災復興支援ツアー第2弾!★
【「GAKU-MCと巡る 石巻川開き祭り」 supported by 「白元 どこでもアイスノン」】


今年3月にTOKYO FM「クロノス」とNPO「石巻2.0」のコラボレーションで実施した
東日本大震災復興支援リスナーツアーの第2弾が決定!!

今回は、アーティスト「GAKU-MC」さんが参加!


石巻最大の夏祭り「石巻川開き祭り」で灯篭流しや花火大会を鑑賞するほか、
フットサルの「2on2」を通して現地の方々と触れ合いながら、被災地をめぐる2日間の旅です。

日程は、7月31日出発、8月2日早朝 東京発着。
詳しくはTOKYO FM「イベント80」のページをご覧ください。

パーソナリティ・高橋万里恵も参加します。

2012年7月19日

7月19日「ISHINOMAKI 2.0 『STAND UP WEEK 2012』(1)」

宮城県石巻市・ISHINOMAKI 2.0が企画するイベント「STAND UP WEEK 2012」。
ISHINOMAKI 2.0代表理事の松村豪太さんに、これから何をしようとしているのか、改めて伺いました。


◆ISHINOMAKI 2.0の活動
 東日本大震災で最大の人的、浸水被害を受けた石巻だからこそ生まれたプロジェクト。閉塞感あふれた街を、オープンにクリエイティブに作り変えようという活動。
 津波が、人、財産、クルマなど多くのものを奪った。泥かきや人探しなどのボランティアがきっかけで、クリエイター、大学の研究者、ウェブデザイナー、そうした人たちと会って、なにも無い白いキャンバスが広がった街を元に戻したくない、オープンでクリエイティブな街にしたいと動いているのがISHINOMAKI 2.0。


◆具体的なプロジェクト
 継続的な事業としては、出会う場としての「IRORI」というシェアオフィス兼コワーキングスペース。
 街づくりの手伝い。いろんな意見を吸い上げるプロジェクトテーブル。立場ごとに意見を出せる場の創出。


◆「STAND UP WEEK」、昨年は7月に行なわれた
 ISHINOMAKI 2.0最初の手作りプロジェクト。
 石巻最大のお祭りは、8月1日の川開き祭り。子どもたちは寝られないくらいの素敵なお祭り。それすら自粛で開催が危ぶまれた。でも動けば変わる、やりたいと思った。
 そこで手作りのお祭りをやった。ゲリラ的に東京のミュージシャンを呼び、太陽光カフェ、復興バーなど、面白いことができることを見せたかった。それを観た人が応援してくれた。被災したビルの壁にドラえもんの最新作を投影して300人以上が来てくれた。
 映画そのものも素晴らしいが、川のそばでベンチに座り、ベルギー人が提供してくれるベルギービールを飲み、という空間を楽しんでもらった。



ISHINOMAKI 2.0が企画する「STAND UP WEEK 2012」
今年も7月21日(土)から2週間にわたって開催されます。

 ●野外映画上映会:「ドラえもん劇場版」「クレヨンしんちゃん」の上映
 ●ゆかた de 街コン
 ●ロボラボ:レゴブロックでロボットを作るワークショップ
 ●まちづくりシンポジウム「ぺちゃくちゃナイト」
上記の他、たくさんのイベントが行なわれます。

【ISHINOMAKI 2.0「STAND UP WEEK 2012」 詳しくはこちらからどうぞ】


最後の2日間、7月31日と8月1日に行われるのが、石巻で大正時代から続く「川開き祭り」です。
この開催に合わせて番組では、「石巻復興支援ツアー」第2弾を企画しました。


★クロノス×ISHINOMAKI2.0東日本大震災復興支援ツアー第2弾!★
      【GAKU-MCとめぐる石巻川開き祭り】!!!


今年3月にTOKYO FM「クロノス」とNPO「石巻2.0」のコラボレーションで実施した
東日本大震災復興支援リスナーツアーの第2弾が決定!!

今回は、アーティスト「GAKU-MC」さんが参加!


石巻最大の夏祭り「石巻川開き祭り」で灯篭流しや花火大会を鑑賞するほか、
フットサルの「2on2」を通して現地の方々と触れ合いながら、被災地をめぐる2日間の旅です。

日程は、7月31日出発、8月2日早朝 東京発着。
詳しくはTOKYO FM「イベント80」のページをご覧ください。

パーソナリティ・高橋万里恵も参加します。

2012年7月18日

7月18日「宮城県石巻市『ラジオ石巻』が伝えたこと(2)」

昨年3月の東日本大震災以降、電気や携帯電話がつながらない中、宮城県石巻市のコミュニティFM「ラジオ石巻」は、地元の安否確認情報や生活支援情報を発信し続けました。

震災から1年4ヶ月経過した現在、ラジオ石巻の役割は大きく変わりつつあります。
「ラジオ石巻」技術部長・今野雅彦さんにお話しを伺いました。

◆日常の再開
 今、石巻市の大半の人たちは、震災の影響で心に傷を負っている。それをわきまえて、生きがい、レジャーなど、日常を再開していいのか悩んでいる市民もいる。しかしレジャーや趣味を商売としている経営者も食べていかなければいけない。
 水産都市に特化した、漁業、釣り、レジャー情報の番組を再開させた。非常に悩んだが、リスナーから釣り情報が欲しいという要望もあり、普段通りの営みをさせてもらおうということで、釣り番組を再開した。


◆釣り番組の再開。その意味
 日曜の朝8時30分、釣りの専門家や釣り雑誌記者、釣りクラブ会長が出演。その情報を頼りに、今どこで何が釣れているかを話すと、人が集まる。釣りは情報が命。
 石巻と海は切り離せない。それを取り上げたら、何をしたらいいか分からない市民も多い。ストレス解消。自然と向き合い、対話することは絶やさない方が良い。震災から1年が経過して、商店街のシャッターが一つ一つ開いて、競業が進んでいく。(お店が)再開したと聞けば、そこの社長も頑張ったんだとイメージできる。お店の再開と「再会」という時期になっている。


 


<石巻発の地域コミュニティ再生プロジェクトとして、石巻市民の方々がお国言葉で行なうラジオ体操「おらほのラジオ体操」がYOUTUBEなどで話題に。
石巻の方々の写真ジャケットCDは現在も発売中。その収益の一部は災害復興支援の義援金となります>

【ラジオ石巻 Official Website】




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2012年7月17日

7月17日「宮城県石巻市『ラジオ石巻』が伝えたこと(1)」

昨年3月の東日本大震災直後、被災した地域では地元のFM局やコミュニティFM局が、臨時災害放送局として、安否情報やライフライン情報を発信し続けました。
宮城県石巻市のコミュニティFM「ラジオ石巻」技術部長・今野雅彦さんにお話しを伺いました。

◆震災直後の混乱
 震災直後から予定していた番組の放送は止め、CMも何もかも無い状況でマイクだけで放送をやらなければいけなかった。
 3月11日の放送は夜7時30分で途絶えた。3月13日まで放送が出来なかった。
 ラジオ局は平たんな場所にあったが、アンテナ施設は山の上にあった。山も津波で囲まれてしまい、(ガソリンの発電機を使って放送を再開させるため)機材を運ぼうとした。情報の大切さを警察などにアピールしても人命最優先ということで叶わなかった。
 13日の昼に、自衛隊員との出会いで山に上がることができた。日和山で、ガソリン発電機を使った。当時はガソリン不足だったが、市民に協力を呼びかけて、ガソリンを集めた。


◆地元の方の安否情報を伝え続けた
 行方不明の人や家族を探すメモを放送で読んでいるうちに、再会できたという話も聞いた。
 コミュニティのラジオなので、地域の方はすぐわかる(届きやすかった)。保育所に子どもを預けていた親御さんが、ラジオから流れる保育所の先生の避難を知らせるメッセージで、安否確認が出来たということもある。


 


<石巻発の地域コミュニティ再生プロジェクトとして、石巻市民の方々がお国言葉で行なうラジオ体操「おらほのラジオ体操」がYOUTUBEなどで話題に。
石巻の方々の写真ジャケットCDは現在も発売中。その収益の一部は災害復興支援の義援金となります>

【ラジオ石巻 Official Website】




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パーソナリティ・高橋万里恵も参加します。

2012年7月16日

7月16日「カナダ人ボランティアが見る、被災地の今」

宮城県石巻市でボランティア活動を続けるカナダ人男性、コリン・レニーさん(29歳)。
数年前は山形県の国際交流員として働いていたこともあって、ご本人は、ニッポン流に「レニー・コリン」と名乗っています。

山形県の職員やホームステイを通じ、東北に特別な想いを持っていたコリンさんは、カナダを離れボランティア活動を続けてきました。



◆被災地を見続けて、感じること
 昨年7月に来日し、南三陸へ。石巻は9月から。
 今と比較して石巻は大きく変わった。広くなった。ビルや民家が取り壊された。石巻、東松島、南三陸、どれも取り壊されつつある。
 残念なのは、すべてを消そうという気持ちが地元にあること。タンクが取り壊される予定だが、津波の記憶を肉眼で見られる遺構がなくなるのは残念。いまは津波の爪痕がわかるが、いつか通常に戻る。あの時に何があったのかが分からなくなる。日本は何かするのにすごく時間がかかるのに、なぜこれは早く片付けられるのか。もっとゆっくり考えるべきではないのか。


◆被災地の復興
 震災前、石巻や山形県坂田という地名は誰も知らなかった。石巻も坂田も、同じような無名の地域。坂田も石巻と同じく港町で魚が有名だが、坂田はいま町が暗い。仕事が無く、若者はいなくなり人口は減少。石巻と同じだった。
 しかし震災後、石巻は有名になった。良いことか悪いことか分からないが、機会を得た。欲しくないことだが得た。
 いろいろできる大きなチャンス。南三陸、陸前高田、大船渡、釜石、宮古、気仙沼、鮎川、女川も。



コリンさんは、7月でワーキング・ホリデー・ビザが切れたため、現在はカナダに一時帰国中です。
今後改めて日本で仕事を見つけて東北に入り、働きながらボランティア活動を続けたい、日本語、英語、中国語などの語学を生かし、東北と海外をつなぐ橋渡しとして、町おこしに貢献したいと考えています。


【コリン・レニーさん Facebookページ】

2012年7月13日

7月13日「『スナッグゴルフ』を被災地に」

運動不足が課題とされる被災地の仮設住宅に「スナッグゴルフ」を贈ろうと立ち上がったのは、ゴルフのティーチングプロ・藤井誠さんと、その意思に賛同したゴルファーの有志一同。

「スナッグゴルフ」とは、通常より一回り大きいクラブやボールで楽しむゴルフ。
子供やスポーツになじみのない人でも、比較的すぐに楽しめるのが特徴です。

宮城県南三陸町で、地元・仙台から長谷川崇ツアープロも参加して、贈呈式と講習会が行われました。

スナッグゴルフの贈呈式と講習会が行われたのは「平成の森 しおかぜ球場」。
総合スポーツ施設「平成の森」には約400世帯の仮設住宅があり、今回は子供からお年寄りまで約25名が参加して、講習会が行われました。

もともと南三陸町は、高齢者向けのスポーツ「グラウンドゴルフ」が盛んな地域。
しかし震災後はスペースや道具が十分整わないのが現状です。


◆取り組みを企画した、ティーチングプロ・藤井誠さん
 プロゴルファーとして、東日本大震災の被災者の方々に何か出来ることはないか。一番最初に頭に浮かんだのが、「スナッグゴルフでみんなで遊べたらいいな」ということ。
 スナッグゴルフはクラブ自体もボールもやわらかいので、安全で危険度が低い。また子供、大人、ベテランまで入りやすく楽しみやすい。さらにやる場所を選ばない。
 ゴルフは個人のスポーツと言われるが、今回講習会をやってみて、大勢の人が心を一つにしてゴルフを楽しむことできるのも、ゴルフの良さだとわかった。心から喜んで体を動かしていたのが印象的だった。


◆南三陸町教育員会 生涯学習課・及川しょうやさん
 することがないというのが一番問題。活動することがないと、引きこもりがちになる。身体機能が衰え、足腰が衰えて、ますます生活に張りがなくなり、元気がなくなる。
 できるだけいろんな方々が集まる趣味の会、スポーツ、娯楽など、そういう場所をいろいろ作ることが大切だと思う。気軽に参加できるスポーツとして、スナッグゴルフでもグランドゴルフでも、活動できる場があれば。



【スナッグゴルフジャパン Official Website】

【ティーチングプロ・藤井誠さん Official Website】







2012年7月12日

7月12日「クラウドファンディングを利用して、漁業復興支援を目指す」

プロジェクトを掲げて賛同者を募る、新しいスタイルの支援金集めの方法「クラウドファンディング」。
宮城県石巻市に住む高田弘さんは「CAMPFIRE」というプラットフォームを使って、石巻市牡鹿半島の漁師たちを支援するプロジェクトを立ち上げています。

高田さんはもともと郵便関係の仕事をしていて、漁業に関しては素人。
パソコンの知識もありませんでしたが、奥さんのボランティア活動を通じて知り合った牡鹿の漁師たちをなんとか支援したいと、「クラウドファンディング」に注目。
すでに100万円近い支援金が集まっています。

◆将来の沿岸漁業のために、支援金を
 石巻市内でも牡鹿半島エリアにある小さな浜「前網浜」は、震災前は23軒あった小さな漁村で、そこの漁師さんを応援しようと思った。
 漁師15〜16人のうち、8人でグループを作って定置網を行う。
 三陸の沿岸漁業は、家族単位の形態(が多い)。グループというのはあまり見受けられない中で、ここの浜の人たちは震災を契機に生産組合や法人を作って、漁業の復興、ベンチャー企業のようなものを始めた。
 すごい決心だと思うし、こういうことがきちんとできたら、将来の沿岸漁業の一つのモデルケースになると思い、皆さんに支援金のお願いをした。


牡鹿半島の前網浜は、多くの漁船、漁の道具、家屋が津波にのまれた地区。
定置網漁を始めるための海中や海底のガレキ撤去にも、経費がかかります。

◆定置網漁に掛かる経費の一部を、クラウドファンディングで
 船は1世帯に2隻くらい持っていたが、それがほとんど津波にのまれて無くなった。
 前網浜では主にホヤを手掛けていたが、ホヤ棚も全て無くなった。ホヤは出荷するのに3年かかる。今ホヤを再開しても、収入を得られるのは3年後。そこで始めたのが定置網。
 定置網は、船と網を海にセットすれば魚が獲れ、即収入に繋がる。
 例えば船なら、12トン位の船で1億円位する。定置網の網の半分は長崎から無償で提供してもらうことになったが、半分でも6000万くらいかかる。1億6000万の6分の5は、国の第三次補正で補助をしてもらえるが、残りの6分の1は自分たちの負担。金額が大きいので、経費の一部をクラウドファンディングで支援いただけたら。



高田さんが呼びかける「一匹狼の漁師が手を取り合って、漁業復興を目指す定置網プロジェクト」での支援は500円から可能。
出資者は支援の見返りとして、プロジェクトオーナーからノベルティグッズや大漁旗、成果物などを受け取ることができます。
7月24日24時(25日0時)まで、支援金を募っています。


【一匹狼の漁師が手を取り合って、漁業復興を目指す定置網プロジェクト】


<写真:高田弘さん>


<写真:石巻市牡鹿半島、前網浜の漁師さんたち>

2012年7月11日

7月11日「新たな支援の形、クラウドファンディング」

被災地では、がれきの処理や漁業や農業など産業の復興、高台移転など、復旧・復興への長い道のりが続いています。

スピードと金額の両面で、行政による支援が十分に行き届かない中、新たな支援の形として注目されているのが、プロジェクトを掲げて賛同者を募る「クラウドファンディング」です。

この「クラウドファンディング」と、被災地支援の可能性について、ジャーナリストの津田大介さんにお話を伺いました。

◆クラウドファンディングとは
 「クラウドファンディング」とは、今アメリカなどでも注目されている資金集めの方法。プロジェクトを示して、資金を集める。最近だと一番話題なのはベン・フォールズファイブが「次のアルバムの制作資金はクラウドファンデングで集めます」「300万円集まれば製作費になります」というと、ファンがそれに対してお金を払う。さらに、例えば「3000円払ったファンはCDがもらえます」「1万円とか10万円払った人はライブにも招待する」など、支援した側が、見返りとしていろんな商品をもらえる。お金が集まらなかったら「失敗」となり、お金は引き落とされない。「意志」や「やりたいこと」を示して、それに賛同する人がお金を提供する、というサービス。
 2年くらい前からアメリカで「kickstarter」という有名なサイトが登場して、日本では震災の後に似たようなサービス「Ready For?」や「CAMPFIRE」などが昨年相次いでスタート。
 プロジェクトによっては数百万円の資金を集めて成功しているケースも出てきている。
 ソーシャルメディアで善意を流通しやすくなり、そこにお金も払う、という形が出来てきている。


◆ソーシャルメディアが実現するインフラ
 「意志」や「プロジェクト」を示して、ソーシャルメディアで広げ、社会を良くしていくということがやりやすくなってきた。日本でもソーシャルメディアが1500万人、2000万人近くまで来て、ネット上でワンクリックで送金するシステムも出来てきたことで、行政の補助金に頼らず、人々の善意でお金を集めて、ものごとを実現していくことが可能になった。
 アイディアと情熱があって動ける人間が、きちっとお金もついてきて継続的に動けるような、そんなインフラにソーシャルメディアがなると、社会が良い方向に活性化していくのではと思う。



「クラウドファンディング」による被災地支援には、「漁業支援」「子供たちに楽器を送るプロジェクト」「祭りの再生」など、様々なプロジェクトが進行しています。
支援金も500円や1000円など、少額から可能なものもあります。

2012年7月10日

7月10日「笑顔の種をまく『スマイルシード』」

宮城県石巻市出身の黄本富士子さんが代表を務めるNPO法人「スマイルシード」。
被災地の子どもたちのための、自然学習などのワークショップや津波被害にあった地域を再生するための取り組みをしています。
その活動について、黄本さんに伺いました。

◆街づくりは森作り
 「笑顔の種をまこう」というキャッチコピーで、3万枚のはがきに季節の種を入れて、被災地に渡した。
 「街づくりは森作り」というイメージがある。子どもたち、住民と一緒に森作り、街づくりが出来たらと思っている。公園や街並みづくりをしたいと考えていたところ、奥松島 宮戸という素晴らしいところで活動開始。世界遺産にも申請された場所だが、津波で壊滅してしまった。これだけ素晴らしい環境なので立て直したいという依頼を受け、土入れ、草刈など80人体制で、重機も使い、塩害を回復させ、地元自生の木を植樹している。10年かけて街づくりをしていきたい。


奥松島は日本三景の一つ・松島の東、松島湾の入口に浮かぶ宮戸島、野蒜海岸一帯のこと。松島に劣らない絶景で知られています。
スマイルシードは、この奥松島の再生を目指し、植樹活動を始めています。

◆島の大切さ
 ボランティアも、こういう場所があったのかと言う。みんな女川、牡鹿、石巻に行ってしまう。宮戸、奥松島という場所を知らない。松島は助かったという印象を持っているが、奥松島はそうではない。報道されていないが、実は奥松島が被害を受けたから、松島は大丈夫だった。
 浜が全て壊滅してしまったのを目の当たりにしてショックを受けたし、住民の方々は家も失くし、塩釜や多賀城に転居せざるを得なくなってしまった。生きている間に何かできないか、ここが素晴らしい地域だったこと残していきたいと言う。住民の方は、震災・津波で、自分たちの島の大切さを再認識した。



次回の奥松島の植樹活動は7月15日(日)に行われます。
奥松島宮戸島に、100本のあじさいなどを植えるということです。
参加人数には定員がありますので、詳しくはスマイルシードのホームページでご確認ください。


【特定非営利活動法人 スマイルシード Official Website】

2012年7月9日

7月9日「カーシェアが繋ぐコミュニティー」

宮城県石巻市を拠点として活動する「日本カーシェアリング協会」。
一台の車を共同利用する「カーシェア」のサポートを行なっています。

日本カーシェアリング協会の代表理事・吉澤武彦さんは、阪神淡路大震災の際、仮設住宅に暮らす方の移動手段が問題になったことから、石巻にカーシェアの仕組みを導入しようと考えて、昨年4月にこの協会を立ち上げました。

◆協会が行なう支援と、生み出す雇用
 津波で車がだいぶ流されている。一つの家族で2台〜3台流されている。そうした被災者が共同で使う「足」にするという支援。企業・個人から善意で提供してもらった車を、無償で希望する被災者に提供。
 届けた1台を仮設住宅で生活するご近所同士数名で使う。石巻に57台の車が走っているが、「OPEN JAPAN」(ボランティア団体のネットワーク)を拠点に、今度は利用者が広める側に回ってもらう。カーシェアリング・コミュニティ・サポートセンターという市の委託事業を設立。パートで、カーシェアについての問い合わせの対応やサポートを、利用者自身が手掛ける。


◆カーシェアのメリットと今後の課題
 提供してもらった車検つきの車に1年間、誰でも適用される保険を付けて無償貸出し。ただ、経費がかかる。
 ガソリン、オイル、自動車税、車検については、利用者同士の話し合いで。ガソリンは満タン返し、10キロにつき何円など話し合って、それぞれオリジナルの形でカーシェアリングをやっている。たまたま車を使いたい人が集まって、仲間意識が生まれ、メンバー増やしたいと一軒一軒回って仲良くなり、コミュニティが生まれる、といったことも起こっている。
 ただ、日本ではカーシェアリングは大変。良い保険商品がない、税金や車検はまともにかかる。そうした環境整備を石巻でやりたい。石巻ではカーシェアリングの軽自動車、自動車税を減税・免税するとか、カーシェアで使える保険商品とか。
 今はこういう事態なので、寄付を貰い、サポートして何とか出来ているが、これを継続するのが難しくなっていく。継続できる環境を石巻で作り、モデルケースにしようとしている。




【日本カーシェアリング協会 Official Website】

2012年7月6日

7月6日「被災地の日々を記録する『情報レンジャー』」

宮城県で、被災地の日々をウェブ上に記録する「情報レンジャー」。
その日々を「過去のものにしない」ための活動で、宮城県、東北学院大学などと連携して活動をしています。

情報レンジャーを運営する公益社団法人 助けあいジャパン・事務局の太田倫子さんに、その活動を内容を伺いました。

◆活動内容とテーマ
 「情報レンジャー」は、動画で被災地の復興の取り組み、復興に繋がる活動を取材。2〜3分の動画番組をインターネット上で紹介している。昨年10月、トヨタ自動車から協力を得て、ハイブリッドカーで被災地を周り情報を集めるプロジェクト。
 当初はボランティアベースで東京から人が来て行なっていたために、定期的に長い間続けるのが難しかった。被災地で雇用が足りない問題もあるので、宮城の人を雇用、宮城の人が情報発信する。
 一日2〜3本の番組を作ることを目標としている。テレビやラジオもあるのにこういう活動が必要なのかと悩んでいるが、テーマは「日常の変化」、日常が復興に伴って変化していく姿を捉えるのがテーマなのではないかと感じ始めている。



情報レンジャーは、男性3人・女性2人。年齢は20代〜40代。
日々、宮城県内で起きていることを映像に収め、編集し、サイトにアップし続けています。
メンバーは、震災前は全く別の仕事についていた方ばかりです。

◆情報レンジャーのメンバー・坂本恵一さん
 慣れはない。夜の編集は夜なべして、いい話のどこを使ったらいいか悩むし、なるべく早く伝えてあげたい。
 (もともとは)こういう世界の人間ではないし。震災前は、バスの板金塗装を出張でやっていた。地震の前年に石巻に中古住宅を買い、移転したら1年経たないうちに無くなった。
 色んなところからボランティアが全国から来るのに、こっちの人間は何もしないのはまずいという気持ちだけが空回りするような1年間。自分が変わるきっかけになればいい。話を聞いたり人と出会うことで、自分の考え方も変わった。前に出られそう。これを生かして何かが出来るのではないかという気がしている。


◆情報レンジャーのメンバー・太田和美さん
 特別な使命感。大変さはない。宮城県出身で良かったと思う。
 印象に残っているのは周りの景色。言葉にならない言葉の景色。泣きたくなるときもある。一瞬慣れそうになったことがある。震災の被害を受けた地域に慣れてきた。それは危機、軽視してはいけない。もう一度見つめ直している。音も違う。人の声がしない空間はなんて寂しいんだろう。


◆情報レンジャーのメンバー・網野武明さん
 活動して三ヶ月半経過。「見たことあります」「いつも被災地にいるよね」「こないだの良かったよ」と言われると元気が出る。とにかくやりつづける。これが重要。


この活動は、県との共同事業なので期間が決まっており、来年3月で一旦終了します。
事務局の太田さんは「できれば5年〜10年と続けていきたい」と話していて、県に事業継続を申請する予定です。
また、岩手県や福島県でも、同様の活動が立ち上がりつつあります。


 



【情報レンジャー Official Website】

2012年7月5日

7月5日「『サンライス元気村プロジェクト』“よそ者”であるボランティアが繋ぐもの」

宮城県石巻市で続いている支援活動「サンライス元気村プロジェクト」。
仮設住宅で暮らす65歳以上の一人暮らしのお年寄りに、毎月お米を届けると同時に、こもりがちなお年寄りとのコミュニケーション、安否確認も目的とした活動です。

プロジェクトがスタートした11月から、すでに8か月。
一部の仮設団地では、ボランティアによる訪問活動を、そこで暮らす地元の方々の“自治会”に移していこうという話も進んでいます。

サンライス元気村プロジェクトを取りまとめている中村真菜美さんは、実はこれが活動の最も大きな目的だと話しています。

◆最大の目的は“ボランティアがいなくなる”こと
「ボランティアは“よそ者”。支援者も“よそ者”。よそ者と繋がることで被災者には言えないことを吐き出せること、よそ者だから助けられることがある。でもそれよりも、住民同士、お隣同士、地域同士の関係が結局はその人の生活を支えることになる。
この半年を見ると、人によっては去年1月には誰とも繋がっていなかった人が、だんだんお隣同士で散歩を始めたり、挨拶したり集会所に出かけるようになった。徐々に繋がりが出来ている。しかし、それに乗りきれていない人たちがいる。そうした人達をつついて、繋がれるようにできたらというタイミング。
 ボランティアの最大目標は「いなくなる」こと。一つでも小さな当たり前を取り戻していく作業。そのためには地域と繋ぐということが必要。次の冬が一番しんどいと思う。次の冬を悲しくならずに過ごしてもらうために、ささやかながらよそ者ができることはなんだろう、と考えながら活動しています。」

◆ボランティアスタッフによるブログ
最後に、サンライス元気村のブログの中から、参加したボランティアの方が書いた文章の一部をご紹介します。この方が訪問した仮設住宅では、週に一度、八百屋さんの巡回販売がやってくるそうで、その様子を見て、書かれた文章です。

『野菜の巡回販売の白いワンボックスが集会場の前に止まり、
野菜がおろされ始めると、あちこちの棟から、おばあちゃんたちが
やってきて、あっという間に人だかりができました。
 目と鼻の先に、品ぞろえも豊富なイオンがあるのに。
 
おばあちゃんたちは笑顔で、仲良く野菜を選んでいます。そこが集会所みたい。
買い物の楽しさだけではない、もっと別の何かがある。
自分一人だけの笑顔ではなく、誰かと誰かの笑顔が繋がる場所。
集会所でも八百屋さんでもいいけれど、そんな場所がもっと増えていけば、
きっと、みんなの暮らしがより穏やかになるのだろうと、しみじみ感じた一日でした。』


こうした集まりが、それぞれの被災地で、それぞれの方々の力で生まれた時に、
このボランティアの役目は終わります。

【サンライス元気村プロジェクト Official Blog】
【一般社団法人OPEN JAPAN Official Website】

  


2012年7月4日

7月4日「『サンライス元気村プロジェクト』コミュニティ作りのサポート」

宮城県石巻市で続いている支援活動「サンライス元気村プロジェクト」。
仮設住宅で暮らす65歳以上の一人暮らしのお年寄りに、毎月お米を届けると同時に、こもりがちなお年寄りとのコミュニケーション、安否確認も目的とした活動です。

取材をした6月末、約30人のボランティアが5か所の仮設住宅を分担する形で訪問していました。
長期にわたり何度も参加しているお2人にお話を伺いました。



◆仲良くなる方法を模索
「1月から活動をしている。石巻市の仮設住宅7000戸から独居高齢者の対象者捜しを終え、今は把握できた高齢者を月に一度訪問。仮設は抽選なので、隣近所で被害の差がある。全壊地区の場所もあれば半壊地区の場所もある。そういう面で話ずらい状況が生まれているのかも。そのため仲良くなるのが難しい。団地などでイベントを催し、仲良くなる方法を模索中。」

◆孤立を防ぎたい
「訪問を始めた当初は隣近所のやりとりもなく、家族の訪問も無かった人が、徐々に友達が増えたという方もいるし、お米につけたメッセージカードをきっかけに、文通が始まったケースもある。孤立を防ぎたいという思いから始めた活動が、ようやく成果をみせるようになってきた。しかし、また寒い冬が来て仮設2年目を迎えるにあたり、今までとは違うストレスが出てくるかもしれない。被害状況が違い、個々の環境も違う中、より孤立が深まる人、明るくなれる人の差が出てくるかも知れない。私達は、より弱い立場になりがちな人に寄り添い、コミニティを作ってもらえるよう、自治会の方と一緒にその仮設住宅にあった形でサポートを始めているところです。」

サンライス元気村プロジェクトでは、仮設団地の七夕まつりの手伝いを企画するなど、コミュニティづくりのサポートを続けています。

 

【一般社団法人OPEN JAPAN Official Website】
【サンライス元気村プロジェクト Official Blog】

2012年7月3日

7月3日「『サンライス元気村プロジェクト』お米を届け、文通で繋がる縁」

宮城県石巻市で続いている支援活動「サンライス元気村プロジェクト」。
仮設住宅で暮らす65歳以上の一人暮らしのお年寄りに、毎月お米を届けると同時に、こもりがちなお年寄りとのコミュニケーション、安否確認も目的とした活動です。
お米には支援者からのメッセージも添えられていて、そこからお年寄りと支援者の「つながり」が生まれることもあります。

このプロジェクトを通じて文通を始めた東京の支援者と共に、文通相手の男性が暮らす石巻の仮設住宅へ伺いました。

仮設で暮らす80代の男性は、若い頃、東京で生活をしていて、支援者からのメッセージカードに書かれた東京の懐かしい地名を見て、お礼の手紙を書き、そこから文通が始まったということです。



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支援者「お手紙を出したらその日に達筆な字で、便箋4枚にビッシリ返事をくれた。桜を見る気分にはなれないとおっしゃっていたので、代わりに見てきたとご報告をした。余計な事を書いたかと思ったが、その後の手紙に“桜を見に行った”と書いてあり、嬉しかった」
男性「この人に言われたら見に行かざるを得ないじゃない。キレイだった。見れて良かった」
番組スタッフ「仮設住宅での付き合いは?」
男性「隣はおじいさん、おばあさん。挨拶はするが、年寄りが嫌い(笑)。元々は石巻の駅裏にいて、近所付き合いはあった。(この先の住まいについては)あまり考えたくはない。自分は88歳か89歳。生きても2〜3年。家を建ててもどうしようもないのでは。どうしたらいいのか分からない。あと1〜2年はここ(仮設住宅)に居住できる、それまで生きていれば息子と相談する。正直まだ分からない。仮設の暮らしは快適ではないが不自由は何も無い。言えばキリは無いが」
番組スタッフ「その中でも浮かぶのは何?」
男性「ガールフレンドかな。カラオケ言っても相手にされないから」

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【一般社団法人OPEN JAPAN Official Website】

【サンライス元気村プロジェクト Official Blog】

2012年7月2日

7月2日「サンライス元気村プロジェクト」

現在、宮城県石巻市には、「OPEN JAPAN」という、様々なボランティア団体、個人が結集した大きなネットワークが出来ていて、団体同士が横の連携を取りながら、それぞれの活動を続けています。


その中の一つ、「サンライス元気村プロジェクト」は、特に仮設住宅で独り暮らしをする高齢者の支援を目的とした活動です。
プロジェクトを取りまとめている、中村真菜美さんにお話を伺いました。

◆サンライス元気村の取り組み
これは阪神淡路大震災の神戸ではじまった取り組み。
仮設住宅という特殊な環境は孤立を生みます。その中で「サンライス元気村」は、65歳以上の独居高齢者をターゲットに、ボランティアが月に1度訪問し、直接的なコミュニケーションを取る。ボランティアと対象者が繋がるのが最初のステップです。
もう1つは、全国で被災地に想いを寄せているが、具体的なアクションが出来ない方に代わって、支援者と仮設の高齢者をつなぐ、というのがあります。その方法が支援者の連絡先とメッセージを添えた3kgのコメを月1度届け、手紙を介して繋がる。どこかで自分のことを思ってくれる人がいるだけで、人はほっこりする。遠くで想いを寄せている人とつながる、というのが次のステップ。これを半年間やってきています。


プロジェクト名の「サンライス」は、「3キロのお米(ライス)」と、「sunrise」の2つの意味があります。
この「お米3キロ」は、お年寄り1人が1か月に食べる量で、ボランティアは1か月ごとのお米の減り具合も確認しながら、月に1度、仮設住宅を訪問しています。

 
 


【一般社団法人OPEN JAPAN Official Website】

【サンライス元気村プロジェクト Official Blog】

パーソナリティ 鈴村健一

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