2012年5月31日
5月31日「気仙沼大島・『食事処・はま家』の再開」
宮城県気仙沼大島は、海と山が拡がる周囲22kmの島です。
島民は約3000人。
東日本大震災では、太平洋側からの津波と本州からの引き波によって、島を東西両面から津波が襲い、30人以上の島民が犠牲になりました。
フェリーの接岸港「浦の浜」にあり、長年、観光客や島民に愛されてきた「食事処・はま家」にも津波が押し寄せました。
「はま家」を営む菊田公子さんにお話を伺いました。
◆津波と火事に襲われたあの日
浦の浜の船着き場の前、リフト乗り場の前の食堂だった。
店が流されていって、2階の部分だけ残った。その時は車で逃げた。うちのお父さんは2階から毛布を出したり缶詰を持ったりして、私より後から車で走ってきた。
お寺について上から見ていたら、お父さんの車の前からや後ろから水が来て、お父さんは車を寄せて走って逃げた。
お父さんが助かったので、家が流れていくのに涙も出なかった。うちだけでなく、皆流されていった。
気仙沼湾が海火事になった。それが瓦礫伝いに海側から山に移って、寺に下がってきた。私たちも池から水をバケツリレーした。流された車にもガソリンが入っているから火がついたら大変と、人力作戦で。もうどきどきだった。
うちの子どもたちは、「(私たち夫婦が)津波で助かったけど火事で死んだと思った」と言っていた。
子どもたちは東京と埼玉にいるので、息子が様子を見に行くと言ったら、娘が「お父さんとお母さんが死んだのにあんたまで死んだら困る」と言ったと、後から知らされた。
お寺の和尚さんから「私たちが生きている」というのが伝わって、娘から「父と母をお願いします」というメールが入った。それを見て初めて涙が出た。もう震災から1週間ぐらいたってたけど。家が流れた時もお父さん助かった時も涙は出なかったけど、そのとき初めて。やっぱり家族だなと思った。
「はま家」は昨年12月、島内で場所を変え、営業を再開しました。
再び、観光客や島の住民が集まる憩の場になっています。
◆店の再開
また店をやると思わなかった。ショックで。お父さんも疲れちゃって。
でもだんだん落ち着いて、夏過ぎてからは、法事の食事(の仕事)もやってくれって言われた。
土地の持ち主に「ここの土地貸すからやれやれ」って言われて再開することになった。
9月に土地を借りたときに、家賃だからと気持ち持っていたら、「貸すからやれっていったんだから、儲かったら貰う」って言って、地代を取らない。そういう人たちだよ、大島の人たちって。本当に皆のお陰。
「食事処・はま家」の菊田公子さんは、「とにかくたくさんの人に、大島を訪れてほしい」とも話されていました。
島民は約3000人。
東日本大震災では、太平洋側からの津波と本州からの引き波によって、島を東西両面から津波が襲い、30人以上の島民が犠牲になりました。
フェリーの接岸港「浦の浜」にあり、長年、観光客や島民に愛されてきた「食事処・はま家」にも津波が押し寄せました。
「はま家」を営む菊田公子さんにお話を伺いました。
◆津波と火事に襲われたあの日
浦の浜の船着き場の前、リフト乗り場の前の食堂だった。
店が流されていって、2階の部分だけ残った。その時は車で逃げた。うちのお父さんは2階から毛布を出したり缶詰を持ったりして、私より後から車で走ってきた。
お寺について上から見ていたら、お父さんの車の前からや後ろから水が来て、お父さんは車を寄せて走って逃げた。
お父さんが助かったので、家が流れていくのに涙も出なかった。うちだけでなく、皆流されていった。
気仙沼湾が海火事になった。それが瓦礫伝いに海側から山に移って、寺に下がってきた。私たちも池から水をバケツリレーした。流された車にもガソリンが入っているから火がついたら大変と、人力作戦で。もうどきどきだった。
うちの子どもたちは、「(私たち夫婦が)津波で助かったけど火事で死んだと思った」と言っていた。
子どもたちは東京と埼玉にいるので、息子が様子を見に行くと言ったら、娘が「お父さんとお母さんが死んだのにあんたまで死んだら困る」と言ったと、後から知らされた。
お寺の和尚さんから「私たちが生きている」というのが伝わって、娘から「父と母をお願いします」というメールが入った。それを見て初めて涙が出た。もう震災から1週間ぐらいたってたけど。家が流れた時もお父さん助かった時も涙は出なかったけど、そのとき初めて。やっぱり家族だなと思った。
「はま家」は昨年12月、島内で場所を変え、営業を再開しました。
再び、観光客や島の住民が集まる憩の場になっています。
◆店の再開
また店をやると思わなかった。ショックで。お父さんも疲れちゃって。
でもだんだん落ち着いて、夏過ぎてからは、法事の食事(の仕事)もやってくれって言われた。
土地の持ち主に「ここの土地貸すからやれやれ」って言われて再開することになった。
9月に土地を借りたときに、家賃だからと気持ち持っていたら、「貸すからやれっていったんだから、儲かったら貰う」って言って、地代を取らない。そういう人たちだよ、大島の人たちって。本当に皆のお陰。
「食事処・はま家」の菊田公子さんは、「とにかくたくさんの人に、大島を訪れてほしい」とも話されていました。