2011年12月30日
12月30日「瀬戸内寂聴さんからのメッセージ」
作家で僧侶の瀬戸内寂聴さんは、岩手県・天台寺の名誉住職も務めておられます。
寂聴さんにとって東北地方はゆかりの深い地域でもあります。
今回の震災ではたくさんの人が、家族や家、そして仕事を失いました。
そんな過酷な状況を、この震災を、私たちはどう受け止めたらいいのでしょうか。
◆あすはわが身かもしれない
皆さんが「どうしたらいいでしょう?」と相談してくるが、「何をしてあげればいいか」と思うだけでいい。その思いやりの「念」、みんなの「念」が固まって思いやればチカラを持ち、祈りになる。
自分が宝くじにあたるようにとか、玉の輿にのれるようにとか、そうはいかない。でも人のために「あの人は見かねますからどうか救ってやってください」と他人のための祈りは効く。
そしてほんのわずかでもいいから義援金を。はっきり使ってくれるところに収めるべき。
自分以外の困っている人を助けようという、当たり前のことを日本人はしなくなっているので、そうじゃなく。「あすはわが身かもしれない」と思ってほしい。
◆「無常」と「忘却」
仏教には「無常」という言葉がある。この言葉は、『人間は生まれたら死ぬんだ』という意味もあるが、私は『常ならず』と読んだ。「生々流転」という言葉があるが、『全てのものは流転して変わっていく』というように、同じ状態へは決して続かない。だから誰かが亡くなってずっと悲しんでいても、1年経ってふと気がつくと、「あ、今朝忘れていた」またしばらくして「昼も思い出さなかったな」となる。
人間は『忘却』という性能を与えられている。忘却というのは神や仏の恩寵(=愛や恵み)だと思う。忘れることができるから生きていかれる。だけど忘れてはいけない大切なことも忘れてしまう。これは神や仏の豪罰だと思う。なんでも裏と表がある。
だからこれからは、「だんだん良くなるんだ」と希望を持って生きていってほしい。
瀬戸内寂聴さんのお話は、TOKYO FMをはじめ、JFN32の放送局で放送されている「On the Way Journal Weekend・寂聴です!」でもお聞きいただけます。
「On the Way Journal Weekend」
寂聴さんにとって東北地方はゆかりの深い地域でもあります。
今回の震災ではたくさんの人が、家族や家、そして仕事を失いました。
そんな過酷な状況を、この震災を、私たちはどう受け止めたらいいのでしょうか。
◆あすはわが身かもしれない
皆さんが「どうしたらいいでしょう?」と相談してくるが、「何をしてあげればいいか」と思うだけでいい。その思いやりの「念」、みんなの「念」が固まって思いやればチカラを持ち、祈りになる。
自分が宝くじにあたるようにとか、玉の輿にのれるようにとか、そうはいかない。でも人のために「あの人は見かねますからどうか救ってやってください」と他人のための祈りは効く。
そしてほんのわずかでもいいから義援金を。はっきり使ってくれるところに収めるべき。
自分以外の困っている人を助けようという、当たり前のことを日本人はしなくなっているので、そうじゃなく。「あすはわが身かもしれない」と思ってほしい。
◆「無常」と「忘却」
仏教には「無常」という言葉がある。この言葉は、『人間は生まれたら死ぬんだ』という意味もあるが、私は『常ならず』と読んだ。「生々流転」という言葉があるが、『全てのものは流転して変わっていく』というように、同じ状態へは決して続かない。だから誰かが亡くなってずっと悲しんでいても、1年経ってふと気がつくと、「あ、今朝忘れていた」またしばらくして「昼も思い出さなかったな」となる。
人間は『忘却』という性能を与えられている。忘却というのは神や仏の恩寵(=愛や恵み)だと思う。忘れることができるから生きていかれる。だけど忘れてはいけない大切なことも忘れてしまう。これは神や仏の豪罰だと思う。なんでも裏と表がある。
だからこれからは、「だんだん良くなるんだ」と希望を持って生きていってほしい。
瀬戸内寂聴さんのお話は、TOKYO FMをはじめ、JFN32の放送局で放送されている「On the Way Journal Weekend・寂聴です!」でもお聞きいただけます。
「On the Way Journal Weekend」