TOKYO FM 特別企画 LOVE & HOPE special

忘れない、伝えたい 僕たちがつくるいのちの教科書

2017年3月10日(金)16:00-16:55 ON AIR

  • 高橋万里恵
  • 片田敏孝

「釜石の奇跡を起こしたのは、はじめは、釜石中学のサッカー部員でした」
防災教育の第一人者、群馬大学大学院教授で広域首都圏防災センター長の片田敏孝さんはそういいます。
2011年3月11日。2時47分。釜石中学校の校庭では、サッカー部の少年たちがボールを蹴っていました。震度7の大きな揺れ、サッカー部の少年たちは揺れが収まった校庭で考えました。
「揺れが起きた後は、大きな津波が来ると片田先生が俺たちが小学校で受けた授業の時に言っていた。その時に命を守れるのは俺たちだって。そうだ、高台にみんなを連れて逃げよう!」

中学生は、まず、隣の小学校に行き、叫びます。「津波が来るぞ。みんな高台に逃げろ!」
サッカー部の少年たちは、身体の小さな小学生の手を引き、近隣のおじいさんおばあさんにも走って声をかけて回り、全員で高台に逃げました。15時20分頃、釜石中学の校庭を30mを超す大きな津波が襲います。しかし、誰一人の命も失うことなく、釜石市民はこの大試練を乗り越えたのです。

2008年から防災教育の責任者として釜石で教鞭をとっていた片田教授の教え子が、その教えを元に実際に地域住民を助け、一人も津波の犠牲を出さなかったこの事象を、人々は「釜石の奇跡」と呼びました。「津波てんでんこ」この釜石の奇跡を起こした片田教授が地域に伝えたメッセージです。その意味する所は、大人も、子供も、全員自分の命を守るように、高台に行け。

誰か心配な人がいるからと言って家に戻るのではない、その大切な人も自分で自分の命を守る行動を取っているはずだと。

片田教授は、東日本大震災後、各地で「防災教育」を続けています。若い世代への教育が、今後の日本を変えると信じているからです。番組では、この片田教授の取り組みを取材するとともに、教育を受けた子供たちがどう成長しているのか、これからの日本をどのように変えたいと思っているのか、ポジティブなメッセージを届けます。

片田教授に聞く「人が死なない防災教育」

東日本大震災では、家族や知人を助けに行って、多くの人が津波の犠牲になりました。
一方首都圏では、家族の安否を確認しようと我が家を目指し、およそ500万人が帰宅困難となりました。
なぜ私たちは、いのちの危険をかんがみず、このような行動を取ってしまうのでしょうか…
「人は人として逃げられない」と片田教授は言います。
人は、自分の命が危ういと思うような災害が起きたとき、大切な人のことを想い、その人の安否を考えて、自分の安全よりも、自分が大切に想う人の安否を確認を取る行動を取ってしまうものです。
防潮堤や堤防を作るなど、物理的に災害を排除することも大切ですが、実は、情報をしっかりと、伝え届けることも大切なのです。
釜石の奇跡を起こしたのは、片田教授が子供たちに、「自分が逃げれば、お母さんも自分を探しに来ない」と地域を教育し、子供も、大人も必死に逃げたから。
防災とは、人の心の問題、家族の絆の問題、自分の命は決して自分だけのものではないと思って災害に向かい合うこと。普段から自分の命は自分で守る、というメッセージを片田教授の防災教育を通じて伝えます。

1000年後の子供たちの為に…女川の「いのちの教科書」の取り組み

1000年後の未来のために当時の中学生が「いのちの石碑」をつくりと同時に教科書も作るという取り組み。
まさに「防災教育」ともいえる、宮城県女川町の「いのちの教科書」を紹介します。
女川いのちの石碑

命の大切さに直面した女川の中学生たちが震災後「1000年先まで、記憶をのこそう。」とプロジェクトをスタートさせた「女川いのちの石碑」。「女川いのちの石碑」が資料として残すだけでは足りない、震災の教訓を絶対に風化させないため、「命を守る」人と人との触れ合いのバトンをつないでいこうと製作に取り組んでいるのが「いのちの教科書」です。当時中学1年で、現在石巻高校2年の木村圭さんはこう語ります。

「この震災で得られた教訓を忘れないで後世にも伝えていって、1000年後に起きるであろう地震で、私達のような悲しくて辛い思いをしてもらいたくないので、その想いをしないために私たちは、ひとりでも多くの命ではなく、一人の命も落とさないように活動していきたいと思っています。だから活動は1000年後まで、私達が死んでも次の代、次の代と受け継いで続けたいと思っています。」

「いのちの教科書」は今春の完成を目指し、出版への協力を呼び掛けています。

  • 高橋万里恵
  • 速水健朗

6年目の春だより 旅立ち、南三陸町戸倉

3月11日(土)6:00-6:55 ON AIR

2011年3月11日の東日本大震災から6年が経とうとしています。
力強く復興に向けて歩みを進める人々がいる一方で、課題も多くあります。

街の再生もその一つです。
もともと高齢化が進む地域に震災が追い打ちをかけました。産業や交通機関の喪失、人口の流出、そして過疎化。

震災から6年を経て、国内外からの関心も薄らぐ中で、いま、東北の各地域が未来に向けた町づくりを模索しています。

そんな中、2017年3月、新たな一歩を踏み出す町があります。
宮城県南三陸町。
これまで「南三陸さんさん商店街」として人と人をつないできた仮設の商店街は2016年の大晦日に終了。2017年3月3日、同じ場所に本設商店街が誕生します。人々はそれぞれどのような思いを胸に、新たなスタートを切るのでしょうか。

そしてこの春は、街の未来を担う若者たちの「旅立ちのとき」でもあります。
リアス式海岸特有の美しい景観を有する南三陸町戸倉地区。ここにもあの日大きな津波が押し寄せました。

この町で震災を経験した小学生は、今年3月、高校を卒業し、それぞれの進路に進みます。
震災と復興。変わりゆく町と人の中で、彼らはなにを考え、どんな進路を選んだのか。震災で傷ついた故郷とどう向き合い、そこにどんな未来を描いているのか。そして子どもたちの成長から、両親や家族、地域の大人たちは何を感じとるのか。

この番組では平日朝6時30分から放送しているレギュラー番組「LOVE & HOPE ヒューマンケアプロジェクト」で取材と交流を重ねてきた彼らの声を通じて、東北の未来を照らす光を探します。

災害時「ラジオ」の力を最大限に発揮するために

TOKYO FMをはじめとする全国38局のネットワークを有する全国FM放送協議会(JFN)は、災害時に、支援を必要とする被災地と全国のリスナーを結び、地域住民の安全の確保や復旧のための支援に役立てることを目指し、日本郵便株式会社とは「災害時における地域情報ネットワーク協定」を2013年9月1日に。イオン株式会社とは、「災害時における総合防災ネットワーク構築に関する協定」を2013年11月1日に。
また、2014年1月17日には、JCBA(日本コミュニティ放送協会)と、「災害時における地域情報ネットワーク構築に関する協定」、2014年8月1日には、東京海上日動火災保険株式会社と、「災害時における地域情報ネットワーク協定」を締結しました。
詳しくは下記をご覧ください(画像をクリックすると拡大表示されます)。

  • 日本郵便株式会社との「災害時における地域情報ネットワーク協定」
  • JCBA(日本コミュニティ放送協会)との「災害時における地域情報ネットワーク構築に関する協定」
  • イオン株式会社との「災害時における総合防災ネットワーク構築に関する協定」
  • 東京海上日動火災保険株式会社との「災害時における地域情報ネットワーク協定」

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