- 第68回 オンエアー
- [2016.10.23]
- 『Hellosmile Lounge』は20代、30代の女性に急増している子宮頸がんの予防啓発プロジェクト「ハロースマイル」の情報発信拠点。
女性の健康と笑顔を応援するさまざまなメッセージを、全国38局フルネットでお届けします。
今夜、ハロースマイル・ラウンジを訪れたゲストは、イクメン・オブ・ザ・イヤー2016を受賞したばかりのタレントで俳優のユージさん。
「ハロースマイル」の小巻亜矢さんがお話を伺います。
【ユージさん プロフィール】
ユージさんはアメリカ人の父と日本人の母を持つ29歳。
2002年にモデルとして芸能活動をスタートし、現在は俳優、タレントとして活躍中です。
またプライベートでは2014年に結婚。現在3人のお子さんを育てるパパでもあります。
(小巻さん)
「イクメン・オブ・ザ・イヤー2016」を受賞、おめでとうございます!
(ユージさん)
10月19日、「10(トウサン)、19(イクジ)の日」に受賞しました!
今まではタレントのJOY君とよく比較されていて、二人ともチャラいイメージを持たれてきたんですが、そこから想像もつかないような…。
先日は「ベスト・ファザー賞」を芸能部門最年少でいただきまして、今度は「イクメン・オブ・ザ・イヤー」を受賞。ありがたいですね。でも、そういうものを意識してきたわけじゃなくて、正直、3人いると育児に携わざるを得ないんですよね。
(小巻さん)
どんなことをされていらっしゃるんでしょうか。
(ユージさん)
上の子は中学一年生だから、あまり手はかからないんですが、思春期にさしかかっているので、細かい配慮や彼の意見を尊重してあげなくちゃいけない、っていう難しさがあります。でも僕が母親にいっぱい迷惑をかけてきたので、それが活きています。思春期の男の子の気持ちもなんとなく分かりますし…。
下の娘たちは2歳と1歳で二人ともまだおむつ。だからおむつ替えもしますし、下の子はまだミルクを飲むので哺乳瓶を洗ったり、ミルクを作ったり。下の子はまだ夜中、3時か4時くらいに一回起きるので、その時、ミルクをあげるのは僕の仕事です。
子供たちの世話は体力があればできるかもしれないけれど、それだけじゃ生活はできない。だから最初は僕が外で働くから妻に家庭を守って欲しいってお願いしました。帰ったら可能な限り、育児はバトンタッチするんですけど。
(小巻さん)
今、何気なくおっしゃいましたけれど、多くの男性が「僕は仕事しているから、君は家庭を守って当たり前」という中、「僕が仕事は頑張るから家庭は守って欲しいとお願いした」って、大切な感覚ですよね。
(ユージさん)
僕も最初はそうでしたけれど、いざ、育児をしてみた時、これは僕の仕事より全然大変だぞ、って感じちゃったんですよね。僕が仕事をしている、妻が育児をしている、でも全然イーブンじゃない。しかも一人の育児でもそう思ったのに3人分の育児だったら、さらにイーブンじゃないですよね。だから、帰ったらできるだけ手伝わなくちゃいけないな、って思っちゃったんです。
それで妻がハッピーになれるなら、それ以上望むことはないですね。例えば妻に育児を全部まかせたら、自分は仕事に集中できて楽かもしれないですけれど、妻の機嫌が悪かったら、果たしてそっちの方が楽なのかというと、僕はそうではないんです。僕の体力が消耗していても妻がハッピーな方が気持ち的には楽なんです。
(小巻さん)
奥様の笑顔って大切ですね。
(ユージさん)
大切ですよ。子供たちがいる前に妻に出会っているわけですからね。
(小巻さん)
名言ですね。
今は子育てもされていらっしゃいますが、ヤンチャな時代もあったそうですね。
(ユージさん)
僕は5歳で日本に来たんですけれど、両親は離婚していて、父はアメリカにいて、中学生、高校生のころは母とぶつかることもたくさんあったし、ヤンチャな時代だったかもしれません。
(小巻さん)
お母さまを泣かせたこととか、お母さまに言われてグッときた言葉はありますか。
(ユージさん)
泣かせたこともあるし、僕が泣いたこともいっぱいありますね。
母とのルールはかたっぱしから破っていたし、「大人なんて…」って思っていました。僕は16歳から工事現場などで働くようになって、母と喧嘩して17歳でもう一緒に住んでいなかったんです。
でもある日、母の知り合いからアメリカ行きの航空チケットをもらったんです。その時、僕は仕事のこととか、プライベートのこととか、このままでいいのかなぁ、とか悩んでいて、ただでアメリカ行けるのなら、行ってみようって気持ちになったんです。
で、一人旅のつもりだったんですけど、アメリカで空港に降りたら、「ユージ!」って言いながら、体の大きな外国人が僕に近づいてきて、顔が僕そっくりなんですよ。絶対、父親だな、って思いました。
それで、「泊るところを決めていないんなら家に来いよ。」って言われて、
ずっと会っていなかったけれど、父親だから興味があっていくことにしたんです。それで、そこから一緒に暮らすことになりました。
一緒に食事したりジムに通ったり、男二人の生活が始まって、父のアメリカの家族にも会わせてくれて…。
その時、「僕って家族がいっぱいいるんだな」ってことに気付いたんです。
日本では母一人、子一人で、ずっと暮らしてきて、ぶつかることばっかりで、母のことを好きじゃないって思っている時期もたくさんあって…。
でも、僕一人じゃないってことに気づいたんですね。
お父さんもいるし、おばあちゃんもいるし、おばさんもいるし、従兄弟もいっぱい、いるじゃん、って。
それで、みんな僕のこと知っていて、知らないのは僕だけで…。
みんな家族だと思ってハグしてくれて…。
その時、母もそういう感じで僕と向き合ってくれていたのに、僕が勝手にシャッターを閉めていただけだったんだなって、気づきました。
母はずっと、心を開いてくれていて、そのためにぶつかってきてくれててたんだな、ってことも分かりました。
それでアメリカで一年過ごして、反省して日本に帰って母に謝ろうと思った時、最後に父が言ったんです。
「実はこのアメリカの旅は全部、お前のお母さんが仕組んだことで、航空チケットを用意したのもお母さんだし、この一年間、俺がユージのご飯や洋服代を払っていたけど、本当は日本からお母さんがお前のためにお金を送ってくれていたんだよ。でも、お母さんからって言ったらお前が受け取らないだろうから、俺からってことにしてたけど…。本当は全部、毎日、お母さんとやりとりしてたんだよ。」
それをきいた時、改めてお母さんはずっと俺のことを想ってくれていたんだなって、本当に今は感謝しかないです。
その母があったからこそ、今、僕は自分の子供たちにその教育を反映できているんだと思うんです。嫌なことがあっても、子供の意見を最後まで聞きたいし、ぶつかることがあってもいいと思っているし、どこまでいっても家族なんだって、ことは心に刻んでいます。
(小巻さん)
本当に素敵で、大きなお母さまですね。
今夜はお話、ありがとうございました。来週もよろしくお願いします。
M After The Fall / Norah Jones
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M LIFE IS BEAUTIFUL / 平井大