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25.03.14
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環境省「福島環境再生ツアー」帯同レポート


今回は環境省の「福島環境再生ツアー」のリポートを2週にわたりお届けしました。

一昨年に続き、双葉町や大熊町、富岡町の市街地や関連施設、そして東京電力福島第一原子力発電所※(以降は福島第一原発と表記)の敷地内、さらに県内の除染で発生した土などの廃棄物を最終処分するまでの間、貯蔵する、「中間貯蔵施設」を見学。今回はその中から、「中間貯蔵施設」のレポートと、ツアー参加で感じたことや課題を話し合う「意見交換会」の模様を中心にお届けしました。

参加したのは番組スタッフと元パーソナリティの高橋万里恵さん。そして15人の一般参加者で、その多くは大学生。2011年の震災と原発事故当時は、まだ小学生だった世代です。

まずはその「中間貯蔵施設」を訪ねた時の様子です。

◆◆

「土壌貯蔵施設の構造についてご説明します。施設内には除去土壌が入っており、その周囲には園庭と呼ばれる堤防のようなものが設けられています。除去土壌は、5メートル×5メートル×5メートルの3段構造で積み上げられ、その周囲は60センチメートルの厚さの汚染されていない山土で覆われています。この覆土により、99.8パーセントの放射線遮蔽効果が得られます。

背後には広大な貯蔵施設が広がっており、最も長いところで約760メートル、横幅は約200メートルあります。この区画には約160万立方メートルの除去土壌が貯蔵されており、中間貯蔵施設全体ではこの約9倍の土壌が保管されています。

現在皆様が立っている場所は、覆土の上に草の種をまき、風雨による土壌の流出や飛散を防ぐように設計されています。」

(ガイドを務めてくださったJESCO中間貯蔵・環境安全事業株式会社、松本憲太郎さんの解説)


「中間貯蔵施設」といってもそこにあるのはただの広い空き地。しかし“この施設を作るために震災前に暮らしていた人たちが生まれ育った土地をやむなく手放した”という背景についても説明を受けました。

参加者は皆、線量計を渡されており、放射線量がどう変化するかを実際に体験。遮蔽効果の成果で除去土壌の上に立っていても問題ないレベルを体感しました。除染されていない周辺の森に近づくとやや線量が上がります。

見学のあと、参加した学生とJESCO松本さんとのやり取りです。

◆◆

Q: 例えば地震などが再び発生し、地割れなどが起こった場合、土壌がむき出しになる可能性は?

A: 構造上、3段に積み重ねられた15メートルの高さで、耐震性などを考慮した対策が施されており、基本的にはそのような事態は起こらないと考えています。しかし、定期的な監視と、地震発生時の巡回点検、および環境省への報告を行う体制が整っており、管理は徹底されています。

Q: 全国で再生利用される場合も、同様の管理体制が維持されるのでしょうか?

A: 再生利用は、道路や公共事業に限定されており、道路は基本的に崩壊しないという前提で利用されます。また、公共事業に限定することで監視も容易になります。


中間貯蔵施設の除染土について、国は「県外で最終処分する」という方針ですが見通しは立っていません。その量はじつに東京ドーム11杯分にもおよびます。そこで最終処分量を低減することを目的に、放射能濃度を踏まえて分別、道路用資材などに再生利用する方針で、福島県内で実証事業が進められていますが、反対の声も多く、県外での実証事業は進んでいません。

国民的な認知や理解、議論が求められる中、こうした見学会はじめ様々な形で情報公開の場が設けられています。


中間貯蔵施設にほど近い双葉町の正八幡神社も訪ねました。以前は町の皆さんが境内で祭りを行うなど地域のシンボルでしたが、帰還困難区域となった今でも、きれいに手入れがされ、倒壊した鳥居を再建するなど、氏子の方たちの手によって守られています。そこには、“長きにわたりこの地を離れることを強いられるが、心の拠り所としてあがめ、末代まで受け継ぎ、再び人々の営みがよみがえることを願い、この鳥居を建立する”という内容の誓いの言葉が刻まれています。

除去土壌の一時的な受け入れのため、故郷を離れる痛みを受け入れた住民の皆さんの思いが伝わる場所です。


ツアーではいまも廃炉作業が続く福島第一原発の敷地内、新たに建設された復興を印象づける数々の施設、そして原発事故以降、人が戻れず、今なお無人となっている地域をバスの窓越しに見る機会もありました。

(カフェなども併設されている浅野撚糸(株)双葉事業所「フタバスーパーゼロミル」)

(震災と津波に伴う原子力災害を後世に伝えることを目的とした、双葉町の博物館・情報発信施設、東日本大震災・原子力災害伝承館)

(大熊町、大野駅の西側に誕生した新たな産業交流施設、「CREVAおおくま」)

(果物の生産が盛んだった大熊でキウイづくりをしている「おおくまキウイ再生クラブ」も見学)

(宿泊した富岡町の「ホテル蓬人館」。夜はまるで修学旅行のような雰囲気にも)


中間貯蔵施設や福島第一原発の視察を終えて、何人かの参加者に感想を聞いてみました。

◆◆

「大阪から来たマツザキです。福島第一原発を見た感想、もっとグロいと思ってたんですよ。でも思ってたよりも作業場とか足場とかが整備されてて、進んでいるのかなっていう印象です。福島に来る前は怖くて、昨日の夜も怖かったんですけど、実際見てみると思っていたほどの怖さはなかったですね。(知ったことで怖さが消えた?)そうだと思います。」

「大阪府から来たモモカです。私は宮城と岩手の被災地を見て、復旧じゃなく復興のフェーズに入っていると思っていたんですが、福島の双葉町・大熊町に入るとまだバリケードで入れない場所、ボロボロになった建物がそのまま放置されているのを見て不思議な感じがして、原発よりもそうした町の様子が気になりました。」

(福島第一原発の事故に関する展示を行っている東京電力廃炉資料館)


事故から14年を経た福島第一原発の立地自治体、大熊町、双葉町の現状、“光と影”の部分を視察して、参加者それぞれに思うところがあったことと思います。

(双葉町産業交流センター)

ひと通りの行程を終え、ツアーのラストに行ったのは、双葉町産業交流センターでの参加者たちによる意見交換会。二つの班に分かれて、環境省や双葉町の職員の方も交え、意見が交わされました。

そのやり取りの一部です。


●●●:今回来て思ったのは、あそこでああいう災害があったというのを感じられないくらいきれいで、今日実際に双葉(の帰還困難区域)に行けて、本当に(事故が)あった実感を得られたのは貴重だった。両方の側面を見られた気がします。

◎◎◎:今回福島に初めて来たが、ここに来るまでは企業という“塊”としか見れてなかった。ひとりひとりが復興に向けて働いている実感を得ることができたと思います。

高橋:今日は特に中間貯蔵施設に行って、いわゆる除去土壌をどうするか、見てその指針を知ったと思うんですけど、率直にどう感じたのかを教えて頂けますか?

◆◆◆:こういうこと言うのはあれかもなんですけど、そもそも“復興すべきなのか”という根本的なところを疑問に思っています。復興させるために除染にかかる費用がありますよね。ならばこの地域はもう住めない地域として、避難されている方の住まいを別の地域で確保する。除去土壌の期限が2045年で、最終的にどこかの自治体に移すといいますが、受け入れたい自治体は本当に現れるのか。だから申し訳ないけど、中間貯蔵じゃなくて、双葉・大熊を“最終処分場”という形で置かせてもらうという形がいちばんいいんじゃないかと考えました。

高橋:昔の皆さんの暮らしを見た上での勇気のある発言、心が痛いなと思いながらもお話してくれたと思います。実際に役場の方に今の意見と聞いてどんなことを感じるか、伺ってもいいですか。

双葉町職員:見ていただいて率直にそう感じる方もいらっしゃるのはよくわかります。町でもそういう声を聞くこともあります。ただ、よくうち(双葉町)の町長が申し上げるのが、“双葉町の人って悪いことしたんですか?”ということ。これは東京電力の原発で、双葉町の方とか福島県民の方はそこでできた電気を使っていないんです。1971年に1号機ができて、日本の経済成長を支えてきた。 それを国も推していたから、福島県も双葉町も大熊町もそれに協力をしてきたという自負がある。それで事故が起きて住めなくなって、町をなくすって、双葉って何か悪いことしたのかなと。 そこが率直なところで、だからこそ東京電力にも国にも、復興する責任があると思うんです。 お金がいくらかかるからとか、そこも大事な観点なんですけど、悪いことしてない人たちが帰れない。日本でそういうことあっていいのかなという、そこの責任なんだと思うんですよね。


こうしたやり取りを含め様々なことを話し合った意見交換会。放送はしませんでしたが、こんなやり取りもありました。

◆◆

高橋:今日皆さんが知ったことを伝えていくことが大事。それぞれの世代で伝え方が違うし、実はいま福島ってこうってぜんぜん一言じゃ伝えきれない。どう伝えたら伝わると思います?

◎◎◎:僕は何度か福島に来ていて、現地の方のお話も聞いてそのことを神戸に持ち帰って、地元の方にお話するっていう取り組みをしてて、実際に知らない人たちに講演という形でお話しさせてもらっています。ちゃんと実際に目を見てというか、会ってその場で喋る。特に若い小学生とか、今後知らない世代がどんどん増えていくと思うので、そういう子たちに中心的に伝えていけたらと思います。やっぱり原点に帰って実際に会って目を見て喋るということが大事だと思います。

☆☆☆:そうですね。小中とか義務教育の中で近現代を取り扱う際に、“東日本大震災があったよ”で終わらせるんじゃなくて、今はこういう状態になっていてこれからはこういうことをしていく予定なんだよっていうところを伝えることで、子どもが例えばお家帰って“今日こういうお話あったんだ、これって知ってる?”っていうふうに話すだけでも、家族の中の話題にもなるし、“お母さん知らないの?”ってなれば、子どもに負けずお母さんちょっと調べようかなみたいな気持ちになったりすると思うので、教育の中に取り入れていくっていうのは一つ効果的な方法なんじゃないかなと思っていて、大学生になってもそうだし、例えば職場内でセミナーみたいなのを義務的な感じでやって頂くっていうふうにすれば、大人でも情報を得る機会があるのかなというふうに思いました。

高橋:同世代の友達とかまるで関心のない友達と話すとき、どんなふうに話したらいいと思います?

●●●:私はこの前石川県に行って、話す機会が実際にあったんですけど、意外とみんな興味ないって思ってるのかなって思ったらそうではなくて、“石川県にボランティアしに行ってきたんだ”って言ったら、“え、どんな?”とか、実際にボランティアやったことがないし見たこともないし、どうなっているかもわからないから、その好奇心みたいなところはみんな持っているような気がしているので、積極的に話してみるっていうのは一つ大切なのではないかなと思います。

▼▼▼:ただ機会がなかっただけで知る機会とかきっかけがないからそのままにしているし、知らないから興味を向けられないだけで、少しでも知るきっかけがあればそこから広げてみようというきっかけになったりとか、そういうのは大事かなと思っています。

高橋:ちゃんと聞いてくれるっていうのはいいのかなって思っています。なんかこれだけは伝えたいな~みたいなものはありますか?私は2011年から来てて、ぶっちゃけ福島も東北もすっごい美味しいものいっぱいあるよ!っていうところだったりするんですけど、でもそういうのでもいいかなって思っていて。

△△△:震災の被害と原発事故の被害っていうのはけっこう別、違うんだと思って、津波とか地震の被害の地域しか私は知らなかったので。

◇◇◇:考え続けることが大事やなってずっと思ってて、大学の実習とかでも考え続けることについてやってたんですけど、例えば家族だけとかそんな狭いコミュニティの間でも、今回の福島についても、被災地について考え続けることとか、原発の問題について考えることとか、そういうのが大事かなと思います。

□□□:原発と津波と地震と全部組み合わさった地域を初めて見て、本当に若い世代がこれから全部背負っていくものだと思うので、本当に考えたい。自分もここ何ができるのか考えたいし、私、大学防災の研究室に入っているんですけど、絶対に共有しようって決めました。

▲▲▲:私は原発に関しては怖いなって思ったんですけど、どうして怖いかと思ったかというと、今までここに来るまで、原発が今どうなっているかというのを全く知らなかったんです。本当に恥ずかしいことに水素爆発が起きていたことも全く知らなかったので。当時幼かったのでニュースとかも真面目に見てもなくて。だから廃炉にするという言葉だけを聞いて、“そうなんだ、なくなるんだ”ぐらいにしか思っていなくて。それが危険が伴っている作業が今もなお続いていて、かつそれがまだ終わりが見えないぐらい少しずつしか進められないという状況を知って、たとえば汚染された土とかも汚染されてない土とかで覆えば他の場所と変わらない線量で影響がないっていうのを見て、それを自分たちの街に持ち込むのとかは別に特別怖いことじゃないっていうのを身をもって知れたので、何かわからないものに対しての怯えではなくて、怯えるべき対象がはっきりしたかなっていうふうに思いました。安全だってことを知ったら安心にきっとつながってくる。そこが大事。知ることが大切と思いました。


そして意見交換会のあとは、A班B班、2つのグループそれぞれが、話し合ったことについてのまとめの発表を行いました。

◆◆

A班代表の横林なな子です。A班では“知ることが一番大切”という結論に至りました。なぜかというと、私たちもそれぞれ、今日原発などを見るまでは“怖い”という思いがあり、実際に見たことで具体的に何が怖いかが分かったり、分からない何かに怯えることが減ったと思います。それを伝える作業として、SNSでの発信などがあると思うけど、それはどうしても見る側の選択で変わってしまう。その選択をしない人にとっては無いも同然で意味がないので、結局は自分たちが身近な人に話していくことで興味が生まれるのではないか。身近な人に地道に話していく地道な作業が重要ではないかという話になりました。

B班代表の野路美緑です。B班では、まず“伝え方が難しい”という話になって、受け取る方もどう受け取ったらいいのかなど議論していました。今日体験したことを誰に話したいか、という話もあり、ほとんどが“無意識に傷つけたくないからあまりSNSにアップしない”という人が多かった。私はストーリーズとかにアップして「いいね」してくれた人には対面で会った時に話そうと思っていて、やはり直接伝えることが大事だと思っています。 私はサークルで広報活動をして機関紙を作っていたので、伝え方としては、インスタはインスタ用、冊子は冊子用の文章で、わかりやすい写真を選んでとか、媒体ごとに伝え方も変えないといけないと思いました。


それぞれに学びを得たであろう今回の「福島環境再生ツアー」。環境省ではより環境再生の取り組みやその現在地、課題についての理解を深めるために、こうしたツアーをはじめ様々な方法で周知活動を行なっています。福島県で起きている事はけっして対岸のことではなく私たちすべての人に関わることでもあります。中間貯蔵施設の除染土の再生利用などはとりわけ。関心を持ち理解を深める。継続的に。そんな思いを強くした今回のレポートでした。

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