「令和6年能登半島地震」の被災地、石川県珠洲市からのレポート 〜古民家レストラン「典座」の坂本信子さん【後編】〜
先週に続き、能登半島の最北端、石川県珠洲市にある古民家レストラン「典座」からのレポート。
「典座」は築180年の古民家を活用したレストラン&ギャラリーで、珠洲焼の窯「伏見窯」を手掛ける夫、市郎さんが作った器と、地元食材を生かした信子さんのお料理で人気を集めていたお店です。坂本さんは「典座」のほかに、珠洲市内でもう2軒、飲食店を営んでいます。
「典座」オフィシャルホームページ
坂本さんご夫婦は現在、珠洲市内で「自宅避難」をしています。そして避難所になっている地域の集会所で炊き出しをしたり、元ナースだった経験を生かして避難者のケアをしながら過ごされているということでした。
発災から約1か月が経過。珠洲市では仮設住宅への入居も始まりましたが、地域の生活再建には被災された方の“なりわいの再生”も大きな課題です。
坂本さんのお話しです。
◆◆
「『典座』は、瓦が落ちている部分や土蔵の土壁が抜けたり、塀がきが抜けて歯抜け状態でいつ倒れるんだみたいな。ただ住めないことはない。お客様を入れていた座敷は無傷なので頑張って使えるように復元していきたいと思っているんです。
ビーチホテルのレストランのほうは、お借りしている立場なので、支配人と話して、建物は残っているが1階レストランは立ち入り禁止なので年内は厨房は無理。
もうひとつ、大谷の『長橋食堂』は、建物は大丈夫だけど瓦が全部落ちて、ガラスも破損していますが、“その程度で済んで良かったな”と思えるほど周りがひどいので、なにか役割があるのだろうなと思って、使い方をいろいろ考えようと思っているところです。
うちの主人は、珠洲焼の『伏見窯』が崩れて中に入れないのでショックだと思います。じつは窯に作品が全部入っていて、窯焚きがもうすぐだったんですが、見事に崩れているので、心が整理できていないんだろうなと思います。
しばらくは観光は無理。私は3年は無理だと思っています。そんな中で、“いま何するべきか”、ずっと主人と話しています。主人は窯さえ直れば作品を作るという仕事がありますが、わたしはお客さんが来ないと成り立たない仕事なので、じゃあどうするか。復興(作業)や仕事で来る方も、ご飯は食べるだろうから、そういう人たちに向けての仕事を作っていけばいいのかな・・・でもそんな人からお金を取るのは心が痛むのでできないだろうなとも思うんだけど。
まだあきらめてはいないです。妙なんですけど、“役割”というのが私の中にキーワードとしてあって、ここ(典座)も、厨房が小さくてボロボロだけど、井戸水がある。電気もありがたいことに通っている。そうなるとやっぱり役割があって、こなしていかなくちゃいけないのかなと。
いま“二次避難してください”という声がけがすごいです。“私たちはここにいてはいけないのか”と思ったり。“邪魔になるのかな?復興の工事のシステムがめんどくさくなるのかな?”とか。まだ自衛隊がお水を持って来てくださっているので、それで煩わせているのかもしれないし、“自主避難”って復興の邪魔になっちゃっているのかなと、たまに集会所に話をしています。“でもだからといってどこに行くの?”、“金沢に行ってどうするの?”みたいな。みなし避難(仮設)で2年間は家賃を出してくれることになっているけど行っている間にこっちが片付くわけではないし、結局自分たちで片付けなきゃいけないのであれば“いられるだけいよう”という意見が大半です。
(地域の復興について)今は土砂崩れで海沿いの道がほぼダメになっている。そこをお金をかけて、10軒単位しかないところのインフラをお金をかけて直すのは大反対が出ると思うし、期間も長くなる。“じゃそこに住んでいた人は戻ってくるんですか?”ということにもなったりする。でもやっぱり離れたくないですよね。自分の家から、そこの土地から離れたくないので、なるべく“戻りたい”というのをかなえられる復興であれば嬉しいなと思っています。」
(「典座」からも近い須須神社の周辺は津波被害も大きかった。海沿いの道はまだ至るところで通行止めが続く)
“二次避難しないと復興の邪魔になるのか・・・”
“人の少ない集落のインフラを直すのは反対の声が出ると思う”
そしてそうした思いの中で、“なるべく戻りたいというのをかなえられる復興であれば嬉しい”という坂本さんの言葉が印象的でした。
被災された方がこんな後ろめたい気持ちでいるのをどう受け止めるか、自分に置き換えて考えたいものです。
そして今後、ボランティアや復興作業でやってくる人にご飯を提供することについても、坂本さんは“そういう人からお金を取るのは心が痛む”とも。我々スタッフは声を揃えて、東北での経験を通じて感じたこと、お店の再開は地域の希望につながるし、外からくる人たちにとっても嬉しい。そしてそこで繋がった交流の縁は双方にとってかけがえのないものになる!ということをお伝えさせて頂きました(じっさい我々もそうして今なお交流を続けている店や人が東北にはたくさんいます)。
じつは、坂本さんのお家にはワンちゃんと猫ちゃんがいて、お土産にペット用のゴハンを少しお持ちしたのですが、“お返しに”と、取材のあいだ鍋で仕込まれていい匂いを発していた“ぶり大根”をお裾分けして頂きました(“もらってんじゃねえよ!”とツッコミが来そうですが決して食べたそうにしていたわけではありません。もしかしたら顔には出ていたかもしれませんが)。氷見のお知り合いの方が“魚、食べたいだろう”とわざわざ一本届けてくれた寒ブリのアラで作ったというぶり大根。それを能登町で泊った宿、水道も止まってところどころ破損し、雨漏りもしているという状況のなか、部屋をお借りした旅館で味あわせて頂きました。何しろ持参したパンやおにぎり、缶詰だけの夕食の予定が思わぬごちそうになった喜びもありましたが、少し甘めの味付けで、素材の味が活きていながら後味がすっきりしている美味しいぶり大根。丁寧に丁寧に作っているのがよく伝わってきました。
ぜひそんな坂本さんの料理、どんな形であれ再開して欲しいと思います。そのあかつきには皆さんも是非。