浪江町津島地区で開催された「標葉祭り」を訪ねて
今回は福島県浪江町の津島地区で10月21、22日に開催されました「標葉祭り」を訪ねました。
農業や畜産が盛んで、震災前には1460人が住んでいた津島地区。福島第一原発の事故の影響で全域が帰還困難区域となっていましたが、今年3月に一部の地域が避難指示解除になりました。ただしまだ地区に戻った居住者は6世帯7人に留まっていて、復興や賑わいの再生が課題となっている場所の一つです。
標葉祭りは“標葉地域”と呼ばれる、大熊、双葉、浪江、葛尾の4町村が協力、特産品や伝統芸能をPRしようと浪江町の青年会議所が2009年に始めた秋恒例のイベントです。震災で休止となっていましたが、2018年に復活。そして今回は初めて津島地区で開催され、約40の飲食ブースなどが出店、2日間で約1500人もの方が来場する盛況ぶりとなりました。津島地区にこれほどの人が集まったのは震災後初めてだそうです。
会場となったのは、原発事故を機に閉校した津島中学校の校庭。今回、祭りの実行委員長を務めたのは、ここの卒業生であり、町にUターンして、現在、浪江町の青年会議所に勤める及川里美さんです。
「震災の後は仙台の方で生活してたんですけども、そこで今の旦那と出会って、旦那が岩手県陸前高田出身だったのでそちらに移住したんですね。そこで地元のために頑張る方々若い世代の人たちと会って、“自分も地元と向き合わなきゃいけないかな”と思い始めたことがきっかけで、浪江町に戻ることを決意しました。」
―――迷いは無かった?
「ありました。浪江町の避難指示が解除されて、1、2年後に帰る帰らないみたいなことを考え始めたので、(放射)線量の問題だったりとか、“浪江に戻って何ができるんだろう”みたいな不安は結構ありました。」
―――浪江とはいえ、避難指示がようやく解除されたばかりの津島地区はまた状況が違ったのでは?
「“いつ帰れるか?”が全く分からない、“私が生きてるうちには帰れないんじゃないか”って思うこともあったけど、“津島には戻って何かしたいな”とは思ってました。そのためにもとりあえず浪江町でできることをやってと考えてました。
―――旦那さんも一緒に?
「ちょっとタイミングずらしてこっち来ました。最初ちょっと反対されてて、“とりあえず一年だけ浪江町で働かせて欲しい”という条件で、私単身で浪江に帰ってきたんですよ。その後は色々相談して旦那もこっち来てくれることになって(笑)
課題はそうですね、まずインフラ整備もそうですし、町と国がやるべきこと、除染をしたりインフラ整備したりとか、人が帰ってこれる環境を整えることもあるんですけれども、そもそも津島地区が一部地域でも避難指示解除されてるってこと自体があまり知られてないので、そこはどんどん情報を発信していて、“津島では人が生活できるよ、生業が戻りつつあるよ”ってのを伝えていかなきゃいけないなとは常に思っています。
今回みたいに「標葉祭り」っていう青年会議所主催のイベントを開催させてもらって、線量の問題があるから“小さい子供とか若い人は来ないかなー”ってちょっと心配してたんですけど、実際やってみるといろんな人たちが来てくれてるので、線量に関する風評被害っていうのは津島周辺ではあまり酷くないのかなっていう安心もあるし、お祭りを通して津島を知ってくれたので、そこから何かに繋がるんじゃないかなっていう期待はすごくあります。津島地区で開催するにあたって津島地区の皆さんに聞いたんですね。“津島地区でやろうと思います”みたいな。そしたら“いいよ”って背中を押してくれる方もいるけど、“自分はまだ帰れてないのにイベントやられてもなぁ”みたいな、そういう意見も正直に頂いたので、そこは確かになって思います。12年間かけて頑張って津島に帰れないっていうことを忘れかけてた人もいるけど、イベントをきっかけにその悲しい思い出を思い出しちゃう方もいるなっていうことも分かっているので、喜びもあるし悲しみもあるイベントだなっていうのはすごく自覚しています。私自身の実家もまだ帰還困難区域だからイベントに来たとしても自分の家には帰れないって状況はすごく分かってるし、その切ない悔しい気持ちは分かる、それを踏まえた上でイベントをやんなきゃって考えるのが結構大変だったけど、そこは絶対抜いちゃいけない部分だなっては思ってました。
で、いざやってみて、“お客さん来るかな”って不安だったんですけど、駐車場でトラブル起きるくらい人がいらっしゃったので・・・とりあえず安心しました。
1回だけのイベントで終わらせちゃ意味ないと思うので、今後も定期的にイベント開催しなきゃいけないと思いますし、自分でもまた人が集まれるようなイベントを企画して、繋がりを強くしたり結びなおしたりとか、なんかそんな風になれたらいいなって思います。」
(騎馬武者の口上から祭りはスタート)
(実行委員長の挨拶)
(いろんなステージイベントも)
(津島小学校に放置されていたピアノが修復、調律、子供たちがペインティングしてお披露目も)
(フードブースも美味しいもの揃いでした♪)
予想外?の盛況ぶりに右往左往しながらも、及川さん、喜びに涙ぐむ場面もありました。
目玉の一つが、津島小学校から運び出して修理、調律したピアノのお披露目。ピアニストの西村由紀江さんが取り組む「スマイルピアノ500」という被災地支援プロジェクトの一環で、この日、修復されたピアノでライブが行なわれました。津島小、津島中の校歌演奏では、会場中が大合唱となった感動の場面も。(この模様は後日おとどけします)
畜産が盛んだった津島地区では、このあと11月5日には13年ぶりとなる「肉まつり」が行われるなど、地域を活性化させる交流イベントが次々と行われています。こうした交流人口、関係人口を増やす試みが津島地区の未来に繋がっていくのではないでしょうか。
及川さんの浪江町青年会議所の今後の取り組みにもぜひ注目してください。