福島県双葉町〜伝統のダルマ市が紡ぐ復興への思い
今回のテーマは、「福島県双葉町〜伝統のダルマ市が紡ぐ復興への思い」。
約300年前から続く福島県双葉町を代表する春の恒例行事、そして12年ぶりに故郷の地で開催された「双葉町ダルマ市」を取材しました。
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「楽しかったですね! 人もたくさん来ていて!」
「駅もキレイになって人もたくさんいて、活気が出たなと思いました!」
「めちゃめちゃ面白いですね! こんなに迫力のある全力で疲れる綱引きだと思いませんでしたけど・・・(笑)」
こうした声が聞かれたのは、1月7日と8日の双葉駅前。福島県双葉町の春の風物詩、「双葉町ダルマ市」の会場でのこと。12年ぶりに故郷で開催されたとあって、会場には喜びの声が溢れていました。来場者は1000人を超え、避難指示解除以降、町内にこれほどの来場者が訪れたイベントは初めてのことでもありました。
この「ダルマ市」、約300年前から続く双葉町を代表する恒例行事で、震災と原発事故の前は、双葉駅前の商店街が歩行者天国になって、縁起物の「双葉ダルマ」を売る露店が軒を連ね、人の背丈以上あるダルマを町民が二手に分かれて引き合い、豊作や商売繁盛を占う“巨大ダルマ引き”が、メインイベントとして行われていました。
普通のダルマは、白地と赤の模様に黒い墨で顔を書いてありますが、町の名物でもある「双葉ダルマ」は、顔の周りが海をイメージした「青」で縁取られ、顔の横には町の花の「桜」と、町の鳥の「きじ」が描かれてあるのが特徴です。「双葉町ダルマ市」では、この可愛らしいダルマがズラッと並んで、もちろん“巨大ダルマ引き”のダルマもこのデザイン。
震災翌年の2012年以降は、おもに双葉町民の多くが避難生活をしていたいわき市で行われていましたが、去年8月末、町の帰還困難区域の一部で避難指示が解除されたことで、今年12年ぶりの地元開催が実現しました。
町が全町避難となる中、この伝統行事を続けることで、町民の絆を守り続けたのが、町民有志の会「夢ふたば人」です。
今年のダルマ市当日は、町に戻ったり、今なお避難生活中の双葉町民をはじめ、各地から多くの方が足を運ばれ、12年ぶりの地元開催に賑わう声が溢れていましたが、そんな様子を見ながら、「双葉町ダルマ市」実行委員会メンバーで、「夢ふたば人」会長の中谷祥久さんにお話を伺いました。
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「まずは嬉しさがありますね。“故郷でできるダルマ市”というのはやっぱり良いことですし、自分たちも楽しめますし、なんでしょうね・・・やっと双葉がスタートを切れたという思いはあります。300年以上続いている伝統的な祭りで、双葉と言ったら唯一の祭りは“ダルマ市”だったので、町民がいちばん楽しめる催しで、いつもは1月第2土日で行われていたんですが、私たちが実行委員会を立ち上げてからは3連休の土日ということでやっています。“ダルマ市”やってお正月も終わっていくという感じで、お正月の最後のイベントだなと思っています。
私は地元が双葉町なので、震災があった日は、消防活動をして、次の日に福島県川俣町に避難しまして。祖父祖母がいましたので避難所じゃダメだと思い、横浜の親戚の家へ避難し、それからその時、上の子が小学校に入学する年齢だったので、“双葉町と一緒に行動しなきゃダメだ”と思い、(町民が集団で避難していた)さいたまスーパーアリーナに避難し、そのあと(埼玉県立の)騎西高校に行きました。私は福島県の方で仕事があったので単身でいわきに戻ってきました。今は家族揃っていわきに住んでいるんですけども、当時、最初の頃は(双葉町に)帰れるかなと思っていたんですが、だんだん状況が見えてきて悲惨な状態になった時に、“あ、これはふるさとに帰るのは難しいのかな”と考えるようになりましたね。子供が今、高校3年と、中学3年で、あんまり双葉町のことを知らない。小さいころの記憶として、たぶん断片的に覚えているとは思うんですが、子供は別に“帰りたくない”とは言っていない、“(双葉町に)帰ってもいいよ!”と言ってくれているので、私も帰りたい気持ちではいますので、いつになるか分かりませんが帰ろうかなと思っています。やっぱりだんだん年数が経つにつれて、最初の頃はみんな“帰んないよ”とか言っていたんですが、“帰ってもいいかな”という知り合いが多くなってきたのは事実です。世間ではいろいろと“帰らないでしょ”と言う人もいますけど、私が聞く中では、“帰りたい、帰ってもいいかな”という人が多くなってきているので、人それぞれあると思いますけど変わってきているのかなと思っています。
まぁ買い物するところもないし、ましてや病院もまだ出来てないし、やっぱり生きるため、生活するために必要なものがいろいろとあるので、その辺をうまく早めに作っていただいて、帰還を促すというか、そういうことをやって頂きたいなと思います。駅の西に住宅地ができたり、中野地区に産業立地地域ができたりとか、元々の双葉町民以外の方もいろいろ双葉に興味を持って住んで頂けるという事が非常に嬉しいことでもあって、その中で元々の町民と移住してきた町民とが、こういうお祭りとかで一緒にやっていければなと思います。あと若い人たちが帰って来れるように、いま流行っているキャンプ場とか、そういうのができればもっと帰還を早めることができるのかなと思っています。若い人たちに興味を持って頂けないと、このままでは双葉町が終わってしまいますので、私より若い人たちに双葉町に興味を持って頂ければなと思います。」
震災と原発事故の前、約7000人の住民が暮らしていた双葉町。去年8月末、駅周辺の一部で避難指示が解除されましたが、町に戻ったり移住して新しく双葉町で暮らしている方の数は少なく、今なお多くの町民は、避難先での生活を続けていたり、あるいは避難先で定住して、新しい生活を始めています。
去年、伊澤史朗町長にお話を伺った時、町のインフラ整備や企業の進出も順調に進み、住民帰還や移住の環境づくりについての手ごたえを語っていましたが、駅の西側に整備された新しい居住エリアを歩いて、二人の住民にお話を伺いました。以前番組でご紹介した、この春、双葉町に新工場を稼働させる撚糸加工会社、浅野撚糸のスタッフで、つい最近、双葉町に住み始めたという男性です。
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「岐阜県安八郡から12月初めにこちらに来ました。一人暮らしはあまり慣れてないんですけど大変です(笑)。でも新築で建てたばかりの家なので住み心地はいいです。車で30分以上行かないとお店とかもないので多少不便ではありますけど、なんとか買い物とかも行って、休みの日は好きなパチンコとか行ったり。(近所づきあいは)たまに前の家の方と挨拶する程度です。移住について、まぁ迷いというか、除染も済んでいるので、それほど気にはしていないです。」
「家族は心配しとったかな(笑)。だけど問題ないしね。色んな風評被害みたいなものはあったんやけど、そんなん全然感じへんし、みんな生き生きとしとる。町民の方や地元の業者の人と顔見知りになったけど、みんな元気やし、生き生きしとうね。盛り上げようという風に。それは感じるもんで、だから、これから発展していくんやったら、というのはあるで、あんま不安とかないし、期待の方が大きいかなって思いますね。
こっちに来て今のところ不便なのは、車で隣町まで行かな食事の用意とか買い物ができないというとこやけど、そのうちここも発展すると思うんで。双葉駅のところから真っ直ぐ商店街とかできるとか、期待していますけどね。住むところも今いろいろと作っているみたいやし、これから人も増えてくるんじゃないかなと思います。」
不便さはあるし、住民の数は少ないものの、双葉町に関わる人たちが元気で生き生きとしていることに期待を感じるという声が印象的でした。
そして取材に訪れた日、「双葉町ダルマ市」のメインイベント、“巨大ダルマ引き”では、スーツや振り袖姿の双葉町の“新成人”たちが参加していました。それぞれの避難先、移住先から地元に戻って式典に参加。小学2年生以来の再会を喜びあう姿が印象的でしたが、そのうちの一人にもお話を伺いました。
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「今は山形県に住んでいます。元々は双葉町です。ダルマ市はけっこう印象に残っているんですけど、町並みはあまり記憶にない。ですけど印象深い建物とかは残っていたりするので、来た甲斐はあったのかなと思います。今日は同級生に久しぶりに会えて嬉しい。なにしろ会えたのが嬉しいがたぶん一番ですね。」
新しく整備された駅周辺の洗練された町並みは今後に期待を抱かせるのに十分。そしてお話を伺った「夢ふたば人」の中谷さんは40代。“もう若手とは言えない”と本人は言っていましたが、中谷さんのような現役世代の人たちが、地域の絆を結んだり、地域の賑わいを取り戻そうとしているのが今の双葉町です。
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【プレゼントのお知らせ】今回はもちろん、福が舞い込む縁起物、「双葉ダルマ」、少し大きめの8号を、3名様にプレゼントします。
ご希望の方は、まず動画をご覧になってキーワードをチェックしてください。動画の中で、「夢ふたば人」会長の中谷祥久さんに、双葉町民にとって“ダルマ市とはどんな存在ですか”という質問をしていますが、その答えがキーワードです。
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