廃線の危機を乗り越えて〜11年ぶりに全線で運行再開した、只見線の物語
今回のテーマは、「廃線の危機を乗り越えて〜11年ぶりに全線で運行再開した、只見線の物語」。2022年10月に11年ぶりの全線運行再開を果たした只見線についてお伝えしました。
今回お話を伺ったのは、奥会津・郷土写真家の星賢孝さん。豊かな自然に恵まれた奥会津に生まれ育った星さんは、30年前から、年間300日、その風景を撮り続けてきた方。その被写体の中心に据えているのが、ローカル鉄道の只見線です。
只見線は2011年7月に起きた、新潟・福島での豪雨で、鉄橋の流出や土砂崩れによる線路の崩壊など、大きな被害を受け、懸命な復旧作業によって大部分で運行が再開されましたが、会津川口から只見の間は長く不通が続き、廃線の危機にありました。星さんを中心とする復旧と存続を求める活動が実って、2017年春、只見線は、福島県と会津17市町村によって「上下分離方式」で復旧することを決定。この「上下分離方式」は、地元自治体が線路や駅舎などの鉄道施設を保有、管理し、JR東日本が列車を運行する形態のこと。JRと地元自治体とがこの形態で運行を行うことは全国初の試みでもありました。
JR只見線は、福島県の会津若松駅と新潟県の小出駅を結ぶ、全長135.2kmの路線。沿線を流れる只見川には、10基のダムと水力発電所があって、もともとそのダム建設の資材運搬のため、軌道が敷かれたのが始まりでした。沿線は国内有数の豪雪地帯で、只見線に並行する国道は冬の間、福島と新潟の県境が通行止めとなるため、とくに冬は住民にとっても重要な生活の足となっていました。
秘境を巡るローカル線としても人気があった只見線。その風景を30年前から撮り始めた星さんですが、じつはその背景には、美しい風景を切り取るだけでなく、奥会津の置かれた厳しい状況があったといいます。
―――写真を撮り始めた経緯とは
「まず奥会津のこと、只見線沿線のことを説明すると、ここの地域は、農業と林業で最初、食っていたわけ。だけど農業も林業もダメになったでしょ。飯は食えても豊かな生活は味わえないから、出稼ぎに行くとか。いちばん地域の雇用を支え、地域の経済を支えていたのは公共事業だったの。日本の田舎は昔はどこもそうだったかもしれない。俺もそうだけど建設業47年務めた。各町村には建設業者がいっぱいあった。ところが今から30年前に、福島県はその公共事業による入札制度を「指名競争入札」から「一般競争入札」に変えてしまった。指名競争入札というのは、建設業者を県が指名する。競争はさせるけどどこがとっても地元の業者がとれる。だから地域の雇用は確保できる。それに対して一般競争入札に変えてしまったら地方の雇用は無くなってしまう、地元の業者はぜんぶ倒産してしまうと、当時、俺も戦ったけど、そういうことをやってしまったから、建設業者はどんどん倒産して。なんで倒産すると思います? それはコストが高いから。なんで高いかというと、地元の会社は人を直接雇用して仕事をしてる。よそから来てやる大手の業者っていうのは従業員持たない。安くたたいて自分の利益は確保して下請け業者にやるだけ。赤字になるのは下請け業者だけ。それをやってしまったから、地元の建設業者は5分の1、雇用は10分の1になってしまった。だからここの地域経済の疲弊が一気に進んでしまった。この入札制度の問題はようやく2022年9月に福島県が、“地域の雇用、地域の経済、地域の生命、財産を守るために地元の建設業者は必要だから、指名競争入札に戻したい”と発表した。30年経ってようやく気付いてんだ。で、指名競争に戻そうとしてっけど戻せないんだよ。指名する業者がもうなくなっちゃったから。そういう事が背景にあるわけ。それでこのままいったら奥会津ぜんぶが無くなってしまうだろうと危機意識を持った。農業、林業に続いて、建設業もダメ、年寄しかいない、したらなんでココを活性化させる、なんとか命永らえることができっかって考えたら、これはやっぱり観光によってよそから人に来てもらうしかないだろう、よそから人を来てもらうには、それはやっぱり四季の絶景しかないだろうと。奥会津は、春の桜と、夏は川霧がバンバン出て、ここにしかない“霧幻峡”の素晴らしい情景があるし、秋の紅葉、冬は雪の花が咲いて、見渡す限りすべてが雪の花が咲く。これをPRすることによって人に来てもらう、それしかここが生き残る術がないなと思ったから、30年前から俺は一大決心をして、写真を撮ってPRする活動をして、海外、東南アジアへ行って講演を行ったり、写真展をやったりしていた。その取組みが始まったのは、こういう背景があるわけ」
(以下、星賢孝さんのFacebookより)
国策でもあったダム建設など、公共事情の入札制度が変わったことによって、現役世代が減り、地域の疲弊や高齢化が進んだ。そんな状況に危機を感じて、約30年前、観光の魅力で地域振興を活性化させるため、写真を撮るようになったという星さん。
当時は地元の建設会社で常務取締役を務めながら、写真を撮って地域のPRに尽力。とりわけ星さんが発信した、夏場に只見川に霧が立ち込める幻想的な風景「霧幻峡」は、国内外の写真愛好家から注目を集めました。
(星賢孝さんのFacebookより)
星さんは「霧幻峡」を往く手漕ぎの渡し舟を50年ぶりに再開させるなど、活動を続けていましたが、2011年の豪雨災害によって、地域振興の重要コンテンツでもある只見線の奥会津区間は、廃線の危機に直面します。
―――2011年7月の被災からここまで
「もう、終わりだなと思いましたよね。そもそも川口〜只見間については、人が乗らないし日本でも有数の赤字路線。そこを直すには、90億くらいお金もかかるし、直したところで元は取れない。当時、只見線をどうするか住民の人達にアンケートを実施したら、90パーセントくらいは“そんなの要らねぇ”と。車社会だし、実際3時間に1本の列車では住民の足としてはあんまり機能していなかったし、只見線に乗る人はごくごく限られた人だった。だから“只見線なんか要らねぇ”という声の方が圧倒的に多かったよな。“そんな税金を使っているんだったらもっと別のに使ってもらいてえ”という声、それが当初の動きな。だけどこの地域の活性化はそこしか道はないわけだから、なんとしても復活させて、この地域を活性化させる主役なんだから、これはやるしかないだろうという事で、一生懸命やってきた。けど行政だって町民だって、最初は要らねぇと思ってた。特にJRなんかはバスの方が良いだろうと。だけど幸いに只見線がこの地域の宝物だ、この四季の絶景が世界にも類をみないような素晴らしい景観だと気づかせてくれた事象があったわけ。なんだかというと、今から6年くらい前を境にしてインバウンドの人たちがやってくるようになった。彼らは目につくんだよ。普通の旅行者はバスや車でやってくる。国道県道なんか日本人で歩く人なんかいない。ところが彼らは飛行機でやってくるから、車じゃないから、列車に乗ってやってきて、絶景ポイントまで歩いていくしかないわけだ。それが国道県道町道をゾロゾロ歩く集団が次から次へとやってきている姿を見て、みんなビックリしたわけ。地元の人たちは「なんだべ! この人達は」、「あいつは、只見線の写真を撮りにきているんだと!」と。朝晩のこんな景色なんど毎日みんな見てっから誰もみんな素晴らしいと思わなかった。“只見線ってそんなに素晴らしい鉄道なのか”とその姿を見てみんな気づいてくれたわけ。それがなかったら只見線の再開発はわかんなかったと思うよ。それでみんな只見線のことを応援してくれるようになった。そういう姿を見て地元も県も決心した。これはやっぱりやんねぇ手はないだろうと。只見線は赤字でも、地域の活性化に繋がればいいだろうということで再開発につながった。決まったときは夢が叶ったなと思ったけど、だけど喜びよりもこれからが大変だなと思う方が強かったな。これがいわゆるスタートだから。ちょうど映画も完成したし、映画の舞台挨拶の中で、おれ必ず言う事があって、“只見線は開通しました。人もいっぱい来ています。でもみなさん只見線の赤字は解消できませんよ。そこは理解しといてください”と。一両二両、増えても三両、それも3時間に1本。只見の方だったら7時間に1本、朝昼晩しか走ってないわけだ。そんな本数で、そんな車両で採算なんて絶対取れないわけ。それでも経済波及効果がすごいという事を、みんな理解しておかないと只見線の価値が知らないままに終わってしまうから、やってみたけど空気運んでいるだの、赤字でしょうがねぇべって話にまたなってくるわけだ。ところが赤字でねぇ、俺に追わせれば投資! 台北から会津若松まで真っ直ぐくるわけじゃないのよ。羽田、成田を立ち寄って、只見線まで来るのに、この人たちみんな新幹線でやってくるのよ。2泊3泊して地元に泊まってお酒を飲んでお土産を買ったり、只見線の売り上げには貢献しなくたって地元の経済にものすごい経済波及効果、じつは及ぼしている。しかも只見線の強みっていうのは春夏秋冬、全部素晴らしい。ってことは年に4回来るんだよ。それぞれの季節で撮りたい。そういう場所なの、リピーターを呼べる場所。そこに目を向けて動かなくちゃなんねぇなと思っている」
(星賢孝さんのFacebookより)
「そもそも鉄道のことを言えば、日本だけ特にオカシいんだよ。鉄道は国の大事なインフラだから、みんな国が世話しているわけ。フランスなんかは、鉄道の運賃収入はせいぜい2割。8割は国が負担しているわけ! 公共交通というのはそういうもの。国の責任で本当は守らないといけない。只見線はいま復旧したけど、日本のローカル線は全部なくなるよ。100年に1回の雨が毎年きているわけだから。大水害が。それでぶっ壊れたら終わりだよ。直さないから。地方はどんどんどんどん衰退するよ。それでいいのか?って話だよな」
信念を持って取り組んできた只見線の復旧は実りましたが、最後に日本各地に増え続ける赤字ローカル鉄道への懸念を、こう語っていた星さん。
じつは生まれ育った三更という集落が、かつて裏山の崩落という災害によって廃村になるという経験をされています。そんな記憶が、故郷を守りたいという今の思いに繋がっているのかもしれません。
只見線の災害から復興に至る星さんの取り組みは、「霧幻鉄道 只見線を300日撮る男」というタイトルでドキュメンタリー映画となり、各地で上映されています。自主上映の申し込みも受け付け中ですので、ぜひオフィシャルページ、チェックしてみてください。
【プレゼントのお知らせ】奥会津・郷土写真家の星賢孝さんより、星さん撮影の奥会津の四季の風景が載ったカレンダーを、リスナーの皆さまへ、ということで5部、提供して頂きました。幻想的であったり牧歌的であったり、ずっと眺めていたくなる美しい風景が満載のカレンダーです。
ご希望の方は番組ホームページのメールフォームから、「星さんのカレンダー希望」と書き添えてご応募ください。