大船渡に国際基準のBMXコースを! 福山宏さん
全国各地の災害被災地の「今」と、その土地に暮らす人たちの取り組みや、地域の魅力をお伝えしていくプログラム、「Hand in Hand」。今回のテーマは、
「大船渡に国際基準のBMXコースを! 福山宏さん」
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今回の舞台は岩手県大船渡市のBMXのコース。越喜来湾という綺麗な海と、三陸鉄道の線路を臨む抜群のロケーションの場所に、昨年5月、完成した、『BMXサーキットブリッジクロー』。東北では初の国際レースの基準を満たすコースです。このBMXコースを手掛けたのが福山宏さん。もともと大船渡に縁もゆかりもなかった方ですが、今では、大船渡の復興のキーパーソンの一人として活躍されています。
廃校となった小学校の跡地に、屋外のコースと体育館を活用した屋内のコースがあり、屋外のコースでは、ここを拠点とする国内トップクラスのBMXライダー・桑野孝則選手のライドも観させて頂きました。スタート台の急坂を駆け下り、セクションと呼ばれるコブを蹴って高くジャンプするその様子に、一同息をのみました。
週末には保護者を入れると1日100人ぐらいの子供たちがやってくるというこのBMXコースを作った福山さんは、現在57歳。じつは震災後に大船渡にやってきた“移住者”なんです。
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「出身は青森です。東京で働いていて、NTTの関連会社で商品企画の仕事をしていました。
―――それで今いるのが大船渡。これはどういうきっかけが?
東日本大震災ですね。震災があって2日ぐらいはテレビを東京で見ていたんですけど、3日目くらいに、ただ黙って見ているのではなくて自分でできることをやろうと考えて、当時NTTの局舎がやられてしまっている映像を見たので、無線で避難所の間を中継して電話が復旧するまでの間の臨時のネットワークを作りたいと思って、こっちに来たのがきっかけですね。ただ来たら携帯が普及し始めた頃だったので、切り替えて、身元不明者、遺体が見つかっているけど身元がわからない方のデータベースを作って提供したり、仮設住宅に無線LANの環境を作ったりという活動を当初はしていました。
―――それはNTTの関連会社のお仕事としてですか?
最初個人で始めたプロジェクトで、“つむぎプロジェクト”というのを始めたんですが、会社が追認して仕事になりました。それで出張扱いでこちらに。じゃあどこに行くかなという時に、知り合いのつてで大船渡に来たのがきっかけですね。どこに行っていいかも最初はわからなかった。
―――最初に来た時どう思われましたか?
正直、瓦礫を見たら本当に悔しさがこみ上げてきて、何に対する悔しさかわからないですけど、ボロボロ泣いていましたね。その時にそれまでは自分の脳みそを会社に利益を上げるために使っていたんですけど、ここから先はこの地域の復興のために使おうとその時に誓ったというか、その誓いのもとにずっと生きていると言う感じですね。」
2011年3月の震災直後、津波で流された方が県を超えて別の町で発見されることも多く、県をまたぐ検索システムを作る必要があった、と福山さんは教えてくれました。また発災当時、「防災無線が聞こえなかった」という住民の声を受けて、防災無線情報がメールで届くシステムの構築なども手掛けたといいます。
災害直後のニーズに合わせて、支援活動をしてきた福山さんですが、しかしなぜそこからBMXコースなのか??じつはこれも、30年以上東京のIT企業で商品開発をしていた福山さんだけに、“ニーズ”をちゃんと考えてのアイデアでした。
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「そうこうしているうちに、ある会合の時に人口予測が出てきてですね、40000人いる大船渡の人口が、2040年に25000人まで減るという推移を見たんです。それまで一生懸命元の場所に戻そうと考えていたんですけど、その推計って2010年で震災前に出た推計なので、もともと歯槽膿漏で弱っているところに津波というボールが当たって歯が折れて、弱っている歯茎に歯を一生懸命戻そうとしているという感覚になって。だったら歯茎を治すほうに自分は回らなきゃいけないんじゃないかと考えて、そこから人口問題、なぜ人口が減るのかというところに着手し始めて、そしたらNTTはあまり関係なくなって来ちゃったので、じゃあ辞めて、「株式会社地域活性化総合研究所」という会社を立ち上げて、社長が歌手の新沼謙治なんですけど、一緒に地域の活性化とか人口減少を食い止められるかということに着手し始めたという流れですね。いちばんのポイントは、高校卒業すると9割出て行っちゃう。三陸には大学も専門学校もないわけですよ。そしたら一生懸命育てても9割が出て行ってしまう状況だとそりゃ減るよね、という。どうやったらここに居着いてくれるかということで、じゃあ聞いてみるのが一番いいと、陸前高田と住田町と大船渡にある、4つの高校の1、2年生全員の生徒と保護者にアンケート調査をとったんですよね。そうしたら、当然出て行くし親のほうも出したいという意識が強かった。じゃ、こっちの方で大学を作ったら行きますかと聞くと半分もいかない。何故かというと、行ってもその先がわからないから。じゃあ、なりたい仕事に対して、こっちの方で学べて、就労できたら残りたいですかという究極の質問をしたら、78%が残りたいと答えて、保護者は81%が残したいと回答していました。じゃあこれをやろうと思って、地活研ではITの人材育成、ITで学んでITで働ける場所として「大船渡テレワークセンター」を作って、企業もそこに集約して、そこで人材育成をしながら将来そこで働けるという道づくりみたいなのをやったり、今後、市内の企業もIT化がどんどん進んでいくので、そこにIT人材として供給できるように育てていく枠組みを今作っているところですね。それともう一つ、そのアンケートの中で、出ていきたい、なぜ出ていきたいかの理由で多かったのが、“若者が楽しめる場所がない”というものでした。それでちょうど廃校の活用で相談を受けたので、じゃあ若者が楽しめる場所をここで作ろうと考えたのが、BMXのコースを作ったきっかけですね。」
「海が見えるきれいなロケーションで、初期投資がそんなにかからない。維持費もそんなにかからず、国際的にはメジャーなんだけれども東北にはまだない、あとは小さい子から大人まで楽しめる、お年寄りも見て楽しめる、そういう条件でスポーツの絞り込みをして行ったんですね。そうしてたどり着いたのがBMX。オリンピック競技なのに東北にはまだレースコースが1カ所もないという。
―――でもその頃にBMXって、賭けじゃないですが、ちょっと勇気がいったんじゃないですか?
みんな“そんなのうまくいくわけない”みたいな。「東北にライダーは何人いるんですか?」と聞かれても「ゼロです」と答えるような状況でした。で、銀行から借り入れをするんですが、最初は全然相手にされなかったです。ただ自分はもともと商品開発やサービスを作り上げる仕事をしていたので戦略を立てようと。まず着目したのは、実はBMXではなくてストライダーというペダルのない足でキックする自転車。地方ってスポーツ少年団が盛んなので、小学校に上がっちゃうと9割がスポーツ少年団に入っちゃうんですね。なので小学校からそういう子たちを集めようと思うとなかなか難しいので、保育園や幼稚園の頃に囲い込める戦略としてランバイク、ストライダーのスクールとレースを開催して、そのレースの盛り上がりぶりを証拠にして。一回レンタルでレースに出た子は、次にレースに出ているときは完全にフル装備で出てくるわけですよ。ヘルメットからランバイクから全部自前のものを用意してるんです。それは何故かというとおじいちゃんおばあちゃんが熱狂したんですね。そのレースを見て。おじいちゃんおばあちゃんが孫のために揃えて、どんどん出てくる、そのままクラブチームも作って、月会費制のクラブチームに仕立てていくと16人ぐらい一気に入ったという、そういうスモールビジネスモデルを作って見せて、それで金融機関を説得して。そしてその子たちが小学校に上がるタイミングでこのコースが出来るような事業プランを作ったわけです。あと大きかったのは三陸道ですね。東北で2時間圏というのはかなり広域になるので商圏が一気に2倍に広がるという形で、何もないと結局通過されるだけ、もしくは仙台とかに吸い上げられるだけになってしまうので、東北で唯一のものがあると逆に吸い込む力になるというのを地域の人たちとかにも説明していって、協力を得て行ったという形ですね。
―――ものすごく計画がしっかりしていたんですね。ちなみにBMXの知識はあった?
まったく無いです。YouTubeで初めて見て、“これいいじゃん”と思って、埼玉の秩父に見に行ったんですよね。その時に、まさに一体になって、見ている人たちも盛り上がってるし、やっている子たちも楽しんでいるし、終わった後みんなでバーベキューしたり焼きそばを焼いたり、アウトドア的にいろいろやっているところがとても良くて、見てわかるとおりここには周りにお店があるわけではないので、ここで自分たちでアウトドアしながら楽しめる要素と、非常にマッチしているなというのを感じましたね。」
(TXF Tohoku Extreme FactoryオフィシャルFacebookページより)
BMXのコースは全国でも7箇所しかなく、東北にはこれまでなかった。東京で培ったビジネスの経験が生かされたアイデア。コロナ禍で当初の想定どおりには進んでいない部分もあるのですが、それでも大船渡にはいま、BMXというカルチャーが根付きはじめています。
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「クラブチーム、ストリートモンスターというのを作りまして、今メンバーは60人ぐらい。下は3歳、上は45歳とかそんな感じですかね。最近子どもの親が始める傾向もあります。ムズムズしてきて親の方が乗り始めて、親の方が熱い感じですね。こないだもレースをやりましたが親のレースが一番盛り上がりました。
―――ゆくゆくはここがどんな場所になったら良いと描いていますか?
やっぱりみんな楽しめる場所にしたいんですよね。この前の日曜日にここでイベントのレースをやったんですけど、この近所に住んでいるおばあちゃんたちが通りに並んで座って、手を叩いて応援していて、そこに屋台を出して、そういうのを地域の人がどんどん出していったり、そういう本当の地域とBMXというスポーツが融合していく姿が自分としては理想ですね。
―――もうすっかり“大船渡の人”という感じがしますね。
でも自分は、よく言うんですが「よそ者が大事」。よそ者はよそ者で必要だなと思っていて、地元の人は常識だと思っているものを常識とは思わない。だからこういうのも作れたと思うし、こっちの人たちが例えば鯖の団子汁みたいなものを作るんですが、めちゃくちゃ旨いんですよね。でもそれって“こんなの誰も食いたがらないだろ”って。でもこないだ来たエリートライダーに食べさせたらみんなおかわりして喜んで食べている。それが当たり前じゃなくてすごいことなんだよというのを感じられるのが、よそ者の目線なのかなと思っていて、だから自分はずっとよそ者で良いかなと思っています。」
30年以上勤めた会社を辞め、東京を離れ大船渡に。自分の能力のすべてを注ごうという震災直後の決心のもと、走り続けている福山さん。ちなみにご家族も皆さん協力されていて、長男は秩父でBMXの指導者・コース運営のノウハウを学び、現在こちらのコースの運営に携わっている(冒頭のプロライダー・桑野選手はその縁で大船渡に移住、大船渡で結婚して子どもも生まれたそうです)。そして次男は数年前に東京・高円寺にオープンした大船渡のアンテナショップを経営。そして奥さまも大船渡に来て、今は大船渡でフードロス解消のお仕事をしているのだそうです。“よそ者で良い”と言いつつ、ご家族全員が大船渡とともに生き、地域活性化のために力を発揮されています。福山ファミリー、すごいです!
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来週の「Hand in Hand」は、「福島フロンティアーズ」。福島県飯舘村で、クリエイターのための拠点づくりに取り組む、若き女性の移住者にスポットを当ててお送りします。来週もぜひ聴いてください。