福島フロンティアーズ〜福島の田んぼに夢を描く! 市川英樹さん
全国各地の災害被災地の「今」と、その土地に暮らす人たちの取り組みや、地域の魅力をお伝えしていくプログラム、「Hand in Hand」。今回のテーマは、
「福島フロンティアーズ〜福島の田んぼに夢を描く! 市川英樹さん」
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今週は、震災を経て、Uターン・Iターンで福島県に拠点を移した「移住者」たちの、夢の実現へ向けた取り組み、新たなチャレンジにスポットを当ててお送りする「福島フロンティアーズ」。
一面の田んぼに跳ねる鮭と“おかえりならは”の文字。この夏、楢葉町の田んぼに描かれた田んぼアートを手掛けたのが、今回の主人公、「福島田んぼアートプロジェクト」実行委員長、市川英樹さんです。
市川さんが仲間たちと手掛ける田んぼアートは、完成するたびにメディアにも大きく取り上げられ、注目を集めています。現在50歳の市川さんは、愛知県出身で今はいわき市在住。2014年に福島第一原発の作業員として仕事を始めたのち、2015年からこの「田んぼアート」のプロジェクトを始め、SNSでの情報発信や、クラウドファンディングによる資金調達など、さまざまな新しいことにもチャレンジしながら、いわき市や楢葉町で、毎年見事な田んぼアートを作っています。
そんな市川さんの移住の経緯、田んぼアートとの出会いとは。
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「僕らは『田んぼアートプロジェクト』という任意団体です。いまはメンバー5名、それにスタッフさんだとかSNSで呼びかけて、当日の田植えはコロナのこともあったんですけど30人弱くらい集まって頂いてみんなで田植えをしましたね。
―――これまではどんな作品を作ってこられたんですか?
去年はアマビエ。疫病退散の。一昨年は楢葉町のマスコットキャラクターの“ゆず太郎”というのがいるんですが、常磐線が東京から仙台まで開通しましたからスーパーひたちにゆず太郎を乗せて田んぼアートにしたり。いちばん最初はJヴィレッジが3年前に再開したので、楢葉町のマスコットキャラクターにサッカーボールを蹴らせて。
―――市川さんはもともと福島の方なんですか?
僕は愛知県ですね。2014年に福島第一原発の作業員としてこちらに来ました。最初、放射能が強いこともありましたから、だいたい半年くらいの契約だったんですけど、その当時はそんなに放射能は強くなくて1年間入ることができたんですよね。1年間で30ミリシーベルトくらいを累積で浴びて、一度原発作業から出されることになって。それでこちらで何かやることないかなと思った時に、いわきで不動産価格が上がっているので、不動産屋をやろうと宅建の資格を取りに行ったんですよね。でも不動産屋を始めようと思ったときには売るところもないし買うところもないような飽和状態で。不動産関係はやめてもう一度原発に入って半年ぐらいお世話になって、それで帰るつもりだったんですけど、何のご縁かわからないんですが・・・ここにいますね。
―――最初は仕事で来て、こっちに移り住もうということではなかったんですね。
そうですね。全然考えていなくて。こっちでいろいろ仕事があったのと、通っていた飲食店のオーナーさんに、僕が帰ろうと思っていた時に「イッチャンがいなくなると寂しくなるよ」とか言われて、もうちょっと頑張ってみようかなと思って。自分で借りた家があったんですけど、そこでちょこちょこキュウリだとか茄子だとかを育てて販売したりして。そんな時にこっちを盛り上げることができないかなと思って、青森県の田舎館村という田んぼアートの聖地みたいなところを見に行ったんですけど、その時に「これだ!」と思って。その当時はここも全然(避難指示が出ていて)住めなかったり、富岡や大熊とかはもっと草とか木がボーボーだったんですけど、そんなところに、“日本一でかい田んぼアートをやったら、福島にもっと人を呼べる”と思ったんですよね。それが2017年で、2020年には東京オリンピックがあるから、世界からオリンピック選手が来たときに、ここに五輪の田んぼアートを作って、それを見てもらえば、“福島でも米を作っていて、実は安全なんだよ”と世界に発信できるんじゃないかなって思ったんですよね。」
「福島に来て思ったのは、福島の人は本当に日本人が忘れていたものを持っているような感じで、優しさだとか思いやりだとか。例えば“こういうことをしたい”と言うと、“種は作るよ”とか“ハウスは貸すよ”とか“トラクターを貸すよ”と言ってくれたり。資金集めでもそうですけど、いろんな方がプロジェクトに参加してくれたり、そういう人の良さが一番ですね。
―――市川さんの今の本業はどうなるんですか?
この田んぼアートだけでは生活ができませんから、派遣で働かせて頂いたり、アルバイトがあれば手伝わせてもらっていますね。飲食店での起業も考えたけど、コロナのこの状況では飲食店はできないなと。今はあやふやなところがありますね。
―――今後市川さんが描いている、こういうことがしたいというビジョンはありますか?
そこが一番の悩みなんですけど、僕らもオリンピックめがけて福島を盛り上げるために頑張ってきたんですけど、ここから先というのが僕も今は課題かな。今までここは住んでない場所だったけど、住めるようになって、街も盛り上がってきて、飲食店もできて、作業員も増えたり減ったりしつつ縮小していて。「今後は?」と聞かれると、やりたいことを作っていく、探していくのが課題かなと。楢葉もそうですけど、3年くらい前、僕らが田んぼアートを始めるようになった時に比べると、街も復興だとか再開だとか一旦そういうのも落ち着いてきているような感じですかね。逆に浪江や大熊、富岡が次にそういった場所になってきているのかなと。僕も何とかこういった観光資源だったり福島に来るきっかけになったりというのを、自分の収入や生活源に変えていくのが自分の課題かな。」
自身が感じている移住者としての課題を率直に話してくれた市川さん。どうやって仕事を生み出すか。観光や移住促進といかにうまく結びつけるか。ただそこに悲壮感はなく、悩みながらも楽しみながらそれを模索している感じが伝わってきました。
さらに市川さんは、更にこう続けます。
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「いま、僕もそうですけどFacebookだとかSNSを見ていろんな方が来てくださるんですけど、本当に新しい方がすごく多くて。やっぱりそういったところではSNSってすごいなというのはありますね。いろんな人を繋げさせてもらうこともできるし、こういった所なら農業、こういった所なら工業かな、みたいな。移住するにはやはり仕事+収入源が一番で、僕はいま現在、いろんなところで働かせてはもらっているものの、その先というのはちょっとわからないような状況です。本当に福島を盛り上げようと思って、今いろんな団体が新しく動いていますし、じっさい僕らもいろんな団体さんと仲良くさせて頂いていますけど、本当は不安だから、逆に今みんなが固まってもっと盛り上げていこうというのが、福島の浜通りは強いような気がしますね。」
「Hand in Hand」、『福島フロンティアーズ〜福島の田んぼに夢を描く! 市川英樹さん』、今回の取材の模様、動画でもご覧頂けます。鮭が跳ねる田んぼアートの様子、さらにいわき市四倉の「ワンダーファーム」で手掛けた、福島の名産品「赤べこ」をデザインした田んぼアートもご覧頂けますので、ぜひチェックしてみてください。
【今回のダイジェスト動画はこちら】
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市川英樹さんのFacebookページ
【プレゼントのお知らせ】
今回は、市川さんの田んぼアート会場となった、福島県楢葉町の新米と、福島県の美味しい産品が一堂に揃ったECサイト、「ふくしまプライド。」から、ご飯に合ういわき市の名物、長久保の人気漬物ベストスリーセットを、3名様にプレゼントします。伝統的な長久保のお漬物と美味しい新米、ぜひ味わってください。ご希望の方は、番組ホームページのメールフォームからご応募ください。応募の際、あるキーワードを書き添えて頂きます。動画の中で市川さんに、“楢葉町の自慢は何ですか?”という質問をしていますが、その答えが、キーワードです。
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来週の「Hand in Hand」も、福島フロンティアーズ、横浜から福島県富岡町に移住、フリーライターや“富岡のまちづくり会社”など、様々な活動を続ける、山根麻衣子さんにスポットを当ててお送りします。来週もぜひ聴いてください。