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21.05.27
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大熊町民に愛された喫茶店、「レインボー」再開の物語


全国各地の災害被災地の「今」と、その土地に暮らす人たちの取り組みや、地域の魅力をお伝えしていくプログラム、「Hand in Hand」。今回のテーマは、『大熊町民に愛された喫茶店、「レインボー」再開の物語』。福島県大熊町で営業を再開した軽食喫茶「レインボー」。店主の武内一司さんが今日の主役です。

東京電力福島第一原発が立地する大熊町では、事故後、全町避難が続いていましたが、2019年、一部の地域が避難指示解除となり、住民の帰還が始まりました。今年4月5日には町の中心に商業施設が完成。その中にオープンしたのが「レインボー」。ハンバーグやボリュームあるランチが人気で、“大熊町民で知らない人はいない”とも言われたお店です。

「レインボー」は震災後、避難先の会津若松市で営業していましたが、避難指示解除に伴って町に帰ってきました。


「開店したのが25歳の時。いま68歳だから、もう40年以上前ですね。そのころは音楽が好きで仙台で友達とバンドやったりしながら喫茶学校に通っていました。『レインボー』というのは、ディープ・パープルのリッチー・ブラックモアが、『レインボー』というバンドを作ったので・・・」


と、店名の由来を語る武内さんは元バンドマンでギターを担当。優しい色づかいのお店の雰囲気に反して、店内に流れるBGMはハードロックが中心ですw

大熊町では2019年の避難指示一部解除で、町役場が新設され、住宅地も整備。いくつかの企業が事業を始めていますが、町で暮らす人の数は、震災前の約3%(※)にとどまります。※(2021年5月現在)

(大熊町役場)

(新たに整備された住宅地)


(ネクサスファームおおくま)


あの日、2011年3月11日。武内さんはいつも通りお店を開けて、お客さんを迎えていました。


「地震のときは5、6人お客さんがいたのかな。それで建物が危ないなと、ミシミシいい始めたので皆で外に出て。その時は停電でテレビも観られなかったから、津波来ているなんてわからないから、うちの奥さんは次の日から店を再開するつもりでいました。そしたら避難になって。避難先で初めてテレビを見て津波が来たことが分かりました。

最初の避難先は三春町の体育館。そのあと喜多方に行って。“このあとどうしようか”と考えていたんですが、役場や商工会からも“どこかで店をやってくれ”と言われて、それで2011年10月に会津で店を開くことになっちゃったんです。」


避難先を転々とした後、武内さんは福島県会津若松市で「レインボー」を再開。当時会津若松では、多くの大熊町民が避難生活を送っていました。「レインボー」はそんな町民の、おしゃべりの場、いこいの場になっていたといいます。近くには大きな病院もあって地元のお客さんも増え、会津若松の店が軌道に乗る一方、武内さんは“大熊町に戻りたい”という想いも持ち続けていました。当時の渡辺町長とは仲良しで、避難指示解除や町への帰還の思いを、酒を飲みながら交わしていたといいます。


「会津で3年半くらいやってたかな。大熊町のこっち(商業施設)がすぐにできる計画でいたから。まぁ迷いは無かったかな。前町長とは、“2〜3年すれば戻れるかな”、“5年で戻れるようにする。俺も戻るからお前も戻れ”とか酒を呑みながら話してて。そういう約束事を破るのは嫌な方針だからね。で、開業が2年遅れたのかな。そのうちに1人欠け、2人欠け、やらないと言う人も出てくるし。1年も2年も待ってられないでしょ。ウチの奥さんは学校で勤めていて、週末にしか手伝いには来れないけど、でも手伝いには来てくれるから賛成なのかな?家族の反対はウチはぜんぜん(笑)。本当だったら、ここのお店は娘もやるはずだったの。一緒にお店をやって、あとは娘に任せようかなぁと思ったんだけど、今の世の中の流れで・・・。だから、コロナが落ち着いて、ある程度お得意さんが付けばいいけどなぁ。俺たちはいいけど若い人たちは生活がかかっているでしょ。そこが問題なんですよ。東京で飲食店に勤めて勉強はしてるんですけど。」






2019年に大熊町の避難指示は一部解除となりましたが、商業施設の建設はそれから2年遅れて、今年4月にようやく開業にこぎ着けました。このタイミングで、「レインボー」も大熊町に戻ってきたわけですが、故郷を追われて、避難生活の長期化や、お店の再開についても翻弄され続けたこの10年。こうした事態を招くことになった東京電力に対して、怒りや憎しみといった感情はなかったんでしょうか。


「それはなかったね。中にはそういう人もいるけど。我々はぬるま湯にどっぷり浸かりすぎたのかもしれないね。東京電力もあれだけ安心安全と言っていてそれが覆ったんだから。神様に授けられた試練かなとも思うね。日本全国海の周辺にこれだけ原発があって、たまたま大熊でなったわけだから。割り切れないというか当たりようがない。東電に当たったってしょうがないでしょう。だから自分でできることは自分でやる、できないことは周りに助けてもらってやる。町でももう少し町を売り出すようなことをしてもらってさ。むかしは大熊町、梨がおいしかった、あとキウイといちご。いちごはせっかくファームが出来たんだから、ジュースとか、冬場はケーキをやったりね。うちの娘はケーキを作るからいいんじゃないかな。なんせ若い人が戻ってきてくれないことは町としては発展もないし、町としての機能を果たせないでしょ。(この辺りの開発が終わったら)つぎ小学校中学校一貫校ができたり、俺たちだけだと姥捨て山になって終わるだけだから。」


武内さんのお話にでてきた大熊町のPRポイント。フルーツのお話。太平洋に面していて気候が温暖な大熊町は、もともと梨やキウイの栽培が盛んだった果樹の町なんです。以前この番組でもご紹介した「ネクサスファームおおくま」は、2018年に設立。イチゴの栽培と加工、販売を行っています。さらに町ではキウイを栽培したり加工したりするプロジェクトも進められています。


そして「レインボー」がある商業施設には、ほかに海鮮料理のお店やパン屋さん、コンビニなどが入居。さらにその隣には「交流施設」と、「宿泊温浴施設」が建設中で、冬には完成予定です。

現在はもともとの町民だけでなく、町外から大熊にやって来た中間貯蔵施設などで働く人も増えているという大熊町ですが、地域の魅力を高めて、少しでも若い住民が増えることを願う武内さん。「レインボー」の再開は、町がにぎわいを取り戻すための小さな一歩と言えるのかもしれません。


「やっとここまで来たかという想い。開店してから常連客もたくさん来てくれます。ただコロナでマスクしているから“声は聴いたことあるんだけど・・・”みたいな(笑)。2〜3日前も15年ぶりで来てくれた人がいたり。“やっと開いてくれた”とみんな言ってくれますね。店の看板があるというのは、町の人にとっては心の安心になっているんじゃないのかな。常連さんはメニュー見ないから。“いつもの”とか。ハムエッグも“この人は両面焼く人”とか、“かために焼く人”だとかわかっているからね。で、町の人からは「いつになったら夜やるの?」と言われるけど、夜までやったら体がもたない(笑)。でもできればそのうちに、夜9時ごろまでやるようにしたい。前は常連客たちが1人2000円くらいでいろいろ買って持って来て、飲み会してたの。」


大熊町民に愛された喫茶店「レインボー」。震災前は、日中の営業が終わったあと、常連客が酒や肴を持ち込み「飲み会」をすることも多かったそうで、この冬に隣に宿泊温浴施設ができるころには、夜営業も再開したいということでした。

ちなみに取材後、「レインボーランチ」を頂いたスタッフ。炙った豚の焼き肉にコロッケ、ハムエッグ、サラダにキムチ、ごはんとみそ汁で800円。ボリューム満点で美味しかったとのこと。


今後は大熊町の新名物、「ネクサスファーム」のイチゴを使ったメニューも提供していく予定で、いまメニューを考案中とのこと。武内さんの娘さんは東京で修業中で、“ゆくゆくは大熊町でレインボーを継いでくれたらいい”というのが武内さんの「夢」なのだそうです。

町ににぎわいを取り戻したい、そして若い世代を増やしたい。そんな武内さんの願いが、いまひとつずつ、実を結び始めています。


大熊町役場ホームページの「レインボー」紹介ページ

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「Hand in Hand」、来週は、福島県いわき市からのレポート。震災と2019年の台風19号で被害を受けた町の中華屋さんが、災害をきっかけに作った、“県産素材100%の豚まん”についてお伝えします。来週もぜひ聴いてください。

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