浪江町に帰ってきた伝統工芸品「大堀相馬焼」
全国各地の災害被災地の「今」と、その土地に暮らす人たちの取り組みや、地域の魅力をお伝えしていくプログラム、「Hand in Hand」。今回のテーマは、
『浪江町に帰ってきた伝統工芸品「大堀相馬焼」』
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福島県浪江町に江戸時代から伝わる伝統工芸品「大堀相馬焼」。震災前は、20以上の窯があった大堀地区は、原発事故の影響で帰還困難区域に指定され、いまもその状態が続いています。避難先で陶芸を続ける窯元は9軒。住民同士のつながりと伝統工芸をどうやって守り、次の世代に受け継ぐのか、大きな課題と向き合い続けてきました。そして今年3月、「道の駅なみえ」の中に、「なみえの技・なりわい館」がオープン。大堀相馬焼の販売と体験ができるコーナーが誕生し、10年ぶりに大堀相馬焼が浪江に戻ってきたのです。「大堀相馬焼」の協同組合理事長で、「春山窯」の十三代目、小野田利治さんに、そんな大堀相馬焼の伝統、そして故郷への想いを聴きました。
福島県浜通りに位置している浪江町で、300年以上受け継がれる伝統工芸品「大堀相馬焼」。かつて相馬藩を治めていた御神馬=馬の絵柄が描かれ、素材と釉薬の収縮率の違いから生じる美しい“ひび”の文様があり、二重焼きによる二重構造のものはお湯が冷めにくく持ちやすい・・・といった特徴で知られています。
伝統的な青磁のもののほか、近年は洗練されたデザインのものや、ピンクや水色などカラフルな絵付けも増え、都内のセレクトショップなどで扱われるようになるなど、愛好家の間で人気を集めていました。
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「デザインの方は、震災前からですけど、5月の連休に『大せとまつり』をやっていて、その中で大堀相馬焼じたいの焼きの色合いというか、二重になっている湯呑や構造は、品物としては見慣れている。そんな中でいかに自分の窯元のオリジナルというか、ちょっと変わった物やデザインを作るか、いろんな窯元でいろんな挑戦がありました。
私の「春山窯」でも上薬を多用化していろんな色を出していて、ただその中でも大堀相馬焼の青磁の色は出していきたいと思って、なにしろ300年以上もの歴史がありますので、これだけの歴史の中で、観光地でもない何にもないところで、これだけの歴史が繋いできたというのは、ひとつ何かあったのかなぁと思うので、この青磁の色というか、若い時はそうは感じなかったんですが、やっぱり60歳に足をかけたぐらいになると、“あぁ、やっぱりこういう色もいいんだなぁ”とあらためて思っています。」
伝統の技を受け継ぎつつ、時代に応じて変化を加えてきた、大堀相馬焼。そんな中、直面したのが、2011年の東日本大震災と原発事故でした。
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「けっこう揺れは酷くて、私のところなんかは、商品とかがぜんぶ倒れて。情報は浪江町自体がラジオがなかなか入らない所なので、津波が迫っていることだったり、原発の炉心の温度が上がっていることというのは、その時点ではダイレクトに伝わってきませんでした。家の中に入れない状態だったので車中泊して、次の日、いわき浪江線=通称サンロク線と呼んでいますが、“車が多いなぁ”と。そしたら、町の防災無線で避難指示が出て、車一台で家族全員、着の身着のままという感じで避難しました。まず津島地区へ行き、そこも避難命令が出たので二本松の市役所へ行き、そのあと埼玉の妻の親戚のところへ避難して、その後は猪苗代へ。4月には子どもの入学があったので浪江町指定の避難所になっていた二本松市の岳温泉へ行き、そこから今度は同じ二本松市に応急仮設住宅が出来たのでそこに入り、本格的な避難生活が始まった感じでした。
その間、『一時立ち入り』ということで、マイクロバスに乗って自宅へ行き、貴重品などを持って帰ってくるのが2回ほどありました。行くたびに、こう・・・なんというか、朽ちていくというか、崩れていくといか、玄関に入って上を見えれば穴が開いて空が見えるくらいの感じになっているんで、それを見ると本当に悔しさだけが湧いてきました。先祖代々やってきて、“申し訳ない”という気もあるんで、とりあえず今は、解体はしていないんですけど。」
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避難先を転々とし、8月にようやく仮設住宅に入居できたという小野田さん。今は福島県本宮市に住まいと工房を構えて、陶芸活動を行っています。
震災前は20以上あった窯元ですが、避難先で再開したのは小野田さんを含め9軒。前の組合長が、組合員が共同で使える仮設の工房を二本松市に作り、そこで活動を続けた方もいましたが、今はそれぞれの窯元がそれぞれの避難先で窯を建て、事業を再開している状況です。
震災前、大堀地区には、「陶芸の森」という拠点施設がありました。ここで仲間と顔を合わせながら、協力し、伝統を守ってきましたが、いまは地域もバラバラとなり、それも難しい状態。また、土や水、温度や湿度が作品の決めてとなる陶芸だけに、新たな工房で思い通りの陶器を仕上げるには、試行錯誤が続いたといいます。
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「震災前から、粘土は愛知県・瀬戸で、大堀相馬焼に合うように調合してもらったやつを皆で使っていました。ただ元々住んでいたところと環境が違うので、私の場合、自宅は丁度いいぐらいの湿気があって、ひび割れとかもしなかったんですけど、けっこう乾燥が早いというか、その辺り気を付けてやらないと傷が出ちゃうというか。やっぱり環境の違いで形には出てきていたんで、それが一つの課題でした。
私は再開したのは早くて、震災の次の年にはいわき市でプレハブというか仮設工房を建てて、陶芸教室の生徒さんなんかもいわき市にはたくさんいたので、単身赴任でやってたんですけれども、いわきで再開した時は、“やっと日常に戻ったなぁ”と。心の中でやっぱり“うん。これだなぁ”と思いましたね。窯が出来た時は、自分でもよくここまで出来たなと思いましたが、やっぱり周りの人の支援があってそれで出来たので感謝しかないです。ただいわきの窯は5年で、土地を返す約束だったので、それで本宮市の方に土地を見つけて、ぜんぶ構えるようにしました。」
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それぞれの窯元がそれぞれの避難先で窯に火を入れ、伝統を守り続けてきた「大堀相馬焼」。その拠点となる新しい施設が、今年3月、浪江町にオープンしました。それが、「道の駅なみえ」の中の「なみえの技・なりわい館」の中にある、大堀相馬焼の販売と体験コーナー。
ようやく浪江に拠点ができる!そんな喜びの一方で、組合の理事長も務める小野田さんにとっては、心配も尽きない様子・・・
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「この場所で手びねりの体験と、ゆくゆくは電動ろくろの体験なんかもできるし、あとは絵付けも出来るという形にしてあるんで。あとは奥のほうに窯が二つ、焼くこともできるんですが・・・予定の方が立てられない状態ですよね、いまこのコロナ禍で・・・。ろくろの実演というは近くにいて指導しないといけないので、コロナがもう少し落ち着いたら、もっと楽しめる施設になると思うんですけれども。
いま一応少ないなりにも後継者というか、勉強している子たちもいるので、ここを拠点に若い人たちが伝統を繋いでいけるようにその道を示して、後から来るものが歩いていけるような道しるべとしていきたいと思っています。
うちはいちばん上の娘が“継いでもいい”と言っていますが、そのためにも私がもっと頑張らないと、収入的にも安定するまでにならないと、継げとは言えないというかね。今の状態で継がせても可哀そうだなぁと思うんで・・・
10年以上に及ぶ、決して平たんではない父の歩みを見ながらも、“あとを継ぎたい”と申し出た娘さんの思いを聞いて、苦労させたくない気持ちがありつつ、言葉にならない喜びがにじんでいるようでした。
浪江町の「道の駅なみえ」の「なみえの技・なりわい館」に誕生した「大堀相馬焼」の販売と体験コーナー。コロナ禍が落ち着くのを待って、手びねり、電動ろくろ、焼きあげまでを体験できるようにしていく予定です。震災で窯も人もバラバラになったが、ここを拠点にもういちど皆で力を合わせ、伝統工芸品である大堀相馬焼の発展と発信に尽くし、あとにつづく後継者たちに道筋を作りたい、という小野田さんの思い、十四代目にもきっと引き継がれることでしょう。
「なみえの技・なりわい館」には、浪江の酒蔵「鈴木酒造店」の蔵とショップもオープン。番組でも以前にお伝えしましたが、こちらも10年ぶりの帰還ということになります。酒の仕込みのほかに、試飲や、地場産の肴で一杯できるイートインコーナーもあって、「大堀相馬焼」のお気に入りのぐい呑みを買って、「磐城壽」をぐい!なんてことも出来ます。
ということで!
今日は大堀相馬焼、小野田さんの「春山窯」のぐい呑みと、「鈴木酒造店」浪江蔵の再開を記念して造られたお酒「プレイボール」をセットにして、3名様にプレゼントします。
このホームページのメールフォームから、「浪江町のプレゼント希望」と書いて、ご応募ください。今日の感想もお待ちしています。
大堀相馬焼協同組合
「Hand in Hand」、来週は、福島県大熊町からのレポート。町に戻って10年ぶりにお店を再開した、ある喫茶店オーナーのお話です。来週もぜひ聴いてください。