夢を語るとラーメンがタダに? 『Yume Wo Katare Onagawa』
宮城県女川町の駅前商店街に2019年オープンしたのが二郎系ラーメン店『Yume Wo Katare Onagawa』。連日行列ができているとの噂を聞きつけ行ってみると、開店前から若い男子たちの列が!
店内に入るとこう書かれています。
「夢がある人に、ごちそうできます。」
「夢がある人、ごちそうします。」
店内の壁には「夢を応援したい」という方による「夢食券」がたくさん貼られています。この夢食券を誰もが自由に使い、夢を語ることができます。
何がどうなっているのでしょうか? 京都から移住して女川でこのお店をオープンさせた代表の山崎達哉さんに伺いました。
「僕らが目指しているのは、夢を語りたくなるようなポジティブな空間を全都道府県に作りだすこと。それを2021年中に47都道府県全てに店を出せる仲間を集めるというのが今の目標です。今その半分ほどの20店舗が決定していて、私は京都を3年前に開業し、2年前に女川を開業したというのがこれまでの経緯です。」
「京都店と女川店については『夢食券チャレンジ』を導入していて。一般の人は1000円、二十歳以下は800円で1杯のラーメンが食べられますが、その食券を500円で誰かにご馳走することができるんです。例えば僕が500円募金して、食券に「山崎」と名前を書いて店内のコルクボードに貼っておきます。次に来た人がその食券を使ってラーメンを無料で食べることができるんです。ただし条件が2つあって、1つはラーメンを完食すること。もう1つが、ラーメンを食べたあとにそのご馳走してくれた人に「ご馳走様」とお礼を言って、夢を語ります。今はコロナのことがあるので店内で大きな声が出せないので、その夢を紙に書いてもらっています。それを僕らはTwitterで写真を出すことで募金してくれた方に対して、あなたの募金によって夢が語れたと伝えることができます。最終的には夢を語ってラーメン無料になった人が、今度は「次の人のために僕が募金していきます」とポジティブなサイクルが生まれたら嬉しい。そういったポジティブサイクルをうちの店で作り出したいんです。」
―――二郎系ラーメンにこだわった理由は何かありますか?
「うちのラーメンは大きくて味が濃くてニンニクがいっぱい入ってて若い男子が食べたくなるようなラーメンです。この商品を提供しているのは、僕らのターゲットが21歳男子だから。21歳男子が好きな食べ物って間違いなくラーメンか焼肉かどっちかじゃないですか(笑)。じゃなぜその層にアプローチしたいかというと、とくに日本の21歳男子が最も夢を持ったり夢を語ったりすることから遠のいていると思う。逆に最も夢を持つことが必要な人材だと僕たちは考えているからです。僕はラーメン作っている途中に夢を語るんです。例えば「僕の今日の夢はうちの子を子守りして1日奥さんを休ませること」・・・ その日の夢でもいいし来年の夢でもいいし、どんなことでもいいから自分はこうしたいという夢を語りたくなるような場所を21歳男子たちと一緒に作りたい。」
―――夢を語っている現場で印象に残っている方はいますか?
「僕が嬉しいなと思ったのは、会計士になりたいと夢を語ってくれている学生がいて、「次の試験で〇点とるのが目標です。」と語ってくれて、次に来た時に「その点数に及んだか及んでないか」など進捗を伝えてくれる人は面白いですね。彼自身が毎回夢を語ることによって勝手に成長している。夢を語ることの大切さは長期的な夢や目標だけじゃなく、例えば「今日一日仕事を休んで妻を休ませたい」と話すことで、じゃあどうしようかと具体的になっていく。こういうことをしたいという言葉はエネルギーになるし他の人にも元気を与えたり、前に進んでいけることだと思います。」
Yume Wo Katareは、二郎系ラーメンを提供しているラーメン店です。ではYume Wo Katareをなぜ山崎さんは、女川で出店したのでしょうか。
そこには女川町のコンセプトがきっかけになっていました。それが『新しいスタートが世界一うまれる町へ』という女川のスローガンです。まさにYume Wo Katareの理念と同じものを感じたと山崎さんは話します。
「僕が見ているのは、47都道府県全てに夢を語れを作ること。でもこれは、ただ店を増やして売り上げを伸ばしたいということではなく、“経営者を増やしながらやっていく”ことが僕にとって一番大事なことなんです。例えば僕は今、夢を語れ女川を地元出身の二十歳の若者にお店を売却します。またついこの間まで女川で修行していた23歳の女川出身のエイトくんが今は、夢を語れ岐阜店を出してくれています。そうやって繰り返すことで、経営者を増やしながら全国にお店を増やすことをやっています。なぜかというと、「個人で生きる」という生き方をもっと加速させないとマズいと思っていて。というのは僕は大学卒業後、なんの疑いもなく当時一番人気だった電通という会社に認められたくて入ったんです。でも入った瞬間に全然違うと思って。自分がリーダーではなくプレーヤーとして仕事をするという環境が向いてなくて。だって自由度が極めて低い。大きな会社であればあるほど自分で決めてやる仕事はほとんどない。自分がやりたいことが伸び伸びやれる場所ではないと気付いてすぐに辞めたんです。それで京都でいろんな事業をいくつかスタートさせてみていろいろやった中で、若い子と一緒にいられるのがラーメン屋だったんです。僕も社会人になって10年ですがトライアンドエラーしてやっと見つけた自分の生き方があって。それは、僕はあした女川ではなく福島に夢を語れのお店をオープンさせる自由があるんです。今日は家族を優先させたいから店を閉めるとか、来月の営業時間も自分の判断で責任を伴いながら決めることができるんです。自分がやりたいことを見つけて行動に移し生きていく力は、やっぱり経営者というのを1回でも経験している人はものすごく強い。ぼくは若い人たちにこの「企業する」という経験をもっと広めないと、生き方の選択肢=多様性が狭まっていく気がしています。なので自由に生きたい人は、僕のところでラーメン覚えて夢語って自分のお店を一回作ってみたら?と。それを47都道府県に広げて、自由に生きるって素晴らしいなと思ってもらえる人が一人でも増えたらもっと世の中よくなるんじゃないかなって思っています。生き方の幅を増やすために自立する若者を育てる、というのが僕の生涯のミッションだと思ってやっています。」
―――その手段としてラーメン屋さんがあるというのは、面白いですね。
「スタートの仕方がわかっていれば、次IT系の仕事をしたいと思ったらいつでもスタートできるんですよね。1回スタートする経験をたくさんの人にしてほしい。これをつかんでくれた人たちは今、岐阜と京都と女川で今大行列をつくっています。その彼らは20歳、22歳、23歳で独立しています。」
ラーメン店を増やしながら、若者が夢を語り、経営者や起業家を増やすことが生涯のミッションだと語る山崎達哉さん。実際に女川店に行くと、普段街で見かけない若者がたくさん集まっていてポジティブサイクルが生まれている。そしてそこから2人も起業家、経営者を生んでいます。
Yume Wo Katare代表の山崎達哉さん。今年は女川を一旦離れ、愛媛県・松山のお店をサポート。その後は東北へ戻って、東北で事業展開をしていきたいと話します。抱っこしているのは取材当日も一緒だった愛娘のももちゃんです。可愛かった〜!
すっかり夢を語る気満々だった万里恵氏。取材の日はももちゃんの子守りでお店は臨時休業に!「私も女川で夢を語りたい(泣)!ラーメン食べにまた来ます!」と硬い約束を交わしていました。ラーメンは次回までのお楽しみということで、ぜひあなたも夢チャレンジしてみませんか?
Yume Wo Katare Onagawa
http://onagawa-mirai.jp/seapalpier/yume-wo-katare-onagawa