熊本地震から5年、再興へ歩む益城町の守り神
全国各地の災害被災地の「今」と、その土地に暮らす人たちの取り組みや、地域の魅力をお伝えしていくプログラム、「Hand in Hand」。今回のテーマは、
『熊本地震から5年、再興へ歩む益城町の守り神』
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2016年4月14日、そして2日後の16日、熊本県を襲った熊本地震。死傷者約850名、住宅被害は約13万5千件、避難者の数は11万人以上という、未曽有の大災害となりました。あれから間もなく5年が経ちますが、道路や鉄道など、インフラの整備が進んだ半面、今も約600人の方が仮設住宅で避難生活を送るなど、復興への歩みは続いています。中でも最も被害の大きかったのが、震度7を2度観測した、益城町です。
町内では住宅の9割以上に当たる約1万棟が損壊、関連死を含め45人の方が犠牲となり、現在も約120世帯300人の方が仮設住宅での避難生活を続けています。そんな益城町の守り神である木山神宮も、築270年の神殿や拝殿、楼門などが全壊、鳥居や灯籠も倒れ、壊滅的な被害を受けました。
今回は再建が進む、そんな木山神宮の今をお伝えします。
以前、復興応援番組「LOVE & HOPE」で、2016年、震災の年にも、ここを訪ねています。
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「14日の揺れでは、本殿が半壊以上、そして16日、わずかながら残っていたすべての建造物が全壊した状況です。復旧工事については全く見通しが立っていません。通常神社は文化財の指定を受けている建物は国の支援をもらって復旧復興に立ち上がっていくと思いますが、うちの神社の御本殿につきましては未指定の文化財ということで、100%所有者である神社の負担ということで、現状は見通しが立っていない状況です。」
お話は木山神宮の矢田幸貴さん。神殿をはじめすべてが倒壊するという当時の状況でしたが、文化財の指定を受けていなかったため国や自治体からの支援が見込めず、復旧と再建のめどがまったく立たない、と、当時、お話をされていました。
今回、私たちが木山神宮を訪ねたとき、神殿のあった場所には足場が組まれていて、着々と工事が進められていました。
「『すやね』と言いまして、足場になりますが、神殿を再建している現場になります。地震でペチャンコになった拝殿、今、このさら地になっている所に拝殿が潰れていた場所で、今は、先行して神殿の再建事業を進めておりまして、地震で全壊した神殿の材料を可能な限り使っての再建ということで、「蘇り事業」と私は言っているのですが、“古い材料を可能な限り使って、もう一度、同じ姿に戻していく”事業を進めておりまして、実は、今年の12月には神殿が完成する予定で、お陰様で、工事は順調に進んでおります。
―――(全く新しいものではなく、本当に「蘇らせる」という事なんですね。)
あの状態からキレイに分解をしまして、調査をしたところ、うちの神殿の方が2万パーツ、神殿の材料があったものですから、大体7割を使用して、もう一度同じ姿に蘇らせていく、こういう再建の方法で今、工事を進めています。
―――(それは、地元の方にとっても全く新しいモノができるより、「あぁ。蘇ったな」という方が心がグッとくるというか、復興できているんだな。という気持ちになれそうですよね。)
新しく作り直す再建の方法もあったのですが、地域の方とも協議を重ねた結果、御宮というのは、その方、そのお爺さん、お婆さん、ご先祖さまも、この神殿でお参りをされておったと思いますので、“熊本地震に負けない再建のやり方とは何か?”というのを突き詰めた結果、もう一度材料を使って震災前の同じ姿に戻して復興していくという方向性に決めまして、今、工事を進めております。
―――(以前、お話を伺った時は、震災直後だったと思うのですが、「再建するには10年くらいかかりますかね。」なんてお話をされていて、それが5年で今年中には神殿が出来るという、このスピードはいかがですか?)
そうですね、当初10年くらいかかるんじゃないかなとお話をさせてもらったと思うのですが、震災から今年で丁度、5年の節目ですよね。順調に進んでいると思いますけれども、よく、地域の方からもお尋ねされるんです。「矢田さんにとって、この5年間って、どんな5年間でしたか?」と。神殿が270年前に建てられたものでして、地震で倒壊はしてしまったのですが、これから先、270年間先の未来を考えた時に5年間というのは、私にとっては非常に短い時間に感じまして、また、これから未来に大切に受け継がれていくような神殿の再建をしていきたと思っています。
―――(震災当時は、灯篭も倒れて拝殿も神殿も倒壊をしていて、ここから再建するんだ!という時に、「文化財の指定がないので、なかなか行政からの支援も難しいかもしれない」と、おっしゃっていて、そうなると、どうやって再建されていくんだろうと思っていたのですが、その点は、どうですか?)
そうですね。地震当初は、文化財の指定が無かった神社だったので、本当に悩んだのですが、地震前から調査が入っておりまして、本当は文化財にする予定だったんですね。とういことで、特例かと思うのですが、うちの神社が地震後に、文化財の指定を受けまして、公的補助と、地域の皆さんのご協力が今、合わさって工事が進んでおりまして、あの時から考えますと、非常に助かったなというか、ありがたいなという気で工事を進めています。」
「やっぱり、改めて、地域の神社であったし、地域の方にとっての心のより所。というのは、神殿と拝殿は無いのですが、地域の方が毎朝、ご神前で手を合わせてらっしゃる姿を見ておりますと、やはり心の部分での役割を担っていたんだなと、改めて確認できたところです。境内の方に、地震当初からの歩みを色んな方に知っていただきたいし、伝えていきたいし、見ていただきたいと思いますので、こちらの仮の拝殿のところにですね、震災当初から現在までの写真を掲示しておりまして、先ほどお話しました拝殿がペチャンコになっている、熊本地震発災当初の全壊した様子です。その後、可能な限り材料を使うという方針で工事を進めて参りましたので、公費解体をしない、大工さんの手によって一つ一つパーツをキレイに分解して格納しました。未来に渡って、今度建てるときには、地震や災害に強い神殿にしたいと思いましたので、ただ材料を戻すだけでなく、地盤の耐震補強を施し、耐震杭を14本神殿の真下に埋め込んでおります。解体した材料を、大工さんたちが丁寧に組み直している写真を提示しております。今まで、うちの神社にとって分からない歴史の部分も沢山あったので、今回、全壊してしまったという被害の状況ではありますが、全てが倒れて解体してさら地になったという事は、全ての神殿の事を調べ上げるいい機会にもなったと思っています。分からなかった神社の歴史が、解体事業によって紐解くことが出来まして、調査報告書として今、まとめ上げております。」
―――(改めて、震災の時の状況は・・・すさまじいですね。)
そうですね。状況もスゴイですし、心の中も「どうしよう、どうしよう、どうしよう」と考える日々が、5日間くらい悩んだのですが、6日目からはプラス思考で、もう、前に進むしかないなぁと思いながら再建を進めていた記憶がありますね。
―――(それは、原動力みたいなことがあったんですか?)
一番はですね、私の血液型がO型なんですね。なので、あまりクヨクヨ考えない性格と、私の先祖の事を考えると何かしら時代ごとに大きい困難だったり、自然災害だったり、何かしらの困難を乗り越えてきたと思いますので、これから先を考えると、私たちも進んで、乗り越えていくしかないと自分の中で心の中心に据えまして、前に進んでいっております。」
震災後に文化財指定を受けることが出来た。これがどれほど再興の力になったことか。そしてさらに、震災後、矢田さんの元には地域に残る同級生たちが集まり、「氏子青年会」を立ち上げたのだそうです。区画整理され、町が新しく変わっていくなか、元のような木山神宮を中心としたコミュニティをつくることと、去年の台風のように災害が頻発するなか、熊本地震で支えて頂いた方たちに、“恩返しする”ことを目的に。
被災した江戸時代の柱に、全ての神社の上に立つ神社本庁の本宗、伊勢神宮から寄贈されたヒノキを組み合わせ、新しい神殿が着々と築かれている木山神宮。今年年末には神殿が完成します。さらに拝殿や鳥居など、“蘇り事業”完了までの予定についても伺いました。
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「今後なんですが、ゴールデンウイークの5月中旬には神殿の棟上げ『上棟祭』をとり行う予定にしております。これから先は、屋根工事が進んでいく予定です。銅板が拭き上がりまして、12月末までには、神殿が完成する予定で、その後、また新しい春が来るのですが、6年目の春からはペチャンコになりました拝殿の再建事業を大体1年間かけて新築工事で再建する状況でして、まだまだ復興のスケジュールは続いていくなぁと思っています。
―――(こうやってお話を聞いていくと、新しい木山神宮がすごく楽しみですし、早く見たいですね。)
そうですね。私も楽しみにしております。しかしながら、急ぐことなく今から200年以上神殿を残していくためには、大切な時間ではありますので、しっかりと大工さん、また工事関係者の皆さんと協力をして進めていこうと思っております。
―――(矢田さんが思い描く、昔懐かしいじゃないですが、“こういう風景が戻ってきたらいいな”というのはありますか?)
街全体が、“災害に強い街づくり”という事で、家を新しく再建し、真新しい道路ではありますが、神社に関しては、“地震前の姿に戻す”という事で、この神社にお参りに来ると「昔の姿と全然変わってないね」と、縁日が行われたり、昔と変わらないような風景が今後も続いていくために、今後もこの神社を再建していきたいと考えています。
―――(それは、きっと地元・地域の方も楽しみにしているでしょうね。)
それが、神社にとっての心のより所の役割りでもあると思っていますし、また、昔変わらぬ子どもたちの笑顔、笑い声、そして地域の方の笑顔がこの境内にまた戻ってくれればいいなぁと思っております。」
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今年年末には神殿が完成。そして来年には拝殿も。行政の支援が受けられることになったとはいえ、総工費の4分の1は神社の負担です。今もYahoo!ネット募金を通じた木山神宮再建のための募金活動が行われています。
木山神宮は、御祭神に主神として「天照皇大神」以下6代にわたる神々を祀っていて、国土安泰、開運招福、五穀豊穣、また太陽神ということで、太陽は万物の生命の源ということから、子孫繁栄(子授かり)、健康祈願のご利益があると言われています。
参拝にかえてご寄付をすれば、そんなご利益をいただけるかもしれません。
益城町の「守り神」が崩壊から、社殿復旧の道へ 町の創造的復興の象徴に
(ネット募金ページ)
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「Hand in Hand」、来週は引き続き、熊本県益城町からのレポート。去年、明治時代から続くお店を再開した、老舗商店の再開までの歩みをお伝えします。