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21.03.04
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あたらしいスタートが世界一生まれる町 女川


『復興のトップランナー』と称され、行くたびに新しいことが生まれている宮城県女川町。津波で7割の家屋がなくなった女川では震災直後から民間主導の町づくりが行われ、復興の先を見据えた未来のビジョンを作り上げてきました。

震災の9日後にスタートした「復興連絡協議会」の発足メンバーとして、観光協会や商工会のコアメンバーとして奔走してきたのが、女川で3代続く「梅丸新聞店」の阿部喜英さんです。

今週の「Hand in Hand」は復興の過程を見続けてきた阿部さんの目に映ったもの、「女川の今」にフォーカスします。


女川駅。駅を背にしてまっすぐ海までつづくプロムナード。これが震災後の女川の象徴的な景色だと思います。この日は暖かな日差しで海が春色に輝いていました。
また海に面してスケボーパークが完成したばかりで、こうして女川の街はハード面はほぼ完成し、人々の暮らしが戻りつつあるようです。



梅丸新聞店 代表の阿部喜英さんは、おじいさんの代から続く3代目。現在は女川町全域と隣町の雄勝町にも新聞を配っているといいます。

――新聞配達はいつから?

「生まれた時から(笑)。親父の手伝いで付いて歩いてたのは小学校入る辺りから。一人で配りはじめたのは小3だったかな。

ここは新旧の街並みが混ざっているエリア。災害公営住宅は地図見ないとわからないね。同じような建物が続くから。」

新聞配達に同行してみると、駅から車で走ること数分の場所には津波の被害がなかった昔からある住宅地がありました。そして高台に建つ災害公営住宅などもあり、新しい住宅地と昔の住宅地、新旧混ざった女川をはじめて見ることができました。

家業の新聞販売店を営むかたわら、復幸まちづくり女川合同会社、また昨年からは駅前商店街「シーパルピア女川」の運営会社社長に就任した阿部さんに、10年が経った今の女川について伺いました。

――昔の街の風景を思い出すことはありますか?

「以前の街を思い出すとメンタルがキツイ時があるんですよね。震災直後から振り返らない、思い出さない、それで心を守るというふうにしてきたところがある。あえて忘れるようにしてきた。そうじゃないと心を守り切れなかったんじゃないかなと、私の場合はそう思います。」

――そんな阿部さんから見て今の10年経った女川の街は、理想通りですか?

「いや、想像以上。こんなになるとは思っていなかった・・全然想像以上!
シーパルピアの出店では外から起業した方、挑戦した方が被災事業者の数よりそろそろ逆転する。その究極が二郎系ラーメンやっている「Yume Wo Katare」の山崎くん。彼は京都でお店やっていたんだけど女川気に入って、移住して起業してお店出されて。一方で高校生・大学生の挑戦の場に繰り返し参加してくれた子が女川好きになって、この二人が出会って去年結婚して先週子供生まれて。この事例が今の女川の究極系だろうなと。こんな結果になるなんて思いもしなかったです。想像以上に外からこの女川を使って、何かやろう、という人がこんなに集まってくれるようになるなんて思わなかったですね。」

“Yume Wo Katare Onagawa” オープン前の様子


女川町のスローガンは、「あたらしいスタートが世界一生まれる町へ」「START! ONAGAWA」。これを旗印に常に新しい挑戦をする人を応援しています。その結果、県外からも「女川で起業したい」と移住してくる方が増えて阿部さんのお話にあった、「想像以上」の相乗効果が生まれているようです。

そして、阿部さんがどうしても再開させたいものがあります。それは毎年夏に“海の上”で行われたいた「みなと祭り」です。

「そもそも港まつりは海上祭り。漁船に大漁旗を装飾して、船の上で太鼓を叩いて獅子舞をする。女川には21の浜があるが各浜で獅子舞の流儀があるので、その浜ごとに船を仕立てて出ていました。それが去年の夏いよいよ港まつりが復活するので段取りしていて。昔見た風景、海上獅子舞やりながら沖合から来る風景見れたら、ようやく10年で復興の期間が終わってこれから次の時代に向かっていくんだな-…って実感できるハズだったんだけどね。その土地に根差した文化だとか風習だとかは震災後もやっていかないと。」

昨年はコロナの影響で中止となった「みなと祭り」。今年こそは夏に実現したいということです。


最後に、3人のお子さんの父親でもある阿部さんに女川のこれからを担う子どもたちについての想いも伺いました。

「今年は次男が成人式だったので参加しました。でも子供たちに背負わせたくないですね。その子がやりたい、その子が一番能力が発揮できるところでやればいいし、東京へ行きたいなら東京へ行くべきだし、どっちかといえば世界に出てほしいなと思っている。どこでもいいから自分が活躍するステージで一番になってもらった方がいい、それを無理やり女川に戻したら機会を奪うだけじゃないですか。一番になった場所で女川をアシストするという形に育ってくれたらいいなと思っています。」

――阿部さん、ご自身の夢はありますか?

「今52歳で。夢じゃないけど60歳で全面引退したいと思っている。商工会長の高橋さんが「還暦以上は口を出さず」ということでここまで来たので、私は還暦になったら完全引退したい。引くタイミングが遅く成ればなるほど担い手の年齢も上がってくるから。次の10年考えると女川出身とか関係なくなってると思う。外から起業した人たちが中心となって経済団体を動かしたりとか。そうなっていくんじゃないか、というか、そうなっていってほしいな。なんかまた新しいこと起きてるぞとなったら面白いじゃないですか。」


★TOKYO FMからのお知らせです。
阿部喜英さんの体験をモデルにした、「失われた命」と「生きている命」を描き出す女川を舞台にしたラジオドラマ、『ライターのつぶやき』が3月11日に再放送されます。2016年に放送され、高い評価を得て何度も再放送されてきたこの作品。10年の節目となる3月11日午後1時〜「LOVE&HOPE 10年目の春だより」の中でお送りします。
番組サイト https://www.tfm.co.jp/lh/20210311/

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