つなぐ 中橋/南三陸町震災復興祈念公園
今週のHand in Handは、復興の歩みがまた一歩進んだ宮城県南三陸町から、昨年10月開通した「中橋」、そして同じく昨年10月に開園した「南三陸町震災復興祈念公園」のレポートです。
さんさん商店街と復興祈念公園をつなぐ「中橋」。建築家の隈研吾さんのデザインで、地元の木材、南三陸杉をふんだんに使った「2重橋」となっています。一般社団法人「南三陸研修センター」の三浦貴裕さんにご案内いただきました。
――さんさん商店街を抜けてきましたけど、新しい橋ができていますね。
「中橋がかかりました。震災前は橋から釣り糸を垂らすような住民と近い橋として親しまれてきましたが、震災の津波で流されて、ようやく震災から9年と7か月。新しい姿で中橋が開通しました。町のグランドデザインを手掛けている隈研吾さんのデザインで、さんさん商店街と中橋、同じく昨年10月に開園した復興祈念公園をデザインされています。」
――この中橋は、上と下を歩けるようになっているんですね。
「二重の橋はなかなかないですよね。木材も南三陸の杉を使っています。下を通れば川の水面が見えてとても近くに感じられます。」
震災前、橋のすぐ近くに自宅があったというさんさん商店街の「山内鮮魚店」、山内正文さんです。
――りっぱな橋がかかりましたね。
「すごく気に入っています!きれいな橋だね。夜はライトアップするからデートスポットだね。震災前の中橋はもっと河口側にあったんだけど、木の橋で、かがり火まつりがあって橋の上で郷土芸能とかやって楽しんでいました。自宅も橋のすぐ近くで、家の中から釣りができたんだ。縁側が橋の上にせり出ていたから。ハゼ、アユ、うなぎもとっていたね。」
――10年経って新しい中橋になったけど、きっとまた住民の方には特別な橋になっていきますね。
「今年の夏はかがり火まつりもしたいと思っている。橋の真ん中が舞台のようにちょうど広くなっているので郷土芸能をして、橋の下から灯篭流しして。私の中ではそういう計画立ててます。みんなともコロナが静まったらやりたいねと言っています。
橋ができたことによって向かいの復興祈念公園にも行きやすくなったし、住民が手を合わせる場所がすぐ近くにあるというのはありがたい。みんなが想いをはせながらゆっくり散歩できるいい場所。その公園に行く手段として中橋を通るのはありがたいと思っています。」
橋をわたると「南三陸町震災復興祈念公園」があります。去年10月に中橋の開通とともに全面オープンしました。震災遺構である防災対策庁舎をはじめ、「祈りの丘」という丘があります。震災で得た教訓を後世や内外へ伝える場所で、なにより震災の犠牲となられた多くの方々に静かに手を合わせられる大切な場所となっています。
祈りの丘に設けた石碑には「名簿安置の碑」があって、南三陸町で犠牲になった方々の名簿が納められています。
――祈りの丘に登ってきました。
「南三陸の津波の高さは平均で16m。防災対策庁舎が3階の建物で12mなのでその屋上まできてしまいました。この祈りの丘の中段がこの町を襲った津波の高さ16mに設計されています。ここに来るとその高さが実感できますね。防災対策庁舎が見下ろせる。」
三浦貴裕くんに初めて出会ったのは貴裕くんがまだ中学3年の時でした。現在24歳になった貴裕くんは大学卒業後地元で就職し、街のPRに携わっています。
――貴裕くんが震災のときは中学2年生で、高校に入るとき「夢は消防士になる、町のために」と言っていたのを覚えていますが、あの時の想いというのをずっと思っていた?
「消防士という夢は今は変わって別の仕事をしていますが、町のために何かしたいという思いは10年経っても変わらず、そこだけは譲れないものがあると言うか。町の魅力があるので。」
――街を離れようとか外の世界を見たいなと思ったことは?
「正直今でも思っています。町が嫌なわけではなく、まだまだ自分の知らない世界や価値観を取り入れて、この町に還元していきたいとは常に思っているので。」
――この先の10年について何か思い描いていることはありますか。
「震災の風化と言われていますがまだまだ復興というのは続いていますので、南三陸町だけでなくほかの自治体も。そういう意味では自分たちの経験した教訓はしっかり伝えていくべきなんだと思っています。この復興祈念公園が学びの場として考えさせられる場所だと思います。また今年さんさん商店街の隣に震災伝承施設もオープンするようなので、合わせていろんな学びを感じ取ってもらえればと思います」
さんさん商店街、「ロイヤルフィッシュ」で南三陸名物、ゆで水だこをお土産に。