豪雨災害から半年〜熊本県人吉市のいま
全国各地の災害被災地の「今」と、その土地に暮らす人たちの取り組みや、地域の魅力をお伝えしていくプログラム、「Hand in Hand」。今回のテーマは、
「豪雨災害から半年〜熊本県人吉市のいま」。
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2020年も全国各地で大規模な自然災害が発生しましたが、なかでも7月はじめの「令和2年7月豪雨」では、九州をはじめ西日本各地で記録的な大雨となって、人吉・球磨地区では球磨川やその支流の氾濫で甚大な被害を受けました。先週はまだ被災直後のような光景が残る球磨村の現状をお伝えしましたが、人吉市も球磨川沿いの建物が、崩れたままだったり、修復のさなかだったり、約半年が経過したとは思えない状況が続いていました。
そんな状況の中でも、笑顔を絶やさず、2021年の再興を目指して頑張っている、二人の女性に、今回、お話を伺いました。
★人吉旅館
「この廊下がいわゆるインスタ映えするポイントです。もうちょっと先に行くと中庭も見えるんです。今こんな感じだけど、本当は青々しくきれいな花が咲いているし、手すりの上は大正ガラスといわれる手作りなんです。横から見ると波打っているようなものです。みなさんもここでよく写真を撮ります。これが本当に自慢でした。だからこれをちゃんと元通りにしたいと強く思うわけです。」
お話しは、国の有形文化財にもなっている老舗旅館、「人吉旅館」の3代目女将、韓国から嫁いで老舗ののれんを守っている、堀尾里美さん。笑顔がとってもチャーミングな女将さんです。
「九州の小京都」とも呼ばれる人吉温泉があって、この「人吉旅館」をはじめ、その名湯や、球磨川での川下り、アユ釣りなどを楽しみに、全国から観光客が訪れていましたが、球磨川沿いの温泉地にある約30軒の宿泊施設の多くは、越水した水に浸かり、昭和のはじめに創業、数寄屋造りの和風建築で知られる「人吉旅館」も、1階の天井まで水没したといいます。
まずは当時の被災状況について、お話を伺いました。
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高橋 一枚板に人吉旅館ときれいな文字で書いてあって、ただ横の入口の部分が突き抜けている状態ですが・・・
堀尾 この立派な看板だけは流されずに、そのままの場所にありました。それだけでも再建にむけての勇気が湧くということを感じました。いま立っている玄関の入口は、水が全部引いた後でも膝くらいまでの泥がぎっしりと詰まっていて、足を取られて歩けないくらいでした。約4ヶ月で全部きれいに出しました。この場所は本当はいちばんの自慢でした。玄関に一歩踏み入れると、きれいなピカピカの木材の板張りなんですよね。お客様も入った途端に“わあっ”て言います。この太い梁、それとこのピカピカの床で最初から圧倒されて、すごいねと言われるんです。今はもう見る影もなく、骨が残っているだけです。でもありがたいのは、本当にいま登録有形文化財ということになっている旅館なので、泥はぎっしりあったけれどもそれを全部出して剥がしたけれども、骨組みというか、形の骨格というか、これをもうそのままとても頑丈な建物だったということがわかりました。そのあと台風も来ましたけれども、専門家が見て、“これはぜんぜん大丈夫ですよ”と。
高橋 水はいま私たち立っているところは一階ですが、どこらへんまで来たんですか?
堀尾 この梁のところ、一階の天井まで達してます。二階は無事だったのですが畳は全部捨てざるを得ませんでした。だから床下から考えると約5mくらいきました。
コロナ禍の影響で数は少なかったものの、その日も宿には4組のお客さんがいました。お客さんがいたことと、上流のダムの放流が決まったことで、避難を決めたといいます。ただ最後に宿のスタッフが避難した時は、足首くらいまでの浸水でしたが、宿の時計はその30分後に止まっていて、浸水が天井にまで達したと思われるということ。まさにギリギリで命びろいしたと言えます。
じつは堀尾さんも、宿が心配で、その日、まだ水が残っているのに宿を見に行って、崩落して水没している道を“水たまり”と間違えて落ち、溺れそうになったこともあったそう。
そしてその日の午後、宿を見に来たら、中には入れない。裏の割れた窓から中を見たら、水と泥、流木が流れ込み、天井は落ち畳はめくれ、言葉を失う惨状だったといいます。
宿の玄関には歌人・与謝野晶子が寄せた歌が掲げられ、温泉地・人吉の象徴的な存在でもある「人吉旅館」。3代目女将として、そののれんを守ってきたのが堀尾里美さんですが、その惨状を前にしてどんなことを思ったのでしょうか。
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堀尾 その時は、言葉を失って、これは夢じゃないかと思いました。再建できるかなというのがパッと浮かぶんですけど、無理だろうと。私は初めてこんなの見るから、これはいくらお金があっても無理だなと思いました。そう思いながらもとにかく頑張るしかない。この目の前の泥を出さなきゃというのと、文化財の登録に向けて色々手伝ってくださった先生がいらっしゃって、その先生から電話があって、“必ず再建できるからと頑張れよ”とおっしゃってくださった。他にもいろんな方からの応援があって、再建するぞという気持ちがだんだん湧いてきたんですね。年明けてからは1月中旬以降は部分的に第一期工事、温泉とか大広間とかして、2階の大丈夫な部屋をもって、まず2021年8月には仮オープンして、さらに1年後に再開を目指しています。人吉の代表というか、いちばん木造として広かった宿ですから、だからこそ再建することが人吉再建のひとつのシンボル的な役割だよとよく言われるんです。なのでこの場所で再建して、自慢だったピカピカの床や廊下を必ず復元して、元に戻したいんです。私たち夫婦もまだ体も元気なので、もう一度花を咲かせたいというか、もっと繁盛ぶりを見せてさしあげるぞというふうに、今は意地を張ってでもやっぱりやっていきたいと思っているわけなんですよ。
人吉温泉の老舗旅館、「人吉旅館」。国の有形文化財なので、資材などはきれいに修復して活用する。2021年8月の仮オープン、そして2022年の本格的な再開へ向け作業を続けています。女将が胸を張る、自慢のピカピカの廊下を歩いて、温泉を楽しめる日を待ちたいと思います。
ちなみに源泉は無事だったので、栓を開ければ温泉が自噴するそうです。早く入りたいですね。
この日私たちをこの「人吉旅館」に連れて来てくださったのは、人吉市内で、郷土料理をコンテンツにコミュニティづくりを学ぶスペース、「ひまわり亭」を営む、本田節さん。
★ひまわり亭
球磨川の土手沿いの、古民家を移築して造った「ひまわり亭」も1階が浸水しましたが、水がひいたあとは、市民ボランティアグループを作って、炊き出しや物資支援を行いました。
この地方には「きじ馬」という民芸品がありますが、「ひまわり亭」の前には、重さ800キロもある超巨大な「きじ馬」が飾られていました。これが、あの豪雨被害の時、濁流に流され、約60キロ下流の河口で見つかって、“里がえり”した「きじ馬」。これを見に来る人も多いのだとか。
本田さんは2016年の熊本地震の時にもボランティア活動に奔走。その時の経験を活かし、今回も、行政では行き届かない、市民目線の丁寧な支援活動を、全国から集まる仲間とともに手掛けています。
球磨川を見下ろす特等席みたいなテラスもある「ひまわり亭」、中には全国から支援物資が届いていて、私たちのインタビュー中もお米が届いたり。
そんな「ひまわり亭」で、本田さんにお話を伺いました。
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高橋 取材中にもたくさん人がいらっしゃいましたが、ここは人が集まる場所になってるんですね。
本田 もともとひまわり亭は地域おこしからはじめたコミュニティ・ビジネスのレストランですから、応援したいというボランティアの皆さんがすごく多いです。とくにコロナ禍で県外から来れないから、今日も来てもらっているチーム宇土のみなさんとか、益城とか、熊本地震で被災した経験がある地元の皆さんたちが多くて、防災による街づくり支援の輪が広がっていってですね、防災士、インストラクター、専門性を持った方が多く集まって、それが地元の経験したことのない方たちと一緒にボランティア作業に入りますから、人材育成にもなっています。とくに大学生が多く来てくれて、若い人が育ちましたね。かなり。
高橋 このあと、ここからひまわり亭というのは、どんなふうに展開していきたいと思っていらっしゃいますか?
本田 復興ツーリズムですね。この地域の皆さんだけの力での再建は難しい。やはり人的資源が地方は絶対に足りない。ですからやはり都会の人とか、被災してないとか、ボランティアの経験のない人がここに来て、一緒にお料理を作ったりボランティアをして、泊まって、そして地域の地方の価値を高めていくというような人材育成を中心にやりたいと思っています。
行政や自治体が災害時に開設するボランティアセンターとはまた違った、本当に必要な支援を市民目線で考え、そして災害からの学びを行政から受け取るのではなく、自ら考え、答えを探す、そんな場でもある「ひまわり亭」。本田さんは地域の中だけでは足りないマンパワーを、全国の人が集えるコミュニティを創ることで補い、「復興ツーリズム」を人吉の中に醸成していきたいともお話しされていました。そして2021年には、さらにコミュニティスペースに特化した形での再開を目指しているということです。
人吉は温泉だけでなく、球磨川沿いの豊かな自然や、その球磨川沿いを走る肥薩線の車窓の風景も魅力の町。SLや観光列車も走っていました。一部が復旧しましたが、八代〜人吉間は今も不通。再建方針は未定です。球磨川沿いをSLが走る姿を見るのが願いと本田さんは言います。その他、本田さんが愛してやまない人吉の魅力とは?
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本田 生まれは支流の川辺川ですね。相良村というところの田舎の農家の娘に生まれて、毎日の暮らしの一部なんですよ。物心ついたときからずっと日本三急流のひとつ球磨川という自然に恵まれたものがありますので、食べ物も美味しいし、球磨焼酎もおいしいし、温泉もいっぱいあって、本当に今回球磨川が暴れて大きな災害にはなりましたけれども、私達は母なる球磨川を愛し、母なる球磨川を本当に恨むことなく、どんなことがあっても守っていきたい。そしてコロナが少しおさまったならば、あのときにボランティアで応援に行けなかったけれども、一回人吉球磨にいってできることを応援したいなと思ってくださったら私達はますます頑張れるのではないかなと思っていますね。
今回は荒れて大きな被害をもたらしたけど、母なる球磨川を恨むことなく、愛している、守っていきたい、という本田さんの言葉が印象的でした。
私たちが見たのは三大急流という清流が美しい川。この清流を眺めながら、温泉に入ったり、川下りをしたり、また球磨川の鮎は美味しくて有名らしいのでそんな川の恵みを頂いたり。復旧したらそんな人吉・球磨地区の宝である球磨川を楽しみたいと思います。もちろんそれも支援につながります。
「Hand in Hand」〜豪雨災害を乗り越えて〜熊本県人吉市のいま。今回は今も途上にある人吉の復興へ向けて歩む、二人のパワフルな女性のインタビューをお届けしました。
ちなみに取材を終えた私たちに、本田さんはお昼ご飯を作って下さいました。“この辺はまだ再開してる店も少ないから”と、厨房に入るや、スタッフの方と手際よく調理をして、出されたお料理の一部がこちら。
野菜のエキスだけで作ったカレーの美味しいこと。うどんも心が温まりました。山女もお漬物も美味しかった。本田さん、本当にごちそうさまでした!またいつか「ひまわり亭」が再開した折には、味わいに行きたいと思います。
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「Hand in Hand」、次回は、シリーズ「あれから10年、復興が進む福島を行く」の広野町編。経済協力開発機構(OECD)の首長連携組織の一員、「チャンピオン・メイヤーズ」に選ばれた、遠藤智町長に広野町の魅力を聞くほか、地域活性活動を教育の核とする学校、「ふたば未来学園」も訪ねます。ぜひ次回も聴いてください!