熊本地震から4年、地域の守り神のいま
全国各地の災害被災地の「今」と、その土地に暮らす人たちの取り組みや、地域の魅力をお伝えしていくプログラム、「Hand in Hand」。
今日のテーマは『熊本地震から4年、地域の守り神のいま』
新型コロナウィルスの情報が連日伝えられる中、この4年を経て、災害からの復興が、ようやく一つの節目を迎えた場所があります。
2016年4月に震度7の揺れに2度にわたって襲われ、災害関連死を含めて275人が犠牲となった熊本県です。
今年4月、熊本地震からまる4年が経過したわけですが、災害公営住宅の整備はすべて完了。仮設住宅での生活を余儀なくされていた人たちの、生活再建が進むことになります。
一方、熊本のシンボル・熊本城は、来年の春にも一般のお客さんが入ることができるようになる見通しですが、完全な復旧は2038年ということで、まだまだ時間がかかるようです。
また、熊本のもう一つのシンボル・阿蘇山をご神体とする阿蘇神社、そして被害の大きかった益城町の氏神さま・木山神宮など地域の人たちの、心のよりどころとなる神社も、まだ再建の途中にあるといいます。
ということで今回は、地域の守り神である熊本の2つの神社のこの4年間の歩みにフォーカスしてお届けしていきます。
写真は、いまから4年前、熊本地震から半年後にスポーツジャーナリスト・中西哲生さんが取材した様子です。場所は熊本県益城町、木山神宮1000年以上の歴史を持つ神社です。
本殿は江戸時代後期、250年以上前(!)に建てられたものなんですが、その本殿は完全に倒壊。楼門(ろうもん)、鳥居、社務所、境内のすべての建物が全壊。4月14日の揺れでは半壊だった本殿も、16日の2度めの揺れで全壊となってしまいました。このときのお話では、本殿から、重要な木彫りの彫刻部分(屋根などにある)を取り外して、再建するときのために保存しているとおっしゃっていました。
ただ。この神社は大変歴史のある建物なのに、その再建には大きなハードルがありました。木山神宮で神職をされている矢田幸貴さんによれば
「通常神社は文化財の指定を受けている建物は国からの助成があるので、国の支援をもらって復旧復興に立ち上がっていくと思いますが、うちの神社の御本殿につきましては全く指定のない、未指定の文化財ということで、100%所有者である神社の負担ということで、現状は見通しが立っていない状況です。これはうちの神社だけではなくて全国の小さな村の鎮守の神様というのは同じような状況でして、自然災害に際しておそらく多くの神社、お寺、お堂、祠が被災して、地域の守り神である心の拠り所が消失してしまったというのが現状としてあります。国宝とか重要文化財ばかりに目がいきやすいですが、実はそういう小さい神社や祠は厳しい現実があります」
と話していました。また益城町は特に被害も大きく、地元の方への寄付のお願いもしずらい状況で、復旧・再建のめどが立たないと悩みを打ち上げていました。
そして、この取材から4年。番組では改めて木山神宮の矢田さんに電話でお話を伺いました。
――――震災から4年が経った木山神宮の現状は
矢田「ぺちゃんこになりました神田は一旦部材を全部使いますので、きれいに解体をしました。現在はきそう、耐震食い等を地面に落ちまして、揺れてもまた今から立てる建物がこれから東海しないように耐震補強を施した基礎を現在作っておりまして、それが今完成したところです。」
――――全国からの寄付等も力になったと聞きました。
矢田:「本当に多くのご寄付をいただきまして、特にYahoo! JAPANさんなどのネット募金の窓口を解説を、現在もしておりまして、全国の皆さんのご浄財も工事に大切に活用させていただいています。
――――やっぱり復活した木山神宮を見たいという方がたくさんいらっしゃるんだろうなという感じがしますが、再建へ向けては地元の高校生なども協力してくれたんですよね。
矢田「そうです。地元の熊本の人吉というところがありまして、そちらに大工さん、神社などを立てていただく宮大工を要請する高校が日本に1つだけありまして、そちらの高校生が木山神宮の復旧作業のお手伝いを始め、益城町の木山神宮を中心とするような、周りにも神社がたくさんあるんですけれども、そちらの再建に一役を担って活躍をしていただいたというようなこともございました。健や行政機関から許可をいただいて、事業の一端として来ていただいたというのが、非常に珍しいケースだと思います」
――――以前矢田さんにお話をお伺いした時は、まだ何のメドも立っていなくてとおっしゃっていたのがすごく印象的だったんですが、そこからの流れですごく励まされることもたくさんあったんですね。
矢田「励ましをいただきながらこの4年間を歩んできたというようなことがありまして、本当にお陰様だと思っています」
――――再建への見通しは具体的に見えているものはありますか。
矢田:「今後は古い江戸時代の材料を使いまして再建をしていくんですが、具体的に来年の令和3年12月に神殿が完成します。私たちもようやくここまで来ましたので、本当にゴールが目の前に近づいてきたということで、いっそう気を引き締めて頑張っていこうと思っています」
――――私が伺った時に、御本殿がなくても参拝者の方がたくさんいらっしゃって、特に地元の方が来ていたのが印象的だったんですが、地元の方からも励ましの声ってたくさん届きましたか。
矢田:「そうですね。毎日神殿がないお宮に地元の方にはお参りをしていただいているんですけれども、掃除などをしておりますと神社というのは心の拠り所ですということをよくお声掛けしていただいています」
――――一方で熊本地震で特に被害が大きかったのが益城町ですけれども、街の復興はどうですか。
矢田「仮設のプレハブが地震の後にたくさん立っていたんですが、それに代わる恒久的な公営住宅がちょうど4年を迎えるこの春に町内のすべての公営住宅が完成しまして、仮設にいらっしゃった方が今お引っ越しをされている状況の4月から5月、現在を迎えています。まだまだ県道とか区画整理事業とかそういったものの復興はまだまだこれから時間がかかりますので、まだ道半ばだなという気持ちでおります」
――――実は矢田さんは肥後の一の宮でもある阿蘇神社の権禰宜でもいらっしゃいます。重要文化財である楼門などの倒壊もニュースになった阿蘇神社ですが、現在どういう状況ですか。
矢田:「いま阿蘇神社におりまして、工事の音が届かない現場から離れたところでお話をさせておるんですが、現在阿蘇神社も復旧工事の真っ最中です。楼門は木山神宮と同じように古い材料を使いまして、また同じ姿の、あの門に戻していくということで、こちらがちょっと時間がかかるんですけれども、令和5年の12月に完成する予定で進めさせていただいています。」
――――阿蘇神社の場合はその後阿蘇山の噴火もあって、火山灰を被ってしまったというニュースも聞きましたし、自然の災害というのが重なった印象があります。
矢田「そうですね。阿蘇山の噴火で倒壊している建物に灰が降り積もったという時期がありましたけれども、神社というのは自然の神様をお祭りしていますので、いかに自然の神と共存共栄していく、恵みの部分と恐れの部分というのが自然の神様を祀る神社には昔からありましたので、両面を両立していかなければいけないというのを改めて私たちも考えるきっかけになったと考えています」
――――自然災害、今回のウィルスの問題もあると心が折れそう、心が弱くなる部分もあるんですが、私たちも阿蘇神社にお邪魔をして、空気を感じたかったです。
矢田:「実は毎日朝のお祭りを神社で行っておりますが、阿蘇神社の神様は五穀豊穣を、農業の神様でもあり、生活守護、私たちの身の回りの生活を守ってくれる神様でもあります。災害からの1日も早い復旧と現在の困難な状況、1日も早い新型コロナウィルス感染症の収束をお祈りさせていただいております」
――――コロナが収束した暁にはたくさんの方に足を運んでいただきたいですね。
矢田:「そうですね。ぜひまた、日本が元気な姿になって多くの方が参拝して足を運んでいただく日が早く来ればいいなと思っています」
「Hand in Hand」、来週は「東北食べる通信」・創刊編集長が教えるお家にいても楽しめる、東北グルメ旅!のお話です。