2020年3月11日、南三陸町。二人の若者の震災9年
全国各地の災害被災地の「今」と、その土地に暮らす人たちの取り組みや、地域の魅力をお伝えしていくプログラム、「Hand in Hand」。
今週のテーマは・・・『2020年3月11日、南三陸町。 二人の若者の震災9年』
「私たちは今日で、義務教育9年間の全過程を終了しそれぞれの夢や想いを抱き卒業します。私は、大好きだったここ故郷戸倉で卒業式を迎えられたことにとても感激しています。殆どの人が住む家を失い、みんな行きていくことに精一杯で、学校のことは考えられませんでした。しかし学用品や運動着、何もかもなくした私たちに温かい支援や励ましを頂いたことは生涯忘れません。たくさんの学校やボランティア団体との交流がありました。この交流を通して改めて人の優しさ、温かさを知り、いつの日か自分も困っている人達の力になれるよう頑張ろうと強く心に誓いました。そしてわたしたちをここまで導き、困難を共に乗り越えてくださった校長先生始め初先生方、ありがとうございました。そして最後に、保育所からいままでずっと一緒だった3年1組19人の皆、いつも一番近くにいてくれた皆と今日でお別れです。いつもは照れくさくて言えなかったけれど、みんなにも本当に感謝しています。いままでありがとう。南三陸町の復興は若い私達に託されています。津波の犠牲になったイノマタ先生。たつのりくんをはじめ、1万人を超える犠牲者の分まで私たちはこの生命を大切にします。そしてこれからの町の復興に貢献できるよう、20名全員がそれぞれの道で全力で邁進することを誓うとともに、みなさんのご健勝と南三陸町の一日も早い復興をお祈りし、答辞と致します。平成24年3月10日、卒業生代表 小野寺翔。」
これは、東日本大震災の翌年、2012年3月10日、宮城県南三陸町戸倉中学校の卒業式で、卒業生代表・小野寺翔さんが読み上げた答辞です。
南三陸はおよそ15メートルともいわれる津波で、町全体が被害を受け、戸倉中は、おとなり登米市の廃校舎を借りて授業を続けてきたのですが、門出の日だけは・・・ということで、慣れ親しんだ母校の校舎で卒業式が行われました。
そして、この答辞を読み上げた小野寺翔さんは、まもなく24歳。ふるさと・南三陸へ戻り、自分の居場所と役割を見つけ、震災を一緒に乗り越えた、大切な友だちとともに、社会人として歩み始めています。
きょうのHAND IN HANDは、2020年3月11日。東日本大震災からまる9年となった当日に取材をした、南三陸の2人の若者の声をお伝えしていきます。
仙台でも東京でもなく、生まれ育った土地を選んだ2人。彼らが思う、南三陸の魅力もご紹介します。
この土地で、自分の生き方をみつけ、歩み始めた2人の若者・・・ひとりが、先ほど紹介した小野寺翔さん。もうすぐ24歳。そしてもう一人が、三浦貴裕さん。同じく24歳。二人とも「海や山が当たり前にあった。そんな環境でいろんな遊びをした。町の人と声を交し合うのも普通で、今思えば良い環境だった」と、故郷の良さを語っていました。
戸倉中学校の同級生の2人が東日本大震災を経験したのは、中学2年生のおわりの春のことでした。町を、津波ですべて流され、となりまちの仮校舎で中学生として最後の1年をすごした2人は、別々の高校に進学。ただ、高校時代も常に顔を合わせる関係だったといいます。
そしてさらに3年が経過し、三浦さんは、消防士を目指して、防災の知識を身に着けるため仙台の大学へ。小野寺さんは、関東の大学へ進学したのですが、そこで2人はショックを受けたといいます。大学では、「あれほどの被害を受けた南三陸という地名すら知らない人がいる」ということを知ったのだそうです。
そして2人は、大学生活とともに、南三陸に同年代の学生を招くツアーや震災体験を語る“語り部”の活動に取り組むように。この経験によって2人の生き方は大きく変わりました。
2020年3月11日。ふるさと南三陸に帰ってきた三浦貴裕さん、そして小野寺翔さん、それぞれの「いま」、伺いました。
(三浦さん)南三陸町に震災後にできた宿泊研修施設で4月から働いて、もう少しで1年経ちます。大学の時から学生ツアーの活動してきたその延長線上に、自分がやりたいことがこの施設にあったので、お世話になっています。中学校を卒業するときは消防士になるという夢を持って(笑) 高校も3年間消防士になるという夢を追いかけていたんですが、自分の中で大きかったのは人の出会いと、大学生活の中で始めた語り部活動と大学生を対象にした学生ツアー。町の魅力、震災から立ち直ったことを伝えるということを今後とも継続していきたいという思いでやっています。
(小野寺さん)高校まで県内の地元にいて、僕も貴裕と同じように自分のやりたいことがあって、
人のためにできることをしたいなと考えていた。一度地元を離れて、外にいる若い世代を南三陸につなぐ活動をしてきたときに、改めて故郷ってやっぱり良いと気づいたんです。そんななかで実家が山を所有しているという話になりまして、そこで改めて、何もかも流されてしまってなくなってしまっても、山は財産として残ったんだと気づいて、それを守っていけるのは私たちの今の世代だなと思いました。それで林業に関する勉強をして帰ってきたという感じですね。この春からは自分で自分の山を管理する自伐型林業をやっていこうとしています。森林組合だったり企業に委託をして管理してもらうのが一般的なんですけど、そうではなくて自分で自分の山を管理するという昔から当たり前だった手法をもう一回やろうと。不安もありますけど自信もあるので、まずは1年頑張ってみたいなと思います。
ということで三浦さんは、学生や企業の新入社員向けの研修施設で、震災の教訓を踏まえた町づくりに取り組む南三陸町ならではの「学び」を伝える仕事に就き、さらに、南三陸町の公式ブログで、街の魅力や復興への歩みを伝えるブログのライターとしても活動しています。
一方の小野寺さん。彼が言っていた“自伐型林業”とは、企業による大規模な林業とは違い、山主とともに、環境を守りながら一定の収入も得られる林業。持続可能な林業として、いま注目されています。小野寺さんは大学を中退、岐阜県の林業専門学校に入り直し、その後、南三陸でいち早く自伐型林業に取り組んでいた師匠と出会い修業、そしていまは、独立していよいよ自分の家の先祖代々の山で新たな道を切り開こうとしています。
そんなわけで南三陸へ戻り社会人として歩み始めたばかりの2人。「お互いをどう思っているか」という質問に、ちょっと照れながら答えてくれました。
(三浦)変わったのかな、変わってないのかな。パイロットとか自衛隊とかなりたいとずっと言っていて、今は全然違う林業に進んでいるんですが、自分が持っていない感性や考え方を持っている。郷土芸能にも力を入れていていいなと思います。誰かのためになりたいというところは芯が通っていると思うし、一緒に活動してきた仲でもあるので心強い。町のためにまた何か一緒にできたらなと思います。
(小野寺)急に褒められると恥ずかしいですね(笑) 昔から近い距離に置いて、若い同世代の学生を故郷に呼ぶツアーや震災語り部を一緒にやってきた仲間。分野が違うけど目指すものはひとつで、それってすごく大事。大学で価値観が変わって、それでもやっぱり南三陸に落ち着いて、まっすぐにその道に進んでやっているので、それは故郷に関わる貴重な仲間として、昔からの友達として頑張っていければ良いのかなと思いますけどね。
(三浦)何をするにも1人だと怠けてしまう部分があると思うので、一緒に志を持って取り組んでくれる仲間は、刺激にもなる。それぞれの夢、それぞれの得意なものを共有しながらできるのはすごくいいことだなと。これからもそうしていきたいです。
震災を経て、いろんな人と繋がり、いろんな経験をして大人になった2人が、南三陸という町のもつ価値はなんなのか、最後に伺いました。
(小野寺)復興工事の中で変わっていかなければならないものってある中で、昔から続いてきて、震災でも失われなかったものがいろいろあると思う。僕が昔からやっている伝統芸能、鹿子踊も、震災を機に若い世代が見直したというか、本質に向き合うことになったので、なぜここに昔から続いてきた文化があるんだろうとすごく考えさせられたことがあるので、大事にしていきたいですね。
(三浦)自然が豊かなのももちろんだと思いますが、人が魅力だなと言うのはすごく思っていて、仕事の中でいろんな方にお世話になることだったり、震災を通して人のつながりが凄く強い街だなと思ったんですけど、その人付き合いが基盤にある街というか、どこかでつながっていてお互い何か困ったときには助け合ってやっているというのが、大きいなと。人っていうのはこの街の魅力なのかなと思っています。
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