高度成長期、多くの日本人が夢中になったキックボクシング。
その最初の興行が行われたのは、1966年4月11日のことです。
ボクシングの世界で存在感を示していたプロモーター・野口修が、タイの国技である“ムエタイ”を、日本人に馴染みやすい『キックボクシング』という名前に変え、新たな娯楽として大々的に売り出しました。
その名付け親が次にとりかかったのは、注目を集めるために欠かせない、スターを生み出す、ということでした。
未来授業3時間目、テーマは『キックの鬼・沢村忠誕生』
◆細田昌志
1971年岡山市生まれ、鳥取市育ち。鳥取城北高校卒業。CS放送のキャスターをへて、放送作家に転身。ラジオ、テレビ、インターネット番組を手掛けながら、雑誌やWEBに寄稿。著書に『坂本龍馬はいなかった』(彩図社)、『ミュージシャンはなぜ糟糠の妻を捨てるのか』(イースト新書)。メールマガジン「水道橋博士のメルマ旬報」同人。最新刊は「沢村忠に真空を飛ばせた男―昭和のプロモーター・野口修 評伝―」(新潮社)