- 2015.06.14
プラントハンター西畠清順さん 1 まだ見ぬ植物を求めて世界へ
今週は珍しい植物を追い求め日本全国、世界全土を旅する方。「プラントハンター」西畠清順さんにお話しをうかがいます。

日本・海外からの依頼は年間2,000件。これまでに集めた植物は数千種類。
東京代々木の「代々木ビレッジ」をはじめ、各地の庭園、商業施設、イベントで西畠さんが集めた希少な植物は根をはり、枝を広げているんです。
まるで野生児のような西畠さんの、植物を巡る大冒険のお話、色々伺います。
-映像で西畠さんが木に登っている様子を拝見したんですが、まるで猿のように(笑)登って行くじゃないですか。手の皮が分厚いからトゲトゲの木も平気なんですね。
そんな日常を10年続けると、それ用に体が変わりますよね。木に登っていると、仕事で登っているので、気持ちいいというよりも血がたぎってくるんですよ。そうするとアドレナリンが出て、痛いとかあまり感じないですね。

-西畠さんは明治元年から続く「花宇」という植物卸問屋の五代目なんですよね。そもそこの花宇さんはどんな問屋さんだったんですか?
初代はわりと小さくやっていたようなんですが、二代目のときくらいから、文明開化で色々な百貨店がどんどん建ち始めたり、生花が普及し始めて、それを裏で支える業者のようになりました。
今だと色んな時期に色んな花が見れますよね。食べ物も季節にかかわらず食べられますが、僕のひいおじいさんは明治のころ、すでに温室を建てて、需要に合わせて桜だったり、いろんな植物を出荷していたんです。開花調整というんですが、そういうことをいちはやくやっていたんです。少なくとも、園芸業界の中ではおそらく世界で一番はやく促成栽培を事業にしたというのがひいおじいさんなんですね。
-海外に植物をとりにいくようになったのは清順さんの代からですか?
父親の代のときに、年に何回か海外に行って、植物を持ち帰るということをやりはじめました。その時には年間1~2トンくらいの植物を輸入していたんですが、僕の代になって、この7~8年くらいで年間200トンを超えるようになりました。
-西畠さんは五代目としてうまれて、最初からこの仕事を継ぐんだと思っていましたか?
いや、小さい頃は植物には興味がありませんでした。元々旅好きで、留学したりして、色んな国を転々としていました。そんなときにボルネオ島に行く機会があったのですが、そこで世界一大きい食虫植物を見たんです。ネペンテスラジャというのですが、それはものすごく衝撃的な出会いでした。

21歳のころでしたが、それまでは植物のことは「何がおもしろいんだろう」という感じでした。それが、その食虫植物をみて「ハンパない!」と思ったんです。その植物に出会ったのはキナバル山という、東南アジアで一番高い4000m級の山でしたが、雲の上なんですよね。だからいっそう衝撃的に感じました。
山は登って行くとどんどん寒くなっていきますよね。キナバル山は赤道直下にある山なので、ふもとはジャングルで、大きな木ばかりなんですよ。それがどんどん登って行くと、涼しくなっていて、亜熱帯気候になっていく。さらに登って行くと温帯気候になっていくわけです。そうすると植物もだんだん変わっていくんです。それで最後には亜寒帯気候といって、寒いところの気候になり、植物も育たなくなって、森林限界といってこれより上は木が育たないという場所になる。上に行けば行くほど自分が体感する気候もどんどん変わっていくし、植物もどんどん変わっていくんです。8時間かけて登ったんですが、8時間で地球上の気候を全部味わったんですよ。だからそんなエクストリームな体験をした後に出会ったものだから、一層衝撃的でした。そういうシチュエーションもあって、ああ植物をなめたらあかんわ、と思ったんです。
それまでは旅をしたいから旅をしていたんですが、いまはこういう衝撃に出会いたくて、その方法として旅をすると変わっちゃったんですよ。あの山にこんな植物があるらしいとか、あの湿地にはこんな植物の自生地があるらしいとか、日本でも海外でも関係なく、見たいし、なんなら手に入れたいと思うわけです。そうしたらそこに行かないといけない。植物は向こうから来てくれませんからね。そういうふうに変わってしまったわけです。そのひとつの大きなきっかけが、ボルネオ島で見たネペンテスラジャですね。
-世界からどんな植物を持って帰ってきているんですか?
たとえばヤシ。日本で造園などで植えられるヤシはだいたい3種類です。ワシントニアか、ココスといわれるヤタイヤシか、フェニックスといわれるカナリーヤシか、そのへんがアウトレットモールやスーパー銭湯などでよく見られるものです。
その3種類は日本の気候になじむヤシということで、ヤタイヤシだったらアルゼンチンなどの南米から、カナリーヤシだったらカナリア諸島から、ワシントニアだったらアメリカから種が輸入されて、育てられた。
ヤシというのは最も人の生活に近い植物のひとつで、食べ物にもなるし、オイルも取れるし、葉は屋根になるし、幹は柱にしている国もあります。そういうヤシが大好きだった時があって、日本で育つ美しいヤシは、ほかにも世界中にいっぱいあるのにと思っていました。それで、そのヤシの入手に着手したのは20代前半くらいかな。
ヤシは輸入が難しいんです。移植するのにセンシティブなんですよ。そしてどこの国の検疫もだいたいそうなんですが、日本の検疫では土ごと植物を持ってくることはできない。だったらヤシの土を落として、きれいに洗浄して日本に輸入できるかといったら、ほとんどのヤシは移植に弱いので、そんなことしたら枯れちゃう。だから、植物園はいろんなヤシを標本展示したくてもできなかったんですね。種から育てたら30年かかりますしね。それをどうしたらいいかなというのをロジカルに考えて、日本の検疫システムのことを考えて、とあるやり方で輸入できるようにしました。植物園の人はどうしてこんなヤシを手にいれたんだろうと、結構みんなにびっくりされました。
-そこは企業秘密ですね?
まあ、そんな大したことではないんですけどね。
プラントハンター 西畠清順さんのお話、いかがだったでしょうか。
西畠さんの活動については、ご自身が主宰する『そら植物園』のウェブサイトでご覧になれます。
http://from-sora.com/
来週も引き続き西畠さんのお話しをお届けします。
お楽しみに!
【番組内でのオンエア曲】
・Lollipop / MIKA
・奇跡の地球 / 桑田佳祐 Mr.Children

日本・海外からの依頼は年間2,000件。これまでに集めた植物は数千種類。
東京代々木の「代々木ビレッジ」をはじめ、各地の庭園、商業施設、イベントで西畠さんが集めた希少な植物は根をはり、枝を広げているんです。
まるで野生児のような西畠さんの、植物を巡る大冒険のお話、色々伺います。
-映像で西畠さんが木に登っている様子を拝見したんですが、まるで猿のように(笑)登って行くじゃないですか。手の皮が分厚いからトゲトゲの木も平気なんですね。
そんな日常を10年続けると、それ用に体が変わりますよね。木に登っていると、仕事で登っているので、気持ちいいというよりも血がたぎってくるんですよ。そうするとアドレナリンが出て、痛いとかあまり感じないですね。

-西畠さんは明治元年から続く「花宇」という植物卸問屋の五代目なんですよね。そもそこの花宇さんはどんな問屋さんだったんですか?
初代はわりと小さくやっていたようなんですが、二代目のときくらいから、文明開化で色々な百貨店がどんどん建ち始めたり、生花が普及し始めて、それを裏で支える業者のようになりました。
今だと色んな時期に色んな花が見れますよね。食べ物も季節にかかわらず食べられますが、僕のひいおじいさんは明治のころ、すでに温室を建てて、需要に合わせて桜だったり、いろんな植物を出荷していたんです。開花調整というんですが、そういうことをいちはやくやっていたんです。少なくとも、園芸業界の中ではおそらく世界で一番はやく促成栽培を事業にしたというのがひいおじいさんなんですね。
-海外に植物をとりにいくようになったのは清順さんの代からですか?
父親の代のときに、年に何回か海外に行って、植物を持ち帰るということをやりはじめました。その時には年間1~2トンくらいの植物を輸入していたんですが、僕の代になって、この7~8年くらいで年間200トンを超えるようになりました。
-西畠さんは五代目としてうまれて、最初からこの仕事を継ぐんだと思っていましたか?
いや、小さい頃は植物には興味がありませんでした。元々旅好きで、留学したりして、色んな国を転々としていました。そんなときにボルネオ島に行く機会があったのですが、そこで世界一大きい食虫植物を見たんです。ネペンテスラジャというのですが、それはものすごく衝撃的な出会いでした。

21歳のころでしたが、それまでは植物のことは「何がおもしろいんだろう」という感じでした。それが、その食虫植物をみて「ハンパない!」と思ったんです。その植物に出会ったのはキナバル山という、東南アジアで一番高い4000m級の山でしたが、雲の上なんですよね。だからいっそう衝撃的に感じました。
山は登って行くとどんどん寒くなっていきますよね。キナバル山は赤道直下にある山なので、ふもとはジャングルで、大きな木ばかりなんですよ。それがどんどん登って行くと、涼しくなっていて、亜熱帯気候になっていく。さらに登って行くと温帯気候になっていくわけです。そうすると植物もだんだん変わっていくんです。それで最後には亜寒帯気候といって、寒いところの気候になり、植物も育たなくなって、森林限界といってこれより上は木が育たないという場所になる。上に行けば行くほど自分が体感する気候もどんどん変わっていくし、植物もどんどん変わっていくんです。8時間かけて登ったんですが、8時間で地球上の気候を全部味わったんですよ。だからそんなエクストリームな体験をした後に出会ったものだから、一層衝撃的でした。そういうシチュエーションもあって、ああ植物をなめたらあかんわ、と思ったんです。
それまでは旅をしたいから旅をしていたんですが、いまはこういう衝撃に出会いたくて、その方法として旅をすると変わっちゃったんですよ。あの山にこんな植物があるらしいとか、あの湿地にはこんな植物の自生地があるらしいとか、日本でも海外でも関係なく、見たいし、なんなら手に入れたいと思うわけです。そうしたらそこに行かないといけない。植物は向こうから来てくれませんからね。そういうふうに変わってしまったわけです。そのひとつの大きなきっかけが、ボルネオ島で見たネペンテスラジャですね。
-世界からどんな植物を持って帰ってきているんですか?
たとえばヤシ。日本で造園などで植えられるヤシはだいたい3種類です。ワシントニアか、ココスといわれるヤタイヤシか、フェニックスといわれるカナリーヤシか、そのへんがアウトレットモールやスーパー銭湯などでよく見られるものです。
その3種類は日本の気候になじむヤシということで、ヤタイヤシだったらアルゼンチンなどの南米から、カナリーヤシだったらカナリア諸島から、ワシントニアだったらアメリカから種が輸入されて、育てられた。
ヤシというのは最も人の生活に近い植物のひとつで、食べ物にもなるし、オイルも取れるし、葉は屋根になるし、幹は柱にしている国もあります。そういうヤシが大好きだった時があって、日本で育つ美しいヤシは、ほかにも世界中にいっぱいあるのにと思っていました。それで、そのヤシの入手に着手したのは20代前半くらいかな。
ヤシは輸入が難しいんです。移植するのにセンシティブなんですよ。そしてどこの国の検疫もだいたいそうなんですが、日本の検疫では土ごと植物を持ってくることはできない。だったらヤシの土を落として、きれいに洗浄して日本に輸入できるかといったら、ほとんどのヤシは移植に弱いので、そんなことしたら枯れちゃう。だから、植物園はいろんなヤシを標本展示したくてもできなかったんですね。種から育てたら30年かかりますしね。それをどうしたらいいかなというのをロジカルに考えて、日本の検疫システムのことを考えて、とあるやり方で輸入できるようにしました。植物園の人はどうしてこんなヤシを手にいれたんだろうと、結構みんなにびっくりされました。
-そこは企業秘密ですね?
まあ、そんな大したことではないんですけどね。
プラントハンター 西畠清順さんのお話、いかがだったでしょうか。
西畠さんの活動については、ご自身が主宰する『そら植物園』のウェブサイトでご覧になれます。
http://from-sora.com/
来週も引き続き西畠さんのお話しをお届けします。
お楽しみに!
【番組内でのオンエア曲】
・Lollipop / MIKA
・奇跡の地球 / 桑田佳祐 Mr.Children