- 2015.03.15
下鴨神社の森のおはなし1
今週は京都 下鴨神社の森のお話です。
ユネスコ世界遺産、古都京都の文化財のひとつ。日本書紀にその記録が残っており、紀元前から祀られているという、本当に深い歴史を持つ神社です。そして、今年は21年に一度の式年遷宮が行われることでも知られています。
正しい名前は「賀茂御祖神社(かも・みおや・じんじゃ)。京都を流れる鴨川の下流に祀られていることから、下鴨神社、下鴨さんと呼ばれ、京の町で昔から親しまれています。今回、案内してくれたのは京條寛樹さん。下鴨神社で神職を務めながら、この鎮守の森を管理されている方です。

◆糺のすずみ
ここは「井上社」といいまして、井戸の上にお社(やしろ)があるんですが、湧き水が湧いていたんです。この池を御手洗池といいまして、みたらし団子って皆さんご存知だと思うんですが、そのみたらし団子発祥の池だといわれています。昔はもっと水の量が多くて、池の底からブクブク泡を伴って湧いて出てきたそうなんですが、その泡を型どってお団子にして、神様にお供えしたのがみたらし団子の発祥だというふうに言われています。

すぐそこにみたらし茶屋さんというのがありまして、江戸時代は京の街からちょっと出て、森があって、涼める場所だったんですね。「糺(ただす)のすずみ」という言葉があるんですが、京都の市民の納涼の場所だったんですね。江戸時代なんかはそこに茶店がたくさん出ていて、お団子を出していたみたいですね。あとは川に浸したマクワウリ、メロンの日本版のようなものですが、それを川に浸して冷たくしたものを出していたりしました。
山が近いので、風の道になっていて、それに鴨川と高野川が両側に流れていますので涼しいんです。森があるというのがいちばんの要因でしょうが、京大の先生が調べたら1度違うそうです。
みたらし団子の由来って下鴨神社だったんですね。
京條さんによれば、ここのあたりは本当に水が湧き出ていたと言います。現在は都市化の影響で水は出なくなり、ポンプでくみ上げているのですが、いまも地下水は流れているのだそうです。
そして京條さん、「糺(ただす)の涼み」とおっしゃってましたが、これが下鴨神社の鎮守の森の名前。「糺の森」と呼ばれているんです。
「糺の森」は、京都市内で唯一の自然の森。京に都ができる前の、原生林の面影を残す貴重なもの。その歴史はかなり、相当、古いんだそうです。

◆糺の森
糺の森がここにいつからあったかというのは、正確にはわからないんですが、少なくとも下鴨神社がこの糺の森にあったということは、奈良時代の文献からも明らかですので、平安京ができる前、1200年以上前からこの地にあったということは確かだと思います。
古墳時代の遺跡だったり、縄文時代の遺物だったりというものがたくさん出土していますので、少なくとも数千年前から、森があったこの場所に人々が生きていたというのは確かなようです。
川の合流点や中州のこんもりとした森に神様がおられて、その神様をお祀りをしたというのは世界的に見られる現象なので、そういったことが古代の糺の森にもあって、お祀りされていたんだと思います。
糺(ただす)というのは、一般に当社の神様がいいこと、悪いことをただすのだという意味合いで使われていて、源氏物語のなかで光源氏がそうやって歌を詠んだりしていますので、少なくとも平安時代くらいからそういうふうにいわれていたようです。古いものですと、「只洲」と書いて、川の合流点を指すという言い方もありますし、他にも「直澄」と書いて「ただす」というふうに読んで、つまり水に大変綺麗な場所だということが語源だというふうにもいわれています。そういった特別な場所だと感じているからこそこの森が千数百年ずっと同じように残されてきたといういちばん大きな要因だと思います。
この糺の森は広さ3万6千坪という広大な森で、中を小川が流れているんです。先ほどの地下水や井戸もそうですが、この水の流れが森にとって大事な要素となっています。
◆瀬見の小川
この糺の森というのは鴨川と高野川という、京都の水源の二つの大きな川が合流する、いわゆる「鴨川デルタ」とよばれる三角状の中洲の場所にあります。川の合流点にあったものですから、昔からたいへん洪水が多かったんですね。洪水がで流された後、まずはじめに生えてくる木がニレ科の樹木だったそうなんです。そのニレ科というのはケヤキとかムクノキ、エノキという種類ですが、しょっちゅう氾濫があった場所で、最初に生えてくる、パイオニアの木が強くなっていくということが数千年繰り返されているので、このような森ができあがってきた。それが今でも残っているというので、希少だといわれています。
そういったニレ科の樹林だったんですが、戦後、鴨川、高野川の護岸工事だったり、川底の改良工事だったりというのがあって、洪水がほぼ起きなくなりました。もう80年くらい起きていません。それは人間にとっていい面でもあるんですが、森にとっては生態系が変わってしまうということもあって、今ご覧になっている湧き水も枯れてしまったんですね。昭和30~40年くらいからだんだん枯れてきたと伝わっているんですが、それを昔の状態に戻そうということで、平成2年から井戸を掘って、川を復元したり、そういったことをやっています。
ここは、じつは平成のはじめの発掘調査で、平安時代の川の跡がでてきたんですね。それを復元しようということで、復元した川です。井戸を掘って水を流したのが先ほどの「瀬見の小川」、御手洗川から流れる小川に合流するようにしています。
セキショウやキチジョウソウ、葵祭でつかわれるフタバアオイ、そういったものが定着するようになりました。水がないと生きていけないような草花がたくさん繁茂するようになって、全体として森の湿度が上がって、全体的に森が昔の状態に戻りつつあるというふうにいわれています。
この、井戸や小川を復元しようという動きは昭和の終わり頃、神社の境内が国の史跡になったことがきっかけ。地元でも、森を守ろうという機運が高まり、森を守るための水の流れを復活させたのだということです。
来週も引き続き下鴨神社の森のお話しをお届けします。
お楽しみに!
【今週の番組内でのオンエア曲】
・ばらの花 / くるり
・Baumkuchen(featuring ohashiTrio) / 大橋トリオ
ユネスコ世界遺産、古都京都の文化財のひとつ。日本書紀にその記録が残っており、紀元前から祀られているという、本当に深い歴史を持つ神社です。そして、今年は21年に一度の式年遷宮が行われることでも知られています。
正しい名前は「賀茂御祖神社(かも・みおや・じんじゃ)。京都を流れる鴨川の下流に祀られていることから、下鴨神社、下鴨さんと呼ばれ、京の町で昔から親しまれています。今回、案内してくれたのは京條寛樹さん。下鴨神社で神職を務めながら、この鎮守の森を管理されている方です。

◆糺のすずみ
ここは「井上社」といいまして、井戸の上にお社(やしろ)があるんですが、湧き水が湧いていたんです。この池を御手洗池といいまして、みたらし団子って皆さんご存知だと思うんですが、そのみたらし団子発祥の池だといわれています。昔はもっと水の量が多くて、池の底からブクブク泡を伴って湧いて出てきたそうなんですが、その泡を型どってお団子にして、神様にお供えしたのがみたらし団子の発祥だというふうに言われています。

すぐそこにみたらし茶屋さんというのがありまして、江戸時代は京の街からちょっと出て、森があって、涼める場所だったんですね。「糺(ただす)のすずみ」という言葉があるんですが、京都の市民の納涼の場所だったんですね。江戸時代なんかはそこに茶店がたくさん出ていて、お団子を出していたみたいですね。あとは川に浸したマクワウリ、メロンの日本版のようなものですが、それを川に浸して冷たくしたものを出していたりしました。
山が近いので、風の道になっていて、それに鴨川と高野川が両側に流れていますので涼しいんです。森があるというのがいちばんの要因でしょうが、京大の先生が調べたら1度違うそうです。
みたらし団子の由来って下鴨神社だったんですね。
京條さんによれば、ここのあたりは本当に水が湧き出ていたと言います。現在は都市化の影響で水は出なくなり、ポンプでくみ上げているのですが、いまも地下水は流れているのだそうです。
そして京條さん、「糺(ただす)の涼み」とおっしゃってましたが、これが下鴨神社の鎮守の森の名前。「糺の森」と呼ばれているんです。
「糺の森」は、京都市内で唯一の自然の森。京に都ができる前の、原生林の面影を残す貴重なもの。その歴史はかなり、相当、古いんだそうです。

◆糺の森
糺の森がここにいつからあったかというのは、正確にはわからないんですが、少なくとも下鴨神社がこの糺の森にあったということは、奈良時代の文献からも明らかですので、平安京ができる前、1200年以上前からこの地にあったということは確かだと思います。
古墳時代の遺跡だったり、縄文時代の遺物だったりというものがたくさん出土していますので、少なくとも数千年前から、森があったこの場所に人々が生きていたというのは確かなようです。
川の合流点や中州のこんもりとした森に神様がおられて、その神様をお祀りをしたというのは世界的に見られる現象なので、そういったことが古代の糺の森にもあって、お祀りされていたんだと思います。
糺(ただす)というのは、一般に当社の神様がいいこと、悪いことをただすのだという意味合いで使われていて、源氏物語のなかで光源氏がそうやって歌を詠んだりしていますので、少なくとも平安時代くらいからそういうふうにいわれていたようです。古いものですと、「只洲」と書いて、川の合流点を指すという言い方もありますし、他にも「直澄」と書いて「ただす」というふうに読んで、つまり水に大変綺麗な場所だということが語源だというふうにもいわれています。そういった特別な場所だと感じているからこそこの森が千数百年ずっと同じように残されてきたといういちばん大きな要因だと思います。
この糺の森は広さ3万6千坪という広大な森で、中を小川が流れているんです。先ほどの地下水や井戸もそうですが、この水の流れが森にとって大事な要素となっています。
◆瀬見の小川
この糺の森というのは鴨川と高野川という、京都の水源の二つの大きな川が合流する、いわゆる「鴨川デルタ」とよばれる三角状の中洲の場所にあります。川の合流点にあったものですから、昔からたいへん洪水が多かったんですね。洪水がで流された後、まずはじめに生えてくる木がニレ科の樹木だったそうなんです。そのニレ科というのはケヤキとかムクノキ、エノキという種類ですが、しょっちゅう氾濫があった場所で、最初に生えてくる、パイオニアの木が強くなっていくということが数千年繰り返されているので、このような森ができあがってきた。それが今でも残っているというので、希少だといわれています。
そういったニレ科の樹林だったんですが、戦後、鴨川、高野川の護岸工事だったり、川底の改良工事だったりというのがあって、洪水がほぼ起きなくなりました。もう80年くらい起きていません。それは人間にとっていい面でもあるんですが、森にとっては生態系が変わってしまうということもあって、今ご覧になっている湧き水も枯れてしまったんですね。昭和30~40年くらいからだんだん枯れてきたと伝わっているんですが、それを昔の状態に戻そうということで、平成2年から井戸を掘って、川を復元したり、そういったことをやっています。
ここは、じつは平成のはじめの発掘調査で、平安時代の川の跡がでてきたんですね。それを復元しようということで、復元した川です。井戸を掘って水を流したのが先ほどの「瀬見の小川」、御手洗川から流れる小川に合流するようにしています。
セキショウやキチジョウソウ、葵祭でつかわれるフタバアオイ、そういったものが定着するようになりました。水がないと生きていけないような草花がたくさん繁茂するようになって、全体として森の湿度が上がって、全体的に森が昔の状態に戻りつつあるというふうにいわれています。
この、井戸や小川を復元しようという動きは昭和の終わり頃、神社の境内が国の史跡になったことがきっかけ。地元でも、森を守ろうという機運が高まり、森を守るための水の流れを復活させたのだということです。
来週も引き続き下鴨神社の森のお話しをお届けします。
お楽しみに!
【今週の番組内でのオンエア曲】
・ばらの花 / くるり
・Baumkuchen(featuring ohashiTrio) / 大橋トリオ