先週に引き続き、「木で、未来をつくろう2014」から、坂 茂さんとのトークセッションの模様をお届けします。

テーマは『木材の可能性を考える~被災地支援から美術館まで』
お話しは「紙」による被災地支援から木材のお話しへとつながっていきます。

「これは岩手県の大槌高校の体育館なのですが、神戸の震災直後の避難所といわれても全く区別がつかないと思うんです。
神戸のときから非常に大きな問題になったんですが、避難所で家族ごとのプライバシーがない。みなさん精神的にも大きな苦痛を持たれています。神戸のときにそのことが問題になって、その後上越地震でも、福岡の西方沖地震でもそうなんですが、毎回同じ問題を繰り返していて、政府は全くそれを改善しようとしません。だったら我々の手でやるしかないと思ったんです。僕は中越地震のときから同じ活動をしているんですけれども、こういう紙管を持って行って穴を空け、フレームをつくってカーテンを吊り、間仕切りにするんです。



避難所を管理する行政の人は「あまり固定的なものは困る」と言いますし、開けたり閉めたりできる必要があります。それに家族は2人だったり6人だったり、まちまちなので、大きさを自由に調整できなければなりません。しかも簡単に安く、誰にでもつくれて、使い終わった後もゴミにならず、リサイクルできるものということで、試作を地震ごとに4回繰り返してやっとここまで到達したんです。

東日本大震災では50ヶ所以上の避難所で、1800ユニットつくってまわりました。避難生活が長引いて夏になってしまった避難所もあるんですが、そういうときはカーテンの替わりに蚊帳をつりにいきました。断られる避難所も随分あったんですが、諦めずにずっと東北中まわってつくったんです。ひどい避難所になると更衣室もないんですよ。
やっぱりプライバシーは人間の基本的な人権だと思うんです。避難所をまわっていてびっくりしたんですが、そこを取り仕切る役人の方が、「間仕切りをつくって、影で酒でも飲まれたら困る」とかって言うんですよ。自分たちは夜、家に帰ってお酒を飲んでるくせに!
でもみなさん、精神的にも大変苦労されているので、最低限これくらいはあたりまえだと思うんです。」
坂さんはこういった活動をするなかで、女川町に仮設住宅をつくりました。
「もちろん予算は限られています。でも精神的にもダメージを負った人たちだからこそ、綺麗で住み心地もいいところに住んでもらうべきだと思うんです。最近もニュースになっていますが、政府が用意した従来の仮設住宅は結露したり、断熱性もないし、隣の家の音も聞こえてくる。しかもいまはもう基礎が腐ってきています。この仮設住宅は3年も4年ももたないんです。それに収納もないので、家の中が雑然としてきます。ですから、これを改善しなきゃいけない、住み心地もよくしなければいけないと思いました。


それに、500kmの海岸線が津波の被害を受けているので平地が少ないんです。だから、政府がつくっている平屋の仮設住宅だと十分に戸数がとれません。それはもう4月の時点で予想していたので、こういう、20フィートのコンテナでできた3階建ての仮設住宅模型をつくって、避難所に間仕切りをつくりにまわる度に町長さんとか市長さんにお会いして、もし土地が十分になければこういう複層のものができますよっていうことを説いてまわりました。

そのときにたまたま女川の町長さんに「うちの街はあと190世帯分必要なんだけど、つくる場所がない。もう残っているのは野球場しかない」と言われたんです。でもそこには政府の仮設住宅だと50世帯くらいしかつくれない。じゃあやりましょう、ということで、コンテナを使った3階建ての仮設住宅の建設がはじまったんです。
コンテナを市松模様に積んでいますが、その市松模様のコンテナが入っていないところに大きな窓をつけ、光がたくさん入って、風通しもいいようにしました。全部我々のボランティアチームがつくってくれたんですけれども、収納家具も作り付けで入れて、それで引き渡しました。




この仮設住宅は、他の一般的な政府がつくっている仮設住宅と同じ予算で、広さも同じです。予算と広さを合わせないと県のお金がおりませんから。ですから、基準的には政府でつくっているものと全く変わりません。だけれども、これだけ綺麗になっているのは、やはり愛情をこめて設計しているおかげだと思うんです。
3階建てにすることによって土地の有効利用もはかれるし、3階の住人たちはみんな景色が良くてすごくいいって喜んでくれています。みんな家賃を払ってでもここに住み続けたいって言ってくださるんです。
やっぱり政府にいくら訴えかけても、実証しなければだめだと思うんです。いずれ地震は絶対またあるわけですから、そのときには避難所は最低限間仕切りがあり、仮設住宅は最低限これくらいのクオリティのものをつくらなければだめですよ、ということを実践してみせたかったんです。実際、同じ予算でもこれだけのものができるのですから。
政府は最初2年と言いましたが、それが4年になり、復興はどんどん遅れています。残念ながら、長く仮設住宅にいていただかないといけないのが現実です。だったらやっぱり住み心地のいいところじゃないといけませんよね。」
そして女川といえば、来年の春に全線復旧するJR石巻線女川駅の駅舎も坂さんが手がけています。
「津波の被害を受けた場所に全体的に土を盛っているんですが、その上につくっている、女川の復興でできる最初の建物になるんです。屋根は木造で、ゆるやかな曲面を描いた天井になっています。そしてなかには温泉施設があって、温泉の上を見ると、木で編んだような屋根から自然光が入るような設計になっています。




石巻線は乗客数が少ないので、駅と街の温泉施設を合体してつくろうということで、こういう形になりました。ですから、駅についたらすぐに温泉に入れますし、そして海も見える。終着駅で海が見える場所は日本には2ヶ所しかないそうですよ。」
女川駅の駅舎はちょうど海が見渡せてとても素敵なところです。その2階にある温泉施設は「女川温泉ゆぽっぽ」というそうで、地元の方も完成をとても楽しみにしていました。
来年春に完成予定だそうです。
坂さんのお話しは来週も続きます。
どうぞお楽しみに!
【番組内でのオンエア曲】
・Brose&Butter / くるり
・THIS LOVE / TAYLOR SWIFT

テーマは『木材の可能性を考える~被災地支援から美術館まで』
お話しは「紙」による被災地支援から木材のお話しへとつながっていきます。

「これは岩手県の大槌高校の体育館なのですが、神戸の震災直後の避難所といわれても全く区別がつかないと思うんです。
神戸のときから非常に大きな問題になったんですが、避難所で家族ごとのプライバシーがない。みなさん精神的にも大きな苦痛を持たれています。神戸のときにそのことが問題になって、その後上越地震でも、福岡の西方沖地震でもそうなんですが、毎回同じ問題を繰り返していて、政府は全くそれを改善しようとしません。だったら我々の手でやるしかないと思ったんです。僕は中越地震のときから同じ活動をしているんですけれども、こういう紙管を持って行って穴を空け、フレームをつくってカーテンを吊り、間仕切りにするんです。




避難所を管理する行政の人は「あまり固定的なものは困る」と言いますし、開けたり閉めたりできる必要があります。それに家族は2人だったり6人だったり、まちまちなので、大きさを自由に調整できなければなりません。しかも簡単に安く、誰にでもつくれて、使い終わった後もゴミにならず、リサイクルできるものということで、試作を地震ごとに4回繰り返してやっとここまで到達したんです。

東日本大震災では50ヶ所以上の避難所で、1800ユニットつくってまわりました。避難生活が長引いて夏になってしまった避難所もあるんですが、そういうときはカーテンの替わりに蚊帳をつりにいきました。断られる避難所も随分あったんですが、諦めずにずっと東北中まわってつくったんです。ひどい避難所になると更衣室もないんですよ。
やっぱりプライバシーは人間の基本的な人権だと思うんです。避難所をまわっていてびっくりしたんですが、そこを取り仕切る役人の方が、「間仕切りをつくって、影で酒でも飲まれたら困る」とかって言うんですよ。自分たちは夜、家に帰ってお酒を飲んでるくせに!
でもみなさん、精神的にも大変苦労されているので、最低限これくらいはあたりまえだと思うんです。」
坂さんはこういった活動をするなかで、女川町に仮設住宅をつくりました。
「もちろん予算は限られています。でも精神的にもダメージを負った人たちだからこそ、綺麗で住み心地もいいところに住んでもらうべきだと思うんです。最近もニュースになっていますが、政府が用意した従来の仮設住宅は結露したり、断熱性もないし、隣の家の音も聞こえてくる。しかもいまはもう基礎が腐ってきています。この仮設住宅は3年も4年ももたないんです。それに収納もないので、家の中が雑然としてきます。ですから、これを改善しなきゃいけない、住み心地もよくしなければいけないと思いました。


それに、500kmの海岸線が津波の被害を受けているので平地が少ないんです。だから、政府がつくっている平屋の仮設住宅だと十分に戸数がとれません。それはもう4月の時点で予想していたので、こういう、20フィートのコンテナでできた3階建ての仮設住宅模型をつくって、避難所に間仕切りをつくりにまわる度に町長さんとか市長さんにお会いして、もし土地が十分になければこういう複層のものができますよっていうことを説いてまわりました。

そのときにたまたま女川の町長さんに「うちの街はあと190世帯分必要なんだけど、つくる場所がない。もう残っているのは野球場しかない」と言われたんです。でもそこには政府の仮設住宅だと50世帯くらいしかつくれない。じゃあやりましょう、ということで、コンテナを使った3階建ての仮設住宅の建設がはじまったんです。

コンテナを市松模様に積んでいますが、その市松模様のコンテナが入っていないところに大きな窓をつけ、光がたくさん入って、風通しもいいようにしました。全部我々のボランティアチームがつくってくれたんですけれども、収納家具も作り付けで入れて、それで引き渡しました。




この仮設住宅は、他の一般的な政府がつくっている仮設住宅と同じ予算で、広さも同じです。予算と広さを合わせないと県のお金がおりませんから。ですから、基準的には政府でつくっているものと全く変わりません。だけれども、これだけ綺麗になっているのは、やはり愛情をこめて設計しているおかげだと思うんです。
3階建てにすることによって土地の有効利用もはかれるし、3階の住人たちはみんな景色が良くてすごくいいって喜んでくれています。みんな家賃を払ってでもここに住み続けたいって言ってくださるんです。
やっぱり政府にいくら訴えかけても、実証しなければだめだと思うんです。いずれ地震は絶対またあるわけですから、そのときには避難所は最低限間仕切りがあり、仮設住宅は最低限これくらいのクオリティのものをつくらなければだめですよ、ということを実践してみせたかったんです。実際、同じ予算でもこれだけのものができるのですから。
政府は最初2年と言いましたが、それが4年になり、復興はどんどん遅れています。残念ながら、長く仮設住宅にいていただかないといけないのが現実です。だったらやっぱり住み心地のいいところじゃないといけませんよね。」
そして女川といえば、来年の春に全線復旧するJR石巻線女川駅の駅舎も坂さんが手がけています。
「津波の被害を受けた場所に全体的に土を盛っているんですが、その上につくっている、女川の復興でできる最初の建物になるんです。屋根は木造で、ゆるやかな曲面を描いた天井になっています。そしてなかには温泉施設があって、温泉の上を見ると、木で編んだような屋根から自然光が入るような設計になっています。




石巻線は乗客数が少ないので、駅と街の温泉施設を合体してつくろうということで、こういう形になりました。ですから、駅についたらすぐに温泉に入れますし、そして海も見える。終着駅で海が見える場所は日本には2ヶ所しかないそうですよ。」
女川駅の駅舎はちょうど海が見渡せてとても素敵なところです。その2階にある温泉施設は「女川温泉ゆぽっぽ」というそうで、地元の方も完成をとても楽しみにしていました。
来年春に完成予定だそうです。
坂さんのお話しは来週も続きます。
どうぞお楽しみに!
【番組内でのオンエア曲】
・Brose&Butter / くるり
・THIS LOVE / TAYLOR SWIFT