- 2014.10.05
クニ子おばばの焼畑 1
今週 ご紹介するのは、九州・宮崎県にある、山の中の小さな村で受け継がれる、伝統的な農法「焼き畑」です。
場所は東臼杵郡椎葉村。山の中腹に小さな集落が点在する、本当に森の中にある村です。
この場所で、ずっと「焼き畑」の伝統を守り続けて来た方が、椎葉クニ子さん。「クニ子おばば」の愛称で呼ばれる、名物おばあちゃんです。
ソバはね、三角で角が大きいと身が少ない。丸いのがいっぱいつまっとっとよ。この種を切らしたくないけん、50年も60年も焼き畑をしてきたとよ。これが何千年も昔からの種だけ。

焼き畑で取れた「ソバの種」を手に取りながら話してくれたのが、椎葉クニ子さん。
大正13年生まれ。御年90歳になります。なんとお子さんが6人、お孫さんが18人、ひまご23人!!
そして山の植物や食べ物の知識は、学者さん以上!本当になんでも知っていて、色んなことを教えて下さいました。
そんなクニ子おばば、10歳の頃から親とともに焼き畑を経験。一時は大阪に勤めに出たこともあるのですが、その後 椎葉村に嫁ぎ、以来、60年以上、この村で焼き畑の伝統を守り続けています。
ここへ嫁いだのは昭和22年の激動の時代。もう日本全国何もない。これくださいというものは何もない激動の時代にここへ嫁いで66年になる。焼畑も1年もやめないで66年。今は息子たちがするけんね。焼畑農法は5500年前の農法。もう焼畑せんと生きていけんかったとよ。
~何故最初にそばをつくるんですか?
ソバっちゅうのは、2ヶ月半で食台に上がる。だから8月に種蒔いて実になるのは、ソバしかない。ソバは75日の夕飯。翌年この畑にヒエ、アワを蒔く。だから1年目はソバ、2年目はヒエ、アワ、3年目は小豆、4年目は大豆。遷地輪作ちゅう仕事をすっと。同じ土地に種を変えて蒔く。焼け灰の力で4年間はピシャっとできる。4年間使ったら、あとはもう自然に返す。その農法が、5500年前の農法がここに私たちが現に活かしとるから、外国からだって31ヶ国から視察に来とるよ。

この椎葉村の焼き畑は、いま日本で唯一行われている焼き畑農法。今ではクニ子さんから、息子の勝さんに受け継がれ、旅館「焼き畑」の宿泊客のための、見学会も実施されています。
焼き畑が始まったのは5500年前、つまり縄文時代。長い年月をかけ、先人たちの知恵を積み重ね、いまの形になったといいます。
一度焼いた場所は、4年間かけて、ソバ、ヒエ、アワ、小豆、大豆の順番で種をまき育てます。焼いた灰の力で作物が育つのは4年目まで。それ以降は、種をまいてもあまり育たなくなるので、「森に戻す」そうです。これも長年かけて編み出された方法なんです。
というわけで今回は、民宿「焼き畑」の宿泊客の方とともに、焼き畑が行われる予定の場所を見学させてもらいました。
案内してくれたのは、クニ子さんのご長男・勝さんです。残念ながらこの日は雨のため、焼き畑は中止だったのですが、山の急斜面は、焼き畑に向けて木が全て切り倒され、切り株と雑草だけになっていました。
実際に焼き畑が行われると、ここはどうなるのでしょうか。
◆クニ子おばばのご長男・勝さん
焼いたらいい山になりますよ。焼けるの大体は10センチくらいです。乾燥していたら土も焼けますね。病害虫も一緒に焼けます。一年間は本当に良い場所になります。焼いた後はタラの芽が何百本と出ます。4年間肥料は全く与えません。最初にソバを植えて、最後は小豆、大豆を植えます。その時期になると雑草が焼き畑の栄養をすって生い茂ってきます。それを抑えるために小豆と大豆を植えるんです。小豆や大豆は葉が広くて光を遮るので、雑草がはえるのを防ぎます。
焼き畑をする杉の山は間伐して3~4年かけてした草を生やします。杉だけでは栄養分がないんです。だからくまざさなどの雑草をはやします。
跡を継ぐひとを育成するためにクラブを作って小学生も呼び込んでやっています。できたら継いでいってほしい。ここに住む人たちががんばっていければいいと思っています。
椎葉村の焼き畑のお話し、いかがだったでしょうか。取材したのは8月の初めでしたが、その後も天候の悪い日が続き、なかなか焼き畑ができなかったそうです。結局、焼き畑を行ったのは9月12日で、これは例年より40日ほど遅いそうです。やはり、雨が続いて地面が十分に乾いておらず、綺麗には焼けなかったとおっしゃっていました。本来であればこの時期はソバの花が咲いているそうなんですが、今年はまだ芽が出たばかりだそうです。やはり自然が相手だとなかなか思うようにはいかないんですね。
次回も焼き畑のお話しの続きをお届けします。
お楽しみに!
今回ご紹介したお話しはポッドキャストでも配信中です。
こちらもぜひお聞きください!
【今週の番組内でのオンエア曲】
・シャングリラ / チャットモンチー
・Sunshine Girl / moumoon
場所は東臼杵郡椎葉村。山の中腹に小さな集落が点在する、本当に森の中にある村です。
この場所で、ずっと「焼き畑」の伝統を守り続けて来た方が、椎葉クニ子さん。「クニ子おばば」の愛称で呼ばれる、名物おばあちゃんです。
ソバはね、三角で角が大きいと身が少ない。丸いのがいっぱいつまっとっとよ。この種を切らしたくないけん、50年も60年も焼き畑をしてきたとよ。これが何千年も昔からの種だけ。

焼き畑で取れた「ソバの種」を手に取りながら話してくれたのが、椎葉クニ子さん。
大正13年生まれ。御年90歳になります。なんとお子さんが6人、お孫さんが18人、ひまご23人!!
そして山の植物や食べ物の知識は、学者さん以上!本当になんでも知っていて、色んなことを教えて下さいました。
そんなクニ子おばば、10歳の頃から親とともに焼き畑を経験。一時は大阪に勤めに出たこともあるのですが、その後 椎葉村に嫁ぎ、以来、60年以上、この村で焼き畑の伝統を守り続けています。
ここへ嫁いだのは昭和22年の激動の時代。もう日本全国何もない。これくださいというものは何もない激動の時代にここへ嫁いで66年になる。焼畑も1年もやめないで66年。今は息子たちがするけんね。焼畑農法は5500年前の農法。もう焼畑せんと生きていけんかったとよ。
~何故最初にそばをつくるんですか?
ソバっちゅうのは、2ヶ月半で食台に上がる。だから8月に種蒔いて実になるのは、ソバしかない。ソバは75日の夕飯。翌年この畑にヒエ、アワを蒔く。だから1年目はソバ、2年目はヒエ、アワ、3年目は小豆、4年目は大豆。遷地輪作ちゅう仕事をすっと。同じ土地に種を変えて蒔く。焼け灰の力で4年間はピシャっとできる。4年間使ったら、あとはもう自然に返す。その農法が、5500年前の農法がここに私たちが現に活かしとるから、外国からだって31ヶ国から視察に来とるよ。

この椎葉村の焼き畑は、いま日本で唯一行われている焼き畑農法。今ではクニ子さんから、息子の勝さんに受け継がれ、旅館「焼き畑」の宿泊客のための、見学会も実施されています。
焼き畑が始まったのは5500年前、つまり縄文時代。長い年月をかけ、先人たちの知恵を積み重ね、いまの形になったといいます。
一度焼いた場所は、4年間かけて、ソバ、ヒエ、アワ、小豆、大豆の順番で種をまき育てます。焼いた灰の力で作物が育つのは4年目まで。それ以降は、種をまいてもあまり育たなくなるので、「森に戻す」そうです。これも長年かけて編み出された方法なんです。
というわけで今回は、民宿「焼き畑」の宿泊客の方とともに、焼き畑が行われる予定の場所を見学させてもらいました。
案内してくれたのは、クニ子さんのご長男・勝さんです。残念ながらこの日は雨のため、焼き畑は中止だったのですが、山の急斜面は、焼き畑に向けて木が全て切り倒され、切り株と雑草だけになっていました。
実際に焼き畑が行われると、ここはどうなるのでしょうか。
◆クニ子おばばのご長男・勝さん
焼いたらいい山になりますよ。焼けるの大体は10センチくらいです。乾燥していたら土も焼けますね。病害虫も一緒に焼けます。一年間は本当に良い場所になります。焼いた後はタラの芽が何百本と出ます。4年間肥料は全く与えません。最初にソバを植えて、最後は小豆、大豆を植えます。その時期になると雑草が焼き畑の栄養をすって生い茂ってきます。それを抑えるために小豆と大豆を植えるんです。小豆や大豆は葉が広くて光を遮るので、雑草がはえるのを防ぎます。
焼き畑をする杉の山は間伐して3~4年かけてした草を生やします。杉だけでは栄養分がないんです。だからくまざさなどの雑草をはやします。
跡を継ぐひとを育成するためにクラブを作って小学生も呼び込んでやっています。できたら継いでいってほしい。ここに住む人たちががんばっていければいいと思っています。
椎葉村の焼き畑のお話し、いかがだったでしょうか。取材したのは8月の初めでしたが、その後も天候の悪い日が続き、なかなか焼き畑ができなかったそうです。結局、焼き畑を行ったのは9月12日で、これは例年より40日ほど遅いそうです。やはり、雨が続いて地面が十分に乾いておらず、綺麗には焼けなかったとおっしゃっていました。本来であればこの時期はソバの花が咲いているそうなんですが、今年はまだ芽が出たばかりだそうです。やはり自然が相手だとなかなか思うようにはいかないんですね。
次回も焼き畑のお話しの続きをお届けします。
お楽しみに!
今回ご紹介したお話しはポッドキャストでも配信中です。
こちらもぜひお聞きください!
【今週の番組内でのオンエア曲】
・シャングリラ / チャットモンチー
・Sunshine Girl / moumoon